No.1210の記事

ドキがムネムネする

 鬱闘病日記。
※長くて意味不明っぽい
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 本日。
 傷病手当をもらうための手続きをしに自社へ行く。

 久しぶりにスーツを着用し、会社の偉い人と話をする。

 馬鹿みたいに緊張している。
 動悸は早くなり、暑くもないのに汗がじんわり。
 友人と食事をするとき、遊ぶとき、買い物、スポーツクラブのインストラクターとの会話。
 全然問題無かった。

 なのに、たった数分がかなりの苦痛。
 はっきりものを言うのが怖い。
 今までの自分なら正直あり得ない。

 そして極めつけが「復帰するためのスケジュール」という文言を聞いた瞬間の心臓の跳ね方が正直自分でも驚くほどだった。

 「復帰するため」でなく「スケジュール」という言葉に過敏に反応していたのだと思う。
 仕事を詰め込まれて、歯を食いしばって頑張ろうとした。

 結果、身体がついていかずにリタイアした。

 そんな自分が情けなくて、もともと風前の灯火に近かかった自信が喪失した。
 仕事において、なんとかしようと思ったことは、100点でなくても合格点はとってきていた。自分なりにスケジュールを組んで、業務をこなすことができていた。
 それが唯一の誇れるものだった。
 それを失ったんだと思い知った。

 今の自分に何かを決めてやり通すことができるのか。
 心臓が跳ねる。

 また失敗するんじゃないのか。
 思考が止まりそうになる。

 自分で判断するのが怖い。
 誰に何を言われても、最終的には自分が決めること。
 それを信条にして、すべてを自己責任と考えて、やってきてそれなりに成功していた。
 しかし、0点をとってしまった。

 怖い。

 虚勢を張るのは得意で表情には出さない。
 頭はぐるぐると回っているのに、無表情に落ち着き払った態度をとる。
 無意識に。
「大丈夫そうだね。よくなってきてるね」
 上司に言われた。
 波打つ鼓動を悟られぬように、愛想笑いとどちらともつかない言葉を返す。

 ああ、これか。
 これなのか。
 なんとなく、根本が見えてきた気がする。
 私は「辛い苦しい」と平気で口にする。
 しかし、本音はなぜか押し隠してしまう。
 前もって冗談めかして言葉にすることで、自分で抱え込む。正直なところ、そっちの方が楽だ。

 だから私は人に任せきることができない。
 信頼と言葉が嫌いだ。
 それは、自分が信頼されることが重荷と感じるから。
 だから信頼ではなく「判断」という言葉を使う。
 これなら自分に責任が来る。
 人が失敗しても「信頼していたのに」と責める必要がなくなる。「私の判断が間違っていた」と考えることができる。
 しかしそれは同時に、信頼を裏切ることに異常なまでの恐怖心を抱いているからかもしれない。

 それでは通用しない局面にはじめてぶつかり、どうすればいいかわからない状態が今……なんだろうと思う。

 こいつをどうにかするのは、一筋縄ではいかなそうだ。



 しかし、なんだろう。
 自分の心理状態を長文で書き終えると、「物語の一部分として使えるんじゃね」と思ってしまう。
 もったいねーとか思っちゃう私は、価値観がずれているんだろうね。