改善計画 .16
・・・・・・サヨナラ。
そんな言葉を久保田の口から聞いた訳じゃない。
洋菓子店の前で偶然出会った時、始めは倉庫での名残りのような緊張感がお互いの間に残っていたけれど、それもいつものように話している内に自然にゆっくりと消えて…、
だから二人でケーキを選びながら、心の中でホッと息をついていた。
まだ、何も解決していないとわかっていながらも、いつものように話し並んで歩く久保田の変わらない様子に安心して…。きっと大丈夫だと…、自分と久保田の手にある白いケーキの箱を見ながら、そう思い感じていた。
いつものように二人で並んで歩きながら、今なら倉庫での事も契約の事も、久保田と正面から向き合って話せる気がしていた…。
けれど、マンションにたどり着いて自分達の住んでいる4階を見上げた久保田の瞳を見た瞬間、それが自分の見た…、ただの都合の良い幻だったんだと…、
まだ何も話していない、まだ何も聞いていないのに…、
久保田が一人で何かを考え決めてしまった事を、時任は知ってしまった。
わかりたくないのにわかってしまった…。
ずっと、そばに居たから…、ずっと近くに居たからわかってしまった…。
どうしても知りたいと思う事は、今もわからないままなのに…、
わかりたくない事ばかり、なぜかわかってしまう。
こんな時ばかり…、なんで…と、時任は心の中で呟きながら片手でぎゅっと強く襟を締め上げ、久保田の穏やかな瞳を真っ直ぐに見上げた。
『何もかもなかった事にして、逃げるつもりか? 久保ちゃん』
久保田は予想通り、その問いかけに答えない。
ただ時任の瞳を見つめ返すだけで、肯定も否定もしない。いつもは見ているだけでうれしくなる久保田の穏やかな微笑みが、今はなぜか見つめていると痛く…、深く胸に突き刺さった。
契約を結んだ時よりも、倉庫で銃口を向けられた時よりも…、
なぜか久保田の穏やかな微笑みが、胸に焦りと不安を掻き立てる。時任は襟を掴んでいた手を離すと、その手で久保田の腕を掴んでから、自分達の住む401号室に向かった。
「…痛いよ、時任」
腕を強く掴みすぎていたせいか、久保田がそう呟く。
けれど、時任はそれを無視し、ようやく帰り着いた自分達の部屋のドアを開けると、久保田を先に中に押し込んでから自分も中に入った。
「あんまり押すとバランス崩れて、ケーキも壊れるよ?」
「・・・・・・」
押された久保田はケーキの心配をしていたが、時任はそれにも答えず無言でリビングへと入る。しかし、さっきから何も答えないのは答えたくないからではなく、いつもの調子で話す久保田に流されて、すべてを曖昧に誤魔化されてたくなかったからだった。
少しでも油断すれば…、たぶん何もかもなかった事にされてしまう。けれど、そうすれば二人でロウソクを立ててケーキを食べて楽しい誕生日になる事も…、わかっていたし知っていた。
でも…、時任は軽く首を横に振ると、久保田と何度もキスした唇を噛みしめる。そして、目の前に座る久保田を正面から真っ直ぐに見つめた。
瞳をそらさずに…。
時任はいつも食事しているテーブルの上にケーキの箱を置いてイスに座ると、久保田に反対側の席に座るように言う。すると、久保田はわずかに目を細め…、それから時任と同じようにテーブルにケーキを置いてイスに座った。
「話があるなら、明日にしない?」
「明日じゃなくて、今がいい…」
「じゃ、ケーキを食べた後とか?」
「話した後で食う」
「・・・・・・・・話、長くなりそう?」
「それは…、久保ちゃん次第…」
「話すのはお前なのに、俺次第なんだ?」
「久保ちゃん次第で…、俺次第…」
「・・・・・・そう」
時任の前には、久保田の誕生日を祝うためのケーキが…、
久保田の前には、時任の誕生日を祝うためのケーキが置かれている。
けれど、ケーキの箱を開けるよりも前に、時任にはどうしても確かめたい事があった。どうしても…、知りたい事があった…。
それは病院の天井を見つめながら、洋菓子店への道を歩きながら考えていた事…。でも、それを口にしてしまえば契約を結ぶ前の関係には…、元には戻れなくなる…。
でも、それでも聞かずにはいられない。
絶対に何もなかった事にはしたくない…。
何もわからないままでいるのは、絶対に嫌だった。
穏やかな微笑みを浮かべ続ける久保田を見ていると、別れの予感だけが胸を過ぎるけれど…、時任はすぅっと深呼吸するように息を吸い込んで…、
その息を言葉と一緒に口からゆっくりと吐き出した。
「久保ちゃんは俺のコト…、どう思ってんだ?」
見つめる瞳のように真っ直ぐな言葉を、久保田に向かって叩きつける。すると、久保田は微笑みを浮かべたまま短くなったセッタを灰皿に押し付けると、口から灰色の煙をフーッと吐き出した。
「好きだよ」
煙と一緒に吐き出された言葉に、時任はわずかに目を見開く。けれど、次の瞬間、久保田の口から出た言葉の続きを聞いて…、見開かれた時任の目には驚きではなく、傷ついたような哀しく切ない色が浮んだ…。
「…って、答えたら満足? そう答えたら、倉庫でのコトとか許してくれちゃうワケ? だったら、そういう意味で好きってコトにしといてもいいけど?」
「そういう意味ってどういうイミだよ…っ」
「さぁ?」
「ちゃんと答えろよっ!!!」
「だったら、言わせてもらうけど、わかってるクセになんで聞く必要があるの? それとも…、ただ信じたくないからとか?」
「・・・・・・・」
「図星?」
少しおどけた調子でそう言うと、久保田は唇の端をわずかに上げて小さく…、短く笑う。そして、久保田の笑い声を聞いて皺が寄った時任の額を人差し指で、少し前に身を乗り出して軽く突いた。
「なーんてね、ジョウダン」
「え?」
「倉庫での言葉はウソで、襲ったのは無難な方法で騒いで見張りに気づかせて中に入るための、ただの演技。ま、ただのケンカでも良かったんだけど、あの方が色々と都合良さそうだったしね」
「なっ!!!」
「これも信じられない?」
「い、今さら…っ、そんなコト言われて信じられると思ってんのかよっ!」
「なら、お前はどっちを信じたい? 橘を襲ったオジサン達と同じようにお前を襲って犯そうとした俺と…、倉庫の中に入りたがっていたお前の意志に従って演技した俺と…」
「・・・・・ウソだっ!!」
「ウソ?」
「どっちもウソだっ!!!」
どっちもウソ…。
そう叫んだ時任を見て、久保田が目を細めて浮かべていた微笑みを深くする。どちらもウソだと叫んだという事は、どちらなのかわからないと言っているようなものだった。
本当の事を知ろうとして時任は熱くなり、逆にそんな時任を前にして久保田は決して熱くならず静かなまま…。何を言っても何を聞いても穏やかなままでいる久保田を睨み続けていると…、病院で橘が言っていた言葉が思い出された。
『・・・・・久保田君があの男の遊びに付き合ってくださったおかげで、僕は情け無い姿をあの人に見られずに済んだ…。その事だけは、紛れも無い事実です』
倉庫の外にいた時点で、中の様子を久保田が知っていたとは思えない。それに最初は見張りに見つかるから、静かにしろと言っていたような気がする。
けれど…、そう言えば確かに倉庫に入りたいと…、橘の事を口にした瞬間に久保田の態度が急変した。時任に向かって信じられない言葉を囁きながら、時任の意志を無視して…、唇で触れた肌に赤い痕を残した…。
『そうされる事を貴方が望んでいないのなら…、ただの暴力でしかありません…』
また橘の言葉を思い出し、時任は軽く唇を噛む
久保田によって残された赤い痕跡は暴力なのか、ただの行き過ぎた演技の結果なのか…、それとも…。
何が偽りで何が真実なのかわからず、赤い痕跡に痛みを感じて眉をしかめると久保田がイスから立ち上がり、時任の傍へと歩み寄る。そして、いつもと同じ優しい手で時任の頭を撫でた…。
「どっちもウソだと思うなら信じなくてもいいよ…、何も…」
「・・・・・久保ちゃん」
「事件も一応ケリついたし、ちょっとの間、色々と騒がしいかもしれないけど、すぐに元通りになる…、きっとね」
「元通りに?」
「うん…、だから今日はもう何も考えないで寝た方がいい。今は時任も俺も疲れてるから、こんな風に睨み合うコトしかできないみたいだし?」
「けど…、俺はホントの事が…っ!」
知りたいんだと、そう言葉を繋ごうとしたが…、
久保田の手と視線が時任を離れたと同時に、繋ぎかけていた言葉も止まる。何がなんでも、絶対に本当の事を聞きだすつもりだったが、何を言っても聞いても久保田は穏やかな微笑みで拒絶するだけで…、
マンションを見上げた瞬間に決めた何かを時任に話すつもりも…、変えるつもりはないようだった。
「ちょっと用事を思い出したから、話はまた後で…。今日中には戻るから、先にメシ食って寝てな」
久保田はそう言うと、廊下へと続くドアに向かう。
学校から持って帰ってきた、二つのカバンを抱えて…。
すぐに時任は後を追ったが、久保田の手によってドアが開かれ、時任がたどり着く前に閉じられた。
「待てよっ、久保ちゃんっ!!!」
閉じられたドアの前で立ち止まらず、急いでドアを開けて廊下へと出る。そして玄関に向かって走ったが、行ってみるとそこに久保田の姿はなかった。
「・・・あ、れ?」
突然、久保田の姿が消えてしまった理由がわからず、時任が不思議そうに首をかしげる。けれど、玄関で立ち尽くしていると、背後から消えてしまったはずの久保田が制服ではなく私服姿で現れた。
そして、驚いている時任の横を素早くすり抜けると、靴を履いて外へと出ようとする。だが、時任はとっさに久保田の袖を掴んで、それを阻止した。
「まだ、話は終ってないっ」
「だから、また後でって…」
「ケーキだって、まだ食ってないしっ」
「・・・・・だから、一人で先に」
「一人じゃ意味ねぇだろっ!」
「だったら、命令してみる? 契約の時みたいに…」
久保田の誕生日に結んだ契約……。
それを持ち出されて、時任の肩が不自然に揺れた瞬間に袖を掴んだ手の力が緩む。すると、久保田はその瞬間を見逃さずに取られた袖を時任から奪い返すと、外に出るために玄関のドアを開いた。
「そんなカオしなくても、契約はジョウダンだから…」
「え?」
「ただで犬になるのもアレだし、お前が了解したから結んじゃったけど、ホンキで言ったワケじゃなかったんだよねぇ、実は…」
「そう…、なのか?」
「男同士でそーいうのってフツーじゃないし、お前も自分で言ってた通り、当たり前にジョウダンだって思ってたでしょ?」
「それはそう…、だけど…」
「だから、契約の事はジョウダンってコトで、できれば倉庫でのコトと一緒に忘れてくれるとうれしいんだけど?」
そう久保田が言うようにキスを条件に契約を持ちかけられた時は、時任自身もそう思っていた。たぶん…、冗談で自分を困らせるために言っているんだろうと思っていた…。
なのに…、なぜか…、
久保田にジョウダンだと言われた瞬間、とても胸が痛かった。
とても胸が痛くて…、苦しかった。
何度もしたキスが冗談だったと知って…、切なかった…。
けれど、瞳が熱くなってくるのを感じながらも、時任はギリリと歯を食いしばる。瞳をそらさずに歯を食いしばって、穏やかに微笑み続ける久保田を睨んだ。
「ジョウダンなら、なんであんなにいっぱいキスなんかしたんだ…。なんで、あんなキスして…、抱きしめたりなんかしたんだ…」
そう言いながら、袖を掴んでいた手を再び伸ばす…。
そして、両手をゆっくりと前に伸ばし…、その手で頬を包み込んでから、久保田の顔を自分の方へと向けさせた。
「ココで一緒に住んでで、学校でも執行部で相方してて…っ。なのに、あんなキスして俺の頭ん中も胸の中も、前よりも久保ちゃんのコトだけでいっぱいにしといて…、なんで今さら忘れろなんて言うんだよ…っ」
「だから、今は無理でも時間が経てば…」
「そんなの無理に決まってんだろ…。こんな痕をつけられて…、今さら忘れるなんできるワケねぇじゃんか…」
「・・・・・・」
胸の中を渦巻いている想いを告げても、久保田は沈黙したまま答えてくれない。ただ、忘れろと言うだけで…、他には何も言ってくれない…。
時任は自分の想いを伝えようとするかのように頬を両手で包み込みながら、じっと久保田の瞳を見つめた。近くで見つめれば、今まで見えなかった何かが見えてくるかもしれないと…、そう思って見つめ続けた…。
けれど、久保田の瞳の色は静かなままで…、何も読み取る事ができない。こんなに近くにいるのに、すぐにキスできてしまいそうな…、そんな距離に久保田がいるのにわからなかった…。
「なんでだっ。久保ちゃんのコトなら、ちゃんとわかるって…、そう思ってたのになんでわかんねぇんだよ…っ」
「それは、俺らが一人じゃなくて二人の人間で…、他人だからでしょ?」
「・・・・・・・俺らが他人」
「そう、だからわからなくて当たり前…。どんな関係の人間だって、結局は同一人物ではあり得ない他の人間で他人だから、わからなくて怒鳴り合ったり憎み合ったり、別れたり離れたり……」
「そうかもしれねぇけど、俺らには関係ねぇよ…っ。別れたり離れたりとか…っ、そんなの絶対にあるワケねぇだろ…っ!!」
「・・・・・・・」
「だって…、俺らは・・・・・・・っ」
そう言いかけたけれど…、続く言葉がなぜか言えない…。
少し前までは何の迷いもなく、言い淀むこともなく言えたのに…、
倉庫では、あの嫌な笑い方をする男に叫んでやったのに…、今はなぜか言う事ができなかった。
今も久保田はすぐ目の前で…、こんなに近くで微笑んでいるのに…、
久保田の瞳を見つめながら胸に感じる痛みは…、なぜか甘く切なくて…、
再び何かを言おうとして開きかけた唇が震えた。
すると、その震えは全身に伝わってきて、瞳も想いも何もかもを揺らして…、
それはやがてたった一言の…、短い言葉になった…。
「・・・・・・好きだ」
自分の口から出た言葉にハッとして、反射的に久保田の頬から両手を離す。今まで同じ言葉を何度か…、久保田に向かって言った事がある気がしたけれど、さっき口にした言葉は何かが違っていた…。
同じ好きでも…、何かが違う…。
久保田だけではなく、桂木だって相浦だって執行部の仲間は皆好きだ。けれど、久保田以外の他の誰かに好きだと言っても、こんな風に震えたりしない。
胸の中をいっぱいにしている想いを伝え切れなくて、伝わらない想いにもどかしさを感じたりはしない…。
時任は頬から離した手を再び伸ばすと、久保田の唇に自分の唇をゆっくりと近づけていく。だが、近づいていく時任の唇を受け止めたのは久保田の唇ではなく…、唇に浮かんだ冷笑だった。
「倉庫で言わなかったっけ? 俺との契約には…、俺を繋ぎ止めたいなら、そんな言葉やキスじゃ足りないって…。ホンキで俺の首に首輪つけたいなら、お前のココで繋ぎとめてくれなきゃ、ね?」
そう言った久保田からは、さっきまでの穏やかさは消え…、
代わりに暗く燃えるような熱さが…、時任を見つめる瞳に宿っている。
自分のしたキスを追うように、噛み付くようなキスをされて身体が震えた。
「・・・・・っっ!」
「もう何もしないって…、約束…、破らせたのはお前だから…」
「ふ…っ、うぅっ!!」
「さて…、問題です…。コレはホンキ?それとも演技?」
「ふざ…っ、けんなよっ!!!」
殴りかかろうとした瞬間、足を引っかけられ床に転ばされ、振り上げた拳が何も無い空間を切る。そして、次の瞬間に赤い痕跡のある場所を唇で強く吸われて、顔が全身がカッと燃えるように熱くなった。
倉庫での事が脳裏に蘇って…、久保田の唇の感触に身体が震えた。
でも…、それは恐怖じゃない…。
恐怖じゃない何かが、時任の身体を震わせていた。
身体を震わせているものが何なのか、それはわからないけれど…、
久保田に襲われ犯されかけているのに…、嫌いにはなれない…。
倉庫でも今も…、そうだった…。
やめろと拒絶しながらも、心のどこかで許していた…。
誰よりも、久保田が好きだったから…。
それがわかると時任の口からは拒絶の言葉ではなく…、久保田を呼ぶ声だけが漏れ始める。その声は久保田への想いが滲んでいるかのように、聞いていると胸が苦しくてたまらなくなる…、そんな切ない声だった…。
「くぼ…、ちゃん…、くぼちゃん・・・・っ」
自分の身体を震わせる何か…、その正体が何かもわからずに時任は久保田を呼び続ける。そして無意識に腕を伸ばすと、久保田の背中をぎゅっとしがみつくように抱きしめた…。
すると、震えは止まらなかったけれど、触れ合った部分から久保田の心臓の鼓動が伝わってきて…、
その鼓動を感じていると、なぜか視界がぼやけてくる。
自分がドキドキしてるように、久保田もドキドキしてくれてると想うと…、
すごく…、うれしかった…。
あの時のように今も演技だと、もしも久保田が言ったとしても、早く鳴る鼓動だけは絶対にウソはつかない…。
ぎゅっと背中を抱きしめた腕の力を緩めて…、優しく抱きしめると…、
早かった久保田の鼓動が、もっと早く鳴った…。
「・・・・・・・・好きだ、くぼちゃん」
優しく名前を呼んで…、もう一度好きだと耳元で囁くと…、
久保田の事でいっぱいになっている胸が温かくなって、頬を涙が伝い落ちる。すると、時任を犯そうとしていた久保田の動きが止まった。
「病院で…、橘が言ってたんだ…。キスとかそういう行為って相手が望んでなかったら…、俺が望んでなかったら、ただの暴力にしてならねぇって…」
「・・・・・・・・」
「けど、これは暴力じゃない…、絶対に違う…」
「・・・・・どうして?」
「俺は久保ちゃんが好きだけど、まだ、こういうコトがしたい好きなのかどうなのかハッキリとはわかんねぇ…。でも、久保ちゃん以外の誰かと、こういうコトしたいとは思わねぇから…」
「・・・・・・・・」
「だから…、しよう、久保ちゃん…」
・・・・・・しよう。
そう言った時、久保田の鼓動と一緒に自分の鼓動も跳ねた気がした。それが妙におかしくて…、頬には涙が伝っているのに唇には笑みが浮かぶ。
久保田とは同居人で相方で…、今でもそのつもりだ…。
でも、久保田の鼓動を聞いた瞬間、自分達が男同士だからだとか…、同居人で相方だからとか、そんなのはどうでも良くなった…。
たくさんキスして久保田だけで胸がいっぱいになっていったように、離れたくない一緒にいたいという想いのままに身体を繋げるのも…、悪くないかもしれない。そうすれば…、今までわからなかった何かがわかるかもしれないと思えた…。
けれど、時任が再びキスしようとすると、顔を横に向けて久保田が拒む。
そして、両肩を掴んで自分の身体から、強引に時任を引き離した。
「・・・・・ホントに残酷なのは、俺の方なのにね」
そんな呟きが耳をかすめ、久保田の指が時任のパーカにかかる。その指を目で追っていた時任は抵抗せずにパーカを脱されると、なめらかな素肌を久保田の前に晒した…。
すると、付けられていた赤い痕を、久保田の指が愛撫するようにたどり…。
時任が頬をほんのり染めながら、くすぐったそうに首を縮める。
そして、久保田の唇が近づいてくるのを感じて目を閉じた…。
けれど、まるでそれを待っていたかのように、久保田は時任から離れバスルームに入ると手に持ったパーカを洗濯機の中に放り込む。それから、その様子を呆然と見つめている時任を残して…、一人玄関を出た。
「俺は外で頭冷やして来るから、お前はシャワーで頭冷しなよ…。勢いで男とヤったって、お互いにいいコトないしね」
時任の耳に残酷に響く…、久保田の声…。
遠ざかる久保田の足音を聞いた後で、ハッと我に返って後を追おうとしたが、さすがにマンション内ならともかく、パーカーを脱がされた格好で外を走るワケにはいかない。それにあんな真似をされてしまった直後に、さすがにすぐ後を追う気にはなれなかった…。
追いかけて捕まえて怒って怒鳴る事もできるが、今はそんな気分になれない。着替えのある寝室ではなく、バスルームに入って洗濯機の中を覗き込んだ時任は、投げ入れられたパーカをじっと見つめた…。
「勢いなワケあるかよ…。これでもすっげぇ悩んだんだぞ…、久保ちゃんのバーカ・・・・・」
洗濯機の中を見つめていると泣きたくなって…、声が出そうになる。
けれど、涙が零れ落ちる前に上を向いて鼻をすすった。
生まれた日にケーキと一緒に一人部屋に取り残された時任は、頭を冷やすという久保田の言葉を信じて…、シャワーを浴びるために自分のジーパンに手をかける。頭を冷やすという事は、冷えたら久保田はちゃんと部屋に帰ってくるはずだ…。
けれど、そんな時任の想いを壊すように、リビングから電話の音が響いてくる。時任があわててリビングに戻って電話を取ると、受話器から病院で別れた橘の声が聞こえてきた。
『もしもし、時任君?』
「そーだけど、ウチにわざわざ電話してくるなんて珍しいじゃん。もしかして、あれから何かあったのか?」
『・・・・・何か涙声みたいですが、貴方の方こそ何かありましたか?』
「べ、別になんにもねぇよ…っ」
『だったら、いいのですが・・・・、実は貴方に伝えておきたい事があって電話したんです…』
「俺に伝えておきたいコト?」
『事件後も久保田君は、まだ拳銃を二丁所持しているそうです。会長から聞き出した情報なので…、確かです。弾は二発しか入っていないそうですが、こちらの方は会長が久保田君から聞いただけで、実際に見ていないので確かではありません…』
久保田が持っている二丁の拳銃…。
それは間違いなく…、倉庫で久保田が使った拳銃だ。
時任は橘に礼を言って通話を切ると、着替えの置かれている寝室に向かう。そして寝室に置かれていたカバンや、机の引き出しやベッドに拳銃が隠されていないのを確認すると、パーカーではなく黒いシャツを着た。
けれど、拳銃を持っている久保田の元に向かおうとしている時任が手にしているのは、戦うための武器ではなく…、自分のケータイ電話…。
しかも、久保田のケータイは時任を拒絶するかのように…、寝室に置き去りにされていた。
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