女神の騎士

 草木を取り除いただけの街道は、所々に凹凸があり、気をつけなければ足をとられる。
 しかし、前を歩くアレスのその足取りは速く、ラヴェルナの歩幅では少し小走りで追いかけないと置いていかれてしまうほどだった。
 そんな中でも必死で話しかけるラヴェルナは、端から見れば健気であった。
 のれんに腕押し、糠に釘。
 世間話も、色目も、嘘泣きも、小粋なジョークも一切無視。
 何も言わず何も応えず、ただ前へと進む。
「なぁアレス〜。もうちょっとゆっくり歩いてくれると嬉しいんやけどなぁ」
 小走りで進み続けたせいで呼吸が乱れている。そんな状態での懇願にさえ反応を示さないアレスに、ラヴェルナはとうとう怒りを憶え始める。
「ちょっ、アンタええ加減にしいや!」
 怒りに任せ全速力でアレスに突進。しかし鎧で身を固めたアレスに対しては、それは自爆行為にしかならなかった。
「あ、あだだだ……」
 尻餅をついて涙目になるラヴェルナ。
 そこでようやくアレスが振り向き、ラヴェルナを見る。
「おまえと話す事はない」
 助け起こすために手でも出してくると思ったが、ぶつけられるのは冷たい言葉。
 怒りを通り越して悲しくなってくる。
「……なんやのソレ」
 アレスにぶつけた肩と、地面に打ちつけた尻が痛かった。ジワリと浮かぶ涙。きっとこの涙さえ無視して男は前に進むのだろうと思うと、さらに泣けてくる。
 土を握りしめ、顔を伏せると小さなアリが歩いていることに気が付いた。そのアリと自分がダブって見える。きっとこのアリは懸命に生きている。しかし、誰も気付かず、時には理不尽に踏み殺されることだってあるのだ。
 そんな存在と自分が変わらないように思えて、嗚咽が漏れる。
「俺に……異形の者を倒すこと以外期待するな」
「え?」
 予想外にかけられた言葉。その口調には今までの冷たさは無い。
 ラヴェルナが涙を浮かべたまま顔を上げると、重力にひかれて頬を伝う涙。アレスはそれから思わず目をそらした。
「……とにかく、話しかけるな。俺は応えるつもりはない」
 冷たい言葉の中に確かな気遣いがある。感情が高ぶり、敏感になっているラヴェルナは、アレスの言葉に秘められたそれを感じ取ることができた。
「……もう少しゆっくり歩く。
 ……夜までには次の町につけるだろうからな」
 ボソボソと言うアレスの表情には若干の戸惑いがある。
 一方的だったアレスの譲歩。そして差し出される手。期待していなかった優しさに目を見開く。
「……だから話しかけるな」
 チラリとラヴェルナの表情を伺うと、余裕のない泣き顔から一変して笑顔になっていた。
「ウチな、会話は呼吸みたいなもんやねん」
 彼女は鼻をすすりながら笑い、アレスの手をとる。
 その言葉に顔を歪めるアレスに対し、ラヴェルナは言葉を続ける。
「無視してもええから、話しかけることは許してぇな」
 アレスはその言葉を受けると、さらに顔を歪めて進む方向へと向き直った。
「……勝手にしろ」
 そして吐き捨てるように言う。
「へへ、えへへ……」
 思わず漏れる笑い声。
 ラヴェルナは始めてアレスの心に触れた気がした。
 そして、それがアレスの優しさだったことがなによりも嬉しかった。
「あのな、アレス……」
 手にした話しかける権利。アレスから得た許し。それを反芻するように、ラヴェルナはいつまでも反応の無いアレスに話しかけ続けた。



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