Probability　〜見込み〜　中編 　去年が終って新しい年が明けて１３日目…、時任が消えた…。 　 　唐突に突然に…、時任が俺の前からいなくなった。 　けど、こんな風に消えるとは思っていなくても、何かが起こる予感がまったくなかったって言ったらウソになる。俺は時任の様子がおかしい事に気づいてたし、夜、夢にうなされ続けている事も知っていた…。 　でも、それでも俺は何もしなかった。 　何も言わずに何もせずに…、ただ、じっと見つめていた。 　そうしてるとうなされるほど怖い夢を見てるのは時任なのに、俺まで何か怖い悪い夢を見てるような気分で…、それは時任が消えるというカタチで今も続いてる。電話機の横に残されたメモも、時任のいなくなった部屋も何もかもが夢のようだった。 　待っても待っても時任は帰って来ない…、ケータイに電話しても出ない…。 　過ぎていく時間が降り積もったように、灰皿には吸殻と灰が積もっていって…、 　俺は外で鳴く雀の声を聞きながら、年が明けて１４日目の朝を迎えた。 　『・・・・・ちゃんとメシ食えよ』 　メモに書き残されたサヨナラじゃない言葉は、すごく時任らしくて…、 　それをぐちゃりと手の中で握り潰すと、胸まで押しつぶされたように苦しくなる。 　このメモの文字は間違いなく、見慣れた時任の字…。 　メモがなかったら、時任の身に何かあったのかと探してたトコだった。 　たぶん、時任もそれを知らせるためにメモを残したんだろう。だから、自分の意志で出てったというコトは別に誰かに拉致られたり、どこかで怪我してたりってコトはなさそうだけど、俺はそのコトにホッとしてるのか…、それとも別の何かにホッとしてるのか気力も体力も残された一言に持っていかれたようになくなった。 　当然のように朝メシを食う気にもならなくて、俺は灰色の煙だけを零れ落ちていく時間を吸い込むように吸い続ける。けど、いくら時間と一緒に煙を吸い込んでみても目の前にあるのは二人で暮らした…、残骸だけだった。 　 　「また、滝さんのトコにでも行ったかな…」 　そう…、なんとなく呟いてみて…、自分の声に嫉妬が滲んでるのに気づいて自嘲する。拾った時とは違って、今の時任になら俺のトコ以外にも身を寄せられる場所は鵠さんとか葛西さんとか、それに最近知り合った滝さんもいて…、結構あった。 　それを時任に教えたのは、他の誰でもなく警察にパクられた俺自身。 　そう…、だから気に入らないなら、別なトコに行ってもいい。 　どこに居ようとどこに行こうと…、時任の自由だ。 　だから、俺は短くなったセッタを灰皿に押し付けて消すと前にもらった名刺を見ながら、時任を連れ戻すためじゃなく、ただ無事でいるコトを確認するためだけに…、 　滝さんのウチに電話をかけた。 　『もしもし？』 　「・・・・・・どーも」 　『もしかしなくても、くぼっちか？』 　「時任いる？」 　『あぁ、なんか昨日帰って来たら、また玄関の前に座り込んでてさ。今もウチにいるんだけど…』 　「そう…」 　『…って、何かあったのか？』 　「そこにいるなら、別にいい」 　『ちょっと待てよ。　今、トッキーにかわ…っ』 　 　ブツ・・・・、プー、プー…、プー…………。 　通話を切った受話器から聞こえてくる音が、いつまでも俺の耳に鳴り響く。 　いつまても、いつまでも鳴り響いて頭痛がする。 　でも、しばらく受話器を持ったまま…、その音を聞いていた…。 　聞きながら時任のいない部屋を、リビングを眺めて小さく息を吐く。 　時任がいない部屋といる部屋と…、結局、どちらが夢だったのか俺にはわからない。時任と暮らした日々も、目の前にある誰もいない部屋も…、どちらも夢のようだった。 　でも、ハッキリとわかるコトが一つだけある…。 　それは…、時任が書き残してくれた言葉を、守れそうにないコト。 　だから、俺は切った電話に向かって、残してくれた言葉への返事を静かに言った。 　 　「朝はお前が焼いてくれたトーストじゃないと食べられないし、今日の晩メシ当番はお前だし……、だから気が向いたら、ね」 　時任を困らせるようなセリフを言って、受話器を置く。 　置いて…、食事用のテーブルから灰皿を取るとソファーを背に床に座り込んだ。 　それと同時に無意識に長いため息が出て、苦笑しながら新しいセッタを口にくわえる。けど、俺はそのまま火もつけずにぼんやりと天井を見上げた。 　滝さんのトコなら心配ない。 　俺が拘置所にいる間も、ずっと居た場所だし…、 　だから迎えに行く必要も…、ない…。 　何も・・・・・、気にする必要も・・・・・・、 　そんな風に考えてるのか思ってるのか、朝になってもカーテンを閉じたままのリビングで、俺はただ…、ただぼんやりとして…、 　鳴ったケータイも、時任じゃないコトだけを確認して切る。 　・・・・・確認？ 　 　時任じゃないコトを…？ 　 　そう声には出さずに、ココロの中で繰り返して笑う。 　可笑しいとか面白いとかじゃなく、胃か何かが痙攣したみたいに…。 　それから、しばらくしてやっと笑いを収めるとくわえてたセッタに火をつけた。 　立ち昇っていく煙も見上げた天井も、いつもと変わらない。 　けれど、その下にはいつもとは違う部屋がある。 　ただ…、 　そう、ただ時任が居ないというだけの…、部屋…。 　時任が帰って来ないとわかった瞬間に、いつもと違う部屋になった。 　そのせいか、自分の部屋なのにセッタを吸ってても落ち着かない。 　いつもの定位置にソファーを背に座っていても、なぜか違和感が付きまとう。 　それはもしかしたら投げっぱなしになってるゲームや、そのそばに落ちてる毛布や…、痕跡がたくさん残ってるのに…、 　その痕跡を作った本人がいないせいかもしれない。 　だから、手に届く位置にある毛布を拾い上げてみたけど…、 　そのまま…、毛布は俺の手から床へとすべり落ちた…。 　「あの雪の日がすぐココに繋がってたら、少しは違和感なかったかな…」 　そう呟いたのは…、あの雪の日…、 　尋問から解放されて拘置所から出てきた日…、俺は…、 　まるで檻の中に捕らわれてしまったように、過去の中にいた。 　そんな錯覚に捕らわれていた…。 　寒空の下で白い息を吐きながら、俺を待っててくれた…、 　・・・・・・・・・・・・・・時任の姿を見るまでは。 　けれど、時任が待っててくれる見込みなんて少しもなかった。 　あんな風に白い息を吐きながら、待っててくれるとは思ってなかった。 　何のワケも言わないで帰ってくるなって言ったのは、巻き込まれないためっていうのもあるけど、ほんの少しだけ…、ほんのわずかに…、 　今回の件で何かあった時、時任が俺から離れやすくするために…、 　サヨナラも含まれてたから…。 　だから、あの時にホントはこうなっていたのかもしれない。 　「自業自得…、だぁね」 　そんな呟きは、一人きりの部屋の静寂の中に消えて…、 　その日はずっと…、俺はリビングでぼんやりとしていた。何を思うワケでも何を考えるワケでもなく、ただ散らかったゲームを時任が残した残骸を眺めていた。 　けど、いつの間にか時任が良く使ってる毛布に包まって眠っていて…、 　鳴り出したケータイの音に起こされて目覚めたのは、次の日の朝。 　年が明けて１４日目じゃなく１５日目…。 　時任がいなくなった日から数えて、三日目の朝だった。 　ケータイのディスプレイに表示されてるのは、時任ではなく滝沢…。 　でも、俺は通話ボタンを押してケータイを耳に当てた。 　「・・・・・・・何か用？」 　何も聞かずに俺がそう言うと、ケータイの向こう側からため息が聞こえる。 　しかも、そのため息は長くて深かった…。 　『くぼっち…』 　「なに？」 　『・・・・・・・なんで、ココにいるって知ってんのに、迎えに来てやらなかったんだ』 　「別に迎えに来いって言われてないし？」 　『あのなぁ』 　「言いたいコトが、それだけなら…」 　『トッキー…、俺んトコからもいなくなったぞ』 　俺の声を阻むように、滝さんがそう言う。 　けど、俺は何も答えない…。すると、滝さんは少しイラつきながら、なぜか今じゃなくて俺が拘置所に入ってた間の時任の事を話し始めた。 　取材の仕事が終ってアパートに帰ってきたら、ドアの前に時任が座り込んでたコト。そして、連絡がつかなくなった俺を探して…、ズブ濡れで帰って来て…、 　俺を取り返すから手を貸せって言ったコト…。 　俺が居ない間に時任が俺のためにした…、たくさんのコトを…。 　 　帰ってくるなって言った俺のコトなんて、放っとけば良かったのに…、 　そうすればズブ濡れにもならなくて済んだし、走り回って立ち回って頬に傷を負うコトもなかったのに…、お前はどうして…、 　寒空の下で白い息を吐きながら、俺を待ってたりするんだろう？ 　どうして…、俺の名前を呼んだりするんだろう？ 　まるで手を握りしめて…、引くように…。 　そんな風に想いながら、寒空の下で白い息を吐く時任を想いながら…、 　リビングを眺めてると、なぜか胸がしめつけられるように痛くなる。 　そして、吐く息は少しも白くないのに…、あの日よりももっと…、 　・・・・・・・・・・寒かった。 　けど…、俺の手は今も動かない…。 　俺の腕も手も、夢にうなされる時任を助けられない。 　右手の痛みを消してやるコトもできない。 　いつも傍にいるだけで…、何の役にも立たない…。 　痛みも苦しみも…、誰よりもわかってるフリして右手を握りしめてみても…、 　いつでも痛いのは時任だけだ…。 　俺の寒さを止められるのは…、時任だけなのに…、 　俺は…、時任の痛みを止められない…。　 　 　・・・・・・・・・・・だから、俺は。 　その言葉の続きを声に出して、ケータイの向こう側に居る滝さんに言おうとした。 　けど、口を開きかけた瞬間に、滝さんの声がやけに大きく耳に響いて…、 　俺はその続きを…、言うコトができなかった。 　『久保ちゃんのものは全部、俺のものだ…。あの事件の時、そんな風にくぼっちの事を、トッキーは言ってたぜ…。当たり前みたいなカオしてさ…』 　「・・・・・・・」 　『けど、それでも家出しちまうような…、何かがあったんだろ？　くぼっちに心当たりがあるのかどうかは知らないけど、トッキーは呼んでたぜ…、寝言で何度も…』 　「・・・・・・・・・・」 　『くぼちゃん…ってさ…。何度も何度も呼んで、右手で毛布を握りしめてた…』 　右手で握りしめられた毛布…。 　そこに手を伸ばすように俺は床に落ちてる毛布を拾うと、その端を握りしめる。 　時任が良く…、俺のコートの袖を握りしめる時のように…。 　すると、俺を呼ぶ時任の声が聞こえた気がして…、ケータイから少し耳を離す。そして、ケータイから漏れくる滝さんの声に短く返事すると、俺はソファーに投げっぱなしにしてた黒いコートを着てリビングを出た…。 　『このまま…、トッキーから逃げるつもりなのか』 　「・・・・・・・逃げないよ」 　ウチから出てったのは時任の方で俺じゃないけど、滝さんが言ったセリフは間違いじゃない。拒絶されたから触れられないなんてのは、ただの言いワケで…、ただ俺は痛みを感じたくなかっただけ…。 　痛くなりたくないから、出した手を引っ込めて触れようとしなかった。 　引っかかれても殴られても、たとえその唇が別の誰かを呼んだとしても…、 　握りしめなきゃならなかったのに、俺は逃げるコトしかしなかった。 　いつも・・・・・、ココロのどこかで逃げて…、 　予防線を張り巡らせながら、別れの日を予感する…。 　痛がりで寒がりで、それを治すために時任にすがりつくクセに…、 　あたたかくなり過ぎると…、怖がって手を離す…。 　残酷に・・・・・・。 　マンションから出ると冷気が肌を刺して…、 　しばらくすると空を覆い尽くしていた暗い雲が、あの日のような優しい雪じゃなく、冷たい雨を降らせた。 　まるで、残酷な俺に罰を与えるように降り注いでくる雨は、激しくアスファルトを打って…、周囲の音を掻き消す。その激しい音を聞きながら歩いていると…、どこかで時任が泣いてる気がして…、 　たった一人で…、どこかで泣いてる気がして…、 　 　俺はその涙に濡れるように…、雨に打たれながら走り出した。 　　　　　　　　　　　　　　　　　　 　　　　　　　　　　　　　　　　戻　　る　　　　　　　　　　後 編　へ