魔王じゃないもんっ!
「第1話 魔王じゃないもんっ!」

−3−

 白一色の飾り気のない病室。
 きっと病気で入院して居るのであれば、否応にも気が滅入ってしまうところだが、そんなものは今の彼女にとって無縁の代物であった。
 大きく膨らんだ腹部。そして目の前の満面の笑顔。
 生まれくる命と健やかに育っている娘。真央の母親である桜花(おうか)は、自分が今、世界で一番幸せなのではないかと思ってしまう。

「ねぇ、ママはどっちだと思う? 男の子? 女の子?」

「最近の真央はそればっかりねぇ」

 興奮気味に質問をする真央に、桜花はくすくすと和やかに笑った。おっとりとしたその仕草は、桜花の落ち着いた雰囲気と合い間って、周囲の人間まで穏やかな気持ちにさせてくれる。
 垂れ目気味の大きな瞳。黒く艶やかな髪。肌の張りなどは、三十歳という年齢を感じさせない。
 優しくて綺麗なお母さんを具体化したら、桜花のような女性になるのではないかとという評価を、真央の友人の親からもらった実績もあった。

「今は生まれる前に調べる方法もあるんでしょ? なんでママは調べないの?」

「うふふ、生まれてくるまでわからないほうが楽しいじゃない」

「うー……私は早く知りたいよぉ」

 真央は桜花の言葉に少しむくれた顔をしていたが、すぐに何か思いついたようで、表情を笑顔を変化させた。

「ねぇねぇ、キミは男の子? それとも女の子?」

 桜花の腹部に耳を押し当てての質問。
 お腹の中の新しい命に直接聞こうとしているのだが、明確な答えが返ってくるはずもない。
 しかし、かすかな胎動に真央は表情を綻ばせた。

「ママ! 『男の子?』って聞いたときの方が大きく動いたよ!」

「ふふ……そう、じゃあ男の子かもしれないわね」

 桜花は優しくて綺麗なお母さん。真央は可愛くて素直な女の子。そんな二人が談笑する姿は理想の母娘像そのものだ。

 コンコン。

 終始幸せな雰囲気漂う病室に、慎ましやかなノックの音が響く。
 桜花がその音に応えると、その音からは想像できない巨体が姿を見せた。
 今、この病室を見た人間は、親子の危険を感じるだろう。
 現れたのは、先ほど受付の看護士を声だけで失神させた男だったのだ。
 しかし、その姿を認めた当の真央と桜花は、恐怖に慄くどころか満面の笑みを浮かべた。

「パパーっ!」

 巨体に勢い良く飛びつく真央。真央がパパと呼ぶ男は、全力の真央を軽々と受け止め、さらに高い高いをするように持ち上げた。小学校高学年の真央を、まるで赤ん坊のように扱う男の手は、真央の胴体をすっぽりと包んでしまうほど大きい。
 彼の名は、アスラ。真央の父親であり、桜花の夫である。

「アスラさん。来るなら前もっておっしゃってください……。もう少し髪とか整えたりできたのに……」

 桜花は、少し慌てたように鏡で自分の姿を確認してからはにかんでみせる。それは、真央と二人の時には見せなかった、女としての表情であった。

「ふふ、そんなことをしなくても桜花はいつも綺麗だよ」

 そんな桜花に対し、真央の頭を撫でながら少し気障なことを言う。その声は低く大きく、外見とあいまって、恐ろしいとしか思えないのだが、桜花は「もう、口がうまいんだから」と顔を赤らめた。
 ちなみに真央の頭を撫でているとき、人差し指と中指しか使われていない。手が大きいため、手のひらでは真央の頭ごとすっぽりと包んでしまう。
 本人たちは和やかな気分なのかもしれないが、傍から見れば異常であり、必要以上に動揺してしまう光景だろう。真央とアスラの関係を知らなければ、真央の危険を心配するのは必然である。
 アスラの雰囲気とその大きな口は、真央を頭からバリバリと齧り出したとしても不思議ではない。

「パパ、クサーイ」

 そんな心配を煽るような真央の一言。これはアスラに対する暴言だ。
 別に誰がこの部屋を覗いているわけでもないので気にする必要はないのだが。

「……え? 変な臭いするかい?」

 真央からそう言われ、表情を曇らせるアスラ。アスラは困った顔をしているつもりだが、眉間に皺が寄っているので恐ろしい形相に見える。

「違うよー。言葉がクサイって意味。パパはいつもどおりのお花の香りだよ」

 それに対して真央が笑いながら訂正すると、アスラは心からの安堵の表情を浮かべた。
 ちなみに真央の言うお花の香りとはラベンダーの香りである。もっとも、この外見からラベンダーの香りがしても、いい香りだと思えるのは出門一家ぐらいだ。
 美女と少女と野獣。明らかに異常な三人なのだが、当人たちは幸せそうである。

「お仕事の方は一段落したの?」

「ああ、部下たちに任せてきた。子供が生まれるまではこっちにいるつもりだよ」

 真央が聞くと、アスラは真央を椅子に座らせながら笑顔で答えた。言うまでも無く、笑顔も怖い。

「そっかぁ〜……うーん。じゃあ、あんまり早く生まれてもパパがすぐお仕事行っちゃうからもったいないなぁ。
 なんだか複雑だよ」

 アスラはいつもはインドで働いており、滅多に家に帰ってくることはない。会えるのは一ヶ月に1回あるかないかぐらいであり、アスラが好きな真央にとっては予定外の滞在が短いのは残念なことなのだ。

「……真央。ごめんね」

 そんな真央に桜花が声をかける。真央は突然の謝罪に面を食らってしまった。

「え? なんで? どうしたの? ママ」

 問いかけるため、桜花に視線を向けて何となくその理由がわかった。桜花は汗をうっすらとかいており、痛みをこらえるような顔をしている。

「陣痛……来ちゃったみたい」

 その言葉には、真央だけでなくアスラも動揺を隠せなかった。



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