女神の騎士

17

 予定では今日の夕方、タークドに着く。
 ラヴェルナは未だ、アレスに対して何もできないでいた。
 いつものように街道を歩く二人。その足取りは単調で、ただ作業的に前へと進んでいた。
 話しかける勇気が出ない。
 会話は自分の自信の源であるはずなのに。
 越えられない壁が立ち塞がっていて、話しても何も届かないような気がして。
 話しかけることは許されていた。アレスからその権利を得ていたはずだった。
 それを持てあます自分が悲しい。
「……金はあるのか?」
 話しかけられることなど有り得ないと思っていたラヴェルナは、アレスの声にびくりと反応した。
「……かね?」
 自分の声色に生気が無いのがわかり、さらに意気消沈する。
「マーキング除去手術のための金だ」
 マーキング除去。もともとはそれが目的だったんだと今さらながら思い出す自分が笑えた。
 風呂の後に必ずやっていた、異形の者除けの布を貼る作業も今では日常となってしまっている。
 それとも今日でお別れなのか。
 異形の者を呼び寄せるというマーキング。ラヴェルナは背中にあり、アレスは左腕にある。
 異形の者。そしてマーキング。それはラヴェルナとアレスを繋ぐ、絆のようなものだと言えなくもない。
「ある程度なら持ってるけど……、高いんか?」
「……足りなければ俺が出す」
 それは突き放すような声だった。
 マーキング除去手術が終わるということは、二人を繋ぐものがなくなると言うこと。そしてそれは二人の決別を意味していた。
 目的を終えたアレスが、ラヴェルナの側にいてくれる可能性は皆無だ。
 そして今の言葉は、何があっても今日決着をつけるという意味だった。
「……そんなん……」
 言葉に詰まる。
 何を言えばいいと言うんだろう。
 何か言うには、アレスの気持ちを理解し過ぎていた。
 自分とよく似ていている。しかし自分よりも重症だ。

 執着心。

 何かを強く求める心。一つのことにとらわれて、その他一切が見えなくなってしまうほどの強い気持ち。

 自分だけに注がれる愛情。
 自分だけに注がれ続ける普遍的な愛情。

 ラヴェルナはアレスにそれを求めている。
 そのアレスは、幼い頃に見た女神を求めている。
 そして、ラヴェルナはアレスの執着心を求めて止まないのだ。
 考えてみれば馬鹿げた話だった。
 そもそも執着というものは、他に気持ちが向いた時点でその言葉は適用できなくなる。だから、奪った時点で求めているモノはなくなってしまうのだ。
 明らかな矛盾。気付いてはいたが認めたくなかった。だけど、自分では奪い取れそうもない執着心を目の前にして思い知る。
 だけど……。
 日が傾いている。空が赤く染まっていく。
 先ほどから目に入らないようにしていた大きな町が、だんだんと間近に迫る。
「……い……イヤや」
 そんな理屈では納得できない。
 立ち止まって座り込むラヴェルナ。
「ウチは……どうしてもアレスが欲しいんや」
 毎日、夜までは我慢していた涙が流れる。
「……ウチの背中にマーキングがなくなったら。異形の者から護る必要がなくなったら……。アレスはいなくなってしまうんやろ?」
「……そうだ」
 アレスはどこまでも無感情に応えるだけで、それがどうしようもなく悲しくて。
「だったらウチ、手術なんてせぇへんわ。……そしたら」
「馬鹿を言うな」
「馬鹿はそっちやろ!?」
 涙が流れ続けるままで、表情を怒りの色に染めて顔を向ける。
「なんやねん女神て。そんなよくわからんもんいつまでも求めて……。
 14年? ……おかしいでホンマ。
 なぁ、本気で異形の者を滅ぼせるとでも思っとるんかいな。
 自警団も、騎士団も、もう何匹異形の者を退治したかわからん。アレスかて毎晩毎晩異形の者を退治してたんやろ?
 ……せやけど現実を見てみ。異形の者の数が減ったなんて話、聞いたことあるんかいな」
 堰を切って出てくる言葉。しかしその声は涙混じりで、時々かすれてしまうのがもの悲しかった。
「そんなことはわかっている。
 だが、俺はこの生き方以外はできないし、この生き方以外をする気はない。
 異形の者を滅ぼせる可能性がゼロだとしても、俺は異形の者を退治し続けるだろう」
 いつの間にかアレスはラヴェルナの前まで来ていた。そして、ラヴェルナの目を真っ直ぐ見つめ、強い意志を込めた言葉を真正面からぶつけている。
「イヤやっ!」
 耳を塞ぐラヴェルナ。
 そう答えることはわかっていた。だけど、実際に叩きつけられた言葉が持つ刃は思ったよりも鋭利だった。
「ウチはアンタと一緒にいたいんや。アンタに愛されたいんや!」
 深々と胸に突き刺さった言葉の痛みに、まるで子供のように泣きじゃくる。
 アレスはそんなラヴェルナを直視できずにいた。
 アレスにもラヴェルナの想いは伝わっているのだ。そして、アレスもラヴェルナに同じものを感じていて、だからラヴェルナの想いを踏みにじるのは辛かった。
「絶対マーキングはとらへん。とらへんっ……っ!」
 言葉の途中で首元に衝撃が走る。一瞬で血流を止め、意識を失わせる一撃。
「……ア……レス」
 意識を失う前に見たアレスの表情は、苦しみに満ちていた。

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