女神の騎士
4
絶命した異形の者のまわりに人が集中する町。 ラヴェルナと男が人目を避けて町を出るのはそれほど難しくなかった。 二人がやってきたのは昨日の森。闇に包まれる夜とは印象が違い、木漏れ日で慎ましい明るさに包まれていた。 (きゅ、急展開。急展開や) 走ったことによるものか、男の強引な行動によるものか。ラヴェルナの動悸は激しい。 (で、でもいきなりこんな積極的な行動をとるやなんて……。 どないしたらええんや。そら、気になってしょうがなくて探してたのは間違いないんやけど) 森に入ってからはその足を緩め、ゆっくりと奥へと進む。その間、ラヴェルナはいろいろな考えを巡らせていた。 (よくよく見ればエエ男やないの〜) ラヴェルナは先ほどから男の顔をチラチラとのぞき見ているが、その顔は精悍で整っており、ラヴェルナのお眼鏡にかなう物だった。そのせいでラヴェルナの思考はあらぬ方向へ進んでいく。 (でもいきなりこんなとこつれてきて、何するつもりやろ……。 ってまさか、いきなり? いきなりか!? ま、まぁエエ男やし、それはそれで……いや、それじゃ軽い女と思われそうやなぁ。 ほな、ある程度は断って、それでも強引に迫ってきたら……) 「……どこをやられた?」 「い、いきなりやるやなんて、そんなんアカンわ!」 思考があらぬ方向に進んでいたためだろう。ラヴェルナは男の問いとは見当違いな答えを返した。当然男は呆気にとられている。 「……何を言っている」 「い、イヤやわぁ。ウチってば」 照れ笑いでごまかす。失態を見せてしまったものの、ラヴェルナはさっきよりは随分と自分の緊張が解けてきたことに気がつく。このぐらいなら普通に喋ることができるだろう。 男を口説き落とすことに関しては、かなりの自信があった。実際旅の途中で何人も男と付き合ってきている。 ……どれも長続きはしなかったが。 「……どこをやられたのかと聞いている」 自分よりも遙かに身長の高い男に見下ろされ、低い声で問いつめられるのはなかなかの恐怖だった。 しかしラヴェルナは全身に力を入れ、自分の武器である気安さを前面に押し出すために口を開く。 「あっはっはっ、何言ってるんや。どこもやられてへん。アンタが守ってくれたからやで。 でも紳士やなぁアンタ。異形の者から守ってくれて、その後の気遣いも忘れないなんて、ホンッマええ男や!」 喋り出すとなぜか安心してくる。 ラヴェルナは身長が低く、スタイルもそれなり。顔は可愛らしいが、「ちょっとカワイイ」という程度。 黙っている状態では、「そこそこ」という評価しか受けたことがない。しかし、会話をすることで皆の印象は変わった。どうやら自分は話術に才があるということを自覚したラヴェルナは、それから黙っているとどうも落ち着かない。 「剣の腕もさることながら、アンタ顔も整ってるで」 誉め言葉に加えてウィンクを一つ。 男は特に反応を示さなかったが、ラヴェルナには確信がある。こういう寡黙な男でも執拗に構う方がいい。しつこい女を嫌うように思われがちだが、結局のところは何もしなければどうにもならない。そしてどんなに寡黙であろうが男は男。女に言い寄られれば悪い気はしないはずだ。 経験から得た確信。当たって砕けても当たり続けろ。 「……昨日の話だ」 若干疲れたように言う男。 疲れは心のスキを作る。ここで畳みかければ強い印象を植え付けることが可能だ。とりあえず好印象よりも自分の存在を植え付けることが先決。 「昨日? 昨日もあんたが守ってくれ……」 「異形の者の体液を浴びなかったかと聞いている!」 疲れの表情から一変、今度は怒りの表情。 その迫力に思わず体が強ばった。 「た、体液……背中に浴びて火傷になってしもてるけど、それがどうかしたん?」 「……やはり、マーキングされたな」 「な、なんやの? マーキングて」 口説こうと躍起になっていたラヴェルナだが、男の話しぶりに危機感を感じ、先ほどまであった余裕も徐々に薄らいでいく。 「異形の者の中にはマーキング能力のあるヤツがいる。その体液を体に浴びると異形の者を呼び寄せる」 「う、嘘やろ?」 男の言葉にそう返しては見るものの、男は冗談を言うようには見えない。 だんだんと事態を飲み込んでいくラヴェルナ。 「……つ、つまりアレか。あの異形の者はウチを狙ってきた?」 頷く男。 「……ひょ、ひょっとするとアレか。人気の無いところに連れてきたのは、また異形の者が来るかもしれんからか?」 男は先と同じように頷く。 みるみる顔が青くなるのが自分でわかった。それまでの邪な思惑が一気に吹っ飛ぶような事実。 「な、なんやのソレーっ!?」 手の甲で手近な木を叩き、ツッコミのフリを行うラヴェルナ。その様子はどう見ても真剣味が無いように見えるが、本人はその事態の危険さを十分理解しているし、必死だった。 これが彼女のスタイルなのだ。 だいたいの人間ならば、こんな彼女の様子に思わず口元が緩む。しかし、男は何の反応も示していなかった。 「どうすればいいんやっ!? なぁ!」 ラヴェルナが男の服の袖を掴んで問いかけると、男はおもむろに自分の荷物袋から布切れを取り出した。 「異形の者を遠ざける木の樹液が染みこんでいる。これを患部に貼っておけば、とりあえず異形の者を呼び寄せることはない」 「おおっ! そんなええもんがあるならはよ出しぃや!」 ひったくるように男の手から奪い取る。それを手に取ると、少し考え込んでから布を持った手を後ろに回した。 「……アカンわ。自分じゃあうまく貼る自信あらへん」 しばらくあれこれと試行錯誤をしていたが、やがて諦めて男に布を返す。 「貼ってぇな」 そして後ろを向くと、おもむろに服をまくり上げた。 いきなりのその行為に、さすがの男も少し面を食らった。ラヴェルナの素肌は成熟しきっていない女性特有の細めで美しいラインを描いており、その肌はしなやかな弾力がありそうだった。 ある一点を除いて。 マーキング。火傷に似たそれは、彼女の美しい背中に明らかに相応しくなかった。 「何しとるんや。また異形の者が来たらどうすんねん!」 荒い口調で言うラヴェルナにハッとする男。思わず見とれてしまっていた自分に気恥ずかしさを感じ、一瞬だけ表情を歪めるが、すぐに険しい表情に戻り、患部に異形の者除けの布を貼った。 「あとはこれで固定しろ。そのぐらいは自分でできるだろ」 荷物から包帯を取り出し、ラヴェルナの前に手を回して差し出す。 少し湿り気のある薬により、一時的に貼り付いてはいるものの、乾いてしまう前に固定する必要があるのだ。 「おおきに」 服をさらにまくりあげ、体に包帯を巻き始めるラヴェルナ。 男は慌ててラヴェルナに背を向けて視線を空に向けた。 生い茂る木々の葉に阻まれ確認はできないが、陽光の差し込み方から言って、雲の数は少なく、青い空が広がっていることだろう。 そんなことを考えている中でも、包帯を巻く音が妙に耳についた。 「よと。巻き終わったで」 まくり上げた服をおろす衣擦れの音とラヴェルナの声で、ようやく向き直る男。 その表情には、先に浮かべた動揺は微塵も出ていなかった。 「これで平気ってわけやな?」 一息ついて、安堵の表情を浮かべる。 「……とりあえずは、だ」 しかし男の言葉は厳しかった。 「応急処置にしかならない。マーキングは人間の治癒能力では回復しない」 「な、なんやて?」 再び顔色を失うラヴェルナ。 「その大きさなら、摘出できる範囲内だ。ここら辺の医者と設備じゃ摘出手術は難しいだろうが、タークドまで行けば摘出できる医者がいるだろう」 「なんやの、脅かさんといて……。心臓に悪いわ」 今度は失った顔色が戻る。コロコロと変わるラヴェルナの表情はとても豊かだった。 「……これは予備の分だ。よほど近くに異形の者がいない限りは、はがしてすぐに寄ってくることは無い。だが上限は1時間だと考えておけ」 五枚ほど布を手渡す男。ラヴェルナはその言葉の意味を理解しきれないうちに受け取る。 「だが、できるだけ常時つけておくべきだ。 町に異形の者を呼び寄せたらどれだけの被害が出るかわからない」 睨み付けるような視線で言われると、数刻前の倒壊する民家の映像がフラッシュバックする。 あそこに住んでいる人間は家を失ってしまった。もしかしたらまだ家に残っていた人もいたかもしれない。 知らなかったとはいえ、自分が異形の者を引きよせていたことを知り、罪悪を感じる。家を、もしかすると命を奪ってしまったのだ。 泥棒とは訳が違う。 その泥棒だってしないで済むのであればしたくない。しかし、一人旅には金がいる。手に職の無いラヴェルナにとって、体でも売らない限り旅を続けることはできないのだ。 泥棒行為も財産のすべてを奪うわけではなく、金品の二割程度をかすめ取るに留めている。彼女は『仕方ない』、『このぐらいなら許される』と割り切っていた。 男はそんな意気消沈しているラヴェルナから視線をそらし、背を向けて歩き始めた。 「……じゃあな」 申し訳程度の小さな別れの言葉。 「ま、待ってぇな……」 ラヴェルナは震える声で男を呼び止める。しかし男はその足を止めることはない。 ラヴェルナはそんな男を走って追いかけ、腕を掴んだ。 「……連いてってくれへん?」 男の動きが止まる。 力のこもるラヴェルナの手が、男の何かを掴んでいた。 「アンタがいれば、もし異形の者を呼び寄せてしもたとしてもやっつけてくれるやろ?」 その言葉はラヴェルナの打算や計算ではなく、心からの懇願。 男を口説き落とそうとしたときにはなかった純粋な想い。そして何より、異形の者を倒す役目を頼まれていることが男の心を揺さぶった。 「……いいだろう。タークドまで異形の者からおまえを護ろう」 振り向いた男の目は、ラヴェルナではなく、やはりどこか違うところを見つめているようだった。 |