改善計画 .7




 二人の間に漂う、気まずい空気。
 横浜港に着いてからも続いている、長い沈黙。
 バイクを止め二人で物陰に潜みながら建ち並ぶ古い倉庫を眺めると、その中の一つに、不審な黒い車が止まっているのが見える。橘を連れ去った犯人について詳しい情報はつかめていないが、横浜港内だとその倉庫に監禁されている可能性が一番高そうだった…。
 犯人が橘をさらったのは、押収した麻薬の件が関係しているに違いない。だが、橘は麻薬と捕まえた犯人を連れて逃げようとしていた訳ではなく、指定された取り引き現場まで向かっていただけだ。
 ・・・・・・どうも、何かがおかしい。
 犯人を捕まえた現場に居合わせた久保田だけではなく、まだ詳しい事情を何も聞かされていない時任もそう感じているようだった。
 時任は倉庫の入り口に、見張りをしているらしい黒服の男が二人いるのを確認すると拳をぎゅっと握りしめる。そして横浜港に着いてから初めて、久保田の方に視線を向けた。
 「どうやら、あそこで間違いなさそうだな」
 「みたいだね」
 「そんで、外の見張りは見た感じ二人だけ…」
 「まさか、正面から突撃でもするつもりとか?」
 「探してみて他に出入り口がなかったら、そうするしかねぇよ」
 「・・・・・・」

 「いつまでも橘が無事でいる保証なんて…、どこにもねぇしな…」

 時任はそう言ったが、今も無事でいる保証はない。橘をさらった犯人はいつも時任や執行部が相手にしている不良達ではなく、拳銃や刃物を使い慣れているヤクザという種類の大人だった。
 すぐ近くまで来ていたが、時任も久保田も武器は持っていない。見つからずに倉庫内に忍び込めそうな入り口があればいいが、すぐ近くの同じ倉庫を見る限り、その望みは薄そうだった。
 何の武器も持っていない状態で、倉庫に突撃するのはあまりにも無謀すぎる。校内では負け知らずの時任も、さすがに迷いがあるようだった…。
 
 「・・・・・・久保ちゃん」

 時任が何かを伝えようとするかのように、久保田をじっと見つめる。
 すると、久保田も同じように時任を見つめる…。
 だが、その瞬間に久保田のポケットが妙な音を立てた。
 音の正体はマナーモードにしてある、ケータイのバイブ…。
 久保田は時任から視線を外すと、ポケットからケータイを出す。そして、かけてきた相手の名前を確認して、迷わず通話ボタンを押した。
 「今、港に着いたトコだけど? 何か用?」
 そんな風に久保田が話している相手は、聞かなくてもわかる。
 まだ、学校に残っているはずの松本だ。
 時任は松本と話している久保田の横顔をジロリと睨みつけたが、すぐに視線をそらす。そして、久保田に背を向けると嫉妬と寂しさが入り混じった複雑な表情で倉庫の方を見た。
 すると、倉庫の入り口にさっきまで居た見張りがいない。それを見た時任は、このチャンスを逃すまいと倉庫の方へと向かおうとする。
 だが、時任が一歩前に足を踏み出そうとした瞬間、後ろから伸びてきた手が着ているパーカーの帽子をぐいっと引っ張った。
 「うわ…っっ、な、なにすんだよ…っ!」
 「しー…、叫ぶと見つかるよ」
 「あ…、悪りぃって、久保ちゃんが急に引っ張ったからだろっ」
 「それは、お前がムボウな突撃しようとしたからデショ」
 「無謀じゃねぇ、入り口に見張りがいなくなったんだ」
 時任がそう言うと、久保田が倉庫の方を見る。
 すると、本当に見張りが一人もいなくなっていた…。
 だが、久保田は掴んでいた帽子を放すと、今度は時任の腕を引っ張る。そして、ケータイをポケットの中に仕舞いながら、すぐ近くの壁に背を向けて寄りかかった。
 「突撃はもう少ししてからってコトで、ちょっとココで休憩」
 「…って、ココまで来て何言ってんだよっ。このままだと捕まってる橘がっ」
 「それはわかってるけど、今、松本がこっちに向かってるから…」
 「・・・・・・・」
 久保田の口から松本の名前が出た瞬間、時任のこめかみがピクッと動く。
 こんな時なのに…、こんな時だからこそ・・・・、
 なぜか久保田の口から、松本の名前が出た事が許せなかった。
 二人で倉庫に突撃する事が無謀なのは、言われるまでもなくわかっている。でも、相方である自分に相談もなく、松本と二人で決めて欲しくなかった。
 しかも、今回の事件についての詳しい事情も、まだ久保田の口から何も聞いていない。どういう事なのかと聞けば、それなりに答えてくれるかもしれないけれど…、聞くまで何も言ってくれなかった事実が、とても哀しかった…。
 唇を噛みしめて俯くと、久保田の手が時任の顎へと伸びてくる。
 だが、時任はその手を反射的に左手で叩き落した。

 パシっっ!

 叩き落した時、思ったよりもその力が強くて…、音が大きく鳴って…、
 叩き落された久保田よりも、時任の方が驚いたように目を見開く。すると、そんな時任を見た久保田は、叩き落された手で時任の左手首を掴んだ。
 「そんなに…、橘が心配?」
 久保田はいつもよりも低い声でそう言うと、掴んだ手を引っ張る。そして壁に押さえつけるようにして、反対側の手を時任の顔の横についた。
 すると、自然に壁に押さえつけた時任を久保田が見下ろす格好になる。
 時任の顔を上から覗き込んでくる久保田はいつものように微笑んでいるが、その微笑みはどこか冷たかった。
 久保田が冷たい瞳で…、まるで憎んでいる相手を見るように時任を見る。だが、時任はその冷たさを感じながらも、久保田の瞳を真っ直ぐに見返した。
 「そーいう久保ちゃんこそ、どうなんだよっ。俺の犬になるとか言ったクセに、松本の言うことなんか聞いてんじゃねぇよ」
 元々、つり上がった眉を更につり上げて時任がそう言うと、久保田の微笑みがますます深く冷たくなる。学校や家では何でも言う事を聞いてくれる忠犬だったが…、今の久保田は牙を剥いた恐ろしい狂犬に見えた…。
 「そう言えば…、俺の飼い主って時任だったっけ…」
 「くぼ…、ちゃん?」
 「だったら、爆弾を解体したりガラス割ったり、ここまで連れてきたりしたご褒美は、時任からもらわなきゃ…、だよねぇ?」
 そう言った久保田は壁についた手で時任の顎を捕らえると、噛み付くようにキスをする。けれど、そのキスは今までしたキスの中で一番深くて…、一番痛いキスだった…。

 「ふぅ…っ、んん…っっ!」

 どんなに嫌がっても放してくれない、キスを止めてくれない。
 生理的な涙が頬を伝っても…、それを拭ってもくれない…。
 久保田とキスをするのは契約だったけれど、今まで一度も嫌だと思った事はなかったのに、今してるキスはとても痛くて苦しくて…、
 ・・・・・・・とても哀しくて嫌だった。
 呼吸することさえも、角度を変えるわずかな間しか許してもらえなくて…、
 嫌だと叫ぶ事も、声を上げて泣くこともできない。
 繰り返されるキスが…、ドキドキする鼓動を感じながらキスした時の気持ちも…、その時の想いまでも壊してしまいそうで、時任はそれを守るために自由な右手で久保田の背中を叩いたけれど…、

 キスと同じように胸が痛くて苦しくて、拳に力が入らなかった。

 久保田に優しく抱きしめられて…、キスされて…、
 少しずつ形になろうとしていた想い…。
 でも、その想いを同じ久保田のキスが壊していく…。
 やっと途切れたキスの合間にそっと囁きかけてきた久保田の声が、時任の耳に残酷に響いてきた。

 「俺に命令したいなら、これくらいのキスじゃまだ足りない。俺をホントの犬にしたいなら…、抱かせてよ…。ココで俺を受け入れてくれたら、お前の声だけしか聞かないし…、お前のコトだけしか見ないから…」
 
 8月24日のあの日…。
 何よりも楽しみにしていた…、久保田の誕生日…。
 本当なら時任が作った料理を二人で食べて、ケーキも食べて…、
 二人でお祝いするつもりだった…、お祝いするはずだった…。
 そして、いつものように笑い合いながら話をして…、
 また、来年も一緒にお祝いできたらって…、そんな事を言ったりして…、
 なのに、それがなぜこんな事になってしまったのか…、わからない…。
 久保田の吐息を唇の感触を首筋に感じながら、時任は放された右手を彷徨わせる。けれど、どこにも行き場がなくて、ゆっくりと下へと落ちた…。
 「久保ちゃんは友達のフリして…、相方のフリとかしてて…。ホントは…、ずっと俺とこんなコトしたかったのか…」
 力の無い声で時任がそう呟くと、久保田は時任の首筋に赤い痕を残しながら、唇の端をつり上げて冷ややかに笑う。そして、冷たい手をパーカーの裾から差し入れて、なめらかな時任の肌を愛撫するように撫でた。

 「ずっと…、したかったよ…。これよりも、もっとたくさんエッチで・・・・、ずっとスゴイ事をね…」

 パーカーの中に差し込まれた手は、愛撫しながら上へ上へと移動し…、
 再び強引で息苦しいキスを繰り返しながら、ふくらみのない時任の胸をまるで女の子にするように指で手のひらで執拗に弄ぶ。あまりの事に時任の顔が羞恥心でカッと赤くなったが、時任がやめろと叫ぼうとした瞬間に…、すぐ近くでカチリと冷たい音がした。

 「こんな所で、ガキが何乳繰り合ってやがんだぁ? そんなに見せつけたいなら、今から俺らがあっちの倉庫で見学してやるぜ?」
 
 濃厚なラブシーンを演じていた時任と久保田に向けてそう言ったのは、拳銃を構えた黒服の男。しかも、その拳銃の銃口は久保田のこめかみに押し付けられている…。
 それを見た時任は驚いて目を見開いたが、久保田は少しも驚いた様子もなくキスを止めると…、右手で時任を抱きしめながら左手を上に挙げた。
 「こういうのって、見学者がいると燃えるって言うしねぇ…。そういうお誘いなら喜んで…」
 「・・・・・なっ!!」
 信じられない久保田の言葉を聞いた時任が何かを言いかけたが、上に挙げていたばすの左手で口を塞がれて何も言えない。けれど、せめて反撃したくて左手に噛み付くと、久保田はわずかに顔をしかめた後…、まるで落ち着かせようとするかのように時任の額に優しいキスを落とした…。

 「くぼ…、ちゃん?」

 さっきまでの事が嘘のように…、優しい久保田のキス…。
 そのキスに思わず時任が噛み付くのをやめると、久保田は時任の手を引いて歩き出した。
 黒服の男に連れられて…、橘がいるかもしれない倉庫へと…。
 久保田の方は倉庫に向かう足取りも迷いがなく、しっかりとしていたが…、
 時任の方は何がどうなったのか訳がわからなくて…、ただぼんやりと久保田に手を引かれていた。
 



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