女神の騎士

22

 最強と言われるSクラスの異形の者。
 鍛え上げられた騎士達で編成される討伐隊を返り討ちにあわすほどの力を持つその存在が、今は命を失い倒れている。
 異形の者を倒す使命を胸に生きる男。
 そして、その男の心を求める女。
 そんな二人がこの異形の者の命を断った。
 理屈では説明できない二人の間に生まれた共鳴。それがこの偉業を成し遂げたのだ。
 その二人……ラヴェルナとアレスは見つめ合うようにして立っている。そのままでどのくらいの時間が過ぎているだろうか。長い時間言葉を交わすことなく、ただただ見つめ合っていた。
「なぜここにいる?」
 普段なら彼女から言葉を発する2人の関係だったが、ラヴェルナの表情から滲み出ていた躊躇いがアレスに口を開かせた。
「あんたに真実を教えたろ思うてな」
 この行為が彼の想いを打ち砕くことの繋がると思うと、気がひけてしまう。しかし、このままでいいはずがないと自分の心に鞭を打ち、睨むようにアレスの目を見つめた。
「真実?」
 向けられたその瞳はどこまでも変わることなく、一つの方向を向いている。
「アレスの見た女神。あれな……幻覚やで」
 確信を持って言い放てば、アレスの瞳は揺らぐと思っていた。しかし、その瞳に変化はない。
「……アレスの村な。薄紫の花が咲いている花畑があった言うてたやろ。アレな。ユージン言うて、燃えると幻覚を見せる物質を出すんや」
 口にするのが辛かった。視線は思わずそらしてしまっていた。
「つまりな……。あんたが見たんは……」
 ラヴェルナは、話しながら覗いたアレスの瞳に言葉を止めた。決定的な言葉を口にしているにも関わらず、その瞳が揺らいでいなかったからだ。
「……ユージンの話は知っている。
 異形の者についての文献はすべて目を通しているからな」
 そして口にした言葉は、ラヴェルナに衝撃を与える。
「……知ってて……なんで……や……」
「俺にとっては、あの話が真実だからだ」
 たじろぐラヴェルナに、アレスは迷うことなく言い放った。
 戸惑いはあったが、ラヴェルナはその強い口調によって意味を理解する。
「アンタ……どこまでアホやねん。どこまで……」
 震える声で紡ぐ言葉は、胸の痛みのせいで途中で詰まった。
「俺は弱い男だ」
 何の前振りもないその言葉。それはラヴェルナが言おうとしていた言葉だった。
 強いと思っていた。
 しかしその根底にあるのはどうしようもない弱さだったのだ。
 ラヴェルナはいたたまれなくなって目をそらす。滅多に表情を変えないアレスだが、今は自嘲の笑みを浮かべていた。
「……その記憶にすがらなければ生きていない。
 たとえ幻覚を見る状態に陥っていた時の記憶だとしても、それが絶対に嘘だとは言い切ることはできないはずだ」
 すべてを失った現実を受け入れるには幼すぎた。残っている自分の記憶は自分にとって都合のいいものだった。
 家族を、村を失い。そのうえベローナまで失ったなどと思いたくなかった。
「情けない男だと罵ればいい。幻滅すればいい。
 そうすれば俺を追う気も失せるだろう。俺にとっても都合がいいし、おまえにとってもそれはいいことのはずだ」
 自虐的な言葉を並べるアレスに対し、ラヴェルナはしばらく何も言わなかった。
「……なぁ、アレス。前ならきっと、こんな状態になったら問答無用で姿を消してたやろ?」
 やがてゆっくりと口を開いたかと思えば、そんなことを言う。その表情は笑顔で、アレスはそんな彼女が理解できなかった。
「……さっき初めて名前で呼んでくれた……。メッチャうれしかったわ」
「何を言っている?」
 なぜ今そんなことを言うのか。なぜ笑顔を浮かべるのか。そしてなぜ自分を見限らないのか。
「なぁ、この異形の者にはマーキング能力はないんか?
 口に入ったとき、涎をかぶったやろ? 平気なんか?」
「異形の者は系統によってマーキング能力のある体液が異なる。
 ……こいつは獣系の異形の者だ。この系統は血液にしかマーキング能力がない」
 何の脈絡もない質問に思わず答えてしまったが、理解不能な行動を続けるラヴェルナにアレスは混乱していた。
「……そか」
 ゆっくりと異形の者の亡骸に近づく。
 無惨に死に絶えた異形の者の目玉はあの時の爆撃により失われていたが、そのさい目尻の付け根が切れたのだろう。まるで涙のような血が滲んでいた。
 その存在を認めたとき、アレスはラヴェルナが何をしようとしているか気がついた。慌てて止めようとするが遅い。
 左腕に血をつけるラヴェルナ。あの日、背中に味わった熱さに近い痛みが走り、みるみる火傷のような傷痕を作りあげていった。
「へへ、これでペアルックやね」
「馬鹿がっ! 何をしている!」
 おちゃらけて笑うラヴェルナに慌てて駆け寄り、叱るように怒鳴りつけた。
「ウチもな。負けてへんやろ?
 アレスに負けんくらいアホやねんウチは。
 だから、アレスがどんなにアホでも、どんなにウチを見ようとせんでも、やっぱ欲しいもんは欲しいねん」
 その笑顔の奥には強い意志が潜んでいて、アレスは何も言えなかった。
「このマーキングはウチの決意の証や。
 ……力で気絶させて、勝手にマーキングを除去してサヨナラなんて卑怯な真似はもう無しやで?
 正々堂々と勝負や」
「……勝負?」
 この女はどこまで馬鹿なんだろうと思う。しかし、だからこそ無視できずにいる。
「そや。異形の者を滅ぼして、女神が現れへんかったら流石にあんたも認めざるを得んやろ。
 異形の者を滅ぼす。
 ……そのアホな話につきあったるわ。
 まったく、アホな男に惚れるとホンマ苦労するってこっちゃな」
 何でもないことのようにサラリと言うその女の顔は笑顔のまま。
「おまえは異形の者を滅ぼすなんて無理な話だと思っているはずだ!
 それなのに、なぜそんなことが言える!?」
 そのラヴェルナの態度に、ついにアレスが感情を表に出した。
 表面に出ているのは、怒りと焦りと恐怖。
 しかしその内にあるのは、密かな期待と認められずにいる喜び。
 今まで抑え込んできたものを吐露させてしまうほど、ラヴェルナの行動は常軌を逸していた。
「もう、アンタの貫きたい想いを邪魔したりせぇへん。
 だからあんたも、ウチが貫きたい想いを邪魔せんで欲しい。
 ……そういうこっちゃ」
 どこまでも真っ直ぐで。
 どこまでも素直で。
 どこまでも強い想い。
 不毛でも、それ以外は求めたくなくて。
 その一途さは、決して格好のいいものではなく、むしろ不格好で情けない。
 しかし、どうしても手放したくないのだ。
「勝手にしろ……」
「ヘッへー、勝手にさせてもらいます」

 認めてもらえる日が来るとは思わなかった。

「……ちなみに、異形の者を滅ぼしたとして、女神のベローナが目の前に現れたらどうする気だ?」
「その時は、女神と恋愛バトルや」

 認めあえる存在がいるとは思わなかった。

「言っておくが、お前とベローナじゃ外見に差がありすぎる」
「な、なんやて? 女はココや!
 あ、胸の大きさちゃうで。ハートや! 中身や!」

 あの日、止めたはずの時間。
 あの日、閉ざしたはずの心。
 あの日、固めたはずの表情。

「やっぱり馬鹿な女だな……オマエは」
「あー、アレス笑ろうた! めっちゃカワイイ笑顔やん! なんやなんや、ムスッとしてるよりよっぽどええで!」

 それが壊れていく。

「それと……オマエじゃなくて、『ラヴェルナ』な!」

 ただがむしゃらに求め続けた。
 他のものはいらなかった。
 すべてのものを遠ざけて生きてきた。

 だけど目の前にいる存在は、遠ざけきれない存在で。

 女神のために戦うことを決めた時からつけていた鉄の仮面。強固なその仮面が一つの想いに打ち抜かれる。

 砕かれた女神の騎士の仮面の下には、照れくささを含んだ笑顔があった。


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