ダブルキャスト.12
今、俺の目の前には信じられないような…、現実がある。
一人だった人間が二人…。
一人だった時任がなぜか二人になって…、時任と稔になった。
けれど、二人になったとしても時任と稔は俺のそばにいる。だから、たとえ二人になったとしても俺にとっては、何も変わらない事のように最初は思えた。
俺にとって重要なのは、時任という存在がそばにいるコト。
ただ、それだけ…。
ただ…、それだけのはずだった…。
でも、ホントはそれだけじゃない事を俺は知っていた。
なのに、知らないフリを気づかないフリを…、
昨日、稔とキスをした後からもずっと…、今までと同じように続けていた。
『久保ちゃん…、俺は…』
『帰るよ、稔』
『・・・・・・』
『早く帰らないと、時任が心配してるから…』
『…うん』
あんなコトがあった後で、稔の精神状態は不安定になっていて…、
だから、キスした理由も何も聞かずに離れた。
一時的な感情は言葉にしてしまうと強くなるけど、すぐに消えてしまう。
状況に流れされただけで、また状況が変わればすぐに変わってしまう。
触れてきた唇から、稔の不安定な心と気持ちが震えと一緒に伝わってきた。
けれど、ホントにそれが理由で稔から離れたのか、どうか自分でもわからない。時任を学校に送り出した後で、ベッドで苦しそうな息を吐きながら眠る稔の顔を見つめながら、俺はじっと時任が二人になってからの事を考えていた。
「どうして…、二人になった?」
返事がない事を知りながら、そう尋ねて眠る稔の手をそっと握りしめる。
そして稔の手を握りしめながら、学校に行った時任の事を想う。すると今まで一つだった想いが、二つに切り裂かれていくようで胸の中に罪悪感に似たしこりを作った。
俺が時任に望んでいるコト…、そして稔に望んでいるコト…。
それが同じなのか違うのか良くわからない。
こうして手を伸ばしていながらも、それがわからなかった。
何もわかりたくなかった…。
オンナでもオトコでも時任は時任だから、わからないフリをしていたかった。
・・・・・・今があるなら希望はいらない。
何もいらないから、このままでいたかった…。
けれど、目の前には触れた唇があって手を握りしめながら眺めていると、昨日の光景が脳裏によみがえってくる。
稔がさらわれた時、俺はマックの店内にいた。
けど、さらわれたのに気づけなかったのはそのせいじゃない。マックの列に並んでいる時も店員に注文を告げている時も、俺は外で稔が待っているのに時任の事を考えていた。
だから、稔がさらわれた事に気づけなかった。
学校にいた時任が…、殴られた時と同じように…。
二人は俺にとって同じ存在で、けれど二人を抱きしめるコトはできない。二人に向かって伸ばした腕は一人しか抱きしめられないから…、抱きしめ損ねて地に落ちる。
その結果、俺は誰も守る事もできずに、こうやって見つめているだけで…、
できるコトといえば熱にうなされながら夢でも見ているのか、稔の目尻からゆっくりと流れ落ちていく涙を指でぬぐってやるコトくらいだった…。
「・・・・・好きだよ」
そう呟いた言葉は、腕と同じように誰にも届かない。
届かずに消えていくだけの声は、部屋の静寂の中に吸い込まれて…、
その後には…、沈黙だけが残った。
けれど、その沈黙を壊すようにポケットの中に入っていたケイタイが振動する。
ディスプレイには桂木という文字が表示されていた。
桂木ちゃんが電話してきた理由も内容も、簡単に予測がつく…。
でも…、稔の手を放して起こさないように気を付けながら、そっと毛布の中に収めると部屋から廊下に出てケータイの通話ボタンを押した。
『もしもし、久保田君?』
「なに?」
『あら、かけても出ないと思ってたけど、ちゃんと出たわね』
「出なかったら、後で誰かサンがうるさいんで…」
『それは、アンタがうるさくしたくなるような事をするからでしょう?』
「…って、なんのコト?」
『とぼけたってムダよ。だから、さっさと白状なさい』
「そう言われても、ねぇ?」
『時任を殴った犯人…。昨日の夜、入院したらしいわ』
その話なら…、心当たりがある。
桂木ちゃんが電話してくるなら、その事だろうと思っていた。
うーん、声の調子からするとかなり怒ってるなぁ…。
でも、この件については誰の言葉も聞く気にはなれなかった。
「で、それが何?」
『そういう聞き方をするって事は、やっぱり時任が殴られたのは知ってるのね』
「さすが執行部紅一点の桂木ちゃん、言わなくてもわかっちゃうんだ?」
『・・・・あんまり茶化すと怒るわよ』
「なーんて、言いながらもう怒ってるクセに」
『時任を殴った相手を許せないのはわかるけど、やりすぎよ。犯人は無事に時任が捕まえて、朝には本部で処分が決定されるはずだったのに…』
「・・・・・そう」
『それにらしくないわね…、八つ当たりなんて…』
誰の言葉も、何も聞かないつもりだったけど…、
そう言った桂木ちゃんの言葉は、俺の耳にいやにハッキリと聞こえてくる。
そして、俺はその言葉にうなづくことも首を横に振る事もできなかった。
ただ、また…、そうとだけ答えて苦笑して、次の言葉を待たずにケータイを握りしめて通話を切った…。
昨日、コンビニに行くとウソをついて出かけた先で握りしめた拳は、桂木ちゃんが言ったように八つ当たりだったのかもしれない。公務の時にケガをするのは珍しくないし、その事でわざわざ夜に出かける事はさすがに今まではなかった…。
「許せなかったのは…、俺自身か…」
そう呟いて握りしめていたケータイで、電話をかける。
けれど、かけようとしていた番号を途中でやめて…、別の番号にかけ直した。
どちらもかけなれた番号だけど、今かけている番号へかける時は色々と貸したり借りたりする時だけ…。しばらく着信音が鳴ってから出た声は、聞きなれた声だったけど少し慌てたカンジでどもっていた。
「あれ、もしかしてお楽しみ中だった?」
『そ、そんな訳ないだろう…っ。今いるのは学校だぞ』
「ふーん、ま、別にどうでもいいけどね」
『だったら、妙なコトを聞くなっっ』
「じゃ、妙じゃなくフツーの話なら聞いてくれる?」
俺がそう言うと電話してる相手、松本の背後で橘が何が言っているのが聞こえる。
どうやら橘は松本に聞くまでもなく、電話の相手が俺だとわかっているようだった。
二人が何か言い争うような声が聞こえた後、ケータイから松本じゃなく橘の声が聞こえてくる。松本の声も少し聞こえてきてたけど、橘にイタズラされてるみたいで言葉になっていなかった。
『こんにちは、久保田君』
「どーも」
『今日、学校を休んでると聞きましたが?』
「そ、ウチの子が熱出しちゃってね」
『時任君は登校してきていたようですから、熱を出したのは双子の妹さんの方ですか…。飼い猫が二匹になって両手に花…、それとも手に余りますか?』
「・・・さぁ?」
橘は桂木ちゃんと同じように昨日の事を知っている。そして松本は昨日…、時任の頬に殴られた跡があるのに気づいてから色々と情報をもらったから当然知っている。
だから、いらない説明は無用だし、初めからするつもりもない。
俺が松本に…、生徒会長に電話をかけたのは昨日の夜の事ではなく、今日も一人で学校にいる時任の事だった。
「ところで、ちょっと頼み事があるんだけど」
『頼み事は僕にですか? それとも会長にですか?』
「両方」
『やはり、それは時任君の事なんでしょうね』
「・・・・・・・」
『久保田君?』
「今日一日、時任に護衛をつけてくれない?」
俺がそう言うと橘もさすがに頼み事の内容が予想外だったのか、すぐに返事は返ってこない。そして、返事をしなかった橘に代わって答えたのは、やっと橘からケータイを奪い返したらしい松本だった。
『頼み事は了解した…。内容は橘から聞く』
「内容聞いてないのに、了解していいの?」
『お前の頼みは時任の事なんだろう?』
「そう」
『・・・なら、どんな内容でも聞かざるを得ないだろう』
「いつも悪いね」
『それはこっちのセリフだろう?』
本当は時任には護衛なんて必要ない。
けど、今日だけは時任を一人にして置きたくなかった。
俺の目が手が届かないなら…、他の誰かを使っても…。
俺は通話を切るとケータイを再びポケットに収めて、稔が眠っている寝室に戻る。
するとドアを開ける音に気づいたのか、稔の瞳がゆっくりと開いてベッド脇に立った俺の方を見た…。
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