女神の騎士

 異形の者を滅ぼす。
 異形の者から人々を護る。

 自分に課せられた絶対的使命。
 それが唯一の生きる指針。

 穏やかに流れる時間はあの時止まったはずなのに。

 目の前の柔らかな表情。
 感じ取れる温かい優しさ。
 鼻腔をくすぐる甘い香りが自分の鼓動を高め、彼女の微笑みはすべての苦しみから解き放ってくれた。

「ベ……ナ」
「寝言でウチの名前を呼んでくれるんか?
 なんだかんだ言ってもウチのこと気にかけてくれてるワケやね。嬉しいで!」
 まどろみの中、声が聞こえる。その声は記憶の声と大きく違っていた。意識が覚醒していくにつれ、匂いも記憶のものと違うことに気がつく。そして視界が開くと、その姿も違っていた。
「……………………」
「寝顔は結構カワイイんやね?」
 その独特の方言での軽口は、男を夢から覚醒させる。
「何をしている?」
 同じベッドでしっかりとしがみついて離れないラヴェルナを力で引きはがず。布団がめくれて見えたラヴェルナの体には、下着と異形の者除けの布しか着用されていなかった。
「そんなん、聞くのは野暮ってもんやろ〜? アレスゥ〜」
 猫撫で声で男の名を呼ぶラヴェルナ。
 異形の者を打ち倒す力を持った男は、自分の名をアレスと名乗った。
 暗い部屋の中で表情はわかりにくかったが、きっとアレスは顔をしかめていた。
 アレスはベッドから降り、部屋のランプに灯りを点ける。
「な、なんやの〜。明るくするなんて、女に恥かかせる気かいなぁ」
 シーツで半裸の体をかくし、クネクネと体を動かすラヴェルナ。
「部屋に戻れ。
 女としてのオマエは、俺にとって無用な存在だ」
 アレスはそんな彼女を汚物を見るような視線で見下す。
「そんな、つれないわ〜。それに名前で呼んでぇな、さっきの寝言みたいに。
 ちょっと、『ヴェ』の発音がおかしかったから練習も含めてな」
 大きなため息をつくアレス。その息には怒気が孕んでいた。
 普段ならこんな事態になる前に、気配で察していたことだろう。しかし、Aクラスの異形の者との戦闘は、彼の身体に予想以上の疲労を塗り込んでいた。
 自分のベッドに視線を向けると、脳天気な笑顔を浮かべている女がいる。
 昨日の判断を後悔せずにはいられない。
 マーキングされている人間を、除去手術ができる場所まで連れて行くことは、異形の者から人々を護ることに繋がる。その判断自体は間違っていなかったと思いたい。
 しかしだ。
 マーキングの話をした後、しばらく大人しかったラヴェルナの態度は次第に変わっていった。互いに名乗りあってからだろうか? あからさまな好意を前面に押し出し、一人でベラベラと喋る。
 今まで独りで生きてきた男は、中継地点の町にある宿屋に着いた時には、異形の者との戦闘中に得た疲労とは別の種類の疲労によりゲッソリとしていた。
「もう一度言う。自分の部屋に戻れ」
「ええやんか。一緒に寝よ? 寒くなってきたから人肌恋しいやろ?」
 しかめ顔が、怒りの表情に変わる。
「……気絶させて部屋に戻してもいいんだぞ?」
 そして目を尖らせ睨み付けた。
「そ、そんなん、……ちょっとした冗談やんか」
 その気迫の前にはさすがのラヴェルナも顔を引きつらせる。それどころか、気を緩めたら失禁してしまうほどの恐ろしさがあった。
 ラヴェルナはベッドの横に置いておいた自分の服を、シーツの中で器用に着用し、そそくさと部屋をでていく。
 その姿を見送ったアレスは、部屋に備え付けてある鏡に映った自分の表情に驚く。
 それは自分さえも驚かせる怒りの表情。
「……ベローナ……」
 目を伏せ、寝言で口ずさもうとしていた名を口にする。
 例え眠っていたとしても、夜這いをかけるような女と、一瞬でも彼女を重ね合わせた自分が許せなかった。
 ラヴェルナの行為自体にも腹が立ったが、それ以上に自分に腹が立っていた。
 八つ当たりに近い行動をとってしまった自分に不甲斐なさを感じる。
「………………」
 男は考えることをやめるため、剣と共にまだ闇に包まれている外へと向かった。


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