改善計画 .12




 ガシャーーンッ!!!!!

 久保田が銃口を向ける先を変えた瞬間、室内に響いた大きな音。
 だが、その音を聞いた時任が橘が、男達が視線を向けた先に久保田はいない。同じ方向を見る人間の目に映っているのは、上からの光りを受けてキラキラときらめきながら降り注ぐガラス片と、同じように上から降ってくる一人の男だった。
 倉庫内は薄暗いだけで、光りの無い暗闇に包まれている訳ではない。しかし、それは天井に付けられた照明のせいではなく、人の手が届かない高い位置にある小さな窓があるせいだ。
 その窓を突き破って飛び込んできた男に、視線と一緒に銃口が集中する。だが、飛び込んできた男は両手に拳銃を持っていた。
 唯一、室内に大きな音が響いてもガラス片が降り注いでも、視線を動かさなかった人間は久保田しかいない。久保田は視線を黒いスーツの男に向けたまま、わずかに口の端を上げると足元にある時任の落とした拳銃を蹴り上げる。
 すると、それとほぼ同時に飛び込んできた男が、両手に持っていた拳銃を久保田に向かって投げた。

 「ナイスタイミング…、松本」

 そんな久保田の呟きと一緒に今度は室内に銃声が鳴り響くと、時任を拳銃で狙っていた男が倒れ、一発しか入っていなかった久保田の拳銃は弾切れになる。だが、久保田のもう片方の手の中には、いつの間にか床から蹴り上げた拳銃が収まっていた。
 黒いスーツの男の傍にいた男が、銃声に反応して久保田に向かって引き金にかけた指に力を込める。すると、時任が人質に向かって走り出しながら何かを止めるように反射的に叫んだ。

 「ダメだっ、久保ちゃんっっ!!!」

 必死に叫ぶ時任の叫び声。その声が響いた時、口元にわずかに笑みを刻んだ久保田の指が、すでに引き金を引いていたが…、
 弾が発射される瞬間、時任の叫び声に反応したように銃口が下がった。

 ガゥンッ、ガゥンッ、ガゥンッ・・・・・!!!!!

 正確に利き手だけを狙った射撃…。
 もしも心臓や額を狙っていたとしたら、撃たれた男達は確実に死んでいただろう。あまりにも正確で早すぎる久保田の射撃は、倉庫内にいる男達に的である久保田に狙いを定める余裕すら与えなかった。
 わずか数秒で二丁目の拳銃の弾が空になり、同じ数だけの男が利き手を抑えて倒れ…、久保田の手から握りしめていた拳銃が床へと落ちる。
 だが…、その手に吸い込まれるように松本の投げた拳銃が収まり…、
 拳銃を投げた松本は、下で待つ橘の腕の中に収まった。
 「これでは…、どちらが助けに来たのかわからないな」
 自分を受け止めてくれた橘に向かって、松本が苦笑しながらそう言う。すると、橘はいつものように穏やかに微笑むのではなく、まるで幸せを噛みしめるように松本の額に唇を寄せながら、うれしそうに笑った。

 「僕を助けるために空から舞い降りた貴方は、間違いなく僕の天使で…、救いの女神ですよ」
 
 時任が大場の縄を解き、二人で大場の父親を抱えて置かれていた荷物の影に飛び込むと、松本を抱えた橘も流れ弾が頬を肩をかすめていくのを感じながら走る。しかし、二丁の拳銃を構えた久保田だけはその場に留まっていた。
 久保田は相変わらず、黒いスーツの男の方を向いている。
 なのに、握りしめた拳銃の銃口は別の方向を向いていた。
 
 ガゥンッ、ガゥンッ、ガゥンッ・・・・・!!!!!

 断続的に響く銃声…。
 二丁の拳銃が火を噴き、そこから放たれる弾丸は、握りしめている人間が前だけしか見ていないにも関わらず正確に狙った相手を貫く。額に冷たい汗を浮かべながら、後ろに回り込んだ男が拳銃を構えたが…、
 その瞬間には、脇に差し込まれた久保田の銃口がすでに男を狙っていた。
 「死にやがれっっ!!! このバケモノめっっ!!!!!」
 「…って言われても、俺としては殺される相手くらい選びたいんだよねぇ。生まれる時は選べないんだし、これくらいのゼータクは許されていいデショ?」

 ガウゥゥー…ンッ!!!

 鳴り響く銃声の数は、倒した相手の数…。
 時間稼ぎをしていたおかげで、倉庫内や置かれた荷物の影に潜んでいる人間の居場所や立ち位置を把握する時間と余裕があった。
 その結果が、今のこの状況だ。
 長いような短いような銃撃戦が終ると、久保田の拳銃から落ちコンクリートの床を跳ねる薬莢の乾いた音が室内に響く。そして顔色一つ変えず、立ち位置も視線すら動かさずに全員を倒した久保田が両手に持った拳銃を両肩に乗せると、唯一残った黒いスーツの男がまるで芝居を見ていた観客のように手を打ち鳴らした。
 「見事だ…。どこで誰に習ったのかは知らないが、君ほどの腕を持った人間が日本に居たとはな」
 「独学っていうか、まぁ、自分の身は自分で守る主義なモンで…」
 「くくく…、君は思った以上に面白い。気が向いたらで構わないが、私の所に来ないかね? 今度はさっきと違って本気で言っている」
 「じゃ、さっきのはやっぱりホンキじゃなかったんだ? ヒドイなぁ」
 「そう言う君も、本気ではなかっただろう?」
 男はそう言うと男は目を細め、まるで地獄に誘う悪魔のように微笑む。
 そして、目の前に立つ久保田に向かって手を伸ばした。
 こちらにおいでと…、手招きするように…。
 だが、その瞬間、久保田ではなく時任が叫び、威嚇するようにスーツの男を鋭く睨みつけた。

 「久保ちゃんはてめぇなんかの所には行かせねぇっ! 久保ちゃんはずっと、俺と一緒にいるって決まってんだかんなっっ!!」

 契約は取り消すと…、もうキスをするなと言った口と同じ口で時任がそう言う。なぜなのかと…、どうしてなのかと泣いた瞳と同じ瞳で強く…、絶対に久保田を渡さないと男を睨みつける。
 すると、久保田は感情の読めない作り物の笑みを男に向けた。
 「・・・・・だそうなんで、遠慮しときます」
 「それは君の意思なのかね?」
 「・・・・・・・」
 黒いスーツの男はそう問いかけたが、久保田は微笑んだまま答えない。
 何も答えずに、右手に持った拳銃の銃口を男に向けた。
 スーツの男が微笑み、久保田も微笑んでいる。そして、もう一人…、血に塗れた手で拳銃を握りしめ、口元に笑みを浮かべている男がいた。
 その男は久保田が松本から投げ渡された拳銃で、最初に撃たれた人物。
 時任の叫び声に反応して下がった銃口が…、男の命を助けた。
 他の男達とは違い脇腹に銃弾を打ち込まれた男は、引き金にかけた指に力を込める。だが、それはスーツ男を助けるためではなく、自分の恨みを晴らすためだった。
 「死ね…、バケモノ…」
 そんな呟きと共に放たれた弾丸は、久保田に向かって真っ直ぐに飛ぶ。
 すると、それに気づいた久保田は素早く左手の拳銃を向ける。
 男ではなく、飛んでくる弾丸に向かって…。
 しかし、久保田が引き金を引こうとした瞬間、弾丸と久保田の間に何かが割って入った。

 「・・・・・・・・っ!!!!!」

 目の前で飛び散る赤い色…。
 ドクンドクンと響く…、やけに大きな自分の鼓動…。
 久保田は視界の中でスローモーションのように、ゆっくりと倒れていく身体に向かって手を伸ばす。たが、その手よりも早く横から伸びてきた手が、その身体を抱き止めた…。
 「時任君っっ!!!!」
 倒れた時任を抱き止めたのは橘で…、伸ばした久保田の手は拳銃だけを握りしめている。白く染まった意識の向こうで、久保田は誰かが自分に向かって囁くのをを聞いていた。
 
 殺せ、殺せ、殺せ…、コロセ…!

 その囁きに操られるように、拳銃を握りしめた久保田の腕が機械的に動く。それを見た黒いスーツの男は、悪魔のように微笑みながら目を細めた。
 けれど、久保田の腕を何者かの手が掴み、引き金を引く事を許さない。
 久保田は殺意に冷たく激しく燃える瞳で、自分の目的を阻もうとする人間を睨みつける。
 だが…、久保田を止めたのは銃弾に撃たれ、倒れたはずの時任だった。
 「さっきのヤツは、松本が殴って黙らせてる。それに撃たれたのは腕でかすり傷だから、大丈夫だから撃つな…っ」
 「どうして?」
 殺意を宿した瞳のままで、久保田が時任に向かってそう問いかける。すると、時任は掴んだ久保田の腕を自分の方に引き寄せると、そこに自分の額を強く押し付けた。
 「俺は久保ちゃんに誰も殺して欲しくない。俺のためでも、誰のだめでも…、そんなコトして欲しくねぇんだ…」
 「・・・・・」
 「それに俺らの世界には、俺らの生きる世界には拳銃なんて必要ない。そんなモン持ってなくったって…、俺らはいつだって、どんな時だって最強なハズだろ?」

 俺らの世界…、二人で生きる世界…。

 そこには血と硝煙の匂いは似合わない…。
 朝起きて学校に行って、放課後には執行部で公務をして…、
 笑い合ったりふざけ合ったり、時には退屈に感じる事もあるけれど、暖かな陽だまりの匂いのする世界が、腕から伝わってくる時任のぬくもりを感じた瞬間に全身を包み込んでいくのを感じた。
 久保田は構えていた拳銃を下ろすと、細く長く息を吐く。
 そして、拳銃を握りしめた自分の手をじっと見つめた。

 「・・・・・・ゴメンね」

 そんな呟きと一緒に、久保田の瞳に宿っていた殺意が消える。
 だが、黒いスーツの男の顔からは微笑みが消える事はなかった。
 いつの間にか外からも銃声が聞こえなくなり、出雲会を倒した東条組の人間が倉庫に侵入してくる。だが、部下を全て倒されたというのに、男は余裕の表情で一人立っていた。
 「もう、貴様に逃げ場はない」
 松本が淡々とした口調で、そう言う。
 すると、真田は軽く肩をすくめながら声を立てて笑った。

 「逃げ場がなくなったのなら、作ればいい。ただ、それだけの話だ」

 スーツの男がそう言うと、まるでそのタイミングを待っていたかのように、倉庫に大型トラックが突っ込んでくる。トラックは壁を壊して侵入してくると、東条組の男達を跳ね飛ばして入り口を塞ぐようにぶつかって止まった。
 すると、壁に開いた穴から黒塗りの車が入ってくる。
 その車は男が橘と大場を拉致した車だった。
 「麻薬が手に入らなかったのは残念だが、君たちのおかげで退屈しない一日が過ごせた。くくくく…、この借りはやはり返さなくてはな…、もちろん君達ではなく、君達の後ろに居る東条組にだがね」
 「まさか、東条組を相手に戦争でもするつもりか? 一体どういう事なのか説明しろっ」
 「質問があるなら、そこにいる彼にしたまえ。彼だけは始めから、何もかもわかっていたようだからな」
 「おい、待てっ! 貴様っ!!!」
 黒塗りの車へと乗り込む男を、松本が止めようとする。
 だが、そんな松本の肩に橘がそっと手を置いた。
 「・・・・橘」
 「これ以上、立ち入っては戻れなくなりますよ」
 「しかし…っ」
 「せっかく久保田君が思い留まってくれたのに、それを貴方が壊す気ですか?」
 橘がそう言うと、松本が眉間に皺を寄せながら黙る。松本が止めるのをあきらめると、橘はスーツの男に向かってニッコリと笑いかけた。
 「すいませんが、帰る前に破れた制服の代金と慰謝料を請求したいのですが?」
 「それは構わんが、いくらかね?」
 「麻薬を…、僕から奪った分だけ」
 「・・・・本当にそれだけでいいのかね?」
 「えぇ、それだけで十分です」
 「いいだろう」
 誰もが見惚れる、けれど凶悪な笑みを浮かべた橘に、スーツの男は悪魔の微笑で答える。そして、慌てずゆったりとした動作で車に乗り込むと、部下に命じて橘に麻薬を渡させた。
 
 ・・・・・・・では、いつかまた。

 窓を閉めた状態では、男の声は聞こえない。
 しかし唇の動きから、そう言ったのが読み取れる。男は一度だけ久保田と時任に視線を投げると、車を運転している男に行けと命じて車を発進させた。

 「俺たちも早く帰ろうぜ…。桂木や相浦や皆が待ってる、俺らの学校にさ…」

 黒塗りの車が走り出すと久保田の腕をぎゅっと握りしめたまま、壊された壁の穴から差し込む夕日を見つめて時任がそう呟く。夕日の色に染まった横浜港には、まるで事件の終わりを告げるように、次第に近づいてくるパトカーのサイレンの音が鳴り響き始めていた。




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