魔王じゃないもんっ!
「第2話 魔界じゃないもんっ!」


−2−

 父、兄、姉、そして自分。4人で囲む食卓。
 それだけなら普通に見えるが、それで済まないものが頭上に存在している。
「あぶぅあぶぅ」
 哺乳瓶でミルクを飲む幼い弟。
 ぷかぷかと浮きながら食事をするさまはとても気持ちが良さそうだ。
「寝てるとき含めてほとんど浮いてるよね……」
 真央は弟が作る影のせいで、どうも落ちつかない。
「BBは力が有り余ってるみたいだからなー。きっと重力に逆らってるぐらいで丁度いいんだろう」
 珍しくまともなことを口にする兄。
 まともなことを言ってはいるが、朝食をがっつくように貪りながらなのであまり説得力は無い。
「ところで、お兄ちゃんとお姉ちゃんはこの子のことを『BB』って呼ぶよね? まだ名前決まってないのに……」
 弟は生まれてまだ2日目で、名前は決まっていない。なのに、兄と姉はためらいなく弟のことをBBと呼ぶ。真央はそれが気になってはいたが、聞くタイミングが今までなかった。
「ああ、魔界では自分の名前は自分でつけるんだ。それまでは便宜上Bと呼ぶ。その中でもまだ言葉が喋れなくて自分の名前をつけられない状態ではBBと呼ぶんだ」
 真央の質問に対して、その大きな手が故、箸がうまくつかえず苦戦していたアスラが丁寧な説明で答える。
「そして、いい歳になっても名前をつけていなくて、未だにBのヤツがここにいる」
 続けて兄の方に視線を向けて言うと、その視線に受けた兄はニヤリと笑った。
「ふふふ……、ボクが今まで名前をつけなかったのは、特に必要性を感じなかったからなのですよ魔王様」
 言葉と共に突如現れる畳ほどの大きさの紙。そこにはなにやら文字が書いてある。
「しょうた?」
 小学校5年生の真央でも読める二文字。紙には「翔太」と書かれていた。
「そう、今日からボクは出門翔太だっ!」

 ぱっぱぱ〜ん♪

 ……そんな効果音が聞こえてきそうな勢いで自分の名前を発表する。
「793歳にしてようやくBを卒業か……、それにしてもなぜ翔太なんだ?」
「もちろん、私の外観が幼く見えるからですよ」
「……え? 幼く見えるからってなんで翔太なんですか?」
 アスラの問いにズバリと答える翔太だが、アスラもリリスもその意味をわかっていない。真央だけは意味がわかっているのか引きつった顔をしている。
「魔王様もリリスもダメですねぇ。日本文化を勉強されていないようで……。
 幼い男の子のことを日本ではショタと呼ぶんですよ?」 
 ショタの実情を知る真央の顔がさらに引きつる。
「ワシはそんなの知らんぞ? 初めて聞く」
 滞在時間が短いとは言え、日本人を妻に持つアスラは、自分の知らない言葉に少し戸惑っていた。
 アスラは一般教養ならばそこらへんの日本人顔負けの豊富な知識を持つが、こういった類の知識はほぼ無いと言っていい。
「フフフ、では解説してさしあげましょう」
 翔太はそんなアスラの様子ににんまりと微笑み、ふところから一つの雑誌を取り出してページをペラペラとめくりだした。そして、該当の箇所を見つけると咳払いをひとつ。
「うぉっほん。
 日本は諸外国よりも、二次元創作物。いわゆるアニメやゲームの需要が高く、クオリティも高いとされています。それに応じていくつか特殊な言葉が生まれました。
 その中にショタコンと言う言葉があります。これは幼い少年に恋愛感情を持つことを指しているのですが、それに派生して幼い少年をショタと呼ぶようになりました」
 なお、手にしている本のタイトルは「あにろ〜ど」。いわゆるアニメ誌で、表紙には目が顔の面積の大半を占める女の子の絵がデカデカと描かれている。
「そもそもショタとは、鋼鉄29号の主人公である銀河正太がもとであり、その愛らしい顔と半ズボンで成人女性を魅了し……」
 本来こういった翔太の暴走は、ツッコミ役であるアスラがブレーキをかけていたが、そのアスラが興味深そうに聞き入っている今、子供には耳に毒な兄の説明は延々と続くと思われた。
「ショタだから翔太って、オヤジギャグだよね……」
 しかし、終わりは意外とすぐにやってくる。
 真央の一言に、気持ちよくショタについて熱く語っていた翔太は、一瞬の硬直の後にがっくりと肩を落とした。
「お、オヤジギャグ……」
 そして部屋の隅でイジイジといじけ始める。リリスは心配そうな表情で兄の様子を伺った。
「……そうだ、リリス。
 リリスも日本で暮らすなら日本っぽい名前が必要だよなぁ?」
 クルリと振り返り、リリスに声をかける兄の顔は、何か思惑を孕んでいた。
「え? でも、このリリスという名前はお兄様が考えてくれてた大切な……」
 リリスはそれに気がつく様子もなく、オロオロとするばかりだ。
 ちなみにリリスと言う名前は翔太が考えたと言っているが、リリス自身がいろいろ候補を挙げ、翔太に選んでもらっただけである。
 ……それもかなり適当に選んでおり、翔太が考えたと言うには程遠い。
「ふふふ、まぁ聞け。
 なぁリリス、オマエはナイスバデーでお色気ムンムンだよな?」
「そ、そんなお兄様ったら」
 兄の直接的な言葉に頬を赤らめて照れるリリスだが、その後の言葉に一気に顔色を失う。
「だからおまえは今日から『色香』だ!」

 凍りつくダイニング。

「お、お兄ちゃん……、オヤジギャグで、しかも名前としてどうかと……」
 硬直して動けない姉を不憫に思い、真央が助け舟を出す。
 しかし、兄はそれをさえぎるようにリリスに囁いた。
「なぁ色香。気に入ったか? この兄がおまえのために考えた名前だぞ」
 おまえのために考えた名前だ。
「お、お兄様……」
 失われた顔色が一気に薔薇色に変わる。
「いい名前だろう」
「はい、お兄様……とっても素敵です」
 そのやりとりに、今度は真央が顔色を失い始めていた。
 なんとなくそんな雰囲気は感じていたが、このやりとりで確信した。
 この姉はブラコンだ。
「魔王様、真央ちゃん。今日から私のことは色香って呼んでね」
 リリス改め色香は、夢を見ているようなトロンとした目を輝かせて、いろいろとツッコミどころが満載の名前で呼ぶことを求めている。その姿はかなり不気味だ。
「ま、まぁ何にせよ、名前はそれで決定でいいんだな。「翔太」と「色香」で住民登録しておくぞ」
 こうして、魔界から来た兄と姉の日本での名前は、「出門翔太」と「出門色香」で決定した。
「……ところで、そういう真央も、『魔王の娘だから真央』みたいに洒落でつけられたんじゃないのかい?」
 さんざんバカにされた兄は、ふと思いついたことを口にする。
「そんなワケないよー。ねぇパパ?」
 文字通り、そんなワケないと思っている真央はニッコリ笑ってアスラに視線を向けるが、アスラは目を逸らしている。
「……え?」
「いや……蓮子が……な。うん……」
「ママ……」
 言われて母親が時折見せる天然ぶりが頭に浮かぶ。
『魔王の娘だから真央にしましょうよ。うふふ』
 そんなやりとりを容易に想像できることが悲しかった。

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