改善計画 .9




 初めて握りしめた拳銃…。
 その重さにわずかに眉をしかめたが、それでも腕を下げることなく時任は拳銃を構えている。そして、銃口を向けられた久保田も動かない。
 橘に伸ばした手も唇も、時任が拳銃を構えたと同時に止まっていた。
 だが、それでもまだ久保田は一度も時任の方を見ていない。
 けれど、目の前にいる橘を見ている訳でもなかった。
 顔に表情らしい表情は浮かんでいないが、久保田を包んでいる空気が銃口を向けた時任に反応するように張り詰めていく。この部屋には久保田と時任、そして橘の他に男達がいたが…、二人はお互いの存在だけを意識していた。
 時任は久保田を睨み、久保田は虚空を見つめながら…、
 そして、張り詰めた空気を壊すことなく、時任はゆっくりと引き金に指をかけた。

 「それ以上、俺の目の前で何かしたら、てめぇをブッ殺す…」

 時任がいつもよりも低い声でそう言うと、やっと久保田が時任の方に視線を向ける。すると、絡み合う二人の視線が張り詰めた空気を更に緊張させ、そんな二人を眺めていた黒いスーツの男が楽しそうに唇を歪めて笑った。
 男はこの状況を面白がっているらしく、軽く手を上げると時任に向けられた銃口を下げさせる。だが、時任を久保田を…、そして橘を取り囲んでいる状況が良くなった訳ではない。
 スーツの男が撃てと命じれば、三人の命は一瞬で奪われ消えてしまう。しかし、時任も久保田もそんな今の状況を気にしている様子はまるでなかった。
 「橘から離れろっっ!!!」
 何も言わない久保田にしびれを切らせた時任が、眉間に深い皺を作りながらそう叫ぶ。引き金に指をかけて、銃口を向けたまま…、
 けれど、久保田はその場から動こうとはしなかった。
 「そう言われても、ねぇ? 橘は了解してくれてるし、お前に俺を止める権利…、ないと思うんだけど?」
 「それ…、ホンキで言ってんのか?」
 「もちろん、ホンキだけど?」
 「・・・・・・」
 「わかったら、その物騒なモノ降ろしてくんない? ただの同居人の俺を撃った所で、別にイイコトないデショ?」
 久保田はそう言うと、視線を時任から橘に向ける。
 その瞬間、時任の指に力がこもったが…、まだ引き金は引かれない。
 久保田が露になっている横腹を手で撫で、橘が誘うように妖艶に微笑むと…、時任は怒りに満ちた目で久保田を睨みつけながらギリリと奥歯を噛みしめた。
 胸の奥から沸き起こってくる熱い怒りと…、同じ場所から滲み出してくる切なさ…。自分の目の前で橘を抱こうとしている久保田を見つめながら、噛みしめ押し殺しているのは怒りなのか、それとも哀しみなのか自分でもわからない。
 でも、何かを叫ばなければ…、何かをぶつけなければ…、
 このわからない感情に押しつぶされて、飲み込まれてしまう…。
 ここには、橘を助けるために来た…。
 けれど、今、時任を支配しているのは久保田への想いだけだった。
 自分以外の誰かに触れる久保田の手を見たくない。
 自分以外の誰かに触れる…、久保田の唇は見たくない…。
 橘に触れる久保田を見ていると、胸が痛くて苦しくて…、
 どうしようもなく、切なくて哀しくてたまらなくて…、
 時任は目の前の光景を打ち砕くように、拳銃の引き金を引く。
 すると、言葉にならない想いを叫ぶように、室内に銃声が響いた。


 ガウゥゥーーー…ンっ!!!!


 鳴り響く銃声に男達が身構え、橘がわずかに目を見開く…。
 時任の握る拳銃から立ち昇る硝煙は天井へと伸びて、それと同じように放たれた弾丸は天井を撃ち抜いていた。
 引き金を引かれる瞬間に照準を変えた銃口は、久保田ではなく天井を向いている。拳銃を天に向け俯いた時任の表情は、久保田の位置からは見えなかった。
 「・・・・・・・俺の命令にさからってんじゃねぇよ」
 時任は小さくそう呟くと、ゆっくりと俯いていた顔を上げる。そして、それと同時に再び銃口を久保田に向けながら、落ちたハンマーを親指で押し下げた。

 「俺の犬のクセにっ、俺の命令に逆らってんじゃねぇっ!!バカ犬っっ!!! 今度、逆らいやがったらマジで頭をブチ抜いてやる…っ!!!」

 時任がそう叫ぶと、久保田がすぅっと目を細める。
 すると、二人の間にまるで隙間風が吹くように険悪な空気が流れた…。
 時任を見る久保田の目は凍りつくように冷たく、久保田を睨む時任の目は燃えるように熱い。久保田は橘から離れ立ち上がると、時任ではなく黒いスーツの男に声をかけた…。
 「すいませんけど、アレと同じの一丁もらえません? 込める弾は一発だけでいいんで…」
 「そう言われて、私が部外者の君に簡単に渡すと思うのかね?」
 「思わなきゃ言ってませんけど?」
 「ほう…」
 「たった一発でこの場から逃げられるはずもないし、こういう方がサディストなアンタのシュミに合ってる」
 まるで、今日の天気でも言うような口調で久保田がそう言うと、サディストな男が楽しそうに笑い肩を震わせる。そして、自分の拳銃をベルトから抜くと注文通りに弾を一発だけ残し、久保田に向かって投げ渡した。
 「もしも、この一発で君があの少年の心臓か額を撃ち抜けたら、君を我々の仲間に加えよう」
 「そいつは、重ね重ねどーも…」
 男の声にそう答えた久保田の口元は、冷たい微笑みを浮かべている。それを見た時任の瞳に一瞬、動揺の色が走ったが、すぐにそれを消すと時任は自分に銃口を向ける久保田を、瞳をそらさず正面から見据えた。
 先に銃口を向けたのは自分で…、久保田じゃない…。
 だから、銃口を向けられても逃げたりはしない…。
 けれど、銃口を向け銃口を向けられ、そんな自分達の間に何があったのか…、それを考えると胸が苦しくてたまらない。自分は止めるために拳銃き握っても絶対に久保田を撃たないし、久保田も同じように絶対に自分を撃たないと信じてはいても、赤く痕をつけられ唇で触れられた部分が熱くて…、
 その熱さがすべてを狂わせていくような気がした。
 
 ・・・・・・・俺は、久保ちゃんのコトを。

 胸の中で呟いた想いは、そこで途切れて言葉にならない。
 言葉にならない想いは、焼け付く胸を更に焦がしていく…。
 そして絡み合う視線の向こうで微笑む久保田が、ゆっくりと時任の方へと向かって歩き出した。
 「止まれっ!!!止まらないと撃つっっ!!!」
 時任は叫んだが、久保田は止まらない。それは時任が思っていたように、絶対に時任が自分を撃たない事を久保田が知っているせいだった。
 近づいてくる久保田の足音、迫りくる銃口。
 拳銃を握る時任の手に、じわりと汗が滲む…。
 久保田は銃口を時任の額に向けたまま歩き続け、時任の銃口が自分の胸に当たると立ち止まった。
 「・・・・・撃つぞ」
 「撃てるもんなら、ね」
 そう言って微笑む久保田の声は穏やかだが、見下ろしてくる冷たい目がそれを見事に裏切っている。久保田は銃口を時任のこめかみに押し当てると、身を屈めて時任の耳に甘く優しく…、二週間前に久保田ではなく時任が言うはずだった言葉を言った…。

 「誕生日おめでとう…、時任…」

 今日は…、9月8日…。
 あの日から色々な事がありすぎて、久保田に囁かれるまで忘れていたけれど、今日は時任の誕生日だった。
 なのに、自分の手には拳銃が握られていて、久保田の手には拳銃が握られている…。あれから、たった二週間しか経っていないのに、仲良く笑い合っていた日々は遠い昔のような気がした。
 何か言おうとした時任の唇は、冷たく微笑む久保田の唇に塞がれ…、
 触れ合う吐息と唇の切なさと口内を蹂躙される息苦しさに、時任の瞳に涙が滲む。すると、それと同時に久保田の胸に向けていた拳銃が手から落ちて、その音が哀しく室内に響いた…。
 目の前にある現実、閉じた目蓋の裏に映る穏やかな日常。
 狂おしく激しいキスを受けながら、時任は拳銃を握りしめていた手で久保田の背中を制服の上から、ゆっくりと強く引っかいた。




               前    へ        次    へ