改善計画 .13
今日の日付は9月8日…。
その日は誰かにとっては特別で、誰かにとっては普通で…、
そして、また誰かにとっては最高で、最悪な日だった。
だが、今日だけがそうだった訳ではなく、いつの日もそうなのだろう。
いつの日も誰かが泣き、誰かが笑う。
おそらく…、荒磯高校で起こった麻薬がらみの事件でも…。
けれど、この事件で誰が笑い泣こうとも、さっきから窓の外をぼんやりと眺めている久保田には興味のない事だった。
時任稔…、ただ一人をのぞいては…。
今、時任は橘に連れられて病院に行っている。久保田が連れて行こうとしたが、橘が自分も行くから一緒にと申し出で…、それを時任が受けた。
二人が行った病院の医者は、松本の知り合いで腕も良く口も堅い。
そして、時任が撃たれた場所は腕で命に別状はない。
だが、離れてみると何を考えても何を思っていても、時任のことばかりが頭に浮かんだ…。
それはもしかしたら、犬になる契約を結んでからバイトも休んで、ずっと時任のそばにいた後遺症なのかもしれない。一人でぽんやりとセッタをふかしながら、久保田は馴れた手つきで制服の下に隠し持っていた拳銃を取り出して構えた。
すると、久保田のいる生徒会室のドアが開いて松本が入ってくる。
松本は中に入ってドアを閉めると、いつも桂木が座っているイスに座って小さく息を吐いた。
「覚悟は出来ている。撃ちたければ撃てばいい…」
松本がそう言うと、久保田が迷う事なくあっさりと拳銃の引き金を引く。
しかし、拳銃はカチリと乾いた音を立てただけだった。
「残念、弾切れ…」
「弾が入っていなければ、拳銃もただの鉄クズだな」
そんな言葉を交わして久保田は窓の外を…、松本は目の前で握りしめた自分の両手を見る。久保田も松本もここには居ない誰かを想うような、どこか遠くを見るような目をしていた。
倉庫で橘の身に何が起こったのか…、松本は知っている。
けれど、それでも橘と一緒に病院に行かなかったのは、学校での事後処理が残っていたというのもあるが…、松本が来る事を橘が拒んだ事が一番の原因だった。
橘は人に弱みを見せる事を、極端に嫌う。
それを知っている松本は、部屋で待っているとだけ伝えて別れた。
部屋というのは生徒会本部の事ではなく、松本の自宅の離れにある部屋の事である。そこは松本の自室で、誰にも邪魔されず二人きりでいられる場所だった。
「今回の件は…、一応、これで片は着いたが…」
しばらくして、口を開いた松本はそう言いかけて…、黙り込む。
一応、片はついたが、気持ちの整理がつくはずもなかった。
それは、拳銃を握りしめている久保田も同じだろう。
松本が何か言いたそうな視線を向けると、今度は久保田が先に口を開いた。
「あの倉庫付近は出雲会のシマだけど、今、別の場所をめぐって出雲会と東条組は争ってる。でも、結局、お互いに全面戦争になるコトを恐れて、境界で小競り合いを繰り返してるってだけなんだよねぇ」
「それと、今回の件に何の関係がある?」
「関係なら、腐るほどあるデショ。だったら逆に聞くけど、オタクが大場の父親が捕まってるって情報を持って東条組の事務所行った時…、なんで簡単に信じた上に口車に乗って来たと思う?」
「・・・・まるで、見てきたように言うんだな」
「違う?」
「違わない…」
「ああいう人種は戦争好きっていうかお祭好きっていうか、そーいうの多いし…。成り上がるためには、ソレだけの働きってのが必要だしね」
「つまり出雲会にも東条組にも、今回の件を利用して戦争したくてたまらないヤツが居たという訳か…。俺は飛んで火にいる夏の虫…、だったと…」
「あれだけドンパチやったら、お互いさすがに黙ってられないっしょ?」
「だから、俺達のした事も東条組のした事にすると、あの男は言っていたんだな。利用するだけ利用された上、何も知らず蚊帳の外とはな」
「麻薬の場所なんて、最初から本気で聞き出すつもりなかったみたいだし? 白昼堂々と大場と橘をさらったのも、実は麻薬を息子に奪われ失踪中の大場の父親を捕らえるためだったって考えれば不思議でもなんでもないしね」
久保田が言った通り、後で聞いた話では大場の父親は大場と橘がさらわれるのを近くで見ていたらしい。それで思わず後を追おうとして飛び出すと、待ち構えていた出雲会に捕まった。
つまり実際は先に父親が捕まっていたのではなく、大場と橘が捕まってから父親の方が捕られたのである。その後は捕らえた両者を倉庫に放り込み、東条組に麻薬と大場の父親の事を垂れ込めばいいだけだった。
そうすれば…、戦争を始める口実が出来る。
「俺は、ただヤツらの手助けをしただけか…。救いに行ったつもりが、とんだお笑い種だな…」
一度は校内に麻薬を探すために走り出したが、大場や橘の置かれている状況を考えた松本は立ち止まった。そして桂木達に捜索を任せ、単独で東条組に乗り込んだ。
久保田に投げ渡した拳銃は、東条組で渡されたものだが…、
今、思い出すと松本に拳銃を渡した男の口元は、まるで松本を嘲笑っているかのような嫌な笑みを浮かべていたような気がする。事務所にいた男達に倉庫に行くよう命じ、最後に男はすれ違い様、松本の腰に手を回した。
『ここに一人で乗り込んできた度胸だけは、褒めてあげるわ。けど、その目も表情も何もかもアタシ好みには程遠いわね…。腰の細さは合格点なのに、残念…』
女のような喋り方をする男…。
その男が何者なのかはわからなかったが、そう言った男の方こそ、底知れぬ狂気を隠し持っているような危険な目をしていると…、松本は感じた。
だが、怒りに拳を震わせても、正面からやり合って勝てる相手ではない。そう思いながら、病院に向かった橘の背中を思い出すとたまらない気持ちになった。
・・・・・・・絶対に許さない。
けれど、それを口には出さずに黒いスーツの男とオカマの男に対する押さえきれぬ怒りと憎しみを隠すように唇を引き結ぶ。今、怒りの衝動に駆られて出雲会や東条組に乗り込んだとしても、無駄死にするだけだ。
松本は心が怒りと憎しみに侵食されていくのを止めようとするかのに、一呼吸置いてから再び口を開く。そして、橘と病院に向かった時任の表情を思い出しながら、久保田に時任と結んでいる契約の事を聞いた。
「ところで・・・・、時任の犬になるのはもうやめたのか?」
松本がそう聞くと、久保田はそれには答えずにくわえたセッタを人差し指と中指で挟んで取る。そして、口からフーッと灰色の煙を吐き出した。
そして、再びセッタをくわえ直すと煙を深く肺の中に吸い込む。
それから、めずらしくわずかに眉をしかめた。
「結んだ契約の報酬は、キスだったそうじゃないか?」
松本がそう重ねて聞くと、久保田はじっと松本を見つめる。そして、何も言わずにじーっと見つめてくる久保田の視線に耐え切れず、松本が顔をそらせると久保田はのほほんとした表情で、また口から灰色の煙を吐き出した。
「ホントは契約じゃなくて、単なる口約束…。けど、そう言った方が約束を守ってくれそうだったし…」
「時任と結んだのは契約という名のただの約束で、別に弱みを握ったり、握られてる訳ではないと?」
「時任の方は」
「時任の方は…、という事は、お前は握られてるということか…」
「しかも、サイアクなのをね」
久保田はそう呟くと、それ以上は何も言わず黙り込む。
すると、そんな久保田を見た松本は細く長いため息をついた。
屋上で時任の独り言を盗み聞きしたおかけで、松本は時任と久保田の交わした契約の内容を知っている。それを聞いて、やっと告白でもする気になったのかと思ったが、どうやらそうではなかったらしい…。
松本はイスの前にある机に両肘を突くと、考え込むように組んだ手の上に額を押し付けた。
「誠人…、お前は時任が好きなんだろう?」
何も考えずストレートにそう聞くと、久保田は微笑む。
そして、まるで眠るようにゆっくりと目を閉じた…。
「・・・・・・誰よりも」
松本の言葉に対する答えは、とても短くて…、
だからこそ、浮かべた微笑みと一緒に切なく胸に響く…。
誰の目から見てもわかるほど強い想いなのに、好きだという一言だけが告げられず…、切なさだけが時任一人だけをずっと見つめてきた瞳に宿っていた。
抱きしめてもキスの契約を結んでも…、首筋に赤い痕を残しても…、
何かを恐れるように、久保田は今まで一度も時任に対する想いを口にした事がなかった。
意識的に想いを告げる事を避け、無意識にお互いの距離を守ろうとするかのように想いにブレーキがかかる…。けれど、眠るように閉じた目を開いた久保田は、その理由を知っているように見えた。
誠人…と松本が呼びかけると、久保田が苦笑する。
そして、握りしめた拳銃をまるでゴミを放り込むように、机に置かれていた自分のカバンの中に入れた。
「拳銃をどうするつもりだ、誠人…」
「コレは拳銃じゃなくて、鉄クズでしょ?」
「・・・・・・・燃えないゴミの日にでも出すつもりか?」
「さぁ? どうだろうねぇ?」
「まさか・・・・・・」
松本はそう言いかけたが、ふと自分も拳銃を持っている事を思い出す。
松本が持っている拳銃は、大場の父親が真鍋に渡した拳銃だった。
大場の父親は東条組が背後にいる事をチラつかせながら、真鍋に事件を起こさせ麻薬を要求して、自宅に居る自分の息子が動くのを待っていた。そして、そんな父親を捕らえるために出雲会が張っていた…。
誰かが誰かを利用し、またその誰かも誰かに利用される。
そんな今回の事件の繋がりを改めて感じた松本は、時任を巻き込み利用した久保田に言うべき言葉が見つからなかった。
自分のした事を後悔などしていない…、するくらいなら始めからしていない。
だから、謝罪などしない。
仕方なかったのだと、そんな安っぽい言葉を口にする気もない。
だが…、ガラスを割って倉庫に飛び込んだ瞬間、部室の窓ガラスを割った久保田が見た光景と同じ光景を見た気がして…、
まるで、胸の想いを吐き出すように呻き喚き、叫びたくてたまらなくなった。
「・・・・・それはお前に預ける」
手の上に押し付けた額を上げながら、松本がそれだけ言うと久保田は生徒会室を出て行く。けれど、これから久保田がどこに行くのかはわからなかった。
松本はポケットからケイタイを取り出すと、着信履歴と発信履歴に一番多く載っている電話番号にかける。すると、しばらくして通話がつながり聞きなれた声が…、今、一番聞きたかった声が耳に聞こえてきた…。
『はい…』
「・・・・・・・・」
『どうかなさいましたか? 会長?』
「・・・・・・・」
『もしもし?』
松本が何も言わず黙っていても、橘は通話を切らずに呼びかけ続ける。
そして、まるで何もかも知っているように、わかっているかのように…、
抱きしめるように…、松本をいつもと違う呼び方で呼んだ。
『・・・・隆久』
「・・・・・・・」
『好きです、誰よりも…』
「・・・・・・・」
『誰よりも愛しています…、貴方を…』
誠人もいつか、こんな風に誰かを呼ぶ日が…、
こんな風に…、誰かに呼ばれる日が来るのだろうか…。
橘の声が優しく胸の奥に染み込んでいくのを感じながら、松本は心の中でそう呟く。そして、初めて出会った時、タバコの自動販売機の前で久保田の手のひらに乗せた十円玉の重さを、今初めて感じたかのようにケイタイを耳に当てたまま俯いて…、自分を呼び続けている橘を呼んだ…。
「・・・・・・・遥」
すると、橘の後ろから時任の声が聞こえ…、また後でとそう告げて橘が通話を切る。けれど、通話が切られて橘の声が聞こえなくなっても、松本は静寂に包まれた生徒会室でケイタイを握りしめていた…。
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