魔王じゃないもんっ!
「第2話 魔界じゃないもんっ!」


−5−

「え〜と……なんだっけな……」
 真央を見送ったあと、出門家のドアを開けて中に入った翔太は、すぐにう〜んと唸リ出す。
「あ、そうそう。『ただいま』だ」
 そして手を打ち、言い慣れない言葉を口にした。
「お兄様……えっと、『おかえりなさい』」
 自室にいた色香だが、ドアの開く音に気がつき、急いで玄関までやってきて、たどたどしい口調で言った。
 魔界には「ただいま」と「おかえりなさい」という言葉がない。それどころか、ほぼすべての挨拶と言う言葉がないのだ。
 魔族の時間は永く、不規則であり、節目という感覚がない。唯一「ごきげんよう」という言葉があるぐらいだ。
「不思議な感じだな」
 真央という人間界の人間相手に使うのならば、それほど違和感は無かった。感覚的には、相手の文化に合わせているといった感じだ。
 しかし、魔族しかいないこの空間で、人間界特有の言葉を使うのは不思議な気がする。
「そうですわね。お兄様」
 魔王から、普段から魔界の言葉を使わず、日本語を話すようにと言われており、二人はそれを守っている。
 翔太はそう言った言いつけを素直に守るタイプではないのだが、早く人間界に慣れることができるのではないかという自分の考えを元に賛同した。
「ところでお兄様。真央ちゃんはお兄様に敬語を使わなかったり、あまつさえ魔王の杖で殴ったり……妹としての立場を……」
「いいじゃないか」
 ボソボソと言いながらも、小さな怒りの感情を孕んだ妹の言葉を止める。
 ……魔界は退屈だった。
 力が全ての魔界では、自分より上の力を持つ存在と言えば、父親である魔王だけだった。皆、自分に謙り、畏怖する。自分の思い通りにならないことなどほとんど無かった。
 自分に対して意見するものや、自分に攻撃を加えるような存在もいない。
「家族ってそういうものらしいぞ。ホラ、色香もこれを読んで勉強しろ」
 どこからともなく現れる数百冊の本。
 そのすべてがファミリードラマを描いた漫画本だった。
「お、お兄様は本当に漫画、ゲームが好きなのですね」
 色香はその量に少し顔を引きつらせる。
 翔太は度々日本に来ることがあり、そこで日本のサブカルチャーであるアニメやゲームに魅せられた。実在しない空想の産物に感情を奪われるその姿を最初は滑稽に思ったが、いつの間にかどっぷりとはまりこんでしまった。
 自分以外の誰かになり、擬似的に様々な経験をする。
 魔王の息子であり、強大な力を有するが故、他の存在との関わりに刺激が無かった翔太にとって、これらは魅力的なものだったのだ。
 そして、真央の存在。
 自分よりも明らかに弱い存在であるが、「人間界での兄」として自分を捕らえてくれる。そこに畏怖の念は無い。
 妹である色香でさえ、自分を特別な存在だと見ているのだから、父親以外で、初めて手に入れた自分を遠巻きに見ない存在と言える。
 そしてキャワイイ。
「色香っ! 真央の学校が終わる時間は!?」
 翔太は真央の愛らしい顔を思い出し、突然大声で叫んだ。
「え、えと……、時間割には3時15分までとあります」
 兄の指示に従い、漫画を読み始めていた色香だったが、兄の問いにすばやく反応して答える。
「あと7時間ぐらいか……」
 さすがに学校に押しかけるのは、破天荒な翔太でもやるつもりは無い。永い時を生きてきた翔太にとってそのぐらいの時間はなんでもないものだ。
「学校が終わったら迎えに行こう。夕飯の買い物をすると言っていたから荷物持ちをしよう」
 それに楽しみだと思えることが待っていれば、待つのはまったく苦にならなかった。




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