【ラブリー・エンジェル】 P13 (兄弟X拓…と思う )

 そんな涼介に変化を与えたのが、突然この家にやってきた、小さな赤ん坊だった。

 まるで絹糸のように滑らかで、細くてふわりとした色素の薄い髪。
 ミルクの香りが残る肌は透き通るように瑞々しく、触れるとぷにっと柔らかくて言葉にならない優しい温もりを与えてくれる。
 ぱっちりと開いた黒目がちな愛くるしい瞳は汚れ無き魂そのもので、不可思議な輝きを秘めているようだ。見つめられると目が離せなくなってしまう。

 拓海という名のその赤ん坊は、まるで天使のように愛らしい子供だった。
何の疑いもなく見つめてくる瞳の輝きが不思議と心を和ませて、見ているだけで人を幸せな気分にさせてしまう。
 瞳に力のある子だわ…と、ミツは第一印象でそう感じた。目は口ほどに物を語るとはよく言うが、この子はまさにソレである。

 何よりも、笑顔がすばらしく可愛らしい。
花が綻ぶようなその笑顔は、柔らかな羽がふわりと舞う幻影すら見える時があるくらいだ。その背に羽根が生えてないコトが、逆に不思議なくらい。
 拓海の笑顔には、誰も彼も思わずデレ〜っと笑み返さずにはいられなかった。
そしてそれは、心に堅い殻をもつ涼介ですらも例外ではなかったのである。

 勉強はいつも自室に籠もって行っていた涼介が、拓海が来てからリビングでそれを行うようになった。正確には、眠る拓海のすぐ傍で・・・。
 啓介が拓海に構ってはしゃぐ声がうるさいだろう。
 突然泣き出す赤子をあやすのは、気が散るだろう。
それでも、ミツがいる時ですら涼介は拓海の世話は自分がするのだと言わんばかりに、可能な限りその傍についていた。
 それは、拓海の為というわけではなく、涼介自身の望みによる行動。拓海の笑顔につられるように優しい笑みを浮かべる彼の姿が、それを物語っていた。

───笑ってくれるのが嬉しい。
───触れ合う温もりが嬉しい。
───つぶらな瞳に自分の姿を写してくれている事が嬉しい。
 それは日常の中の本当にささいな喜び。でも、だからこそ何よりも大切な気持ちだ。
拓海が散らす白くて柔らかな幻想の羽が、頑なだった涼介の心に降り積もる様が目に見えるようだった。

 拓海への愛おしさを隠す素振りも見せず、時には啓介と取り合うような真似までするのだ。いつも兄として、一歩引くか、それとも窘めていた涼介が・・・。
 それは、子供の小さな我が儘だった。でも、それでいいのだ。
 ああしたい、こうしたいと我が儘を言って、争ったり、諦めたり、奪い合ったり、話し合ったりすること。
きっとそれはとても大事なこと。勉強よりもずっと大切で、誰が教える事も出来ないことなのだから。
 そういった日々の行為から生まれる感情こそが、人の心を育てていく。感情を押し殺して育つことは、感情が育たない事と同じなのだ。

 毎日顔を合わす自分にも、血の繋がった両親にも、1番身近な啓介にも出来なかった事を、出会ったばかりの赤ん坊がしてしまった。
 無垢な笑顔一つで、誰も涼介に与えられなかった感情を、事も無げに与えてしまった。
 出会いはほんの小さな、多分、運命の悪戯のようなもの。でも、この小さな奇跡にミツは感謝せずにはいられなかった。

★☆★☆★

 やがて、眠りの世界から舞い戻ってきた拓海は、おぎゃぁ〜と大音響を上げた。
驚いた啓介がすぐに近づき、おむつが濡れていないか?を確かめる。涼介はその様子を見守り、弟が違うと首を振って見せたのと同時に立ち上がった。
 おむつでないならば、お腹が空いたのだろう。
「啓介。ミルク用意してくるから、抱っこしてあやしといてくれ。」
 涼介が言ったその時、ミツが哺乳瓶を手にしてリビングへ入ってきた。
「ミツさん」
「そろそろお腹空くだろうっと思ってたんですよ。」
 ニコニコと老婆は微笑んで、啓介の腕の中の赤ん坊を優しい手つきで撫でた。
(・・・やっぱり敵わないな)
 信じられないほどのグッド・タイミング。手の中にあるミルクが適温に暖められているだろうコトは疑うべくもない。
 涼介は再び、腰を下ろした。ココはしばらくミツと啓介に任せようと判断し、己はまた目の前の予習に取り組むコトにしたのだ。

 啓介はミツを期待の眼差しで見上げる。
「さあさあ、一緒にあげましょうね。」
「うん!」
そして、ミツは啓介の期待を裏切らなかった。
 拓海を抱きながらソファにきちんと腰を下ろした啓介の隣にミツが腰掛け哺乳瓶を手渡すと、そのまま啓介の手に手を添えて拓海の口元にそっと近づける。
 すると、鯉のようにパクゥと拓海が食いついて、チュウチュウとそれを吸い始めた。
ンクンクと音を立てながら、どんどん飲み干していく。啓介はその様子を嬉しそうに眺めていた。
 ミツが手を添えている時だけは、啓介の手からでもミルクを飲んでくれるのだ。

 すぐに空っぽになった哺乳瓶を、拓海はプハァ〜というように離した。むにむにと満足げに笑う様子が可愛くて、飲ませていた2人は微笑んでしまう。
「ほらほら、啓介坊ちゃん」
「え?……あ、そうか!」
 ミツに促されて初め何か分からなかった啓介だが、すぐに思いついて横抱きにしていた拓海の躯を起こす。自分と向き合うように抱いて、ポンポンと軽く背を叩いてやると、ケプッと拓海がゲップした。赤ん坊にミルクをあげた時の、お約束である。

 その後、瞳をぱっちりと開け見つめてくる拓海に、啓介は待ってましたとばかりに構い始めた。
 遊びは、啓介の担当だ。ガラガラやら、タオル生地のぬいぐるみやら、以前はモデルルームのように片づいていた高橋家のリビングは今や赤ん坊のおもちゃ売り場の様相である。皆が次から次へと買ってくるので、その量は半端じゃない。
 だが拓海はその中のどれよりも啓介の手が気に入っているらしく、初めてあった頃のように啓介の指を追いかけて遊ぶのが好きだった。
これは、今のところ啓介の1番の自慢である。

 しばらく遊んだ後、拓海は又、ウトウトと瞳を閉じ始めた。
「アレ〜?拓海、まだ、眠る気かぁ?」
 啓介の不満そうな声に、涼介はノートの上を走らせていたペンを止めて顔を上げた。
「時間にしたら、まだ、そんなに寝てないだろう?邪魔しないで寝かせてやれ。」
 寝る子は育つというので、涼介は拓海の安眠妨害に対しては、家族中の誰よりも厳しい。眠る拓海も可愛いけれど、涼介としては、一緒にお風呂入ったり、手を繋いで散歩したり、そういった1レベル上の交流を1日でも早く楽しみたいのだ。

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