改善計画 .4




 「・・・・・・松本」
 「なんだ?」
 「実は、ちょっち質問があんだけど、聞いていいか?」
 「俺に答えられる事ならな」
 「じゃあさ、聞いてみっけど…。俺に頼みたい事って、まさか今の状況のコトじゃねぇよな?」
 「今の状況?」

 「だーかーらっ、人質になった上に縄で縛られてる今の状況のコトだよっ!!!」

 時任は隣で同じように縛られてる松本に向かって、そう叫ぶと目の前に転がっているダンボールを片足ではなく両足で蹴る。だが、縛られているせいなのか、実際は蹴るのではなく少しかすった程度だった。
 松本に手を引かれて向かった先は体育館の裏でなく、運動部の部室。
 しかも、部室の中に入るとまるで二人を待ち構えていたかのように、男子生徒が五人集まっていた。
 しかも、人質まで用意して…。
 五人に囲まれて怯えて震えている女子生徒2人を眺めた松本は無言のまま、自分に向かって投げられた縄で指示された通り、時任の両足と両腕をそれぞれ縛る。そして女子生徒の喉と背中にナイフが突きつけられているのを見た時任は同じく無言のまま、松本におとなしく縄で縛られたのだった。
 「ココに来る途中も…、誰かに尾行されてた」
 人質を連れて五人が外に出て行った後、時任は小声で松本にそう話しかける。すると、松本は壁を背に寄りかかった格好で、生徒に縛られた自分の足をじっと眺めた。
 「そうか…、俺はまったく気づかなかったが…」
 「アイツらが人質取ってんのを見ても、縄を投げられても少しも驚かなかったクセに、なに白々しこと言ってやがんだっ」
 「・・・・・・」
 「まさか、こんな状況になってるって知らずに来たなんて言うつもりじゃねぇだろうな…っ。そんなふざけたコト抜かしやがったら、ブン殴るぞっ」
 「別に殴っても構わないが、その手でか?」
 「てめぇが縛ったんだろ」
 「あぁ、そう言えばそうだったな」
 「てめぇ…っ」
 「待て、今は争っている場合ではないだろう」

 「そう思ってるなら、こうなってるワケを三秒内に言いやがれ、ずっと、このままで居たくねぇならな…」

 元々、そういう約束でここまで松本に付いてきた。
 これからは久保田と同じように情報を教え、同じように仕事を頼むと…。
 それなのに、未だに何も話そうとしない松本を、時任が鋭い瞳で睨みつける。すると、松本は事情を話そうとしたのか、それとも仕事を依頼しようとしたのか口を開きかけたが、そうする前に人質にしていた女子生徒を逃がしてから、なぜかドアの前に見張りを残して外に出ていた生徒達が戻って来た。
 「もう一人の人質が執行部員ってのは気に食わねぇが、約束通り人質は解放してやったぜ、生徒会長サマ」
 「・・・・そうか」
 「で、お次はてめぇらとアイツ、そしてブツとの交換だ。もしも橘が取引きに応じない場合は…、わかってるだろうな?」
 「あぁ…。だが、橘が貴様らの仲間とブツを持ってココに来るには多少時間がかかる。今、橘が校内にいない事は言わずとも知っているだろう?」
 「当然だ、そのタイミングを狙ってたんだからな。ケータイをかけたのは一度きりだと見張りから聞いて確認はしてるが…、もしもサツに垂れ込みやがった場合は道連れに…」
 「こちらも警察を呼ばれては困る。最初からそのつもりなら、すでにお前達の両手には手錠がかかっているはずだ」
 「確かにな…。だが、てめぇは信用ならねぇ」
 「それはお互い様だろう?」
 リーダー格らしき生徒と松本…、二人の会話の内容は時任にはわからない。けれど、言葉の端々から色々と推測することはできた。
 人質になった時任と松本と交換されるらしいアイツとブツ、そして警察…。
 その言葉から考えつくのは、おそらく松本が何か警察沙汰になるような悪事の証拠を握っていて…、不良達はその引渡しを要求しているのかもしれないという事…。わざわざ人質を女子生徒から松本に変えたのは、取引現場を女子生徒に見られないためなのか…、それとも他に何か理由があるのか…、
 時任が自分なりに推測して色々と考えていると、手に白い手袋をはめたリーダー格らしき男が視線を松本から時任に向けた。
 「一見、人質には不向きに見えるが…、あの目障りな野郎には効果がありそうだ。最近、あの野郎がてめぇの犬になってるってウワサ聞いてるぜ」
 男はそう言うと、手を伸ばして時任の顎を強く掴む。だが、時任は痛みに顔を歪める事もなく、揺るがない瞳で真っ直ぐに男の目を見返した。
 すると、時任と男の間の緊迫した雰囲気に辺り空気が緊張する。
 縛られて身動きが取れなくなっているのは時任の方だが、じりじりと追い詰められていくように男の表情が強張っていく。じっと目を見返しているだけで時任は何もしていないのに、いつの間にか男の手は時任の顎から外れていた。
 「気安く触ってんじゃねぇよ、クソ野郎」
 時任が余裕の表情で挑発するようにそう言うと、男は怒りに震える拳を振り上げる。すると、周囲にいた生徒達も時任を取り囲んだ。
 だが、そんな時任と生徒達の間に、少し慌てた様子で松本が割って入る。どうやら、二人で人質になる所までは予定通りだったが、今の身動きも取れない状況で時任が生徒達を挑発したのは予定外の出来事のようだった。
 「よせ、時任…。今、こいつらを挑発しても無駄にやられるだけで無意味だ」
 「そんなの、やってみなきゃわかんねぇだろ」
 「やってみなくとも、状況を見ればわかるだろう。それとも執行部に所属していながら、そんな事もわからないのか…」
 珍しくイラついた感じの、松本の声…。
 その声は、無駄に生徒達を挑発した時任を責めている。しかし時任は少しも悪びれた様子もなく、いつもの調子で松本の言葉を打ち消した。
 「バーカ、逆だ逆。 執行部に所属してっから、わかんねぇんだよ」
 「何をバカな事を…」
 「確か聞いた話じゃ中学の頃にはアンタもやってたらしいけど、それってウソなのか? それとも偉そうに会長のイスにふんぞり返っている内に、何もかも忘れちまったのか?」
 「忘れたとは…、何をだ?」

 「勝てば官軍、負ければ賊軍…。正義の味方ってのは、いつだって無敵なんだぜ?」

 取引き材料として捕らわれ囲まれていても、あくまで強気で無敵な時任のセリフを聞いた松本は、らしくなく軽く舌打ちをする。そして生徒達には聞こえない小さな声で、時任の耳にボソリと本心を呟いた…。
 「・・・・・・今はおとなしくして、時間さえ稼げば」
 その呟きを聞いた時任は、なぜ松本がわざと人目を引くように、わざわざウワサが立つような真似をして嫌がる自分の手を引いてきたのか…、
 ここまで来たのかを理解して表情を険しくする。
 松本はいつも久保田だけを呼び出す事を時任が良く思っていない事を知っていて、それで時任を利用するために仕事を頼むと…、
 そんなつもりなど少しもないクセに、あんな事を言ったのだった。
 「あの屋上に居た時、すでに人質を取られた上に行動を制限されて見張られてたんだろ? だからアンタは久保ちゃんに連絡できなくて、運良く屋上に来た俺をココまで引っ張ってきたんだ」
 「・・・・・・・・」
 「けど、残念だったな」
 「・・・・残念?」
 「いくら待ったって、久保ちゃんは絶対に来ねぇよ。俺が戻るまで生徒会室で待ってろって、命令してあるからな」
 時任がいつもよりも少し低い声でそう言うと、松本の顔にわずかに焦りの色が浮かぶ。どうやら、本当に松本はこの件を間接的に久保田に伝えるため…、そしてそれを生徒達に悟られないために時任を巻き込んだらしかった。
 「君が言っている事がウソだとは思わない。だが、君と私が一緒にいる事は、必ず誠人に伝わっている。だから、伝わってさえいれば…、おそらく誠人は…」
 「俺様の命令は絶対だ。俺の命令なら、今の久保ちゃんはなんでも聞く。俺は少しもそんなコトなんて…、望んでねぇのに…」
 「・・・・・・・・・時任」

 「でも、久保ちゃんがそんなになってんのは…、俺のせいだけどな…」

 最後にそう言った時任の声は、少し哀しそうに寂しそうに松本の耳に響く。でも、それは久保田が忠実に命令を守って生徒会室から動かないからではなく、相方としていつも隣にいた久保田が今はいない事を…、改めて感じたせいだった。
 時任の犬になった久保田は、いつも隣ではなく後ろにいる。
 だから、時任の足跡をたどるだけで一緒に歩く事はない。
 時任と同じように久保田も、そんな事を望んでいるはずはないのに…、
 それなのに、久保田は契約を解約しようとはしなかった。
 その理由も何も言わないままに…、ただキスだけをする…。
 ただキスをして…、抱きしめて・・・・・・、
 それから、何事もなかったのかように離れていく…。
 最近、時任がしているように、らしくなく困ったような顔をして…、
 時には自嘲的な笑みを浮かべながら…、

 抱きしめられてキスされて、ドキドキしている時任を残して…。

 こんな時なのに、久保田の事が頭に浮かんで胸がズキズキする。
 そして、なぜかズキズキしている胸が…、松本には来ないと言ったクセに久保田は必ず来ると確信している…。すると、そんな自分の想いに時任が気を取られた隙をついて、リーダー格の男の拳が右頬に打ち付けられ、時任は縛られたままの格好で吹っ飛ばされて床に倒れ込んだ。
 「そこの会長サマと同じで口先ばっかでたいした事ねぇなぁ、執行部員もっ。まぁ、その格好でできるのはサンドバックになる事くらいだろうがな」
 時任を殴った事で勢いづいたのか、リーダー格の男がそう言いながらニヤニヤと嫌な笑みを浮かべる。すると、周囲の生徒達もリーダーに同調したかのように同じ笑みを浮かべた。
 「コイツら、どうする? 取引きの時間まで、まだまだ遊べそうだぜ?」
 「ボコるかヤるか、どぉっちがいいかなぁ〜」
 「そういやコイツって、久保田とできてやがんだろ? 公認だかなんだかって、前にマユミが言ってたぜ」
 「マユミってお前の彼女だっけ? そーいや、そこの生徒会長サンも副会長の橘とできてるとか…」
 「橘とできてるだと…、この野郎…っっ。俺の橘に手を出すヤツはぶっ殺してやるっ!!!」
 
 ・・・・・いつから橘がお前のになったんだ。

 生徒達の会話を聞きながら、松本がそう心の中で呟いたかどうかはわからないが、話が妙な方向に流れて松本に危険が迫る。どうやら橘に想いを寄せているらしい生徒は、ポケットに入れていたナイフを取り出して、嫉妬と憎しみに満ちた目を松本に向けた。
 「・・・・・・・・・橘は俺のモノだ」
 「貴様、薬を使っているな」
 「殺しちまったら取引きの材料にならないからなぁ・・・。殺さない程度に切り刻んでやるから感謝しろよ」
 ナイフを持った男の目は、どこかおかしい。焦点が合っていないし、間近で見なければわからないが瞳孔も開いている…。
 松本はチラリと部室のドアを見たが、見張りが立っているだけで誰かが室内に入ってくる様子はなかった。
 「こんな事態を予想していなかった訳ではないが、こんな無謀で無意味な手に出てくるとはな…。貴様らを操っているのは、一体誰だ?」
 そう松本は尋ねたが、誰もその問いに答えない。その代わりに周囲の空気が張り詰め緊張し、沈黙と静寂が部室の中に満ちていく…。
 だが、その空気を破ったのはナイフを持った男でも松本でもなく、松本とナイフの男とのやりとりを聞いていた時任だった。

 「橘に指一本触ったコトすらねぇ、てめぇは知らねぇだろうけどな。橘って実は受けじゃなくて、攻めなんだぜ?」
 
 時任がそう言うと、ナイフを持った男の殺意に満ちた視線が松本から時任に移る。まるで橘と関係があるのは松本ではなく自分だとほのめかしているような…、そんな時任の言葉を、ナイフの男は完全に信じたようだった。
 一瞬、松本の胸にもまさか…っという想いが過ぎったが、すぐに時任の意図に気づいて表情を変える。松本は縛られた足を引きずって、時任とナイフを持った男の間に入ろうとしたが、時任は肩で松本の身体を押しのけた。

 バカな真似はよせっ!時任っっ!!

 松本の叫び声が室内に響き渡る。
 だが、今は部活の時間のため、他の部室には人気が無い。
 松本に向けられるはずだったナイフは時任に向けられ…、麻薬に犯された男の狂ったような笑い声と一緒に勢い良く振り下ろされる。この場所には二週間と少し前に身柄を拘束した男を連れて来る予定になっている橘と、その件に関わっている久保田が向かっているはずだったが、もう間に合わない…。
 松本は腕に力を入れたが、手首を縛っている縄は登山用で簡単に切れる代物ではなかった。

 「ーーーっ!!!!」

 これ以上、叫ばないように横からタオルで口を塞がれ、松本は自分の身代わりになった時任を助けるどころか叫び声すら上げる事ができない。絶望的な状況に陥ってしまった、そんな状況に時任を陥らせてしまった事を後悔しても…、もう手遅れだった。




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