魔王じゃないもんっ!
「第9話 魔法じゃないもんっ!」


−9−

 圧迫感。
 シンデレラを演じているとき、蘭子は何かに押し潰されそうな気分だった。
 これは緊張感?
 すこし違う気がする。
 手も足も少しも震えていない。心臓の鼓動も早くなってない。
 何かに押し潰される……いや、何かに押し返されるような感覚だろうか。シンデレラになろうと思って前に進んでいるのに、全然前に進めない。壁のようなものに押し返されている気がする。
「おいおい、大丈夫か?」
 王子役の敬介に声をかけられてハッとする。
 ミスをしていた。
「ご、ごめん」
 通し練習が成功しない。
 本番まであと四日しかない現在、その事実が焦りと不安を生み出し、クラスの雰囲気はギスギスしたものになっていた。
「蘭子にシンデレラは無理なんじゃねーの」
「男女がお姫様役だもんな」
 その雰囲気が、クラスメイトの男子に心無い言葉を吐かせる。
「何てこと言いますのっ! 香月さんだって一生懸命やっているんですのよっ!」
「蘭子、気にすること無いからね」
 ほのかが男子生徒を注意し、真央が蘭子を気遣う。
「あ、う、うん……」
 蘭子は相変わらず曖昧な返事をするのみ。
(なんでだろう)
 ひどいことを言われたはずだ。
 言った相手は注意され、言われた相手は気遣われるぐらいの、ひどいことだったはずだ。
 けれど、なぜか蘭子は悲しさや悔しさを感じることがなかった。
 ただ、その通りだなと、すんなりと言葉を受け止めていたのだ。
「今更代役なんていねぇんだから、しっかりしてくれよ」
 ほのかに注意された反動か、蘭子に野次を飛ばした男子生徒が、そんな捨て台詞を残して教室を出て行く。
 蘭子は、さらに追い討ちをかけるように注意するほのかと、励ましの声をかける真央にも、特に何も感じることができずにいた。


 翌日の放課後。
 出門家に真央と蘭子、それに松葉杖をついたひとみが集まっていた。
 いまいち調子の出ない蘭子のため、夜の練習場所として出門家を提供したのだ。
 何度も練習を繰り返すうちに、演技はサマになっていく。サマになってはいるのだが、なぜか誰もが首をかしげる演技だった。
「うーん。イマイチだね」
 蘭子の演技を見ていた翔太が、真央にだけ聞こえるように言う。
「そんな、ひどいよお兄ちゃん」
「正直な感想だよ。悪いところがわからないと上達はない。真央の歌のときもそうだったろ?」
 翔太の説得力のある言葉に、何も言えなくなる。
「じゃあお兄ちゃん、どこが悪いと思う?」
「そうだなぁ。
 伝わるものがないって感じかな。
 抜け殻のような形だけの演技。気持ちが入ってないんだよ。
 こればかりは練習でどうなるもんじゃないかもしれないね。蘭子ちゃんの心の問題なんじゃない?」
 魔族の考え方が根強い翔太の言葉とは思えないほど、人間的な物言いに真央は低く唸った。
「気持ちの入ってない演技はすぐわかる。
 声優でも多いからね。そういうの」
 その後始まってしまった声優談義は適当に聞き流し、蘭子の演技をじっくりと鑑賞する。
 真央は洞察力が高い方だが、蘭子が内に秘めているものを感じることはできなかった。


 気持ちの問題なら、少しでも元気なってもらえるために何かしよう。
 出門家のダイニングテーブルに並べられた料理の数々は、そんな真央の気持ちのあらわれだった。
「真央ちゃん、相変わらず料理上手〜!」
「冷蔵庫と冷凍庫にあるものをかき集めて作ったから、統一性がないけど」
 ひとみの絶賛に真央は照れ笑い。
 和洋中入り乱れで、確かに統一性は無かったが、いろいろな食材がバランスよく使われているのは流石だ。
「うわー、すっげー美味しい!」
 蘭子にも好評のようで、真央はほっと胸をなでおろした。しかし、それもつかの間、蘭子の表情が暗くなっていく。
「あたし、真央みたいに料理なんて全然できないよ。
 不器用だしがさつだし」
 そして漏れる言葉は、ネガティブなものだった。
 真央は蘭子に対し、明るく細かいことを気にしない大らかな性格という印象を持っていた。
 ときどき落ち込むことはあるが、すぐに気持ちを切り替え、前向きに考え、行動ができるタイプだと思っていた。
 だからこそ、今の蘭子が余計に心配なのだ。
「だから、お姫様役がうまくできないんじゃないかな」
 ポツリと漏らすその言葉に、明るかった食卓が急に沈み込む。
 こんな時に翔太がいれば、場を和ませる気の利いたことを言ってくれるかもしれないのに、今日に限って仕事のようで、もう家を出てしまっている。色香も今日は仕事でいない。
 暗い雰囲気のまま食事が終わり。言葉の無いまま時間が過ぎる。
「ただいま」
 その沈黙を破ったのは、ドアを開く音と声だった。
 どんな状況であっても、その声を聞けば、真央の顔は明るくなる。
 家に入ってくる巨漢は、出門家の家主である真央の父親、アスラだった。
「おかえりなさい、パパ!」
 友達が目の前にいてもおかまいなしの甘えたモード。
 対して二人は顔を引きつらせていた。
 初対面というわけではなく、何度も顔を合わせたことはあるのだが、二人はどうもアスラが苦手だった。
「お友達が来てたのか。
 こんばんは、ひとみちゃん。蘭子ちゃん」
 苦手なのは無理も無い。
 アスラは友好的に微笑み、優しく声をかけているつもりだが、どんなに頑張ってもアスラは魔界の王。
 その低く響く声は、鼓膜だけでなく全身を震い上がらせ、その微笑みに心は凍りつく。
 視覚、聴覚だけでも恐ろしいのに、溢れる強大な魔力が、第六感まで刺激してくる。
 これだけ揃えば、恐れるなと言うほうが無茶である。
「こ、こんばんは」
 最初、失神したことを考えれば、挨拶を返せるようになったのは目覚しい進歩である。誉められこそすれ、責められる言われは無い。
 しかし、パパ大好きっ子である真央は、納得いかなかった。
「なんで二人ともパパのこと怖がるのよっ! すごく優しいパパなのにっ」
 頬を膨らませる真央。
 ひとみも蘭子も悪いことはわかっている。そして、アスラがとてもいい父親であることは、真央を見ればわかる。
 けれど、どうにもならないこともあるのだ。
「気にしないでいいんだよひとみちゃん。
 おじさんの姿と声が怖いのは本当だからね」
 そう言って笑うアスラだったが、真央は食い下がった。
「はじめてならともかく、もう何回も会ってるのに、ここまで怖がるなんてやっぱり失礼だよっ」
 それに対し、アスラはやれやれと言った様子で首を振った。
「真央、いい加減にしなさい」
 そして強めの口調で戒めた。
「あ、あ、こ、怖がって、ご、ごめんなさいおじさん!」
「真央は悪くないよ、あたしたちが悪いんだよ」
 それを見た二人は、必死に声を振り絞ってアスラに謝る。
「気にしなくてもいいから」
 アスラはそんな二人を見て、心が温かくなった。
 自分が人間から見て、どれほど恐ろしい存在かはわかっている。たとえ何度も会っていたしても、優しいと思ってくれているとしても、拭いきれない恐ろしさだと知っている。
 そんな自分に、真央が自分たちのせいで怒られたがため、勇気を振り絞って謝ってきたのが嬉しかった。
 真央はとてもいい友人を持っている。
「ひとみちゃん、蘭子ちゃん。
 私は気にしてないし、傷ついてもいないよ。ちゃんと二人の気持ちはわかってるから。
 だから二人とも、その気持ちを忘れないで。
 君達の年頃は傷つきやすいし、思い込みやすい。
 相手の中にある、自分が知らないものを知ろうともせず、怖がったりからかったりしちゃダメだよ。
 相手もそう思いこんじゃうかもしれないから。
 自分は怖いんだって、自分はダメなんだってさ」
 極力優しい声で諭すように言う。
 アスラがこんなことを言い出したのは、二人に対する戒めと言うよりも、真央を納得させるための意味が強かった。
 真央は、友人二人がアスラを怖がったことで、ひどく傷ついているのだ。真央だけに言い聞かせたのでは、いつまでも納得しきれない。だからアスラは、二人に説教じみたことを言ったのだった。
 小学生にとって、難しく、そして重いその言葉。
 ひとみならともかく、難しいことを考えるのが苦手な蘭子は、その意味がわからないまま頷いてしまってもおかしくない。
 けれど、その言葉は心にズッシリと響いていた。

 相手の中にある、自分が知らないものを知ろうともせず、思い込む。
「あの、自分の中にある自分が知らないものもあるんですかっ!?」
 思いがけない言葉が口から出てくる。
 それに対し、真央もひとみも、言った本人ですら驚いていたが、アスラは動じず頷いた。
「そうだよ。
 まだまだ自分の知らない自分があるはずだから、人の言葉で自分のことを決めつけたりしたらもったいない」
 心に差し込まれていく光。
 その言葉に、心の靄がゆっくりと晴れていく気がした。
 相変わらず恐ろしい声と姿だったけれど、蘭子は心の靄が晴れていくきっかけをくれたアスラに、感謝の気持ちと尊敬の念を抱かずにいられなかった。


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