魔王じゃないもんっ!
「第3話 巨乳じゃないもんっ!」

−6−

 その日の目覚めは明らかにいつもと違っていた。なんだか圧迫されているような感じがし、息苦しい。
 まだ目覚ましは鳴っていないが、なんだか寝ていられないほどの違和感がある。
 カーテンの隙間から日が差していることから、そこまで早くない時間だと推測した真央は、とりあえず時計を見るために上半身を起こした。
「……………………」
 ずっしり。
 いつもよりも明らかに重い身体。
 いや、感覚とかそういう次元でなく、視覚でわかる違いが生じている。
 明らかに胸が大きくなっていた。
「……えーと」
 冷静に。冷静に。
 悲鳴をあげるのは簡単だが、今悲鳴をあげれば、兄がなりふり構わず部屋に入ってくる可能性がある。とりあえず身の危険は無いのだから、まずは落ち着いて状況判断をしよう。
 魔族と過ごした生活は、真央に「異常」に対する慣れを植え付けていた。
 しかし、落ち着いて状況判断と言っても、とりあえず胸が大きくなってしまったこと以外に変化は無いようだ。
 それにしても。

 ズドォォォン。

 そんな擬音がしっくり来るほどの存在感。
 小ぶりなメロンほどの大きさがある二つの塊は、幼い自分の身体には不釣合いにもほどがある。
「いやいやいや、そういうことじゃなくて」
 何時の間にか「胸」に対する考察を始めてしまっていた思考をもとに戻すため、独り言と共に首をぶんぶんと振る。
 その動きに連動して胸がユサユサと揺れた。
「すご……。じゃ、じゃなくて」
 軽いパニックを起こしているのだろう。数分間の思案の後にしか、「これは夢かもしれない」と言う結論には至れなかったのだから。
 夢であるのなら問題無い。しかし、現在自分が置かれている状況を考えると、夢である可能性の方が遥かに低かった。
「あいたっ」
 わずかな希望を持って、頬をつねってみたがやはり痛かった。
 いよいよ自分の身に起こったことについて真剣に考えなければならない。真っ先に思いつくのは、兄の翔太の魔法による悪戯だが、魔王の指輪(杖)を身に着けている今、そういった脅威からは解放されているはずである。
 魔法で無いとしたら。
 ……いや、ここまで考えずとも答えは出た。昨晩のことを思い出せば、それが原因だと考えるのが普通である。
 真央はパンパンに膨らんだ服では恥ずかしいので、大きめの上着を羽織って色香の部屋へと向かった。

 コンコン。

 ノックから数秒もしないうちに部屋から出てくる色香。しかし、その姿は、いつもと明らかに違う。

 ペタン、キュッ、ボォン。

 そんなフレーズが思い浮かぶ体系。
 あれほど立派な膨らみを誇っていた胸が無くなっている。
「お、おね……おね……」
 衝撃の姿に、ぱくぱくと口を開ける真央。
「あはっ、成功」
 対して色香はニッコリと笑う。もう間違いない。元凶が色香であることが判明した。
 真央は大きく深呼吸をし、気分を少しでも落ち着けようと試みる。
「えと……と、とりあえずどういうことか説明して?」
 若干落ち着きを取り戻した真央は、色香に聴いた。
「え? 私の胸と真央ちゃんの胸を交換したんだよ?」
 姉の胸を目の当たりにして浮かんだ推測どおりの答えに、真央はがっくりと項垂れた。
「どうしたの真央ちゃん。
 真央ちゃん昨日言ってたよね?
 私みたいな胸が欲しいって」
 確かに言った。
「私はお兄様に愛される真央ちゃんの胸が欲しかったの」
 確かに言っていた。
「だからね、頑張って胸を交換する秘薬を作ったんだよ?」
 なんてこったい。
 色香からして見れば100%善意の行動に違い無い。
「あ、あのねぇ、お姉ちゃん……」
 どう説明したものやら。
 いや、とりあえず胸を元に戻すことが先だろう。
「おおっ!?」
 さっそく姉に元に戻して欲しいと言う前に、この事態の発端とも言える翔太が高速で近づいてくる。
 しまった、部屋の前で立ち話などせず、部屋に入って話をすれば良かったと思ったがもう遅い。
「なんだなんだ、なにがあったんだ!」
 翔太は妙に嬉しそうだ。
「お、お兄様。おはようございます」
 翔太の登場で、姉は顔を赤らめながらも、ここぞとばかりに薄くなった胸を主張しようと、胸を張るようなポーズをとった。

 ババッ!

 それは一瞬の出来事。
 兄の姿が消えたかと思えば、いつの間にか真央が羽織っていた上着なくなり、胸元がパンパンにふくらんだパジャマ姿になってしまっていた。
「おおぉおぅ! 幼い顔、幼い身体にアンバランスな巨乳! こいつは芸術だっ!」
 ビシッと真央の胸を指差して目を輝かせる翔太。なぜかよくわからないポーズをとっている。
「ちょ、ちょっとお兄ちゃん!」
 いつもならデビルスウィングが発動しているところだが、恥ずかしさのあまり胸を隠す方が優先された。
「お、お兄様。わ、私、私は……」
 ちっとも自分に興味を示さない翔太に痺れを切らせたのか、色香が珍しく自己主張をする。しかし、翔太はチラリと一瞥するだけで何も言わない。
「お兄様、小さな胸がお好きなんでしょう?」
 苦労して手に入れた真央の胸。さすがの色香もあきらめきれずに食い下がる。しかし、翔太の感想は非情だった。
「……いや、アンバランスでキモイぞ。大きいほうが絶対イイ」
 それは正しい評価かもしれない。女性らしい成長が各所に見られるのにもかかわらず、それに伴わない幼い胸はアンバランスだ。
 真央の場合もアンバランスなのだが、それはそれ。魅力の象徴とされることが多い胸だけが強調されて成長という演出は、翔太のようないわゆる「オタク」心を刺激する。
「……キ、キモイ」
 兄を心から愛する色香にとって、その言葉はどんな鋭い刃よりも鋭利であった。
 色香は自室に逃げ込むように入ると共に乱暴にドアを閉める。
「お、お姉ちゃん! ……って、な、なに?」
 真央が後を追おうとするが、部屋の異変に気がついて動きが止まってしまう。
 部屋全体が歪んでいたのだ。
「ななななな……」
 状況がわからないまま、歪みは大きくなり、やがて部屋全体が消えた。
「どどどどどどうなってんのっ!?」
 あまりの出来事に胸元を隠すのも忘れ、近くにいた兄に問いかける。
 色香の部屋は完全に消えてしまい、ぽっかりと大きな空洞ができてしまっていた。
「久しぶりだなぁ。色香の引きこもり魔法」
「引きこも……」
 起きた現象とマッチしない言葉に、真央はあんぐりと口をあける。
「ほら、色香ってあんな性格だからすぐに塞ぎこむんだよな。そのときによく使うんだ。
 自分の周りの空間を切り取って別次元に移動する。かなり高等な魔法なんだぞ」
「いや、冷静に解説してないで、後を追って謝って!」
 もとはと言えば、翔太が色香に「キモイ」なんてヒドイことを言ったのが原因なのだから、真央の倫理から言えばそうするのが当然だ。
「いやぁ〜、いくらお兄ちゃんでも移動先まではわからないから後を追うのは無理だよ。
 落ち着いたら戻ってくるさ。
 それに僕は思ったことを言っただけ。真央も色香は胸が大きいほうが似合ってると思うだろ?」
「た、確かにそうだけど……」
 随分とこちらに順応したと言っても、こういうところはちっとも変わらない。それに「胸が大きい方が似合ってる」というのは同意見だ。
 しかし。
「それでもレディに、キモイなんて言ったらダメなのっ!
 デビルスィーングッ!」 
 
 スパコーンッ!

 翔太は乙女の怒りを込めた渾身の力により、いつもより勢い良く飛んでいった。

 ぶるんっ!

 それにあわせて大きくなってしまった胸が揺れる。
「……………………」
 それによって現状を思い出し、冷や汗が流れ出てきた。
「こ、これ、どうしよう」
 姉は引きこもり。
 兄はかっ飛ばしてしまった。
 力の加減により、兄が戻ってくるまでの時間は比例しているので、今回はなかなか戻ってこない可能性がある。
「……………………」
 この状況で頼りになるのは魔族。
 悔しいが、現時点では兄に相談するしか道は無かった。


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