魔王じゃないもんっ!
「第8話 太ってないもんっ!」


−4−

 一日の摂取カロリーより消費カロリーが多ければ、おのずと体重は減るものだ。
 しかし、食べ盛り育ち盛りの真央にとってはなかなか厳しい条件である。厳しくはあるが、真央にはそれに立ち向かえる武器がある。
 豊富な知識と調理能力の高さだ。
 カロリーの低い食材のチョイス、それを低カロリーのままおいしく仕上げる技量。
 カロリーコントロールがものを言うダイエットにおいて、その能力は極めて有効な武器である。真央は満腹感はそのままに、カロリーを半分以下に抑えるレシピを生み出すことに成功した。
 加えて週に一度だけだった、母から受け継いでいる「沢凪流合気」の鍛練を毎日に変更する。1時間にわたるトレーニングメニューは筋力アップによる代謝量のアップと、カロリー消費が望める。

 うん、完璧。

 夕食後、1時間で組み立てたとは思えないダイエットプランに、真央は満足気に頷いた。
 さぁ、朝食の仕込みに入ろうかというところで、玄関のドアが開いた。
 翔太も色香もシュヴァルツも家にいるため、呼び鈴無しで入ってくる人物は一人しかいない。
「ただいまぁ」
 聴いたものすべてを震え上がらせる重低音。
「おかえりなさいパパァ!」
 真央の父であり、魔界の王であるアスラの帰宅に、真央の顔に笑顔の花が咲き乱れた。
「おかえりなさいませ魔王様」
 翔太、色香、シュヴァルツも素早く部屋から出てきて、恭しくお出迎え。
 BBも遅れてふよふよとやってきて、「あぶぅあぶぅ」と必死に何かを訴えようとしていた。
「急にどうしたの?」
 すっかり甘えん坊モードに移行している真央は、アスラの腕にしがみついて言う。
「うん。思ったより早く仕事が片付いて、寄ってみたんだ」
「大歓迎だよっ!
 でももう少し早かったら一緒にご飯食べられたのに……」
 アスラの言葉に少しだけ頬を膨らませてみせる。
「ごめんごめん。
 土産を買ってきたから、な?」
「ほんとー? 何々?」
 お土産の言葉でさらに表情が明るくなる真央に、アスラの手のサイズと比べると小さすぎる袋を差し出した。
 真央はその袋に書かれた「影森ケイキ」の文字に顔を引きつらせる。
「真央の大好きなスペシャルモンブランだよ」

 スペシャルモンブラン!!

 真央はその名を聴き、一瞬思考が止まった。
 スペシャルモンブランは、影森ケイキのナンバーワン人気メニューである。
 店主が気の向いた時に作る商品であり、いつ店に並ぶかわからないレアなところも人気の秘訣だ。このケーキのために連日開店時からベッタリと張り付く客もいるという。
 そんな人気のスペシャルモンブラン、スペシャルという名は伊達じゃない。
 スペシャルモンブランは、栗ベース、カボチャベース、紫いもベース、ココアベースのクリームが四分割で使い分けられているのが一番の特徴だ。

 それぞれを個で味わうもよし。
 混ぜて味わうもよし。
 彩りも美しく目にも楽しい。

 真央のスウィーツランキングでは常にトップに位置している、そんなスペシャルモンブラン。
 見つければ即購入が大原則。
 アスラはそれを守って買ってきてくれたのだろう。

 しかし!
 しかしだ!

 真央は今まさにダイエット計画を練り終え、さぁ頑張るぞと気合を入れたところだった。
 ここで大好物でレアモノのスペシャルモンブランのお土産は、最悪のタイミングとしか言いようがない。
「うっ、ううっ……」
 さまざまな想いが脳で暴れまわり、真央が苦悶の声をあげる。
「どうしたんだ真央?
 これ、大好物だろう」
 アスラは心配そうに顔をのぞき込みながら、スペシャルモンブランを真央に近づけた。
 美味しそうな甘い香りが鼻孔をくすぐった瞬間、真央の感情は弾けた。
「うぁぁぁあああん!」
 とうとう泣いてしまう真央に、事情がわからないアスラはあわてふためくばかり。
「ま、真央。
 スペシャルモンブランを嫌いになっちゃったのか?」
 アスラは真央を気遣ったのだが、その言葉は真央の感情を逆なでするものでしかない。
「パパきらいいいぃぃぃ!!」
 わんわんと泣き続ける愛娘から漏れたその言葉。
「き、きらい!?」
 それはアスラにとっては初めて耳にするものだった。

 パパきらい。

 鼓膜からゆっくりと脳へと伝達していく。

 パパきらい。

 圧倒的な力で魔界を統べる魔界の王であるアスラ。ナンバー2である翔太の数倍の力を持つという、絶対的な力の持ち主。
 力だけでなく知略にも長け、人望も厚く、精神力も桁外れ。
 その実力は歴代魔王ナンバーワンと言われる。
 そんな彼を倒すことは不可能だというのが、魔界に住むものの共通の認識だ。

 それが今崩れる。

 ……ズゥン。

 その重い地響きは、魔界の王が膝をついたことによるものだった。
 魔王の座についてからというもの、アスラが膝をつくことなど無かった。
 飛天族が団結し、クーデターを起こしたときのこと。
 単独でも強大な力を持つ飛天族が、百以上の数で襲いかかったあの時でさえ、膝をつくことは無かった。
 魔王は膝をつくことなどない。
 神話とも呼べるその伝説が崩れた瞬間だった。

 その衝撃は、ここにいる魔族全員の顔色を失わせるもの。
 だが、これで終わらない。

 ドォン……。

 さらに続く地響きは、先程より一回り大きい。
 それは、魔界の王が倒れる音だった。
「ま、魔王様が……」
 魔界に住む住人にとってそれは衝撃映像。
 膝をつくだけでも歴史的な出来事とされる魔王が倒れるなど、にわかには信じがたいことだった。
 アスラは最強にして最良の魔王。
 あるものは畏怖し、あるものは敬愛して止まないそんな存在。
 力がすべての魔界に君臨する魔王が倒れる姿は、魔族にとって、絶対的価値観の崩壊と言って過言でない。

 泣き止まない真央。
 倒れて動かない魔王。
 言葉を失う魔族たち。

 この異様な状況は、それから数十分続いたらしい。


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