ダブルキャスト.13
『久保ちゃん…、俺は…』
その先の言葉は久保ちゃんにさえぎられるまでもなく、たぶん続かなかったような気がする。そう言った瞬間に脳裏に浮かんだのは目の前にいる久保ちゃんじゃなく…、ウチで待ってる時任の顔だった…。
あんな目にあったからじゃなくて、その前から胸に何かが詰まってて…、
詰まっていて苦しくて…、吐き出してしまいたくて…、
けれど、どうしてもそうする事ができない。
どうしても…、言葉にはならない…。
言葉にしようとすると、なぜか時任のことばかりが脳裏に浮かんできた。
この続きは考えちゃダメだって、苦しい胸の奥から自分の声が聞こえてくる。なのに、昨日したキスの感触が唇に残ってて消えてくれなくて、夢の中でまた…、背伸びして腕を伸ばして久保ちゃんとキスして目が覚めた…。
「今のは…、夢…?」
目が覚めた瞬間に久保ちゃんが目の前にいて、現実と夢との境界線が俺の中で曖昧になる。けど、キスと繋がるように昨日の嫌なコトが脳裏によみがえってきて、ぶるっとカラダを震わせながらさっきまで見ていた夢を振り払った。
こんなの…、すぐに忘れてやる…。
そう思って毛布の端を握りしめると、逆に触られた時の気持ち悪い感覚を思い出して吐きそうになった。
「・・・・・大丈夫?」
俺が開いた目をまた閉じて吐き気に耐えてると、そう言った久保ちゃんの優しい声が聞こえてくる。でも久保ちゃんはベッドの脇に立ってるだけで、それ以上、俺に近づこうとはしなかった…。
久保ちゃんと何もしないって約束をして…、けれど今はほんの少し開いた距離がもっと胸を痛くする。本当はこの距離でいいって思ってるのに、昨日、時任の背中にぎゅっと抱きつきながらそう思ったのに…、毛布の端を握りしめた手の力が無意識に少し強くなった。
「昨日はソファーで寝てたのに、なんで…?」
「朝起きたらお前が熱出してたから、こっちに運んだ」
「そう言えば、なんか頭がぼーっとする…」
「今日は無理しないで寝てな。もう昼メシってカンジだけど、薬飲まなきゃならないし何か食べられそうなモノ作ってくるから…」
「・・・・・・・」
久保ちゃんに言われて自分の額に手を当てると確かに熱いし、カラダもだるくて力が入らない。別にカゼなんかひいてなかったけど、ホントに熱が出てた。
あーあ…、今日は学校に行って色々調べるつもりたったのに…。
そう思うとガッカリでため息が出るけど、ちょっとだけホッとしてる。
今日はどうしても…、スカートな制服もブラも着る気にはなれなかった。
でも一つだけ気になった事があって、部屋を出ようとしてる久保ちゃんを呼び止める。すると、久保ちゃんはドアノブに手をかけたままの姿勢で俺の方を見た。
「なに? もしかして、何か他に欲しいモノとかある?」
「そうじゃなくて…、あのさ」
「うん?」
「今日、時任は…」
「学校…。俺らの分もノート取って来てって頼んだから…」
「・・・・・・・・・そっか」
キッチンに向かう久保ちゃんの背中を見送りながら、久保ちゃんとの距離をカンジながら…、たぶん俺はまた昨日みたいに…、
時任の背中に抱きつきたくなってたのかもしれない。
こんなのはらしくねぇって自分でわかってても、今は時任の背中が恋しかった。
大丈夫って言ってくれた声を…、聞きたかった…。
「なんか…、自分のコトばっかだよな…」
ココにはいない時任に向かって…、そう声に出してゴメンな…って呟いて天井を見上げながら大きく息を吐き出す。そして、頭から毛布をかぶった。
俺と時任の始まりは、今寝てるこのベッドから…、
でも、二人とも落ちた階段が気になってる。
それくらいしか原因らしい原因が見つからないってのもあるけど、階段から落ちた理由がただつまづいたからとか…、何かに引っかかったからとかじゃない気が…、
あの日、あの場所で何かあった気がしていた。
なんで、俺は階段から落ちちまったんだろ…。
なんで…、二人になっちまったんだろう…。
なんで久保ちゃんにあんなにドキドキして…、キスなんかして…、
なんで俺は・・・・・・・・。
そこまで、なんでって繰り返してため息をつく。
そしたら、熱せいか頭がぼーっとしてきて何も考えられなくなった。
考えなきゃ…、ならないコトはいっぱいあんのに…。
そんな風に思ってる内にまた意識が途切れて、次に目が覚めた時にはブラインドから夕日の赤色が少し漏れて入ってきてた。
せっかく、久保ちゃんが何か作ってきてくれるっつってたのに、俺はあのまま眠っちまってたらしい。目を覚ますと、朝から何も食べてない腹がぐーっと鳴った。
「・・・・・・腹へった」
俺がすきっ腹を抱えてそう言うと、ベッドの足元の辺りに腰掛けてた久保ちゃんが立って部屋を出て行く。だから、なんとなく久保ちゃんが座ってた辺りに足を移動してみると、そこは久保ちゃんの体温であたたかくなっていた。
もしかして俺が眠ってる間、あそこに座っててくれたのかもしれない…。
気づかない内に久保ちゃんが額に貼ってくれた冷えピタが、冷たくて気持ち良かった。
頭はまだぼーっとしてるけど、眠る前よりだいぶマシになってる。だから、ベッドから上半身だけ起こして座ると、久保ちゃんがおかゆの入った小さな土鍋を持って部屋に戻ってきた。
「知らなかったけど、ウチってそんなのあったんだな」
「そんなのって土鍋のコト? コレはなんとなく前に深夜の通販番組見て買っただけで、使うのは始めてだけど?」
「衝動買いかよ」
「買ってて良かった…ってカンジ?」
「そのセリフっ、なんか番組に出てるヤツみてぇ」
「そう?」
土鍋が乗ってるプラスチック製のお盆を受け取りながら、俺は久保ちゃんといつも通りに話せてる事にほっとしながら少し笑う。昨日はあれから久保ちゃんの顔をまともに見れなくて…、今日になってもどこかぎこちないカンジだったけど…、
こんな風にいつもみたいな話してフタを開けた土鍋から出てくるあたたかい白い湯気を見てると、久保ちゃんとの間にある空気が柔らかくあたたかくなった気がした。
「朝より下がったけど、まだ熱あるみたいだし食べさせてあげよっか?」
「いいっ、自分で食うっ」
「ほら、あーんして?」
「そ、そんなガキみたいなコト誰がするかっっ」
「遠慮しなくてもいいのに、ねぇ?」
「…って、誰も遠慮なんかしてねぇっつーのっ」
そう言いながら、白いレンゲで土鍋の中からおかゆをすくう。
すると、タマゴが入った塩味の黄色いおかゆはすごくウマかった…。
だから、俺がウマいって言うと久保ちゃんはそう…って言ってベッドの上に座る。
そして、夕日が差し込んでくるブラインドを眺めた。
俺はそれきり何も言わずにおかゆを食べて、久保ちゃんもそれきり何も言わずに入ってくる夕日を眺めて、けどそれは自然で穏やかなカンジで…、
流れていく時間も二人でいる時間も、おかゆと同じように暖かい。
このまま…、ずっとこうしてたいくらい暖かくて…、
俺はおかゆを食べ終えると、久保ちゃんと一緒にブランドから漏れてくる光を眺めた。
「ずっと・・・・・・」
思わず小さくそう呟いたけど、二人になってオンナになっちまってて…、
なのに、ずっとこのままなんていいはずなんてなかった。
けど、もしも元に戻れたら久保ちゃんともきっと…、こんな風に自然に一緒にいられるようになる。いつもみたいに一緒に学校に行って執行部で公務をしたりして、何もかもが元通りになって…、
そう思うのに元通りになったら、なぜか俺まで消えちまう気もして…、ヒザの上に置いてた土鍋がそんな想いに反応するようにガタガタと音を立てて揺れた。
「稔…、土鍋が落ちる」
「あ…、やべ…っっ」
揺れた土鍋が膝から落ちそうになって、伸びてきた久保ちゃんの手がそれを落ちないように支えてくれる。すると、ちょっと遅れて土鍋を支えようとした俺の手が伸ばされた久保ちゃんの手に少し触れて…、いきなり俺らの距離が縮まって…、
久保ちゃんの視線と俺の視線が近すぎる距離でぶつかる…。
その距離は昨日…、背伸びをして久保ちゃんとキスした距離に近かった。
何もかも元に戻ればいいって想ってるのに、またドキドキが止まらない。まるで、こんな風にドキドキしすぎる鼓動が二人になる前と今とを…、俺と時任を分けてるみたいに久保ちゃんに向かって引き寄せられていく唇を止められなかった。
止めたら何もかも消えちまいそうで…、止められなかった…。
「今だけ…、このまま…」
今だけ…。
そう言って目を閉じて、久保ちゃんにキスしようとしたけど…、
先に触れてきたのは俺じゃなくて久保ちゃんの方で、それがちょっとだけ…、
ほんのちょっとだけ…、目の奥が熱くなるくらいうれしかった…。
「・・・・・・久保ちゃん」
キスの合間に久保ちゃんを呼んで、けれどまた何も言葉にならない。
伝えたいコトがあるはずなのにキスをしながら、久保ちゃんの首に手を回して抱きしめてるだけで精一杯だった…。
そしてまたキスが終ったら…、抱きしめてる腕を放したら…、
また、キスも何もなかったコトになって…、
俺はそう思ったけど、キスを終えて目を開けた瞬間に見たのは、少しだけ開かれたドアの隙間から、凍りついたような表情でこちらを見ている時任のカオだった。
「と、時任…っ」
俺が急いで腕を放して久保ちゃんから離れながら呼ぶと、時任は玄関に向かって走っていく…。そして、それと同時に久保ちゃんも時任を追いかけて走り出そうとした。
けど無意識に伸びた俺の手が、そんな久保ちゃんの袖を引っ張る…。
なぜ…、なんで俺は…、
そんなコトをしちまったんだろう…。
早く時任を追いかけたい…、久保ちゃんに追いかけて欲しいって想ってんのに…、
なぜ俺の手は…、久保ちゃんを引き止めたんだろう…。
袖を引っ張った自分の手を…、力無く袖から外れていく手を見つめながら…、
なぜか、時任を追いかけて走り出す久保ちゃんの背中じゃなく…、
学校の階段から落ちた時の光景を見ていた…。
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