女神の騎士

13

「俺は異形の者を滅ぼすために生きている」
 何の脈絡も無くアレスは語り始めた。
 再び二人で進み始めたタークドへの道。
 男に過去を語らせたのは、あの夜見せたラヴェルナの本気だった。
 徐々に近づいていく心を感じ、同時にこれ以上踏み入れてはいけないという焦燥感。
 しかし、好奇心には勝てなくて。男のことをもっと知りたくて。ラヴェルナは黙ったまま、男の言葉に耳を傾けた。
「信じる必要はない。
 ……だが、俺にとってはこれが真実で、そしてそのために生きている」

 ***

 まるで自分はその時から始まったかのように。
 それまでの自分の記憶はほとんどなく、彼女のことだけを鮮烈に憶えている。
 家の近くに年上の女性が移り住んできた。
 初めて見たとき、この世にこれほど美しいものが存在するのかと目を疑った。
 ベローナ。
 それが彼女の名前。彼女こそ今のアレスを創り上げた存在だった。
 平和な村で過ごした日々。ごく普通の憧れと恋心。
 ベローナは美しいだけでなく、優しい性格の女性だった。そんな彼女に、子供だったアレスが強く惹かれるのは当然のこととも言える。
 ベローナは面倒見のいい性格だったこともあり、慕ってくるアレスの相手を笑顔で引き受けてくれた。彼女と一緒の時間を過ごせば過ごすほど想いは募っていく。
 当時10歳だった幼いアレスは、その感情をどうしていいかわからないまま、ただベローナの側にいることを望み続けた。
 ベローナをどんな女性かと表現するならば、だれもが「天使」もしくは「女神」のようだと答える。当然アレスも例外ではない。アレスは「女神」がもし本当にいるのであれば、間違いなくベローナのような女性だと思っていた。

 それから、しばらくして悲劇が訪れる。

 その時、アレスはベローナと二人で花畑に来ていた。
 そこは二人のお気に入りの場所。薄い紫の花が咲き乱れたその場所で、たわいない会話を楽しむ時間は、アレスにとっては最高に幸せな時間だった。
 普段なら夕暮れまで続くはずのその時間。その日は村から聞こえる人の悲鳴により終わりを告げる。
 赤く染まり、巨大な生き物が君臨する村。
 人の六倍ほどの大きさの異形。
 後に異形の者と称させる存在。しかも、Sクラスと判別される巨大な異形の者だった。
 地獄のような映像が視界に広がる。異形の者は村の人々を捕まえては口に放り込み、咀嚼していた。
 アレスの目はこぼれるほど見開かれ、全身には鳥肌が立っていた。
 村を赤く染めているのは、どうやら炎らしい。徐々に迫る火の手がそれを示している。
「ベローナお姉ちゃん……」
 ベローナの服にしがみついて震えるアレス。ベローナは何も言わず異形の者を凝視していた。
 村の人間を食い尽くしたのか、補食行動をやめ一度咆吼をあげる異形の者。
 その声に全身がすくみあがり、全身の震えはとどまることがなかった。

 逃げよう。

 その声すら出すことができなかった。
 ただただベローナの服にしがみく。
 やがて大好きだった花畑にまで火が移り、紫の花が赤く染まりだした。
 状況に似つかわしくない、甘い香りが鼻につく。
 足は震え、頭は痺れ。
 どうしようもない状況は、異形の者がこちらを向いた時にさらに悪化する。
 ゆっくりと、確実に異形の者が近づいてくる。
「……アレス、走れる?」
 しがみついたアレスに声をかけるベローナは、異形の者を凝視したままだった。
「オ、オレ……無理だよ。そんなの……」
 腰のあたりに顔をうずめ泣きじゃくる。ベローナはそんなアレスの頭に優しく手を置いた。
 こんな状況にあっても彼女の手は安らぎを与えてくれる。
「一緒なら走れるよね?」
 その手は頭から手へ。しっかり握られると足の震えがやわらいだ。
 アレスが頷くと、ベローナは異形の者から逃れるために走り出す。
 しかし、逃げるという行動が引き金となったのか、ゆっくりと動いていた異形の者がその巨体を宙に浮かせた。
 走る二人を暗闇が覆う。飛び立つ異形の者が、二人から日の光を奪ったのだ。少しして再び日の光が降り注いだかと思えば、今度はその巨体が退路を塞ぐように着地した。
 轟音と共に大地が震え、着地地点にあった様々なものが飛び散る。
「あっ!」
 突然の衝撃とともに大地が反転。
 運悪く飛び散った石のような物が額に激突し、足がもつれた。
 手を繋いでいたベローナを巻き込んで横転するアレス。気がつくと額に鈍痛が走り、触れると赤く湿っていた。
 幼いアレスを混乱に陥れるには充分な材料。さらに追い打ちをかけるように、距離の詰まった獲物を見下ろす異形の者が目前にせまる。

 失いかける意識。
 絡みつくように未だ刺激し続ける甘い香り。
 そして額の痛み。

 血によって視界は赤くぼやけていた。
 そんな中でもそれだけはしっかりと目に焼き付いた。
 異形の者の前に、自分を護るように立つベローナ。
 巻き起こる風が彼女の髪をはためかせるその姿は神々しく見えた。
 視界が光に包まれる。
 ベローナがゆっくりと宙に浮く。
「……めが……み?」
 思わず口に出る単語に自分自身が驚いた。自分の思考を現実の色に染めるように、光はさらに増していく。
「ごめんね。私にはこのぐらいの力しかないの」
 やがてその光とベローナは一体となり、異形の者を包み込んだ。
 それとともに異形の者が声なき叫びをあげ、みるみるその姿を縮めていく。
 光となったベローナの力。
 それは異形の者の動きを止め、その大きさを半分ほどまで縮めさせた。
 少なくともアレスにはそう見えた。
「お姉ちゃん……」
 光は徐々に明るさを弱めていく。
 アレスはその光が完全に消えてしまう前に意識を失った。


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