魔王じゃないもんっ!
「第5話 不幸じゃないもんっ!」


−2−

 某大病院の一室。
 そこは普通の病室のように見えるが、特別な病室だった。
 ここは厳重なセキュリティにより、一般人が入れない。その病室のベッドに、真央の母親である桜花の姿があった。
 ベッドにいると言っても寝ているわけではなく、腰掛けているだけだ。
「調子いいみたいだな」
 その傍らにある特注の巨大な椅子に腰掛けているのは、桜花の夫であるアスラ。巨大な椅子を軋ませながら野太い声をかける姿はやはり怖いが、桜花の表情に恐れは一切ない。
「ええ、もう病人扱いしてほしくないぐらい」
 桜花はアスラの言葉に、穏やかな笑顔と柔らかい声で応えて見せた。その様子にアスラの表情も柔らかくなる。
「だから……私、家に戻りたい」
 しかし、続く桜花の言葉にアスラの顔は再び堅くなった。
「…………」
 言葉を失い、桜花から目を逸らす。しかし、自分の妻がどういう人間かよく知っているため、すぐに視線を戻した。
 その瞳は真っすぐに自分を見つめている。
 人間でありながら、魔王である自分を相手にも一歩もひかないその瞳は、強く美しい。
「……ドクターから話は聞いているだろう?」
 はぐらかすことができないことを悟ったアスラは、小さくため息をついてから、重々しく口を開いた。
「ええ、でも確証はないですよね?」
 桜花は柔らかな笑顔を崩さないまま。
「もし、少しでも辛くなったら言うんだぞ?」
「真央と天駆に会うこともままならない今の方がよほど辛いですから」
 一貫した姿勢は気持ちいいものだ。しかし、忠告に対してもう少し迷いを見せてもいいんじゃないかとアスラは思う。
「ひとつだけ約束してくれ。
 無茶はしないと」
 だからいつもアスラが妥協するしかない。
「ごめんなさい。
 守れそうにない約束はしたくないの」
 しかし桜花は、その妥協すら受け付けてくれないのだ。そんな自分の妻に、今度は遠慮なしの大きなため息。
「天駆に顔を忘れられたくないんです。わがままでごめんなさい」
 ため息にもめげずに続ける桜花の言葉に、今度はやれやれと首をすくめる。
 桜花はそんなアスラの顔をのぞき込むようにしてニッコリと笑い、囁くように言った。
「でも、あなたが私を大切に想ってくれていることはよくわかっていますから」
 まったく桜花にはかなわない。
 アスラの心配をふんわりと包み込み、なお自分の意志を貫くのが彼女だ。そんな彼女に惹かれて妻としたのだから、もう諦めるしかないだろう。
「今週末、家に戻ろう」
「ハイ」
 家に戻ることで自分が危険になる可能性があることを知っていても、即答してみせる自分の妻に、アスラは苦笑を浮かべるしかなかった。

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