女神の騎士
3
普段は閑静であろう住宅街に人だかりが出来ている。その中心にはけたたましい音と土煙。そして剛剣を振りまわす男。 それは不思議な光景だった。 男が剣を振る度に家が崩れていく。 太い柱も、壁も、巨大な剣の道筋を邪魔することはない。刃のために道を作り、そしてその結果として支えを無くして崩れていく。 破壊屋の称号が与えられた者の技。 その鮮やかな破壊行為に人々が歓声をあげる。見せるための行為ではない。しかし人は魅せられていた。 まるで踊るような動き。計算し尽くされ、崩れる家の部品が男に触れることはない。 彼は間違いなく、ラヴェルナが昨日出会った男であった。 しかし、破壊活動中に声をかけられるはずもない。それ以前に、人だかりと同じくラヴェルナも彼の行為に見とれてしまっていた。 数分後、動きを止める男。動から静への移り変わりも鮮やかで、最後の一瞬まで人々を魅せる。 そして、家だった物は細かい残骸の集まりと化していた。破壊屋の仕事が終わったのだ。 しばらくの沈黙。ラヴェルナもその沈黙に飲まれていたが、やがて起こる歓声に意識を取り戻し、男を目指して人だかりを縫って進む。男はその動きに気付く様子はなく、ただジッと残骸を見ていた。 「……っ」 前に出て声をかけようとするが言葉に詰まった。 残骸を見ていたと思われた男の視線の先には何もない。少なくともラヴェルナはそう感じた。 強い存在感でありながら、ここに存在していないかのように思える雰囲気。それに飲まれてしまう。 (……アカン。何のためにここまできたんや) 強く拳を握りしめ、さらに一歩踏みだし、声をかけようとする。しかし、今度は別の要因で声が遮られた。 まず聞こえたのは悲鳴。続いて絶叫。 「異形の者だぁぁ!」 その言葉が響くとともに町中の人間が戦慄した。 「な、なんやて……こんな時に……」 ラヴェルナは舌打ちし、現状を知るために耳を澄ませる。この場にいる人間は自分と同程度の情報しかもっていないため、聞こえてくる町人の声が今現在では唯一の情報源となるからだ。 必要な情報は、現在位置とどの程度の異形の者か。逃げるためにも、知っておいた方がいい。闇雲に逃げるのは危険だ。 異形の者はD〜Sまでにランク分けされており、危険度が違う。昨日ラヴェルナが襲われたのはBクラス。討伐には町の自警団数人程度の力が必要となる。 人々の混乱具合からいって町に侵入しただろうことはわかったが、重要な情報は一つも入ってこない。 しかし、数秒としないうちに情報収集という行為が無意味になった。 「こっちに向かってくるぞ!」 遠目でもわかる巨体。昨日遭遇した異形の者の倍はある。 ランク分けは大きさと外見より判定される。この大きさはAランクだった。 中規模の自警団は総勢で二十人程度だが、総力戦でも仕留められるかどうかわからない力を持つ異形の者。 そしてAランク以上の異形の者は、出現頻度が少ない。ラヴェルナも遭遇するのは初めてだった。 黒く光る外骨格と、地を這うように六本の足を動かして動くその姿から、虫系の異形の者であることをわかる。 家を器用に避けて進む異形の者は、こちらに突き進んでいた。 轟く足音。視界に広がる巨大な虫。 四散するように逃げまどう人々の中で、ラヴェルナは動けずにいた。 視界に大きな背中が映りこんだからだ。 「なっ……、相手はAランクやで?」 その背中に迷いの色は無い。 突進する異形の者。迎え撃つため巨大な剣を構える男。その男も充分な長身と鍛えられた体を持っていたが、迫り来る異形の者は彼の三倍ほどの大きさを誇っていた。 その二つが激突。響く鈍い音。 充分にスピードののった状態で繰り出される大質量の体当たり。純粋な力比べならば人間に軍配が上がる事など考えられない。 しかし男は異形の者の前進を止めていた。 数センチほど地面に食い込んだブーツが、異形の者の突進の凄まじさを示している。それでも、男は受け止めきった。 剛剣での迎撃。右手で剣をしっかりと握り、左腕のアームガードで片刃の剣の背を固定する。ただ単純に両腕で剣を持つよりも、突進してくる敵を受け止めるには適した構え。 敵の突進のパワーを利用したカウンター攻撃である。その威力は絶大のはずだが、異形の者を分断できてはおらず、頭部の外骨格を少し歪ませた程度に終わっていた。 虫系の異形の者は外骨格が異常に発達しており、ほとんどの武器が刃が立たない。Bクラスの異形の者や、建物を難なく斬り裂く剛剣をもってしても、破ることは叶わなかった。 だがダメージはある。衝撃は異形の者の動きを鈍らせる。しかし、自分よりも遙かに勝る質量を受け止めた男も、すぐには動くことができずにいた。全身の筋肉に与えた負荷は並々ならぬものがある。 その証拠に、フラフラと動き出した異形の者に対して反応が大幅に遅れていた。 男を避けるようにして進む異形の者。動けずにいる男は、異形の者の通過を許してしまう。 その異形の者の行動は、立ち塞がる男から逃げるというよりは、何か別の目標に向かっていると感じられた。 「……な、なんでこっちくるんや!?」 速度は随分と落ちたものの、再び前進を始める異形の者は、真っ直ぐにラヴェルナの方へと進んでいる。 ラヴェルナは男に気をとられたせいで、逃げる人波から随分と引き離されていた。そのため、目標だと考えられるのは自分しか考えられない。 その様子を見た男は、震える足を剣の柄で叩き、ようやく追撃を開始する。 その間も必死で逃げるラヴェルナ。逃げる中で推測が確信に変わる。間違いなく異形の者はラヴェルナを狙っていた。 (な、なんやねんいったい!) 呼吸の乱れが許されない状況では、叫び声を上げることもできない。油断をすれば確実に追いつかれる。 いや、そうでなくても追いつかれるのは時間の問題か。 徐々に足運びが俊敏になっていく異形の者。男の一撃のダメージが徐々に回復している証拠だった。 「ヤツは小回りが効かない! 曲がれ!」 耳に届く、低く響く声。酸素不足気味のラヴェルナは、思考能力が低下してきたため、条件反射的に直進の軌跡にカーブを加える。 途端に起こる轟音。道幅いっぱいに広がるその巨体がアダとなった。 建物を巻き込むことで、異形の者のスピードが極端に落ちる。 ザンッ。 そこで建物が崩れる音にも負けない轟音が響く。 追いついた男が、足払いの要領で異形の者の足を薙いだ。 足もしっかりと外骨格に纏われているため斬ることはできなかったが、男にとってはもとより承知の結果。狙いは足を払うことによりバランスを失わせること。 異形の者は数件の民家を巻き込んで倒れた。 その衝撃と、倒壊する民家の材木の直撃により一時的に身動きを止めることに成功する。それは攻撃を加えるには絶好のチャンス。 しかし男はそれを攻撃以外の用途に利用する。 その体からは想像できないほど俊敏な動きでラヴェルナを追ったのだ。大きな音に振り向いていたラヴェルナは、その男の行動を不可解に感じた。 昨日感じた雰囲気から、男が逃げることが想像できなかったのだ。 男は怪訝な表情を浮かべるラヴェルナに追いつくと、ガッシリと手をとる。 「走るぞ。一直線に……全速力でだ」 近づく視線。近い声。 突如つかまれた手に、激しい心臓の高鳴りを憶えるが、今はそれに浸っている時ではない。ラヴェルナとて職業柄いくつもの修羅場をくぐってきている。そのぐらいの判断はできた。 全速力で走る二人。 足に自信のあるラヴェルナをグイグイと引っ張って進む男の背中は、今まで見たどの背中よりも逞し かった。 やや、遠いところで何かが崩れる音がする。 それは異形の者が残骸から抜け出し、再びこちらに向かってくる合図。 一度狙いつけるかのように制止し、一気に突進を始める異形の者。随分と差をつけていた二人だが、そのスピードの差は歴然で、追いつかれるのは時間の問題だった。 「ど、ど、どうすんねん!?」 息も絶え絶えに訊ねるラヴェルナ。すると男はラヴェルナの手を離し、踵を返す。 スピードの乗った状態で手を離されたラヴェルナは、前につんのめるようにバランスを崩したが、転ぶ前に踏ん張る。 「いきなり何すん……」 抗議の声をあげようとして、息を飲む。 再び視界に映る男の背中は、凄まじい気を放っていた。 異形の者は猪突猛進にラヴェルナに向かってくる。前に立ち塞がる男など見えていないかのように。その速度は、さきほどの突進よりも幾分か速い。 男は剣を構えた。 迎撃。 一度失敗したそれを再びやろうというのか。 無理やっ。 ラヴェルナの口から出ても良さそうなその単語は、不思議と頭にも浮かんでこなかった。ラヴェルナの見つめる背中は、そう思わせるに足りていたのだ。 距離が詰まる。衝突の瞬間への緊張。 明らかな体格の差。 普通に考えれば勝算などない無謀な行為を、ラヴェルナは目をそらさずジッと見守った。 再びぶつかり合う二つの生物。 ……響く鈍い音。 「……あ、あかん!」 一瞬止めるも、すぐに男の体が宙を舞う。軽いはずのないその体が軽々と弾き飛ばされるその威力は、ラヴェルナの顔色を一変させた。 その手に剣は無い。 強さの象徴とも言えた剛剣を失った姿は、弱々しくも見えた。 一方男を弾き飛ばした異形の者は、その勢いのまま前に進んでいる。しかしその足は動いておらず、腹を擦るようにひきずっていた。 進路もラヴェルナから外れ、やがて摩擦によりその動きを止める。 異形の者の時間は止まっていた。 深々と突き刺さった剣がそれを物語っている。 迎撃の剣を突きに変えることによる結果。線から点へと力点を絞ることにより、分厚い外骨格を破壊した。最初に一撃を加えた箇所への攻撃であったことも要因の一つ。 そして、彼が弾き飛ばされたのは剣が突き刺さった後。剣が突き刺さり、異形の者が絶命してもその勢いは止まらず、二つめの障害が訪れる。剣が柄まで突き刺さったとき、その構造上貫ききれない事態に陥った。 決着は着いている。 瞬時に判断した男は、その衝撃を受け止めずに受け流した。大げさに飛んだのは衝撃を分散させるためである。 受け身も完璧にこなし、ダメージは目に見えぬほど。今も深々と突き刺さった相棒の剛剣を回収するため、異形の者に悠々と歩み寄っていた。 静寂が訪れる。 人々はとうに逃げ、あれほどけたたましい音をあげて動き回っていた異形の者も絶命していた。 やがて、異形の者から剣を引き抜き、刃にまとわりついた体液を払う音が響いた後は、本当に音を出す者はいなかった。 (こ、声をかけなっ……) 再び出会うことができた男。彼は昨日と同様、異形の者を一人で葬り去る強さを見せつけた。 彼に魅せられて探し回っていたはずだ。そんな彼に声をかけるチャンスであるのに、ラヴェルナはまた動けずにいた。 別世界の住人のような存在感を持つ男。 それに惹かれたはずだった。 しかし同時に畏怖の念を抱いて一歩も動けない。神聖な領域に入り込む瞬間のような緊張感が鼓動を必要以上に高め、いつもの饒舌な口が意味を為さない。 「……おまえ」 静寂を破ったのは、意外にも男の方だった。このままだと昨日のように立ち去ってしまうと思っていたため、声をかけることに必死だった。男からの言葉はラヴェルナにとって完全に予想外。 「ハ、ハイ」 思わず裏返ってしまった声に自分自身が驚く。それが妙に気恥ずかしく、ラヴェルナは顔を赤く染めた。 「……昨日、森にいたな?」 憶えていた。 視界に入っていないと思っていたが、この男はしっかり自分のことを憶えていた。その事実はラヴェルナの気分を高揚させる。 「そ、そや。」 だが、いつもの調子の声が出ない。 持ち前の明るさとバイタリティ溢れる会話で、相手の心の垣根をあっという間に崩す術をラヴェルナは持っているはずだった。 例えば今だったら、「あのときはおおきに。たすかったわ」このぐらいのことは簡単に言えるはずなのに。男の問いかけに、ただ単純な言葉で応えることしかできない。 「……人が来たな。来い」 静寂の訪れを感じ取り、様子を伺う人波が近づいてくることを感じた男は、ラヴェルナの腕を掴んで人気の無いところへと連れて行く。 (な、なんや……い、意外と強引やん) 意外な男の行動が続いて、ラヴェルナの頭はショートに近い状態になっている。その男の力に対し、ラヴェルナの力では抗うことはできないし、抗う気も起きなかった。 |