改善計画 .15
私立荒磯高等学校で起こった、麻薬事件。
その事後処理に追われている松本を残して学校を出ると、久保田は二人分のカバンを持って歩き出す。けれど、とっくに下校時間を過ぎてしまった校庭にも、校門付近にも人影はなく静まり返っていた。
遠くから、かすかにパトカーのサイレンの音が聞こえてきたが、今はまだこちらに来る気はないらしい。父親を連れて自首した大場が事件の事をどう話すのか、生徒会長である松本がどう出るつもりなのかはわからないが、明日は今日と違って騒々しくなるかもしれなかった。
だが、おそらく大場が何を言っても、東条組も出雲会も埃一つでないだろう。そして、大場の父親が単独でやった事として処理され、それで足りなければ誰かがトカゲの尻尾のように切られるだけだ。
けれど、それがわかっていながらも、橘は大場に麻薬を渡し…、
時任は久保田の隣で、その様子をじっと眺めていた。
『・・・・・これで終りになんかさせねぇ』
そんな時任の呟きが誰に向けられたものだったのか…、久保田は尋ねようとはしなかった。尋ねないままに橘と一緒に病院に向かう背中を見送り、その後には倉庫で引き金を引いた冷たく重い拳銃だけが残った。
入ってる弾は、二丁の拳銃に一発ずつ…。
松本に渡さず懐とカバンの中にそれぞれ放り込んでいる拳銃は、別に使うつもりで持ってきた訳じゃない。けれど、倉庫での銃撃戦の余韻でも残っているのか、なぜか手放せなかった…。
『なぜ、そんな目をしてるのか知らないが、お前のような目をしたヤツは真っ当な世界じゃ生きられない…。お前のしてる目はそういう目だ』
懐の拳銃の重さを感じていると雀荘で知り合った…、気まぐれで久保田に拳銃の使い方を教えた男がそんな風に言っていたのを思い出す。あれはまだ時任に出会う前で…、今よりも頻繁に雀荘に出入りしていた頃だった。
男は古びた倉庫に住んでいて、その地下に射撃場がある。そこで男は久保田に拳銃だけではなく、爆発物の製造、解体の仕方まで教えたが…、教え始めて一ヶ月たった頃、どこかへ出かけたまま二度と戻らなかった。
男は自分の名前を最後まで名乗らなかったし、何の仕事をしていたのかも知らない。けれど、街の暗がりを宿したような目をした男の仕事は、やはり真っ当ではなかったのだろう…。
まるで遺言のように拳銃の扱い方を教えて…、暗がりに消えた。
そんな男の言葉と一緒に浮かんでくるのは男の顔ではなく、なぜか倉庫で見た時任の泣き顔…。そして、その次に浮かんでくるのは、時任を泣かせ傷つけた自分自身の言葉だった。
『俺をホントの犬にしたいなら…、抱かせてよ…』
なぜ、あんな事を時任に言ったのか…、
なぜ…、言わなくてはならなかったのか…。
拳銃を懐に入れたままアスファルトの道を一人歩いていると、自分の言ったセリフを、その時の時任の表情を思い出す。けれど、いくら考えても言い訳じみた答えしか見つからなかった。
あんな事を言えば、時任に拒絶される事は最初からわかっている。
わかっていながらも、気づけば口にしていた。そして、それはキスを条件に久保田は時任の犬になった時も…、やはり同じだった。
『・・・・・・キスしていい?』
どちらの言葉も、すぐに冗談だと笑ってしまえば良かった。
そうすれば、こんな事にはならなかった…。
けれど、松本に嫉妬する時任を見ていると、胸の奥で張り詰めていた糸が細くなり切れかかり目眩がする。そして、その目眩は時任と契約のキスを重ねるたびに強くなっていった…。
何もかもが自業自得で、救いようが無い。
けれど、きっかけは今回の事件かもしれないが、胸の奥で張り詰めていた糸は、もうずっと…、いつ切れてもおかしくない状態だったのかもしれない。自分では特に意識はしていないつもりだったが、9月に入り時任も久保田と同い年になり、二人が高校三年生になって半年が過ぎようとしていた。
高校生でいられるのも執行部で相方をしていられるのも、あと少し…。
高校を卒業してから先の事は何かを恐れているのかように、お互い話した事がない。時任が何か言いたそうな目を向けてきても、気づかないフリをして目をそらし続けてきた。
「・・・・・・・一緒に」
倉庫で時任が言った言葉を思い出しながら、いつもよりも苦いセッタの灰色の煙と吐き出しながら、久保田がそう呟く。けれど、その言葉はすぐに消えてしまう煙と一緒に吐き出したせいか、ひどく現実味がない
時任があの部屋にずっと居る…、そんな光景よりも…、
どこかの知らない女と結婚して、幸せな家庭を築いている。
そんな光景の方が想像しやすかった。
『今の久保ちゃんに何言われても、何されても…、さよなら言ってるようにしか聞こえねぇ…』
耳に残る時任の言葉…、キスした唇の感触…。
時任に対する自分の想いを自覚した時、それを告げようとは考えなかった。冗談で誤魔化す事はしても、そんな事は一度も考えた事がなかった。
なぜ考えなかったのか、その事に気づきもしなかった。
でも、今は…、時任の言葉を聞いた今ならわかる。幸せな家庭を築いている時任を想像して、なぜ肩から力が抜けていくような気がするのかも…、
時任の泣き顔を見た今なら…、良くわかる。
マンションまでの道を歩きながら、ぼんやりとセッタをふかし…、
それから…、あぁ、そうかと呟いて、ようやくわかった事実に苦笑した。
時任が言った事は、やはり間違っていない…。
なぜ、倉庫であんな事を時任に言ったのか…、
なぜ…、言わなくてはならなかったのか…、
なぜ、あんな契約を結んだのか、その答えは久保田の中にあった。
それがわかると久保田は細く長く息を吐いて、セッタをくわえたまま軽く前髪を掻き上げる。すると、ふと視界に見慣れた洋菓子店が目に入った。
「そーいえば、去年もココで買ったっけ…」
学校に行く途中でいつも見かけるが、この店に入るのはお互いの誕生日くらいで普段は来る事がない。久保田はそう呟くと店の前で立ち止まると自動ドアの前に立つ、すると同じタイミングで隣に立った人物がいた…。
久保田もその人物も…、お互いに前を向いている。
けれど、久保田には横に立っているのが誰なのか見なくてもわかっている。そして、それは横に立っている人物も同じようだった…。
「学校の方は…、終ったのか?」
そう言ったのは病院帰りの時任で…、
「お前は?」
と、聞いたのは学校帰りの久保田。
時任が久保田の問いかけに「終った」と答えて店の中に入ると、久保田も「同じく」と答え、くわえていたセッタを携帯用灰皿に放り込んでから続いて店に入る。そして、二人はまるで何事もなかったかのように、いつもと同じ調子で話し始めた。
「熱が出るかもしんねぇからって薬は一応もらったけど、ケガも別にたいしたことねぇってさ。あ、それと…、今日は風呂に入るなって言われた」
「・・・・そう」
「久保ちゃんの方は大変だったんだろ?」
「いんや、別に。後は本部が処理するらしいし、俺のするコトは窓ガラスを割った始末書を書くコトくらい?」
「そっか…」
「うん」
そんな会話を交わしながら二人でケーキの入ったショーケースの前に立つと、今度はどのケーキを買おうかと相談し始める。
苺がいいとか、チョコも捨てがたいとか…、そんな風に…。
けれど、指差しながら二人で選んでもなかなか決まらなくて、悩んだ末に食べたいケーキを、二人でせーのっという掛け声を合図に同時に指差してみる。だが、指差したケーキはやはり同じではなかった。
すると、久保田は時任の指先にあるケーキを見てから、次に時任の顔を…、
時任は久保田の指先にあるケーキを見てから、次に久保田の顔をみる。そして、二人同時に同じようなセリフを言った。
「こっちだろ?」
「こっちじゃなかったっけ?」
そんなセリフを言ったのは久保田は時任の好きなケーキを、時任は久保田の好きなケーキを指差していたせいである。けれど、二人がケーキを買いに来た理由を考えれば、それは当然の事だった。
この洋菓子店に久保田は時任のバースディケーキを、時任は久保田のバースディケーキを買いに来ていたのである。久保田の誕生日はすでに過ぎてしまっているが、その時のケーキは潰れて床に落ちてしまっていた。
時任はたぶん、ずっとその事を気にしていたのだろう。
犬の契約をする事になった…、あの日の事をずっと…。
久保田は横に向かって手を伸ばすと、ケーキを見つめる時任の頭をぐちゃぐちゃっと撫でる。そして、二人の前でニコニコしながら立っている女性店員にコレとコレをくださいと言って…、指差したケーキを両方とも買った。
その様子を見ていた時任は、少し驚いたような顔で久保田の方を見る。けれど、久保田はのほほんとした顔で店員からケーキの入った箱を受け取ると、その内の一つを時任に渡した。
「ほい、こっちはお前が持ってくれる?」
「…って、二人しかいねぇのに、こんなに買ってどーすんだよ」
「もちろん、二人で食うに決まってんでしょ? ついでに、今日の晩メシはケーキってコトで」
「うぅ、想像しただけで胸焼けしてきたかも…」
今日の晩ご飯がケーキだと聞いた時任は、久保田からケーキの箱を受け取りながら胸を押さえる。別に一日で全部食べる必要はないのだが、どうやら時任はワンホール食べる自分を想像したらしかった。
そんな時任の姿を見て久保田が小さく笑うと、時任はからかわれたと思ってムッとした表情になる。でも、すぐに機嫌を直して笑顔になると、久保田の肩を軽くポンっと叩いた。
「けど、たまには甘いのも…、いいかもな」
「胸焼けがするくらい?」
「そんで帰ったら二人で、ケーキにロウソク立てようぜ…。一人分じゃなくて二人分…」
「・・・・・うん」
「ごめんな…、久保ちゃん」
店を出て歩き出し、少し立ち止まると時任はそう言って空いた方の手で久保田の制服の端を軽く掴む。そして、掴んだ手を軽く引くと久保田の肩に…、額を押し付けた…。
倉庫で襲われかけたばかりなのに、怖がりもせずに触れてくる。
そんな時任のつむじを上から眺めて苦笑すると、久保田は伸ばしかけた手を止めてきつく握りしめると、その手をポケットの中に仕舞い込んだ。
「お前は何も悪くないよ、何も悪くないから…」
「違う…、あんなになったのは最初に俺が…っ」
「ごめんね」
「久保ちゃん…っ」
「ごめんね…、時任」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・・・ごめんね」
ごめんねと…、何度も言うと制服の端を掴んだ時任の手に力がこもる。
けれど、その手に自分の手を重ねたりはしない。
拒絶もせず受け入れもせずに、二人の間の距離だけを測っていた。
これ以上、近づき過ぎたら離れられなくなる。そんな距離は友情と愛情の境目にあって…、その間には胸が痛むほどの切なさと深い溝がある。
けれど、今まで胸の奥にある想いを時任に伝えなかったのは、その溝の深さを…、時任に拒絶される事を怖がっていたからじゃない。離れられない距離に足を踏み入れてしまう事を時任ではなく…、久保田自身が怖がっていたせいだった。
誰よりも大切だと気づいた瞬間から…、怖くてたまらなくて…、
いつも…、ずっと手に入れる瞬間よりも失う瞬間を想像していた。
繰り返し繰り返し…、悪夢を見るように…。
久保田はポケットの中に入れた手を出して、その手に握られたセッタを口にくわえると火をつけ…。そして、灰色の煙を時任を想うようになってから痛み続けている胸の奥に深く吸い込む。
そして目を閉じ耳を塞ぐようにすべてを胸の奥に封じ込め、穏やかに微笑むと近づいてきたマンションの4階を見上げた。
想いも告げずに触れた唇は…、さよならのキス。
首筋に残した赤い痕跡は…、伝えられなかった想いの痕跡…。
時任と暮らした日々は胸に感じる痛みの分だけ、胸に抱いた切なさの分だけ、今まで過ごしたどんな日々よりも鮮やかだった。
『変わったな、誠人』
どこからか、松本の声がする。
けれど、もしかしたらそれは自分自身の声だったのかもしれない。
自分の行動の本当の理由がわかった今は、欲望のままに犯して壊してやりたい衝動は消え、妙な静けさと穏やかさだけが久保田を包んでいた。
だが、そんな静けさと穏やかさを…、横から伸びてきた手が壊し…、
過ぎた日々を懐かしむように、二人の住む部屋を下から見上げる久保田の瞳を時任の強い瞳が真っ直ぐに射抜いた。
「何もかもなかった事にして、逃げるつもりか? 久保ちゃん」
襟首を掴んで締め上げられながら、そう言った時任の声を聞く。
その声はいつもよりも低く…、鋭く強く、逃げる事を許さず…、
久保田はそんな声を聞きながら、くわえたセッタから空へと立ち昇っていく灰色の煙を眺めた。
・・・・どうか見逃してください、カミサマ。
けれど、見上げた空にやはりカミサマはいないのか…、
その願いは…、聞き届けられなかった。
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