魔王じゃないもんっ!
「第1話 魔王じゃないもんっ!」

−2−

 明らかにいつもと違っていた。
 本能による直感が鈍っている人間でさえ感じ取れる空気の違い。
 この場所にいる人間のほとんどが、虫の知らせのような感覚を覚えていた。
 野生動物たちはすでにこの場所から離れている。人間に飼われている動物たちは、何かに怯え、飼い主に寄り添うようにしていた。
 別段変わった場所ではない。どこにでもある街並み。どこにでもある舗装された道路。住所の標識や、駅が無ければ、どこの街か判断するのは至難の業だろう。それほどありふれた場所にも関わらず、今この場所は前述したような場所になっていた。
 その原因であろう存在はすぐにわかる。明らかにこの場所に相応しくない、いわゆる『浮いている』存在。
 誰もが気づいているのに、その存在を確かめるのもはばかれるような強い存在感を持つ男。
 その2メートルを軽く越す長身は、横もそれと比例するようにしっかりと広い、まさに巨漢と言える外観だった。
 褐色の肌。団子のような丸鼻。メロンぐらいなら丸呑みできるのではないかと思えるぐらい大きな口。
 格好はスーツなのだが、宗教上の理由なのか頭にターバンを巻いおり、その側頭部にバッファローの角のようなものがつけられていた。
 角などつけなくても充分な威圧感があるというのに、誂えたような角の存在は、見るものに恐怖を与えようとしている意志を感じずにはいられない。
 そして確かに感じる、彼が一歩一歩進むごとに起きる振動。
 それは地響きとも違う、空間そのものを震わせる圧倒的な力の波動のようなものだった。
 知らない間に人は道を譲り、目を向けることさえなく、人によっては大きく回り道をしてでも避けて通った。この街で幅を利かせている暴力団組員でさえ、彼とすれ違う時は膝が笑ってしまう。
 そんな恐怖の象徴のような存在が向かう先は、真央の母親が出産のために入院している病院だった。

 自動ドアが開いた瞬間の、待合室にいた患者たちの硬直。
 男は一瞬にして緊張感高まる空間をキョロキョロと見回し、目標を見つけた素振りをしせると、受付に突き進む。その迫力に、受付をしていた看護士の心拍数は極限まで上がり、全身硬直してしまっていた。
 まるで自分が狩りの標的にでもなってしまった感覚。男が自分の前に立ち止まると、看護士の緊張は人生で最高潮の域に達していた。

「あの……」

 男が口を開く。

「ひぃっ!」

 即座に上がる悲鳴。
 男の声量は人が会話するときと変わらないのだが、その口から発せられる声の質量は、男性のオペラ歌手が力強く歌い上げているのに匹敵する。
 声をかけられた看護士は、この恐怖から逃げんと、自らの意識を断った。

「……す、すみません」

 看護士が失神する様を見た男は、頭をポリポリとかき小さく頭を下げた。


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