魔王じゃないもんっ!
「第5話 不幸じゃないもんっ!」


−7−

 シュヴァルツの涙(というかアンコ)が枯れ果てようと言うとき、真央は違和感を覚えた。
 それはなんとなく感じたことのあるものだったが思い出せない。
「真央、ちょっと下がってな」
 そんな感覚に唸っている真央に、翔太がそう促す。真央がそれに従い一歩下がった時、違和感の正体が具現化する。
 精神を揺さぶる強烈な威圧感。その正体が「力」であることは直感的に理解できた。

 バリッバリリッ!

 続く轟音。
 その次に来るのは視覚的な変化。
 それは、不思議な光景だった。

 裂けていく。
 物理的なものでなく空間そのものが裂けていく。

 そこで真央は、さきほど感じたものが「空間の歪み」であることを思い出す。色香が兄の言葉に傷つき、別空間に引きこもった時と同じ違和感だった。
 しかし今回のは、もっと乱暴なものだった。力でムリヤリ引き裂いている。
 それを裏付けるように裂け目から手がのぞき、力んだその手が裂け目を広げていく。
 やがてバックリと開いた裂け目から大きな影が姿を表した。
「パパッ!」
 その姿に顔をほころばせる真央と桜花。他の面々はそれぞれ敬意を払う仕草をとった。
 アスラがこちら側に移動すると、役目を終えた裂け目がゆっくりと閉じて行く。
「驚かせてしまったかな?
 いつもは人目のつかない場所の空間を裂いてこちらに来るんだが、時間が惜しくてな」
 照れたような仕草をしてから現状を把握しようとリビングを見回す。
「天駆は?」
「部屋におります」
 アスラが問いかけると、シュヴァルツが即座に答えた。
「間に合ったか……」
 その答えに、アスラはほっと息をついてから、桜花の前に立った。
「桜花。
 顔色が悪いぞ」
 アスラの指摘に、真央は桜花の顔色を伺う。明るいその表情で気が付かなかったが、確かにいつもより顔色が白く、うっすらと汗を浮かべていた。
「大丈夫よ。アスラさん」
「ダメだ。
 近くにいるだけでその消耗。触れるなんて自殺行為だ」
 笑顔で答える桜花の言葉を遮るように、アスラは強い口調で言った。外見が外見だけに、その迫力は大の男を失神させてもおかしくないものだ。しかし桜花は、真正面からそれを受け止めてなお、笑顔を浮かべていた。
「……どういうこと?」
 そのやりとりの意味がわからない真央は不安そうな声を出す。アスラはその様子に一瞬だけ困ったような顔をしてから、真顔で話しを始めた。
「……魔族の赤ん坊は、母体と魔力的なパスをつないでいて、常時魔力を吸収する特性を持っている。
 しかしその量は微弱で、普通の魔族ならまったく影響が無いといっていい。
 しかし、桜花は人間だ。魔力が無い訳じゃあないが、魔族に比べれば微々たる量しか備えていない」
 いつになく真面目な声と、難しい言葉のせいですぐには理解できなかった。
「遠く離れていればその影響はなくなる。逆に近づけば近づくほど吸収される魔力は増幅するんだ」
 しかし、それがとても辛く悲しいことであることは、アスラの表情から読み取れた。
 真央の胸に大きな不安が広がっていく。
「魔力は生命力と同質のもの。
 枯渇すれば命も危ない」
 そして、漠然とした不安を決定づける言葉が告げられた。
「……そんな」
 真央の顔色が真っ青になる。
「桜花。もういいだろう?
 あと3年もすれば、魔力を吸収されることもなくなる。
 だから……」

 桜花の肩に手を置き、優しく声をかけるアスラ。

 ドンッドンッ!

 そんな中、不意に鳴り始める音。
 不定期に、しかし止まることなく鳴り響き、天駆がいる部屋のドアがそのたびに軋む。

「アスラさん。
 天駆も私に会いたがってるみたい。それに閉じ込めるなんてかわいそう」
 桜花はあくまで天駆と会うことを諦めないようだった。
 天駆のいる部屋は外側からカギがかかっており、魔力を封じられた天駆にはどうにもできない。天駆が桜花のもとに行くには、誰かがドアを開けてやる必要があった。
「ダメッ! ダメだよママっ!」
 アスラだけでなく、真央も立ち塞がるように桜花の前に立っていた。
「ねぇ真央。
 真央もお母さんと会えないのは寂しいでしょ? だからね、きっと天駆も寂しいと思うわ」
 小さな身体を目一杯広げて訴える娘の姿を前にしても、桜花の意志は揺るがない。
「でもっ!」

 ガチャ。

 必死に桜花を説得しようとしている真央とアスラをよそに、天駆のいる部屋のドアが開く音がした。
 まさかと思って振り向くと、開かれたドアの前には、翔太と色香が立っていた。



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