魔王じゃないもんっ!
「第9話 魔法じゃないもんっ!」


−3−

 光野学校から徒歩10分。
 出門家ほどではないが、そこそこ学校から近い位置に香月蘭子の家はある。
「ただいまー」
 そう言いながら玄関の引き戸を開けるなり、パタパタと響くスリッパの音。
「なんだよ蘭ねぇ、今日は早いじゃねぇかっ!」
 そんな威勢のいい声とともに突進してくるのは3歳年下の裕(ひろし)。
「学芸会一週間前は、部活休みなんだよっと」
 蘭子は裕の突進を余裕で受け止め、軽く突き飛ばす。突き飛ばされた裕は転げるが、嫌な顔はせず、むしろ楽しそうに歯を見せている。
 その前歯は何本か抜けていた。
「おかえりなさい。お姉ちゃん」
 続いてやってくるのは5歳下の弟、優(すぐる)だ。活発な裕と違い、声が小さく、おとなしい。
「ただいま、優。
 いい子にしてたぁ?」
 蘭子は再び突進のしてくる裕を軽くあしらいつつ、優の頭を撫でてやった。
 優はえへへと控えめながらも嬉しそうに笑う。
 蘭子は三人姉弟の一番上だ。
「お姉ちゃん。優、お猿さんになった」
 控えめに、けれど少しだけ自慢げに優が言う。
 お猿さんになったとは、学芸会で演じる役が猿に決まったということだ。
 裕も優も同じ小学校に通っており、学芸会は全学年が参加するため、弟たちのクラスも蘭子と同じく配役を決める時期だ。 
「確か桃太郎だったよね。準主役だよ! やるじゃん優」
 蘭子がほめてやると、顔を赤くして嬉しそうにもじもじと下を向いた。
「俺だって猿だぞ!」
 裕はその様子に少し顔をしかめた後、ズイと優の前に出て言った。
 裕は姉にいろいろとちょっかいを出すが、それは少年特有の愛情表現である。優がほめられているのを見て、うらやましくなったのだ。
「あんたはサルカニ合戦だっけ? あはは、お似合いお似合い」
「なんだよーっ!」
 ほめてほしいところをからかわれてムキになる。
 もっとも、さっきの裕のような態度でも褒めてくれるのは、子供の気持ちをくみ取ることができる、よくできた人間のみ。残念ながら蘭子はまだその域に達していない。小学5年生であれば普通だが。
「蘭ねぇは何役になったんだよっ」
「え……あたし?」
 裕の質問に蘭子はすぐに答えることができなかった。話の流れから考えれば、これは不自然な質問でなく、そしてすぐに答えられないような難しい質問でもない。
 決まった事実を伝えるだけだ。
「あたしは……」
 クラスメイトに持て囃されて引き受けた。けれどずっと引っ掛かっていた。
 女の子が王子役をすることの違和感なんだろうか。そう思ったけれど、なんとなく違う。
「……王子役」
 ぼそりとつぶやいたとき、確かな喉のつっかかりを感じた。
「あははは!
 王子だってよー! 男女にぴったりだー」
 男女。
 よく言われることだ。
 自分自身、女らしさからは遠い存在に思える。だから、それほど気にも止めていなかった。
 でも、なんでだろう。
 妙にひっかかる。
「お姉ちゃんの王子様。
 すっごくカッコイイと思う」
 裕のようにからかいの感情のない、優の真っすぐな称賛。
「……うるさい」
 それすらもなんだかわずらわしく感じて。
「え?」
 驚く優の顔に申し訳なさを感じて。
「なんでもない」
 逃げるように自室へと駆け込んだ。


 制服から部屋着に着替えてベッドに横たわると、もやもやとした苛立ちが、胃を痛めつけてくる。
 よくわからない。
 あれこれ考えるのは好きじゃないし得意じゃない。外に飛び出して思い切り身体を動かしたらすっきりするだろうか。
 こんなんだから、王子役なんかになっちゃうんだろうか。
「別に嫌ってわけじゃないんだけどなぁ」
 男友達と遊ぶのは楽しい。
 女の子っぽくおとなしくするのは性に合わない。
 王子を演じるのもかまわない。
 じゃあなんなんだろう。
 よくわからないモヤモヤは大きくなるばかり。
「うーーーー」
 枕に顔を押し付けて、それから逃れようとするがうまくいかなかった。


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