ニッカンコネギー

〜ニッカンはあくまで目標に過ぎない〜

2003年08月(3)

■2003/08/04 (月) メモ2

老人たちの告白に、その人の生きざまが垣間見える。若くして死んだ兄のこと、厳しくつらい妻有の冬越えのこと、出稼ぎのこと。米作りのこと。
さて、ついさっき、「何の作為もない」と書いたが、この文章を読んでいるあなたに問いたい。
「何百人もの観客が見つめるステージの上で突然普通に食事をしろ、といわれてできますか?」

私はこの問いに「yes」と答える人が想像できない。ただ、「普通に食事をするように演技をしろ」ということであれば、多くの演技達者がたやすく行うことが出来るだろう。

何が言いたいのかと言うと、「老人たちは、舞台の上で自然に食事をしてください」という、作家の要求に応えているのは間違いのない事実であると言うことだ。
70年間、ほとんど妻有地方から出たことのない老人たちが、見知らぬ外国人の「舞台の上で食事を普通に摂ってください」という「演出」に応え、自然体に振舞うように「演じた」というのが事実なのだ。

■2003/08/04 (月) メモ1

「真実のリア王はルポルタージュ演劇である。」
なんでも、「妻有地方の高齢化・過疎化」をテーマにしたこの作品の出演者は、妻有地方で生き抜いてきた老人たちであると言う。つまり一般市民である。また、このアーティストはこれまでにも精神病患者や浮浪者を舞台に上げ、作品を作ってきたと言う。

その演出方法やキャスティングのなにもかもが、これまで私が見てきた(作ってきた)舞台とは違う。すごく興味をもった。いったい、老人たちにどのような演技をつけたのか。稽古はどのようにしたのか。
そういう風に、これまで私が経験した「演劇と言うもの」の定義の中での好奇心だったわけだ。

観劇を終えて。

まず、これだけは言いたい。
これは、「エンターテインメントとしての演劇」ではなかった。
しかし、「純粋なるドラマ性を帯びた演劇」である。
つまり、一番わかりやすい?言葉で言えば「ルポルタージュ演劇」であったと思う。

要するに、私が好奇心を抱いていたようないわゆる「演技」やいわゆる「稽古」といった言葉は必要がなかったのである。

老人たちは、リア王の登場人物を「演じて」はいない。ただ、自分自身として「できるだけ自然体に、そこにいる」。

ステージの上に置かれたダイニングテーブルと椅子。8人の老人たちは、各自が自宅から持ち寄った手料理を広げ、互いに酌しあいながら食事を摂る。
老人たちの食事が繰り広げられるなか、老人たちがこれまでの人生を振り返り、告白している様子を録音した音声が会場に流れる。
また、天井からつられた白色の衣装のような布には、老人たちの写る写真がスライド映写される。

時折、なんの前触れもなく、老人たちの告白に混じってリア王のせりふが老人たちによって挿入される以外に何の作為もそこには感じられない。

■2003/08/04 (月) 週末は。

8月になりました。

8月の1〜3日はわが故郷で「長岡まつり」が開かれる。この週末は自主研修で新潟大学に通っていたので、当初「今年はいけないかな」と思っていた。そしたら、その研修でたまたま前の勤務先での年の近い同僚わかさんと会った。

で、久しぶりに話をするうちに盛り上がってしまって、「よし、行くぞ長岡花火」という結果とあいなりました。

席の確保はいいルートがありました。「劇団わるだくみ」ルート。さすが長岡人の集団である。直前に押しかけてしまい申し訳なかったッす・・・。

というわけで、わかさんご夫婦と私、わるだくみーずの合計10名で打ち上げ場所から3〜400メートルのところで堪能しました。もう真上に花火〜!という感じ。
わかこだんなはその迫力のあまり「うおーっ」ってさけびまくってた。ああ、みんなで楽しんだ花火。よかったー。

で、長岡育ちとしては、この3日間が終わるとなんだか夏も終わったな、なんて気持ちが沸いてきます。

まだ始まったばかりなのにね。8月は。でも、そうこうしているうちにあっという間に過ぎていくのが夏だよね。


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