「父上ーー…っ!」


 そう呼ばれて自分のことだと思い、返事をする男子高生はまずいない。
 たまには返事をする男子高生もいるかもしれないが、少なくともこの寮にはいないはずだった。
 だから、満面の笑顔で無邪気に手を振りながら駆けて来る少年。しかも、ブカブカの制服というオプション付きだったとしても、何だ何だと注目こそすれ、両手を広げて俺がパパだよとは誰も言わない…が、しかしっ!
 駆けてきた少年、102号室から出てきた王子様…、カッコ仮もしくはたぶんは、ある男子高生の前に回り込み立ちふさがった。

 「父上っ!」

 父上とは、言い方を変えればお父さん、パパ…。
 少しもちっとも微塵も自分のことだと当たり前に思っていなかった男子生徒は、自分のことを父と呼び迫ってくる少年に目を見開いたまま硬直するっ。すでに頭の中は真っ白、思考はショックのあまり停止していた。
 だが、耳だけは健在で、周囲からの声が鼓膜を震わせる。
 
 「俺…、前から思ってたんだよな。どう見ても、何度見てもおかしいってっ」
 「あ、俺も俺もっ。留年したにしても、絶対おかしいよな」
 「絶対にアレくらいの息子とか娘とか居そう…というより、実際、今、現在において目の前にいるしっ」
 「やっぱりか…」
 「やっばりだな」

 やはり、やっぱり…っ、やっぱりだっ!
 周囲の意見は満場一致っ!
 少しも似てはいないが父上とか言ってるし、これは間違いないっ。
 本人の意思を無視して、すべての目撃者達によって、どこをどう見ても健全な高校二年の生徒ではなく、立派なおっさん…、しかもヤのつく職業についていそうな男子高生は王子様の父親として認知された。

 「良かったな、室田。長い間、離れて暮らしてた息子さんに会えて…」

 すでに何だか良くわからないストーリーまで出来上がっているらしい同級生に、そう言われ肩をポンと叩かれ我に返った、たぶん高校二年生、室田俊彦は濡れ衣を晴らそうと叫びかけるっ。しかし、口を開いた瞬間に後ろからやってきた二人組に、王子様ごと近くの部屋へと引きずり込まれてしまった。
 「い、今の…、確か一年の久保田だよな?」
 「なんか良くわからないけど、血まみれじゃなかった…、か?」
 「気のせいじゃね? 瞬間的すぎて、良くわからなかったし」
 「そ、そうだよなっ。ケチャップとか絵具かなんかだろっ、たぶん」

 たぶんって…、いやいやっ、ケチャップとか絵具のが不自然だってっ!!

 誰もがそうツッコミを入れたのか入れなかったのかは不明だが、とりあえず近くの部屋に避難した室田と二人組は、王子様を挟んで向かい合う。二人組の内の一人は冷や汗をかいていて、もう一人は血まみれだった。
 「な、な、何がどうなっているのかはわからないが…、とりあえず早く保健室に行った方が良いぞ」
 とりあえず入った部屋で室田が開口一番に言ったのが、血まみれの後輩の心配だったのは見かけとは違って心優しい室田らしい。実は今いる部屋は偶然にも、室田が同じ二年の松原潤と暮らしている部屋だった。
 しかし、松原の実家は、実は大きな貿易商で簡単に言えばお金持ち。わざわざ床が軋むような寮に住む理由はないのだが、自ら試験を受けて好き好んで奨学生になっている変わり者だった。
 このような場合、除け者扱いにされたり悪口を言われたり、イタズラ、イジメ、定番コースに突入することになるはずだが、座っていたイスの方向をクルリと変えて、同室者と侵入者の方を向いた松原にそんな様子は見受けられない。見受けられないが…、背丈も顔も少女のごとく可愛らしい。
 実際、その外見を裏切る男らしさと奨学生になれるほどの武術の腕を持ち、告白してくる男どもを山ほどぶった切っても、非常にとてもすこぶるモテる…、男子高生だが。
 しかし、それだけが定番コースに突入しない理由ではなく、見た目がおっさん…どころか絶対にヤの字のつく関係者にしか見えない室田が、常に守っているからだ。
 ぶっちゃけ惚れている、出会って一秒で一目惚れだった。
 そして、そんな室田の同室者である松原は在室中。
 座っていた椅子の方向を更にクルリと変えると、外の騒ぎが聞こえていたらしい松原は後輩の二人…、次に室田と王子様を見た後、ガタリと勢い良く立ち上がり、同じ勢いで直角に頭を下げた。
 
 「お父上には、いつもお世話になっております!」
 「誤解だあぁぁあぁぁっ!!!」

 もはや何をどこを悲しめば良いのかわからないらしい室田は、叫びつつ駆け寄ったは良いが、純情ゆえに想い人に触れることさえ出来ずにオロオロと立ち尽くす。すると、そんな室田と松原を見ていた王子様は、きょとんとした顔で首を傾げた。
 「あれ…? 父上かと思ったけど、なんか微妙に若い気ぃするし…、別人?」
 すごく若いのではなく、微妙に若い。
 誤解の解け方も微妙な感じだが、とりあえず室田はホッと息を付き、違うんですか?とつられて松原が首を傾げる。しかし、今の本当の問題はそこではなく、もっと別な所にあった。
 色々な意味で目立つ行為は避けるべき状況にあるのに、思いっっ切り目立ってしまった上に、王子様の存在を他の寮生達に知らしめてしまったっ。
 王子様としてではなく、室田の息子として。

 「バレたのが茨の森とか王子様とかじゃなくて良かった…っていうかさ! 正直、この方がもっとヤバいだろっっ!!」

 微妙…の部分にツッコミそこねた相浦だが、さすがにそこにはつかさずつっこむ。しかし、当事者である王子様も犯人である久保田も、まったく今の状況に動じた様子はなく、のほほんと違うのか? うん、違うよ…と顔を見合わせていた。
 けれど、王子様は室田が父親ではないことは理解したが、その他はわからず混乱した様子でキョロキョロと辺りを見回している。起きたばかりの時はほぼ全裸だったり、久保田がヘンタイだったりしたせいか、今になって自分がなぜここにいるのか…とか色々と不思議に不審に思ったのか眉間に皺を寄せていた。
 だから、ぐっと拳を握りしめた相浦は思った。
 本当に伝説の眠れる森の王子様かどうかはわからないけれど、やはり帰した方が良い。他に誰かが住んでいたとするなら、きっと居なくなって心配しているはずだ。
 今度こそ久保田を説得して、とりあえず元の茨の森へ帰そう。まず話はそれからだと相浦が心に決めると、まるでそれを見透かしたかのように、いつもよりトーンの低い久保田の声が室内に響いた。
 「・・・・・・帰さないよ」
 「え?」
 「どう見てもサイズの合わない靴や色々と、あの家には確かに他に人間が居た形跡があったけど、ね。・・・・ちょっと、イヤなカンジしたから」
 「嫌な感じ?」
 「一緒に暮らしてるって言うより、何か人形とオママゴトでもしてるみたいな、そんなカンジ。まぁ、ホントに眠って起きないんだとしたら、人形と変わりないか…」
 「でも、それで世話してたっていうならさ、別に…」
 「眠って起きない相手なら、好き放題出来るよね」
 「・・・・・・・え?」

 ・・・・・・・・・・・好き放題。

 その言葉に反応したのは、この場に居る全員。
 しかし、松原と室田の頭にはハテナが浮かんでいそうな感じだったし、当の本人である王子様も目覚めたばかりで似たり寄ったり。相浦だけが何となくだが、久保田の言葉の意味を理解して…、ハッとして王子様を見た。

 ・・・・・・・・・・・好き放題。

 その意味を理解した瞬間、相浦の脳裏に流れた画像はモザイク、音声もピーっと修正され、同じくそんな修正じみたものが脳裏に浮かんでいそうな久保田に思わず視線を移す。すると、なぜか久保田の顔にもモザイクがかかっているような、そんな幻覚が見えたような気がした。
 「なんで、俺のカオにモザイク?」
 「…って、俺の脳内を見るなよっ、非常識だろっっ!」
 「ジョウダンだったのに」
 「冗談かよっっ!」
 おちょくっているのか本気なのか、王子様を茨の森へ帰す気のない久保田は、のほほんとした様子で口元には薄く笑みが浮かべている。そして、何だ?何の話だ?と尋ねてきた王子様の頭を軽く撫でた。
 
 「ま、俺の話はさておき、やっと必要な人間はそろったようだし…。そろそろ事実確認といきましょうか? ね、王子サマ?」

 必要な人間…と、久保田は言った。
 しかも、それは今現在部屋の中にいる人間だけではなく、今、まさにドアを開けて部屋の中に入って来た人間も含まれるらしい。その人間を見た相浦は、思わず悲鳴をあげそうになったが、久保田は少しも驚かなかった。

 「寮内が騒がしいと思って来てみたのだが…、どうやら思ったよりも問題は大きそうだな」

 ぎゃあぁぁあっ、出たぁぁぁっ!!!!
 …と心の中で叫んでも、出たのは幽霊ではなく寮長。
 しかも、ただの寮長ではなく、優秀で有能な寮長だった。
 そして、この部屋にいる他のメンバーを見渡せば、久保田の言う必要な人間の意味が良くわかる。茨の森の王子様を保護、もしくは匿うのに必要な人間は、確かにこの部屋の中に揃っていた。
 この寮の主とも言うべき寮長、それから中等部の頃から武道ではなく料理の腕を認められ、奨学生兼シェフとして学園に入学した室田。その室田と同室で本人は不本意かもしれないが、この寮内で一番財力のある松原と、久保田と同室故に隠すより巻き込んだ方が面倒がなさそう…というのもあるが、実は学園内の噂話や様々な情報に詳しい相浦。
 つまり衣食住に、色々と調べるのに便利な情報。それらを前に久保田は、じっと真っすぐに自分を見つめる王子様に昔話をし始めた。

 「むかしむかし、とあるところのとある国に、一人の王子サマがいました…。そう、きっとオタクみたいな王子サマが…、ね」

 それは昔々の伝説…、おとぎ話…。けれど、今、その伝説やおとぎ話が王子様の登場によって、この学園内で現実になろうとしていた。


                                         2012.3.25

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