改善計画 .11




 「絶対に俺じゃねぇ…っっ、違うっ!! 俺はこんな事知らねぇっ!!」

 東条組が襲ってきたと聞いて、大場の父親がそう叫ぶ。それは大場の父親が出雲会ではなく、東条組に所属しているせいだった。
 だが、裏切っていないと…、父親は黒いスーツの男に向かって叫ぶ。
 自分を捕らえ縛って、身体の自由を奪っている人間に向かって…。
 出雲会が大場と橘を捕らえたのは、大場の父親から麻薬の事を聞いたからに違いなかったが…、大場の父親が捕らえられた理由は、多量の麻薬を所持してからという理由だけではなさそうだった。
 はっきりと本人の口から聞いた訳ではないが、おそらく大場の持っていた麻薬は父親の持ち物。そして、父親の持っていた麻薬の出所は東条組と考えて間違いないだろう。
 だが、自分が捕らえられている倉庫を同じ東条組の人間が襲撃したと聞いて、大場の父親は動揺し、出雲会に裏切っていないと叫んでいる。
 仲間が助けに来たというのに、少しも喜んではいない。
 さっきまでおとなしく床に転がっていたが、今は腕と足を縛っている縄を解こうと必死になっていた…。

 「てめぇは自分の組を裏切って、多量のヤクを別の組に横流ししようとした。そうすれば幹部にしてやるとでも言われたのか? この裏切り者が…」

 辺りに銃声が響き、大場はそう言うと父親に冷ややかな視線を向ける。
 大場はたぶん最初から、父親が東条組を裏切っていた事を知っていたのだろう。
所持していた多量の麻薬が、父親の手から出雲会に渡るはずのものだった事を…。
 だが、それを知りながら大場が父親から奪ったために、今の状況に陥った。
 父親は息子の冷ややかな視線に気づくと、縛られた足で息子の腹を蹴り飛ばす。そして、自分が麻薬を奪われた事を白状したために、捕らえられてしまった息子に向かって吐き捨てるように言った。
 「何もかも上手くいくはずだったのにお前がっ! お前のせいで…っ!!」
 父親に怒鳴りつけられても、大場は少しも動じない。
 表情を変えずに、ただ静かに冷たい瞳で父親を見ていた。
 「てめぇなんか死じまえばいい。そう思ったから、ヤクを奪ってやってたんだ」
 「こ、この…っ! 親不孝者がっっ!!!」
 「親不孝? 誰が誰の親だって? 金もくれねぇ、家にもいねぇ…。そういうのはただの他人だろ」
 「てめぇ…っ!!」
 「もう真っ平なんだよ。だから死ねよ…、ここで…」
 「・・・・・・っ」

 「死んじまえよ、クソ親父」

 お前なんか親じゃないと言いながら…、大場は最後に親父と呼んだ。
 父親を眺める大場の瞳に宿っているのは憎しみなのか、もっと他の何かなのかはわからない。けれど、父親が捕らえられていると聞いた大場が、一切抵抗せずにおとなしく車に乗った事だけは確かだった。
 「貴方は何もかも知っていた。けれど、それでも貴方は父親を見捨てる事ができなかった…。そうでしょう? 大場君」
 橘はそう呟くと東条組の襲撃で浮き足立っている隙をついて、大場に近づこうとする。だが、その瞬間、ねっとりと身体に絡みつくような不快な視線と、大場でも久保田でもなく、真っ直ぐに自分だけを狙っている銃口の存在に気づいた。

 「伏せろっ!橘っっ!!」
 
 橘が叫び声に反応して素早く床に倒れ伏すと、同時に銃声と弾丸の着弾した音が耳を打つ。ハッとして銃弾が飛んできた方向を見ると、男達の中で一番、執拗に犯していた男が銃口を橘に向けていた。
 「危ねぇなぁ、動くから反射的にあやうく殺しまう所だったぜ。せっかく手に入ったオモチャなのに、もったいねぇ…」
 そう言った男は、橘の身体を欲望に満ちた目で眺める。だが、そんな男の目から橘を守るように…、時任が背を向けて立っていた。
 さっきまで久保田のそばにいたはずだが、橘が狙われている事に気づいて自分の危険も省みずに来てくれたらしい。時任は橘を犯した男の腕を掴み上げ鋭い瞳で睨みつけていたが、黒いスーツの男の命令は絶対なのか、他に銃口を向ける者はいなかった。
 「これ以上、コイツを傷つけるヤツは俺が許さねぇっ」
 「時任…、君?」
 「いいから、アンタはそこでじっとしてろよ…。俺が絶対に、もうあんな真似は誰にもさせねぇから…」
 「・・・・・・」
 「ヘーキなフリしてっけど、ホントはあんま動けねぇんだろ?」
 時任は怒ったような口調で橘に動くなと言う。でも、それは怒っているのではなく、らしくない事を言ったと思って照れているだけだとすぐにわかった。
 橘は時任を見つめながら微笑むと、右手で自分を守ってくれている背中にそっと触れる。そして、無表情を装いながらも不機嫌そうな久保田の横顔にチラリと視線を向けて、浮かべていた微笑みを更に深くした。

 「そんな風に優しくされると…、本気で惚れてしまいそうですよ」

 そう言った橘の声は聞くと誰もが惚れてしまいそうなほど、穏やかで優しく…、そして甘い。すると、時任に向けられた橘のそんな微笑みと甘さが、男の独占欲と嫉妬心に火をつける。
 予想以上に橘の身体と自らの欲望に溺れた男は、スーツの男の命令を無視して、狙いを定めていた銃口を肩から心臓へと移動させた。
 久保田が目だけを動かして、その様子を視界に捉えたが、今、銃口を前に立つ黒いスーツの男から外せば、次の瞬間には蜂の巣になるだろう。外では銃撃戦が始まっているが、足元にある時任が落とした拳銃の弾数を合わせても、おそらく倉庫内の人数分には…、まだ足りない。
 時任一人だけを連れて逃げ出す事はできるかもしれなかったが、そんな事は時任が望まない。だから、ここを全員で無事に逃げ出すには、もう少しだけ時間稼ぎが必要だった…。
 だが…、今はもう待っている時間も余裕もない…。

 「一発じゃなくて、せめて五発くらいにしとけばよかったかも…」

 一発しか入っていないからこそ手渡された拳銃を握りしめて、そう呟いてみた所で何も始まらない。手にした拳銃を握りしめているだけでは…、何も守れない…。
 久保田は口元に笑みを浮かべると、拳銃を握りしめる手にわずかに力を込める。そして、スーツの男に向けていた銃口を時任を狙っている男の方へと向けた。

 自分を見つめてくる時任の瞳のように迷わず…、真っ直ぐに…。

 すると、その瞬間、室内に大きな音が響き…。
 時任が…、大きく目を見開く…。
 海の匂いのする横浜港も…、埃の匂いのする倉庫も…、
 暮れ始めた空と同じ色に染まり初めていた。





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