魔王じゃないもんっ!
「第2話 魔界じゃないもんっ!」


−12−

 あの事件から三日間。
 出門家に翔太の姿は無い。
「……ふぅ」
 夕飯用に、三日前に作ったカレーを温めながら真央は溜息をついた。カレーは好物であるが、こうも続くとさすがに気が滅入る。
 辛いものが苦手だという色香は戦力外であり、一人で寸胴一杯に満たされたカレーを食べきるのは不可能に近いものがあった。
 初めての朝食のときに見た翔太の食欲を見こしての量。スパイスを継ぎ足して、悪くならないようにあれこれ試行錯誤しているが、明日まで持つかどうか。
 冷凍しておこうか、それとも友達を呼んで……。
 あれこれ思案するが、どれも妙案とは言い難い。冷凍するには日が経ちすぎているし、友達に振舞うにしても同様の理由で気が引ける。
 しかたないと言い聞かせながら皿にカレーを盛って食卓につく。翔太がいなくなっても律儀に食事に付き合ってくれている色香が食べているヒラメのムニエルが美味しそう見えて仕方が無かった。
「……真央ちゃん、食べる?
 私、カレーでもいいよ?」
「気にしないで食べて食べて!」
 視線に気がついて気を使う色香だったが、力いっぱい拒否する。色香は初めてカレーを口にしたとき、辛いと悶絶してのた打ち回った。その悲劇を繰り返す気はない。
 出門家の夕飯はとても静かだった。
 もともと口数の少ない色香だったが、翔太のことが気になって仕方が無いのか、ほとんど喋ることがない。
 気まずいその空気は、一人で食事をする方がマシだと思えてしまうほどだ。
 ふよふよと漂いながらミルクを飲むBBも、心なしか元気が無いように見えた。
「天ちゃ〜ん」
 それを気にしてか、それとも気まずさからの脱却を試みるためか、真央がBBに声をかける。
 真央はBBを天ちゃんと呼ぶようになった。
 日本語名が「天駆(てんく)」に決まったからだ。命名は桜花。空を浮いていたから「天」を「駆ける」天駆なのだそうだ。
 しかしBBは真央の声に反応せず、あさっての方向にふよふよと飛んでいってしまった。
 真央はBBを呼ぶのを諦めてカレーを口に運ぶ。すっかり角がとれてまろやかになったカレーは美味しいのだが、なんだか味気無く感じた。

 バンッ!

 そんな空気を吹き飛ばすような音が響く。
 入ってくる冷たい風に、家のドアが開けられたことに気がつく。
 まさかと思った次の瞬間には、目の前に姿を現していた。
「ただいまっ!」
 元気一杯の笑顔で、人間界の挨拶をする魔族の兄。
 絶交という言葉を叩きつけた真央は、どう反応すればいいかわからなかった。
「えーと。とりあえず、お土産……な」
 静かに目の前に置かれる紙の箱は、良く知る店の名前が書いてあった。
「ここのモンブランケーキ。真央の大好物なんだよな?」
 終始笑顔の翔太。それは反省の色とは無縁な表情だ。 
 反応に困っていた真央だったが、好きなものでごまかそうと言う魂胆が見えて、じわじわと怒りがこみ上げてきた。
「……いらない」
 ケーキの箱を押しのける。
 そんな真央の態度にもめげず、押しのけられたケーキをもとの位置に戻す翔太。
「頼むよ。
 初めて人間界の仕事で稼いで買ったお土産。真央に食べて欲しいんだ」
 もとの位置に戻されたケーキを再び押しのけようとする手が止まる。
「……人間界の仕事って?」
「……正直なところ、あの子に対してまだ罪悪の気持ちが沸かない。
 でも、これからもっと人間界に慣れるように努力する。
 こんな風に仕事とかもして……、できるだけ人間と同じ暮らしをしてみる。
 ……そうしたらきっと、ちゃんと謝れるんじゃないかと思うんだ。
 ……だから、絶交なんて言わないで欲しい。
 また、お兄ちゃんって呼んで欲しい」
 その翔太の言葉が、まっすぐで嘘がないことはすぐにわかった。色香の話を聞いた今ならわかる。
 兄は、きっと自分のために色々と考え、最大限の誠実さを以って家に帰ってきたのだ。
「……う」
 なんだかとても嬉しくて涙が出そうになった。それがとても恥ずかしくて、すぐに頷くことはできなかった。
 勢い良く席を立ち、カレー鍋の前に向かう。
「お、お兄ちゃんのせいでカレーがいっぱい余っちゃってるのっ……。
 ぜ、全部食べたら絶交やめてあげるっ」
 涙を堪えながらの強がりに迫力などあるはずも無く、背中の向こうで在り得ないほど山盛りにされるカレー皿は小刻みに震えていた。
「了解っ!」
 炊飯器に残ったご飯すべてを盛り付けた皿を受け取った翔太は、勢い良くカレーを食べ始めた。

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