魔王じゃないもんっ!
「第8話 太ってないもんっ!」
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一日の摂取カロリーより消費カロリーが多ければ、おのずと体重は減るものだ。 しかし、食べ盛り育ち盛りの真央にとってはなかなか厳しい条件である。厳しくはあるが、真央にはそれに立ち向かえる武器がある。 豊富な知識と調理能力の高さだ。 カロリーの低い食材のチョイス、それを低カロリーのままおいしく仕上げる技量。 カロリーコントロールがものを言うダイエットにおいて、その能力は極めて有効な武器である。真央は満腹感はそのままに、カロリーを半分以下に抑えるレシピを生み出すことに成功した。 加えて週に一度だけだった、母から受け継いでいる「沢凪流合気」の鍛練を毎日に変更する。1時間にわたるトレーニングメニューは筋力アップによる代謝量のアップと、カロリー消費が望める。 うん、完璧。 夕食後、1時間で組み立てたとは思えないダイエットプランに、真央は満足気に頷いた。 さぁ、朝食の仕込みに入ろうかというところで、玄関のドアが開いた。 翔太も色香もシュヴァルツも家にいるため、呼び鈴無しで入ってくる人物は一人しかいない。 「ただいまぁ」 聴いたものすべてを震え上がらせる重低音。 「おかえりなさいパパァ!」 真央の父であり、魔界の王であるアスラの帰宅に、真央の顔に笑顔の花が咲き乱れた。 「おかえりなさいませ魔王様」 翔太、色香、シュヴァルツも素早く部屋から出てきて、恭しくお出迎え。 BBも遅れてふよふよとやってきて、「あぶぅあぶぅ」と必死に何かを訴えようとしていた。 「急にどうしたの?」 すっかり甘えん坊モードに移行している真央は、アスラの腕にしがみついて言う。 「うん。思ったより早く仕事が片付いて、寄ってみたんだ」 「大歓迎だよっ! でももう少し早かったら一緒にご飯食べられたのに……」 アスラの言葉に少しだけ頬を膨らませてみせる。 「ごめんごめん。 土産を買ってきたから、な?」 「ほんとー? 何々?」 お土産の言葉でさらに表情が明るくなる真央に、アスラの手のサイズと比べると小さすぎる袋を差し出した。 真央はその袋に書かれた「影森ケイキ」の文字に顔を引きつらせる。 「真央の大好きなスペシャルモンブランだよ」 スペシャルモンブラン!! 真央はその名を聴き、一瞬思考が止まった。 スペシャルモンブランは、影森ケイキのナンバーワン人気メニューである。 店主が気の向いた時に作る商品であり、いつ店に並ぶかわからないレアなところも人気の秘訣だ。このケーキのために連日開店時からベッタリと張り付く客もいるという。 そんな人気のスペシャルモンブラン、スペシャルという名は伊達じゃない。 スペシャルモンブランは、栗ベース、カボチャベース、紫いもベース、ココアベースのクリームが四分割で使い分けられているのが一番の特徴だ。 それぞれを個で味わうもよし。 混ぜて味わうもよし。 彩りも美しく目にも楽しい。 真央のスウィーツランキングでは常にトップに位置している、そんなスペシャルモンブラン。 見つければ即購入が大原則。 アスラはそれを守って買ってきてくれたのだろう。 しかし! しかしだ! 真央は今まさにダイエット計画を練り終え、さぁ頑張るぞと気合を入れたところだった。 ここで大好物でレアモノのスペシャルモンブランのお土産は、最悪のタイミングとしか言いようがない。 「うっ、ううっ……」 さまざまな想いが脳で暴れまわり、真央が苦悶の声をあげる。 「どうしたんだ真央? これ、大好物だろう」 アスラは心配そうに顔をのぞき込みながら、スペシャルモンブランを真央に近づけた。 美味しそうな甘い香りが鼻孔をくすぐった瞬間、真央の感情は弾けた。 「うぁぁぁあああん!」 とうとう泣いてしまう真央に、事情がわからないアスラはあわてふためくばかり。 「ま、真央。 スペシャルモンブランを嫌いになっちゃったのか?」 アスラは真央を気遣ったのだが、その言葉は真央の感情を逆なでするものでしかない。 「パパきらいいいぃぃぃ!!」 わんわんと泣き続ける愛娘から漏れたその言葉。 「き、きらい!?」 それはアスラにとっては初めて耳にするものだった。 パパきらい。 鼓膜からゆっくりと脳へと伝達していく。 パパきらい。 圧倒的な力で魔界を統べる魔界の王であるアスラ。ナンバー2である翔太の数倍の力を持つという、絶対的な力の持ち主。 力だけでなく知略にも長け、人望も厚く、精神力も桁外れ。 その実力は歴代魔王ナンバーワンと言われる。 そんな彼を倒すことは不可能だというのが、魔界に住むものの共通の認識だ。 それが今崩れる。 ……ズゥン。 その重い地響きは、魔界の王が膝をついたことによるものだった。 魔王の座についてからというもの、アスラが膝をつくことなど無かった。 飛天族が団結し、クーデターを起こしたときのこと。 単独でも強大な力を持つ飛天族が、百以上の数で襲いかかったあの時でさえ、膝をつくことは無かった。 魔王は膝をつくことなどない。 神話とも呼べるその伝説が崩れた瞬間だった。 その衝撃は、ここにいる魔族全員の顔色を失わせるもの。 だが、これで終わらない。 ドォン……。 さらに続く地響きは、先程より一回り大きい。 それは、魔界の王が倒れる音だった。 「ま、魔王様が……」 魔界に住む住人にとってそれは衝撃映像。 膝をつくだけでも歴史的な出来事とされる魔王が倒れるなど、にわかには信じがたいことだった。 アスラは最強にして最良の魔王。 あるものは畏怖し、あるものは敬愛して止まないそんな存在。 力がすべての魔界に君臨する魔王が倒れる姿は、魔族にとって、絶対的価値観の崩壊と言って過言でない。 泣き止まない真央。 倒れて動かない魔王。 言葉を失う魔族たち。 この異様な状況は、それから数十分続いたらしい。 |
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