【ラブリー・エンジェル】 P2 (兄弟X拓…と思う )

 ガサガサと、背丈に近い長さまで生えている草を押しのけて、啓介は学校を目指して足を進めていた。気分はまるで探検家で、立ちふさがる大きな木の根も段差もひょいひょいと得意顔で越えていた。
「ふーんだ。この道のドコが危ないってんだよ。へっちゃらだぜ。」
 もしもの事故を考えられるほど、啓介は思慮深くない。まあ痛い目みないと分からないのが普通の子供ってもので、啓介はまさにソレだった。

 腰の辺りまである小さな木を、勢いをつけてハードルの要領で飛び越えようとした啓介に、梢や風の音とは違う、何かの泣き声のような音が聞こえてきた。
「ん?」
一瞬、その音に気を取られた啓介は着地に失敗し、ズルリと滑って盛大な尻餅をついた。
「〜〜〜いってぇ!痛っー!……あーあ、兄ちゃんの言うとおり、痛い目みちまったぜ。ちぇっ!」
兄にさんざん、『そのウチ痛い目みるからな』と言われていた言葉が、現実のモノとなってしまった。啓介は唇を尖らせてブツブツ言いながらもサッと立ち上がり、パンパンと汚れたズボンを払った。
 そして、耳を澄ませて、さっき聞こえた声の在処を探った。遠かったけど確かに子供の声のように聞こえた。誰か、自分のように転んで困っているのかもしれない。
「…あっちだ!」
 耳を澄ましてすぐ、風に運ばれて又、微かな声が聞こえた。啓介はすぐにそちらの方向に立ち並ぶ木の中へと入り込んでいった。

 声は、聞こえたり聞こえなかったりで、啓介はぐるぐると同じような場所を回ってしまった。…が、ようやっと、枝が大きく横に広がっている大きな木の近くにたどり着くと、くるりとその後ろに回り込んだ。
「……え?な、何だよ、これ!」
 啓介は、木の根本で蠢いているソレに目をむいて、しゃがみ込んだ。

「あ、あ、・・・赤ん坊じゃねぇかー!」
 啓介の大声に、泣きやんでいたその赤ん坊は顔をクシャッと歪めると『ふんぎゃー!』とこれまでにない程激しく泣き喚いた。それは、この小さな体から発せられているとは思えぬ大音響で、啓介は驚いて文字通り飛び上がった。
「うわ、わ、わぁー!なっ、泣くなぁ、泣くなってー。」
 慌てて反射的に手を赤ん坊の方へ近づけると、その子はすごい勢いで手を振って啓介の手を拒んだ。啓介にも、赤ん坊が嫌がってるのが分かり、取り敢えず差し出した手をひいた。
「まいったなー。」
 困り果てて、啓介は周りを見回してみる。赤ん坊が居るなら、近くにこの子の親が居るはずだ。

 だが、いくら見回しても、人影なんて見あたらなかった。啓介は又、耳を澄ましてみたが、この子以外、誰かがいる気配もなければ物音ひとつしない。
「変だなー。まさか、こんな小っちゃいのが一人でココまで来るわけねーし。どーなってんだよぉ、おい〜」
おぎゃあ、うぎゃあ!と大声で泣くその子をもう一度眺めて、啓介の方が泣きたくなってきた。
(一体、どうすりゃ赤ん坊ってのは、泣きやむんだよー!俺、知らねーよぉ!)

「・・・あー、お、お、俺が悪かったからさぁ。大声出してゴメンな。・・・だからさぁ、泣くなって〜。なぁ、な?」
 とにかく、この大音響を何とかしようと、啓介はなるべく優しい声で宥めた。
 もう1度、そうっと手を近づけると、やはり赤ん坊はものスゴイ勢いで両手をバシバシとぶつけてきたが、啓介はそれでも泣き続けるその子に手を進めて、薄く生えてる髪の毛をそうっと指先で撫でた。

「・・・うわっ、すっげー!ふわふわ…」
 自分の髪とは比べモノにならない。まるで羽毛のようなその柔らかい感触に啓介は関心したような声を上げた。
「な、泣くなって。・・・よしよし。俺、何もしねーからさぁ、泣かないでくれよー。頼むよ〜。」
 啓介は猫なで声で言いながら、何度も指先でその頭を撫でた。ふわふわとその細い髪を浮かせるように撫で続けると、赤ん坊の泣き声は段々小さくなって、ぐすっぐすっと言いながらも何とか泣きやんでくれた。

「はぁ〜、よかったー。・・・それにしても、なんでお前、こんなトコ居るんだ?」
 ふぅ〜と溜息をついて、泣きやんだ赤ん坊に一安心した啓介は、その子に向かって話しかけた。まあ、返事がないのは当たり前で、赤ん坊は何考えてるのか分からない顔でじっと啓介の方を見ていた。
 パチパチと顔の面積の半分を占めているのでは?と思うほど大きな瞳を、赤ん坊は瞬いた。見るからに薄い瞼が覆うその瞳は信じられないほど透き通った色をしていて、啓介はじっとその赤ん坊の顔を覗き込んだ。
 少しずつ、驚かないように、体温を感じるくらい近づいて、啓介はもう一度、指を伸ばした。今度はもう少し、手のひらで触れてみたくて。

 そうっとな、驚かさないよーにな…などと小さく呟きつつ、啓介はドキドキしながら赤ん坊の顔に手を近づけた。赤子は相変わらず、何だか不思議そうな瞳で啓介の方を見ていたが、泣き出す気配は見えない。
 サラッと指の先が触れて、ゴクッご唾を飲み込むと、啓介はもう少しだけ、手を近づけた。指全体で赤ん坊の頬に触れて、もう片方の手も同じようにして両頬を包み込んだ。

 言葉に言いあらわせない柔らかさと温もりが、啓介の指へと伝わる。
それは、啓介にとって、初めての感動だった。
末っ子である啓介は、人間の赤ん坊をこんなに間近に見たことが無い。一番近いのは、よちよち歩いて自分の後ろをついてきた従姉妹に触れた記憶くらいである。

 学校へ遊びに行く目的も忘れて、啓介はその赤ん坊に夢中になった。
調子に乗って何度もさすさす撫でていると、赤ん坊がその小さい手をあげて、啓介の指に触れてきた。
「うわっ…!すげー、ちっちぇ手だなぁ。何かむちゃくちゃ柔らかいし。
・・・それに、この目って…ちゃんと見えてんのかなぁ?」
 時々まばたきながら、じいっと啓介を見つめているように見える透き通った瞳に、啓介は吸い込まれそうな錯覚と不思議な感動を覚えた。
「なんか…むっちゃ可愛いなー。赤ん坊ってこういうモン?
・・・もうちょっと触っても平気かなぁ?…泣くなよ、泣かないでくれよ?」

 頭の上から顎まで何度も撫でて、振られている小さな手を掴まえたり、おなかや足の方まで、啓介は赤ん坊のあちこちに触れてみた。
自然と、啓介の顔には笑顔が浮かび、そのまま赤ん坊と視線を合わせた。すると、赤ん坊の方もニッコリと笑って、あぶ、あぶっと何やら楽しそうな声を上げて手足を動かし始める。
「うわっ、笑ったぁ!…すげぇ、すげぇ!…むちゃくちゃ可愛いなぁ、コイツ。
なんか…えっと、えっと……そうだ!天使みてぇだ。」
 我ながらなんてピッタリな感想だろうと啓介が思ってしまうほど、その子の笑顔は可愛かった。ホントにこんな可愛い生き物がいるなんて…と思うほど可愛くて、もっと何度も笑ってほしくて、啓介は一生懸命、その顔を覗き込んだり、ベロベロバーなんてあやしたりもしてみた。


           << BACK                NEXT >>



             NOVEL TOP                TOP