改善計画.3




 『俺の犬になりやがれっっ!!このバカ犬っっっ!!!!』

 時任にそう言われた時、なぜあんな事を言ってしまったのか…、
 しかも、それが冗談だったのか本気だったのかすら自分でもわからない。言った瞬間は冗談だった気がしたが、今、改めてどうかと聞かれると答えられない気がした…。
 「うーん、もしかして欲求不満だったとか…」
 そう呟きながら久保田がセッタをふかしていると、窓の下を荒磯の生徒達が行き過ぎる。だが、窓際に立っていても見ているのは目の前にある風景ではなく、二週間と少し前…、8月24日の光景だった。
 あの日、時任が早く帰れと言っていたにも関わらず、久保田は25日になってから帰宅。そして、時任にケーキをぶつけられてしまったのだが、故意に遅くなった訳ではなく、本当に帰れない用事があっただけだった。
 けれど、その用事が何なのかを時任に話す事はできない。それは、話せば時任が久保田がいる場所に来ると言い出しかねないからだった。
 実は久保田が松本から頼まれる用事は、主に執行部では対処できない種類のもの。ヘタをすると刑事事件に発展しかねない、そんな最悪な悪事を暴くのではなく潰す…。闇から闇へ…。今回の用事は、校内に持ち込まれた麻薬を回収、そして持ち込んだ犯人と中毒患者を拘束する事だった。
 『校内に麻薬を持ち込んでいる者がいる…。すまないが協力してくれないか?』
 生徒会長の松本から、そんな頼み事をされたのは二ヶ月前。その情報を掴んだのは、副会長である橘が指揮している諜報部だった。
 『表で派手に動き回ってくれている執行部の存在は抑止力にはなっているが、やはり、その力は裏にまでは届かないようだ…。しかも力で抑えつければ、影消えずに闇に潜る』
 『なーんて、そんなの最初からわかってたクセに』
 『・・・・・・それは否定しないがな』
 実は執行部は以前から存在していたが、何人たりとも彼らの行動を妨げる事はできないという条文を校則にくわえたのは松本である。それまで、執行部の行動には制限があった。
 新たな条文がくわえられたおかげで執行部は、今のように派手に動き回る事ができる。そして、その裏でまるで執行部を隠れ蓑にするかのように、松本は表では生徒会長、裏では悪事を潰すために暗躍していた。
 恋人である副会長の橘と共に…。
 しかし、久保田は悪事を潰すためではなく、表で悪事を暴くために頑張っている執行部を守るために動いている。そのためにはヤクザや麻薬やそんなものが絡んでくる危険な悪事を、執行部が気づく前に片付ける必要があった。
 『いつもすまないな、誠人』
 『別に、礼を言われる覚えはないけど? 私情で動いてるワケだし…』
 『いつもそう言うのは…、執行部のためにしている事だからか?』
 『いんや』
 『だったら、お前はなんのために動いてる? まさか、本気で十円の借りのために動いてくれている訳ではないだろう?』
 誕生日の日、麻薬の取引現場に向かう久保田に向かって松本がそう言った時、久保田は口元にうっすらと笑みを浮かべただけで何も言わなかった。けれど、久保田が何も言わなくても「変わったな、誠人」と言った松本には、その答えがわかっていたようだった。
 
 変わった…、か…。

 松本に言われた事を、セッタをふかしながら口には出さず心の中で呟いてみる。だが、その言葉をその時も今も否定する事はできなかった。
 変わり始めたのは時任と暮らし始めてからなのか、それとも出会った時からなのかはわからないが…、最近はそれを特に強く感じる。あの日、遅く帰った事よりも松本の事を気にして嫉妬して荒れている時任に、睨みつけてくる強い瞳に欲情している自分に気づいた時、戸惑いはなかったが苦さと甘さが胸の中で入り混じっていた…。
 時任が久保田に抱いている感情は、おそらく久保田が時任に抱いている感情とは違う。だが、それがわかっていても松本に嫉妬して感情を素直にぶつけてくる時任を、久保田が抱いている欲望も感情も何も知らない時任を見つめていると…、欲望のままに犯して壊してやりたくてたまらなかった。
 時任は何も知らないし、気づいていない…。
 たぶん久保田がキスを冗談にしなかった意味も…、
 けれど、キスしても抱きしめても伝わらない想いを、言葉にして伝える事はしなかった。マンションの部屋で先に眠ってしまった時任の寝顔を見つめながら、ホント鈍感だよねぇ…と呟いて…、
 その言葉の端に見つめる瞳に、胸の奥にある想いが滲んでも…、
 久保田は何かを恐れるように、時任との距離を一定に保ち続けていた。
 近づきすぎないように…、そして遠すぎないように…。
 
 「・・・・・・不毛だなぁ」

 久保田がぼそりとそう呟くと、近くにいた桂木が久保田に向かって執行部の腕章を投げる。そして、もうすでに今日は松原と室田が見回りに行っているにも関わらず、久保田に校内を見回ってくるように言った。
 だが、久保田は腕章を受け取ったものの腕にはつけず机の上に置くと、いつも時任が座っているイスに座る。すると、そんな久保田を見た桂木はあきれたように軽く肩をすくめて見せた。
 「せっかく生徒会室を出て行く口実を作ったのに、それを無駄にする気? 出てった時任が何してるのか、気になってるんでしょう?」
 「そう言われても、今は待て…な状態なんで」
 「…って、本当に本気で犬してるのね」
 「そういう契約だから」
 「契約?」
 「そ、契約」
 「って何の契約よ?」
 「それはヒミツ」
 「時々、時任が困った顔をしてるのと何か関係があるの?」
 「それもヒミツ」
 そう言いながら久保田がまるでそこに鎖でも付いているかのように軽くシャツの襟元を引くと、桂木は軽く下を向きながら右手の人差し指でこめかみを押さえる。そして、顔を下に向けたまま視線だけを動かして、本当に本気で時任の犬と化している久保田の方をチラリと見た。
 「まさか、このままずっと時任の犬でいるつもりじゃないでしょうね?」
 「時任がそれを望むなら、今の所はそのつもりだけど?」
 「じゃあ、そう言う久保田君の方はどうなのよ? ずっと時任の犬でいたいワケ?相手が時任だとは言ってもワガママ放題に命令されて、その命令に逆らわずにただ従うだけなんて…、らしくないわ」
 「・・・・・・・・」
 「時任に限ってあり得ないとは思うけど、何か弱みでも握られてるの?」
 桂木が何かを探るように、じっと久保田を見つめている。だが、久保田の方はその瞳を見つめ返す事もなく、のほほんとセッタをふかしていた。
 しかし、そんな生徒会室の微妙な空気を壊すように、本部に今月の公務に関する報告書を提出に行っていた相浦が、かなり慌てた様子で勢い良くドアを開ける。そして、自分の目で見てきた信じられない光景を、その異常な事態を入ってすぐ目に付く位置に居た桂木に伝えた。
 「ちょ、ちょっと聞いてくれっ!!実はさっき時任が…っっ!!」
 「時任が…、何なのよ?」
 「時任が廊下で松本と…っ!!!」
 「だからっっ、時任と松本が何なのよっ!?」

 「・・・・・・仲良さそうに手を繋いで歩いてたんだ」

 相浦の言葉に、一瞬、桂木の動きが止まる。
 時任と松本が…、手を繋いで・・・・・・。
 その様子を思わず頭の中で想像した桂木は、止まったままの状態で固まった。何があってどういう事になれば、そんな状況が生まれるのか理解できない。
 だが、二人が並んで歩いている様子を思い浮かべた桂木は、意外に似合っているような気もして逆な意味で頭痛を覚えた。そして、実際に二人が手を繋いで歩いている様子を見てしまった相浦は、まるで悪夢でも見たような顔をして唸っている。
 時任と松本…、接点がないようであるような奇妙な組み合わせだった。
 「二人の間に何があったのか俺にもわからないけど、抵抗もせずにおとなしく松本に手を引かれながら歩いてたって事は、ま、まさか…っ」
 「まさかって何よ?」
 「どちらかが告白して、付き合い始めたとか…っ」
 「もしも、万が一そうだったとしても…」
 「そうだとしても?」
 「・・・・・・・・・・どっちが攻めなの?」
 「ぶーーーーっ!!!!」
 「何吹いてんのよっ、きたないわねっ!!!!!」
 「桂木がヘンな事、言うからだろっ!!!」
 桂木と相浦の脳内では、あらゆる有害な妄想が展開されている。だが、桂木はある事に気づいてハッとしたような表情になると、妄想するのを止めて恐る恐る久保田の方を見た。
 すると、さっきと少しも変わった様子もなく、久保田はのほほんとセッタをふかしている。けれど、久保田を包んでいる空気はどことなく冷たかった。
 「・・・・・桂木ちゃん」
 「な、なに?」
 「前言撤回で、やっぱ公務に行くコトにしたから」
 「それは良いけど、時任の行き先は…」
 「窓の外、見てくれる?」
 「窓の外?」
 久保田にそう言われて、桂木が窓の外を覗いてみると、三年の男子生徒が数人集まって何かコソコソと話しているのが見える。しかも、その数人の生徒は大塚達とは別の不良グループだった。
 最近、問題を起こさずにおとなしくしていたが、心を改めてマジメになったのではなく、何かを企んでいるような気がしてならない。桂木は少し厳しい表情になると、ポケットから腕章を取り出して腕につけた。
 「念のために出動するわよ」
 「了解」
 「でも、いいの?」
 「って、何が?」
 「・・・・・わからないなら、別にいいわよ」
 さっきまで久保田は時任の命令だからと部屋で待っていたのに、今はそんな事はどうでもいいらしい。この場合、時任の命令よりも執行部員として任務を優先したという事になるのかもしれないが…、何か納得がいかなかった。
 確かに時任は松本と手を繋いでいたというだけで、別に危険な状態に陥っているわけではない。それに相手が松本なら、無理やりという事もないだろう。
 しかし・・・、時任の所に行かないのはいいとしても、不良達が何か企んでいそうだというだけで久保田が自分から出動するのは、おかしいという気がしてならなかった。
 「一体、何を企んでいるのよ…」
 桂木がそう呟いたが、誰に向けてそう言ったのかはわからない。
 桂木と同じように右腕に腕章をつけた久保田は、時任の犬をやめて執行部員になったように見えた。



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