ダブルキャスト.11



 
 「・・・・・ただいま」

 いつもよりも小さく、いつもよりも短く、そう言うと玄関で靴を脱ぐ。
 そして廊下を歩いて薄暗いリビングに入ると、やっぱり誰もいなかった…。
 買いモノ…って言ってもどこら辺に行ったのかも知らないし、いつ頃、帰るのかも俺は知らない。あの時は聞けなかったというより、帰る時間がいつかなんて考えてなかったせいだけど…、暗い部屋に帰って来てみて始めて…、
 ああ…、そういや聞いてなかったっけって気づいた。
 たぶん晩メシまでには帰ってくるとは思うけど…、どうなんだろ?
 そう思いながら制服を脱いでトレーナーとジーパンに着替えて、リモコンでテレビをつけながらソファに座る。そして、公務の時に殴られた頬に手を当てた。
 
 「くそぉ…、なんで俺様があんなヤツに…」

 俺を殴ったヤツは、別に強かったワケでもなんでもない。
 なのに殴られたのは、ただ俺がぼーっとしてたってだけ。
 公務中に考えゴトしてて殴られたなんて、久保ちゃんにも稔にも言えねぇ…。
 だから一緒に居た桂木には誰にも言うなって釘を刺して、なかったことにして忘れちまうコトにしたけど、なんか頬が痛いせいか上手くいかなかった。
 殴られた頬は痛いし、階段に立っても何も思い出せなかったし…、
 天才な俺様らしくなく、何もかもが上手くいかない…。
 
 「はあぁぁぁ・・・・・・・・」

 大きくため息をついてソファーに寝転がると、俺はつけたテレビを見ずに天井を見上げる。けど、やっぱりいくら天井を見上げても俺と稔のコトも、さっきからため息ばかり出てる理由もわからなかった。
 俺と稔…。
 俺らの違いは男か女かってコトだけ…。
 そのはずだったけど、ホントにそうなのかどうなのかはハッキリとはわからない。稔の中に自分とは違う何かをカンジ始めている俺は、元に戻る方法を考えながらもココロのどこかでそんな必要があるのかどうか…、少しだけ疑問を持ち始めていた。
 もしも予想通りに感じた通りに俺らが同一人物だったとしても、分かれちまえば別々のニンゲン…、俺は俺で稔は稔…。
 
 もし…、そう考えるなら…。

 じっと天井を見つめながら俺がそう考えた瞬間、その考えを打ち消すように玄関からチャイムと二人分のただいまっていう声が聞こえてくる。そして、ガサガサとビニール袋の揺れる音と一緒に足音がリビングに近づいてきた。
 だけど、足音は二人分じゃなくて一人分…。
 あれって思ってソファーからドアを見ると、二人で帰ってきたはずなのに久保ちゃんだけがリビングに入ってくる。だから、俺が「稔は?」って聞くと久保ちゃんは短く…、「風呂」とだけ答えた。
 「風呂って、帰って来たばっかなのに?」
 「うん」
 「外、雨でも降ってんのか?」
 「いんや…、雨は別に降ってないけど、たぶん今日はブラとかしてて窮屈だったみたいだし、風呂入ってスッキリしたいんじゃないの?」
 「ふーん…」
 久保ちゃんが言った理由は、別におかしくない。
 それに帰ってきてすぐに風呂に行ったからって、別にどうってワケじゃない。
 けど、なのに胸の奥に何かが引っかかったまま取れないのは、風呂に行った稔よりも目に前にいる久保ちゃんの様子がどこか…、いつもと違ってたせいだった。
 久保ちゃんはリビングからキッチンに行くと、白いビニール袋から買ってたモノを出して晩メシを作り始める。セッタをくわえたまま…、一人で黙々と…。
 するとテレビの音に混じって、まな板で野菜を切る音がリビングに響いてきた。
 でも、その音はいつもとリズムが違ってたから、たぶん久保ちゃんは何か考えゴトをしながら切ってるような…、そんな気がする。不規則に早くなったり遅くなったりする音は、目の前にある野菜の切り方じゃなく、まるでもっと別の何かを迷ってるみたいに聞こえた。
 「あのさ…」
 「なに?」
 「今日の晩メシって何?」
 「キムチチャーハン…、それとイタリアンチキンバーガー」
 「マックの新商品?」

 「うん…、ちょっと冷めちゃったけどね」

 何かあったのかって聞くつもりが、なんでもない別のコトを聞いちまって…、
 なのに、俺は久保ちゃんの返事をいつもと違うと感じてる。
 俺が話しかけると返事してくれるし、質問にも答えてくれるけど、久保ちゃんは黙々と…、黙々とキムチチャーハンを作りながら俺じゃない誰かの事を考えてる。
 たぶんじゃなくて…、きっと稔の事を…。
 そんな風に思う根拠は何もないのに、なぜかそんな気がしてならなかった。
 フライパンの上の辛いキムチチャーハン。
 テーブルに置かれた冷めたチキンバーガー…。
 天井に登ってくセッタの煙…。
 誰も聞いていないのに流れていく…、テレビのニュース…。
 いつもと違う少し居心地の悪い空気に俺が久保ちゃんに見られないように殴られた頬を隠しながら、またため息をつきかけると廊下へと続くドアが開いて稔がタオルで頭を拭きながら入ってくる。すると、フライパンでキムチチャーハンを炒めていた手が一瞬止まったけど、久保ちゃんは稔の方を…、そして稔は久保ちゃんの方を見なかった。

 「あーあ…、マジで窮屈だったっ」
 
 稔はそう言うと俺のトコまで歩いてきて、ソファーの上じゃなく前に座る。そしてガシガシと乱暴に適当に髪を拭いてタオルを首にかけると、ソファーに背中を預けて俺の膝に甘えるように頭を乗せた…。
 「おい、まだ頭が濡れてんぞ」
 「そんなの、すぐ乾くって…」
 「そのまま乾くの待ってたら、風邪ひくだろ」
 「うー…」
 「…ったく、しょーがねぇな」
 稔とそんな会話をしながら、首にかけられてたタオルを取って風邪をひかないように頭を拭いてやる。そうしながら、そういえば久保ちゃんと俺とで似たような会話をいつもしてるって事に気づいて、声には出さずにちょっと笑った。
 すると、笑った振動が頭を拭いてた手から伝わったのか、稔が少しムッとしたような顔で腕を引っ張ってきて、俺をソファーから床に引きずり下ろす。そして、なに笑ってんだって俺の首に手を回して軽くしめてきた。
 「決めた設定が俺の方が年下になってるからって、ガキ扱いすんなっ」
 「そう言われても一人で頭も拭けないようなヤツはガキだよなー、やっぱっ」
 「とか言いながら、自分だって同じクセに」
 「ぐ…っ」
 「風呂に入って髪洗ったら、今度は俺が拭いてやるよ」
 「俺は自分で拭くっ」
 「遠慮すんなってっ」
 「してねぇっつーのっっ」
 俺の手からタオルを取ると、稔がふざけて濡れてない髪を拭こうとする。だから、頭にタオルを被せられるのを防ぐために立ち上がろうとしたけど、稔の手が俺の頭じゃなくて背中から前に回ってきたから、そうする事ができなかった。

 「・・・・・・・稔?」

 後ろから抱きつかれた格好で、名前を呼んだけど返事がない。稔は腕を伸ばして俺に抱きついたまま、なんでもないと言うように軽く頭を横に振った…。
 きっと…、たぶんなんかあったのに…、
 稔は何も言わずに俺を抱きしめて…、そんな俺達の横で久保ちゃんが黙々と一人で出来た晩メシをテーブルに並べてる。
 二人とも何があったのか知ってるのに、俺には何も話そうとしない。俺だけが蚊帳の外で…、それを感じると公務中に殴られた頬がさっきよりも痛くなった気がした。
 殴られた時に口の中は歯で少し切ったけど、運良く頬にはほとんど跡は残ってない。
 だから二人が俺に何も話さないように、俺も二人には何も言わずに…、
 まだ口の中に残る鉄臭い味を噛みしめながら、俺は後ろから回された稔の手を上から優しく握りしめた。
 「絶対…、大丈夫だから心配すんな…」
 「・・・・・うん」
 稔に向かってそう言いながら、何が大丈夫なのか自分でも良くわからない。でも、後ろからぎゅっと抱きついてくる稔が俺の知らない何かを怖がってて不安そうだったから…、手を握りしめて大丈夫だって言ってやりたかった。
 けど、ホントはもしかしたら稔じゃなくて、自分自身に向かってそう言い聞かせようとしてたのかもしれない。昨日までは三人で居てあんなに楽しかったのに、今日はなぜか三人で居るコトが辛かった…。













 「あれ…、くぼ…、ちゃん?」

 寝起きのかすれた声でそう言うと、横でセッタをふかしてた久保ちゃんが俺を見る。けど、起きたばっかだから頭が上手く働かなくて俺はベッドの上に寝たまま、間近にある久保ちゃんの顔をぼんやりと見つめ返した。
 えーと…、確か三人で晩メシ食って…、
 その後、稔と二人でゲームしてたよな…。
 そんで、そん時に久保ちゃんがコンビニに買いモノ行くっつって出かけちまって…、
 けど、俺は久保ちゃんが帰ってくる前に眠くなって、稔に先に寝るって行ってベッドに行ったんだっけ…。
 そんな事を小さくアクビしながら思い出して、手を伸ばして寝タバコしてた久保ちゃんの手からセッタを奪い取った。
 「ベッドでは吸うな…、火事になんだろ」
 そう言いながら上半身だけ起こして久保ちゃんの頭の近くに置いてあった灰皿に、まだ赤く火のついてるセッタを押し付ける。すると、自然にバランスを取るために久保ちゃんの頭の横に手をついて上から見下ろす格好になった。
 ベッドにいるせいか、久保ちゃんはメガネをしてない。
 メガネをしてない久保ちゃんの顔は、少しだけいつもと違って見えた。
 稔と買いモノから帰って来てから、久保ちゃんはずっと何かを考えてる。
 ずっと何かを考えながら、すぐ近くに俺がいるのに一人で沈み込んで落ち込んでる。上からじっとメガネをかけてない顔を見つめてると、なんとなくそんな気がして…、俺は手を伸ばして久保ちゃんの頭を、よしよしとコドモにするみたいに撫でた。
 すると、久保ちゃんはちょっと驚いた顔をして…、
 それから、次に目を細めて微笑むとゆっくりと手を伸ばして俺の頬に触れた。
 「久保ちゃん?」
 「・・・・・」
 「どうかしたのか?」
 「別に…、なんでもないよ」
 「ふーん」
 「そう言う時任は?」
 「・・・・・・べつになんでもない」

 「そう…」

 なんでもないって、久保ちゃんがウソを言って…、
 俺も触れられた頬に痛みを感じながら微笑み返して、ウソを言う。
 それから何事もなかったようにオヤスミを言って、俺は眠るためについていた手を離して上半身を元に戻して寝ようした。けど、まるで俺を捕まえようとするかのように、久保ちゃんが腰に腕を回して抱きついてきて身動きが取れなくなる…。
 だから俺はそのまま寝るのをやめて、また久保ちゃんの頭を撫でた。
 こんな風に久保ちゃんに抱きつかれたのも、俺がこんな風に久保ちゃんの頭を撫でるのも始めてで…、少し照れ臭くてくすぐったい。ベッドの上で二人でこうしてるといつも学校でふざけ合ってる時とは違うあたたかさが、触れた部分から伝わってきて気持ち良くて…、
 そして…、なぜか切なかった。

 「このままで…、ずっとこのままで良いのにね…」

 そう呟いた久保ちゃんに声で返事をする代わりに、俺はなぜそんな事をするのかも…、その理由もわからずに…。頭を撫でてた手を止めて腕を伸ばして、腰を抱きしめられながら久保ちゃんの頭を抱きしめた…。
 俺と久保ちゃんは執行部の相方で…、同居人で…、
 けど、それがわかってても抱きしめられながら抱きしめてると、俺らの間に何があるのかわからなくなりそうになる。俺らの間にあった何かが、何かが音を立てて崩れていきそうになる。
 でも何もかもがわからなくなる前に、俺の中で何かが壊れてしまう前に久保ちゃんの腕が俺から離れて…、それにつられるように俺も腕を離した。

 「・・・・おやすみ」
 
 腕が離れると同時に近づき過ぎてた俺らの距離が元に戻って、久保ちゃんがそう言って目を閉じる。だから、俺も毛布の中に潜り込んで目を閉じた。
 このまま眠って起きたら、きっと何事もなかったかのように朝が来て…、
 そう思いながら目を閉じて眠る…。
 けど、次に目を開けた瞬間に俺が見たのは熱を出した稔をソファーから抱き上げて運んできた久保ちゃんで…、
 俺は稔のために慌ててベッドを開けてやりながら、昨日は崩れなかった何かが…、
 
 ゆっくりと自分の中で崩れ始めたのを感じた。




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