女神の騎士
18
夕方から現在までの時間は切り取られてしまったのだろうか。最後の記憶は空が赤く染まり出した時間だったのに、今は朝日が差している。薄目で状況を確認すると、ここが病院であることがわかった。 ……すべて夢だったのかと思わせるほど呆気ない終わり。目が覚めた時にはすべてが終わっていた。 ラヴェルナの身体からはマーキングが除去され、アレスの姿は無い。 身体に痛みなどはなかったため、ラヴェルナはベッドから出て病院内をふらついてみた。 アレスの姿が無いかと淡い期待を抱いたが、その期待はあっさりと裏切られる。 ふらついている途中に見つけた医者に聞いてみると、代金はアレスがすべて支払ったらしい。 「手切れ金かいな……」 小さく呟いたその言葉は正しくない。二人は特別な関係ではなかったのだから。 続けてその医者に自分の状態を聞いてみる。マーキングが浅かったため、除去も比較的容易だったらしく、手術後はすぐに普通の生活を送れるらしい。 それを確認したラヴェルナは、なぜかこの場に留まっていられない気持ちになり、アテもなく町へと出た。 様々な種類の店。活気づいた町人たち。そんな賑やかなタークドの町でさえ色あせて見えた。 目的の無い町の散策。 抜け殻のような自分を引きずって歩くのは、結構疲れるものだ。疲労感を感じたラヴェルナは、数分も歩かないうちに手近なベンチに腰をかけた。 空は雲一つ無い。どこまでも真っ青で、まるで病人の表情のようだとラヴェルナは思った。降り注ぐ日の光も自分を焼くようで、日陰へと逃げたくなる。 「……図書館」 何気なく目に止まる文字。 文字を読むことはできるものの、活字にはそれほど興味が無く、そんな場所へ足を運ぶことはなかった。 しかし、一刻も早くこの青い空と日の光から逃れたくて、特に何も考えずに図書館へと入って行った。 カビくさい独特の匂い。 その匂いに、ラヴェルナは図書館へ入ってすぐに後悔したが、再び外に出る気にもなれなくて、椅子に座ってボーッと過ごした。 勉学に励んでいる若者。読書に耽っている主婦と思える女。 何もせずボーッとしている自分が、どんな風に見えているのだろうと考えると少し気恥ずかしくなり、格好だけでもなんとかしようと本棚へ向かった。 様々な本がある中、ラヴェルナの目に止まるものがある。 『異形の者』 手を取ってパラパラとページをめくると、異形の者の生態や歴史が書かれていた。それを先ほどまで座っていた席に持ち帰る。 (こんなん見たところで、どうなるっちゅーねん) あからさまにアレスに繋がる本を手にする自分が滑稽に感じた。しかし、他にすることもない。読むというよりは眺めるようにページをめくり続けた。 (………………!!) ページをめくるのにも飽きてきた頃、思わず声をあげそうになるような内容が目に飛び込んでくる。 『初めて出現したAランクの異形の者に被害を受けた村』 アレスの過去の話が蘇る。 読み進めると14年前という年数も一致した。 『異形の者に襲われたイリョンの村は、炊事に使用していた火が原因で出火した。異形の者と炎の恐怖の二つに襲われたのだ』 アレスも村に火がついていたと言っていた。 十中八九、アレスのいた村の話に間違いないだろう。ラヴェルナは軽い興奮を憶えて読み進める。 (……こ、こんなん……) その内容はラヴェルナに衝撃を与えるものだった。 『イリョンの村の附近には、ユージンの花が多く生息していたのもこの悲劇に拍車をかけた。 ユージンの花には幻覚作用のある物質が含まれる。それまではその事実が知られておらず、麻薬の原料となるとわかったのはその事件がきっかけであった。 火によりその物質が気化し、村民に幻覚を見せた。恐怖の中にあった村民は、その恐怖からさらに恐ろしい幻覚を見て、必要以上のパニックを起こした。幻覚にとらわれ逃げることができずに、ほぼすべての村民が異形の者の腹の中におさまるか、炎によって焼かれてしまった。 この異形の者は騎士団の弓による一斉射撃により退治されたが、生き残った村民は一人しか確認できなかった』 足の震えが止まらなかった。 しかし、確かめなければいけない。 今度は植物の生態をまとめた本を席に持ち込み、ユージンの花についての記述を探す。 (……あった) 『ユージン科。 秋に美しい薄紫色の花をつける。幻覚物質を含み、麻薬に利用される。 火をつけると甘い香りを放ち、その時の感情に応じた幻覚を見せる。 多く吸い込むと幻覚症状が数日間続く。 危険性を指摘され、現在は栽培を禁止されている』 薄い紫の花。 甘い香り。 この二つは、アレスの話に出てきた単語だ。 (なんてことや……) アレスは大量に幻覚物質を吸い込んでいただろう。 感情に応じた幻覚、そしてそれは数日間続く。 つまり、アレスが見たもの、アレスが聞いた言葉、……そして女神と言う存在は。 それはすべて……この花が見せたもの。 アレスの信じるものは、ユージンの花の香りを吸った状態で、しかも幼い頃の記憶。 そんなものよりも、この書物にある現実が『真実』であることは明らかだった。 「あかん……」 私語が禁止されている図書館で、ラヴェルナは思わず声をあげてしまう。 「こんなん……ひどすぎるで……」 そして、本をそのままにして図書館を飛び出した。 (知らせなっ!) 今もアレスは幻覚を信じ込み、命をかけて戦い続けているのだ。そんな馬鹿げたことは、一刻も早く止めなくては。 しかし、探すアテはない。 今の状況は数日前と酷似していた。 あれはアレスに逃げられてしまった時だった。しかし今回は前回とは訳が違う。前回は「逃亡」で、今回は「決別」なのだ。 ……しかし、それでも! 幻覚の女神にとらわれ続けるアレスを解放しなくてはいけない。なにがなんでも見つけ出して、現実を叩きつけて……、目を覚まさせる。 「……Sクラスの異形の者が出たんだってよぉ」 走り続ける中、ラヴェルナの耳が一つの単語をとらえた。世間話をする中年男二人の会話に、アレスと自分を繋げるキーワードがあったからだ。 「な、なぁ、おっちゃん。その話、詳しく聞かせてくれへん……」 足に急ブレーキをかけ、二人の会話に割って入る。その息は、見ている方が苦しくなるほど乱れていた。 「あ、ああ……、近くの山の麓にな、Sクラスの異形の者が出たらしいんだよ。城の騎士団が討伐に出たが全滅したそうだ。 ……聞いた話じゃ、今は討伐隊の第二陣が攻撃をしかけていて、念のために編成した大部隊の第三陣も向かってるらしいぞ」 異形の者。その存在は畏怖すべきもののはずだが、今のラヴェルナにとっては光明の光となりうる。 前回も異形の者がアレスの元へと導いてくれた。 「その山ってどっちやねん」 「お嬢ちゃん、そんなの聞いてどうするつもりだ?」 「つべこべ言わずに、教えてぇな!」 ラヴェルナはなかなか質問に答えようとしない中年男の胸ぐらを掴んで怒鳴った。中年男は、その小さい身体からは想像できない迫力にたじろぐ。 「この町の南門から出て、南東にしばらく進んだところにあるが……」 「ありがとな、おっちゃん!」 中年男を解放し、詫びのかわりに軽くポンと叩いて再び走り出す。 (Sクラスの異形の者。まだ討伐されとらんのなら、絶対現れる!!) 根拠のない確信。だがラヴェルナに迷いはない。 その足は真っ直ぐに異形の者へと向かっていた。 |