魔王じゃないもんっ!
「第7話 姐御じゃないもんっ!」


−8−

 色香はことの成り行きをボーっと見ていた。
 普通の人間であれば、トラウマになってもおかしくない凄惨な事態だが、彼女は魔族である。
 勇司が人間界でどれほどの実力者で、格闘に長けていたとしても、色香からみれば稚戯に等しい。
 当然恐怖など覚えることも無く、ただ漠然とどうしたらいいんだろうと考えていた。
「遊び相手がいなくなっちまったなぁ。
 今度は姉ちゃんが遊んでくれよ」
 ニタニタと笑いながら、近づいてくる勇司。
「なんだ? 固まっちまったのか? でもその胸は柔らかいんだろう?」
 そして、わきわきと手を動かしながら、無反応の色香に迫っていく。行列を作っていた客は誰もが竦みあがり、誰一人として止めるものがいなかった。
 ケンカの強そうな二人が一撃で沈められた。そんなものを目の当たりにすれば致しかたないのかもしれない。
「や、やめろよっ!」
 そんな中、颯爽とは言えないが、たどたどしく立ち塞がる存在があった。
 誰もが目を疑う。その小さな身体のどこにそんな勇気があるのかと。

 勇気ではない。
 彼の胸にあるのは勇気ではなく愛だ。
 色香の胸への愛情だ。
 それが巨乳馬鹿一代と呼ばれる男に、巨悪に立ち向かう力を与えたのだ。
「生意気なこと言ってんじゃねぇぞガキがっ!」
 だが、勇気だけではどうにもならない。
 絶対的な力の差は埋まらない。
 勇司は子供に容赦をするような男ではなかった。振り上げた拳は躊躇いなく安吉に向かっていく。
 安吉は迫りくる暴力に目を堅く閉じることしかできなかった。
 大の大人を一撃で沈める男の攻撃力は、父親のゲンコツの何倍の威力なのか。想像を絶する激痛を覚悟した安吉に未知の感触が訪れる。

 ぽよっ。

 頭に包み込む柔らかい感触。
 何が起こったのかわからなかった。
 激痛とはかけ離れたこの感触の正体は?

 その感触の正体を知ったとき、安吉は脳はショートしてしまった。感情のリミッターを振り切ったのだ。
 その感情の正体は喜び。
 自分を包み込んだのは、色香の胸だった。
 色香がとっさに安吉を抱き寄せ、勇司の拳から守ったのだ。
「子供に手をあげるには悪いこと」
 そしてぼそぼそとそんなことを言う。勇司はあっけにとられポカンとしていた。
 行列客たちも同様だ。
 色香はそんな回りの様子に気が付き、顔を赤くして下を向く。
 翔太が真央の友人を痛め付けて、真央にひどく怒られたことを思い出し、とっさに安吉を守ったのだが間違っていたのか。
 色香に力による脅迫は一切動じないが、羞恥心は人一倍ある。
「ガッハッハッハッハッ。
 イイ度胸してるじゃねぇか。
 気に入ったぜ、俺と付き合えよ」
 恐怖よりも羞恥が勝っている色香の姿に勇司は馬鹿笑いし、荒々しく色香の肩を抱こうとする。
 しかし、色香は拒むようにすっと体を動かした。
「つれなくするなよ。かわいがってやるから」
 それに対して怒る様子もなく、ニヤニヤと笑いながらさらに距離を詰めようとする勇司。
 色香はショートしてしまった安吉を占い用の椅子に座らせ、勇司と向かいあった。
「あなたは魅力がない。
 虜(とりこ)にする価値がない」
 そして、いつものごとくぼそぼそと、そんな辛辣なことを言い放った。
「ん、だとぉ?」
 これに対しては勇司も穏やかではいられない。魅力が無いという言葉に加えて、虜という明らかに見下した表現を用いつつ、それすらも否定してみせたのだから。
「い、色香さん。やめておけ……」
 勇司の一撃の後遺症で、いまだ動けないままでいるマサが必死で訴えるが、か細い声しか出せず、色香の耳には届かない。
「彼女は素人だ……勘弁してやってくれ」
 脳の揺れが収まらないトシも、色香をかばうように声を出した。
「どうやら奇麗な顔、グチャグチャにされてぇみたいだな!」
 しかし、勇司は聞き入れる様子は無く、ゴキゴキと指を鳴らして剣呑な目で色香を睨みつけた。
 色香はそんな勇司に怯む様子も無く、再びボソボソと口を開く。
「弱いものいじめも悪いことだから、したくないの。
 おとなしく帰って」
 それは、暴力を自己主張の手段として生きている勇司を、完全にキレさせる言葉だった。

「なめたことほざくなっ!」

 感情に任せて拳を振る勇司。
 その鋭さはプロボクサー並だ。
 そんなパンチを素手で、しかも顔面を狙って女性に放つ。下手をすれば絶命も考えられるだろう。
 そんな光景を前にしていた行列客は、訪れるであろう惨劇に思わず目を逸らした。
 そして刹那の時を経て、再び視線を戻すと、想像とは違う光景が視界に入ってくる。
 驚いた顔の勇司と、様子の変わらない色香。
 勇司の拳は空を打ったのみ。
 色香は肩を抱き寄せようと延ばした腕を避けるのと同じ要領で、すっと身体を動かすだけで勇司の攻撃を回避したのだった。

(どうしよう……)

 色香は困っていた。

(殺しちゃダメだよね)

 人間界ではいかなる理由があっても人殺しは罪となるらしい。

(動けなくなるぐらい痛めつけるならいいかな)

 動けずにいるマサとトシを見て思いつく。

(どのくらいの力なら殺さず動けなくできるんだろう?)

 色香がそんなことを考えているとも知れず、拳を躱された勇司は驚きによる硬直から復帰し、再び色香に対して暴行を始めようとしていた。


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