魔王じゃないもんっ!
「第10話 聖夜じゃないもんっ!」


−8−

「起立! 気をつけ! 礼!」
「さようなら」
 今日も小気味よいほのかの号令とともに、息の合った挨拶で授業が終わる。
 5年4組の教室は、ガタガタと椅子を引きずる音と、授業から解放された生徒たちの声で一気に騒がしくなった。
「おう、出門」
 そんな中、ふだんならすぐに教室から出て行く担任の博美が、真央の席まで来て声をかける。
「あ、はい。何でしょうか」
 真央は驚いたのか、少し声を裏返らせて返事をした。
「具合でも悪いのか? 今日一日元気が無かったみたいだが」
 ピロピロと呼ばれるこの担任は放任主義であり、担任教師としては自由奔放すぎるところがあるが、実は生徒をよく見ている。
 型にはまらないからこそ視野が広く、それが、普通の教師が見落としてしまいがちな生徒の細かな変化を気づかせるのだ。
 と言っても、今日の真央の変化は、誰でも気が付くレベルのものだ。だからこそ博美もわざわざ声をかけたのだが。
「あ、いえ。全然大丈夫です。
心配してくれてありがとうございます」
 真央はその気遣いに対して、笑顔で答える。
「そうか、気落ちしてるときは病気にもなりやすい。病は気からってね。
 ま、先生に相談できることがあれば何でも言いなさいな?」
 博美はこの年頃の生徒との接し方を熟知している。彼女は教師としては、生徒と打ち解けている方だが、それでもどうしても越えられない壁があるのだ。
 それを無視して、無理に内側に入ろうとすれば、頑なになってしまう。
 小学五年生、特に女子は心の成長が早く、難しい年頃だ。心は成長していないのに頭の回転ばかりが早くなり、必要以上に背伸びをしてしまう。だから、大人が強引に近づこうとしてはいけない。
 あまり気を遣いすぎると、かえって無理をするため、いざと言う時に頼ってもいいという安心感を与えるぐらいがベターなのだ。
「じゃ、寒いから風邪に気をつけてな」
「はい、ありがとうございます」
 真央は博美の細やかな気遣いに、少しだけ気持ちが軽くなったように感じた。
 兄と姉が魔界に戻って数日。連絡は無く、不安ばかりが募っていたのだ。
「おーい出門」
 ランドセルを背負い、いざ帰ろうという時、また来客がある。
 ある事件がきっかけで、こちらも距離を置きつつ、向こうも距離を置いていた人物。「巨乳馬鹿一代」の二つ名を持つ、北野安吉だった。
 ある事件とは言わずもがな「おっぱい教事件」である。
「色香さんって出門のお姉さんなんだよな」
「えっ!?」
 その問いに、真央は思わず声をあげて驚いた。
 意外な人物から、今一番気になっている人の一人である色香の名を聞けば、驚くのは無理も無い。
「う、うん。
 そうだけど、お姉ちゃんがどうかしたの?」
 どんな話をされるのかわからない真央は、早い鼓動を気取られないように、平穏を装った。
「いや、色香さんのお店、臨時休業になってたし、いつ復帰するかも書いてなかったから」
 お店の話を出されて、なぜ姉のことを知っているかなんとなく予想がついた。
 いや、三反の事件でテレビに取り上げられた時も、色香は家のことは話していなかったので、真央が妹であることはわからないはずなのだけれど、彼の情熱を思えば、知っていてもおかしくないと思うことができた。
 世間は意外と狭いのだし。
「まさか色香さん、病気とかじゃないよな?」
 安吉は真央のそんな思考を吹き飛ばしてしまうような、本気で心配そうな表情を浮かべていた。
 何も事情を知らなければ、そんな可能性も考えてしまうんだ。
 真央は安吉は必死な形相に、そんなことを考えた。
「大丈夫、ちょっと用事があって母国に戻っただけみたいだから」
 まさか正直に、「魔界に戻った」とは言えないため、国という言葉を使うことにする。このアイディアはもともと翔太の発案。話がぶれるのも問題なので、ここは合わせるのが得策だろう。
「いつぐらいに帰るかわからないかな?」
「………………」
 真央は安吉の質問に口をつぐむ。
 口を開けば、思わず声を荒立ててこう言ってしまいそうだったのだ。
 こっちが聞きたい、と。
 その衝動を抑えこみ、極力自然な笑顔を浮かべて言った。
「わからないみたい」
「そっかぁ」
 妹である真央がわからないのであればしょうがない。安吉はそう考えると肩を落としたまま教室を出て行った。
 残された真央は歯噛みしていた。
 わからないみたい。
 この言葉には「姉も」という主語がつく。それはつまり、姉からはそう聞いているという意味だ。
 でも実際は違う。何も聞いていない。本人からの言葉は何も残っていない。
 また気持ちが沈みそうになったが、今のやり取りがきっかけで思いつくことがあった。
 もしかしたら、他の誰かは何か知っているかもしれない。知っていたら、それはそれで寂しいのだが、いつ帰ってくるかもわからないこの状態よりもマシだ。
 兄と姉と関わりがある人物で、すぐに職場の人間を思い出すが、兄の職場はホストクラブという性質上連絡できそうもなく、姉の職場は、さっき安吉が何も知らないことを教えてくれた。
 しかし、真央は身近な人間で兄と関わりのある人間を知っている。自分とは方向性が違う関わり方なので、もしかしたら自分の知らないことを知っているかもしれない。
 少し声をかけづらい人物なのだが、真央は勇気を出して近づき、声をかけた。
「ね、ねぇすず子さん」
「アラ、何かしら? フフフ」
 津田すず子。
 小学5年生にして160を越す長身と、独特な言動と行動が特徴的なクラスメイトだ。
 携帯端末をものすごい早さで操作していたが、真央が声をかけると「グルン」という効果音がつきそうな勢いで首と体を回して真央と向かい合った。言動のあとに含み笑いをするのが非常に不気味である。
「えっと、お兄ちゃんから何か連絡なかったかな?」
 翔太とすず子は「シスター☆エンジェル」という恋愛シュミュレーションゲームのコミュニティ仲間であり、結構頻繁にメールのやり取りや、チャットをしているらしい。
 魔界には当然電波や回線が届かないので、翔太が、「いつぐらいまで連絡できない」というようなことを、すず子に伝えているかもしれない。
「お兄さんから?」
「うん」
 すず子は相変わらず何を考えているかわからない能面のような表情で数秒停止した。その姿は人間には見えず、蝋人形のようだ。
「……年末イベントの買い出しを頼まれたぐらいかしらねぇ」
 どうやら記憶をたどっていたらしい。表情はそのままに、パクパクと口だけ動かして言った。
「ね、年末イベントっていつ!?」
 真央はその内容に食いつく。
 欲する情報を含んでいる可能性があったからだ。
 年末イベントとやらが、クリスマスより前かどうかによって、少なくともクリスマスに帰ってくる確率を出すことができる。
 もっとも、そのイベントがクリスマス前だったとしても、クリスマスに戻ってくるとは限らないのだが。
「28日〜30日だけど、頼まれたのは2日目だから29日よ」
 期待を裏切り、その答えは最悪に近いものだった。これはそのまま、29日まで戻ってこれない可能性が高いということになる。
「そっか……」
 真央は寒気に近いものを感じていた。
 楽しみにしていたクリスマス。
 家族みんなで賑やかに過ごすクリスマスのイメージには、翔太と色香のどちらの姿も欠かすことができない。
 それなのに。
「もうすぐクリスマスね」
「えっ!?」
 血の気がひいていくような感覚の中、不意にかけられるその言葉に心臓が跳ねる。
「クリスマスは休日でもなんでもない、ただの平日よ」
「………………?」
 すず子がなぜ今こんなことを言い出したのか検討もつかないため、真央は返す言葉が思い浮かばなかった。
「イエス・キリストの誕生日。キリスト教でもない人にとっては、本来どうでもいい日よね。
 にもかかわらず、特別な日として存在している。
 なぜだと思う?」
 いつものように妙に相手を引き付ける話し方で問いかける。その口元は薄く笑っており、それがまた注意を奪っていた。
 そしてその問いの答えはわからない。考えてみればいつもそうだ。考えてもわからないようなことばかりを問いかけてくる。
 おそらく、注意を引き付けるために「問いかける」という話し方をしているのだろう。
「特別の日にしようという意志が働いているからよ。
 だから、日本でクリスマスを特別な日にしているのは人の意志の力なの」
 そして答える間もなく、伝えられる問いの答えはひどく心に残るのだ。
「……えっと」
 ぼんやりとしたものがふつふつと心に沸いてくる感覚を覚える。
「特別な日があるんじゃない。特別にしたい日があって、特別にしようとするから特別になるってことなのよ」
 いつものように、あいまいなくせにどっしりと重い言葉。
「ありがとう」
 挫かれそうだった気持ちが息を吹き返す。
 すず子の言葉は、まるですべてを知っていて励ましてくれているような言葉だったが、なぜそんなことを言ったのか追求はしなかった。
 それよりも、この気持ちのまま家に帰りたかった。

 クリスマスは特別な日にしたいと思う。
 そして、そう願った。
 だから信じよう。
 兄も姉もきっとクリスマスの日は帰ってきてくれて、一緒に過ごしてくれる。
 だから、そのときのために準備をする。
 それが自分のできることだと思うから。

 クリスマスイブまであと三日。

 料理は当日やるとしても、生ものの予約はしておいて、日持ちする素材は今日買ってしまおう。
 思いつく限りの料理を作って、リビングにある大きなテーブルを埋め尽くすぐらい並べよう。
 多すぎるかもしれないが、食べきれないなんて許せない。
 こんな思いをさせたお兄ちゃんに無理やりにでも食べてもらうんだ。


 しかし、そんな気持ちと大きな買い物袋を抱えて家に帰ってきた真央を迎えてくれたのは一枚の置手紙。
 差出人はシュヴァルツ。
 達筆な文字で、「天駆様と魔界へ行きます」と書かれていた。


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