魔王じゃないもんっ!
「第1話 魔王じゃないもんっ!」

−5−

「あうあうぁぅ……」

 真央は声にならない声をあげながら、生まれたばかりの弟を見つめていた。
 小さくても確かに人の形をした新しい命。その寝顔の愛くるしさは想像を超えていた。
 触れたいが触れたら壊れてしまうんじゃないかという杞憂が、真央に意味不明な痙攣を引き起こしている。
 その様子がおかしくて、アスラと蓮子は顔を見合わせて笑った。
 家族が1人増えた出門家の面々は、病室に戻っていた。蓮子のベッドの隣には赤ん坊用の小さなベッドが用意され、そこで真央の弟はグッスリと眠っている。

「……でも、ちょっと不思議なのよ? 生まれたらすぐに産声をあげるものなんだけど、ずーっと安らかな寝息を立てて寝てるの。
 産湯につけても全然起きなくて。
 別に異常なところは無いってお医者さまは言うんだけどね……」

 蓮子は真央がこちらを気にしていないことを確認したあとに、アスラに小声でつげる。

「健康なら気にすることはないさ。生まれながらのねぼすけなんだよ。きっと大物になるぞ」

「あなたの子ですものね」

 蓮子はすでに親バカな発言をするアスラに目を細めると、不安が霧散していくのを感じた。

「パ、パパァ〜。ママァ〜。可愛いよぅ可愛いよぅ」

 しばらく謎の痙攣をしていた真央だったが、感極まったのか突然涙をボロボロ流しながら必死で訴える。

「ふふ、抱いてみたらどうだい?」

「えっ!?」

 アスラの提案は、真央にとっては刺激が強すぎた。

「ム、ムリ! ムリだよっ!
 見ているだけでもこんなに可愛いのに、抱きあげちゃったりなんかしたら、可愛過ぎて私きっと死んじゃう」

 オーバーな言葉に加えて、オーバーなアクション。ここまで来ると、アスラも蓮子も苦笑を浮かべるしかなかった。

「じゃあパパ、変わりに抱いてあげて」

「うん、うん! パパお先にどうぞ!」

 このままでは埒が明かないと悟った蓮子の提案に、ハイテンションのまま賛同する。
 アスラはそんな二人の言葉にこくりと頷くと、寝息を立てるわが子の前に立ち、慎重に抱き上げた。
 アスラの手の大きさのせいで、抱き上げるというよりも手ですくい上げるという表現がしっくりくる。
 この小さな命は、生まれて初めて父親の温もりに触れた。
 それだけで特別な意味があるが、この二人においてはもっと特殊な意味もあった。
 今まで安らかな寝息を立てていたはずの赤子が、身体を一瞬身体を強張らせ、目を見開く。そして、在り得ない現象が起きた。

「え?」

 真央は思わず目をこすってもう一度それを見直した。
 見間違いではない。自分の弟が浮いている。
 重力に逆らい、プカプカと浮いているのだ。
 その現実を受け止めきれないままで、さらに非現実的なことが起こった。
 一瞬の煌きと共に、弟の目から放たれる光線。
 光線なんてものは、映像や映画などで見たことはあっても、現実で見た人間などそう多くない。
 しかし、それは紛れも無く、目の前で放たれた。それもゴツイ銃の銃口からではなく、生まれて間もない赤ん坊の目から放たれたのだ。
 一瞬のことで目で追うこともかなわなかったが、その光線の軌跡には明らかにそれとわかる痕跡が残っている。天井に赤い線が引かれているのだ。よくよく見れば蒸発したような跡がある。
 そのあまりにも非現実な事態を受け止めきれないままの真央の目に、今度は弟が大きく口を開いている姿映る。
 大きく息を吸うその様子は、なぜかこれから起こる大惨事を予想させた。

「いかんっ!」

 火炎放射器のような勢いで火を吐く赤ん坊。
 しかし今度は天井を焼く前にさえぎられる。アスラがすばやく自らの手で炎をせき止めたのだ。
 アスラはそのまま手で包み込むように赤子を収める。

「ぐっ!」

 アスラは炎の熱により顔を歪めていた。
 続いて来る衝撃。赤ん坊が自分の手の中で激しく暴れていることが、アスラの必死の形相と、時折手の隙間から漏れる余波のようなものから推測できた。
 このままでは抑えきれない。
 自分の子どもの力の危険性を察知したアスラは、覚悟を決めて自分も力を解放した。
 もともと筋肉ダルマのような身体がさらに隆起して弾けるスーツ。全体的に一回り大きくなったのか、ターバンさえも千切れて飛んだ。
 その下にある頭の様相は、人ではありえないものであった。

「パ、パパ……」

 ターバンの飾りかと思っていた角が頭から直接生えている。

 弟の暴走。父親の変貌。

 信じられないことが立て続けに起こり、真央の思考は完全に停止していた。
 しかし、視界から得ている情報は今も脳に送り続けられている。

「エル! アール!」

 真央が一度も聴いたことのない険しい声色で叫ぶアスラ。すると、どこからともなくフードつきのマントによって全身を隠した二人が現れた。
 一人は赤く、もう一人は青い。

「私はこのままこの子を魔界に連れて行く。後始末は頼んだぞ」

 表情も険しいアスラは、現れた二人に命令して立ち去ろうとするが、赤い方の男に止められる。

「お嬢様の記憶はどうされますか?」

「……操作の必要は無い」

 アスラは一瞬の躊躇いの後、意を決したように応え、真央の方に視線を向けた。

「真央……」

 いつもの優しい表情と声色。だが、前後のことがあってどう反応すればよいかわからない。アスラはその様子に苦笑すると、今度は蓮子を見る。

「……蓮子、少し説明してやってくれ」

「はい、いってらっしゃい。気をつけてくださいね」

 アスラと蓮子。二人の会話はいつもどおりだが、父親の変貌した姿に恐怖を隠せない。
 それに、さっきアスラが言った言葉もパニックに拍車をかけていた。

「……魔界って」

 確かにアスラは魔界に行くと言ったのだ。
 そんな真央の呟きと共にアスラが姿を消す。それとともに一瞬だけあたりが眩く輝き、それがおさまるとビームによって焼かれた天井が修復されており、赤いマントと青いマントの二人も姿を消していた。
 まるで何事もなかったかのように訪れる静寂。
 しかし、あの一瞬が夢でない証拠がある。自分の弟が寝ていたはずのベッドは空になっており、久しぶりに会えた父親の姿はなくなっていた。

「……マ、ママ?」

 真央が口を開いたのは、どのぐらいの時間が流れてからだろうか。
 蓮子は真央の声に笑顔で応える。

「……えーとね。
 ママ、あんまり説明がうまくないからズバリ言うわね」

 いつもの穏やかな表情とゆったりとした口調。しかしその内容は衝撃的なものだった。

「真央のパパね。実は魔王なのよ」

 あまりにも突然な蓮子の言葉に、真央の頭は完全にショートしてしまった。



4へ 戻る 6へ