【ラブリー・エンジェル】 P12 (兄弟X拓…と思う )

 眠りに落ちそうなところで啓介にガシガシと撫でられて、拓海は瞳を開けてしまう。
「コラ、啓介。そんなことしたら、拓海が眠れないだろうが。」
 涼介が窘めるように言ったが、啓介は懲りずに拓海を構い続ける。
時々構い過ぎて泣かせてしまい兄の鉄拳が落ちてくるのだが、それでも啓介は懲りなかった。
「さっきいっぱい眠ってたんだからヘーキだよ。今度は遊びの時間だよなぁー?拓海。」
 啓介にとって兄の鉄拳の痛みなんて、突っついてくる啓介の指先をふっくらとした柔らかい指でキュッと握ってくる拓海の笑顔ひとつでお釣りがくるくらいのものだ。

 一方、何度注意しても変わらない弟の姿に、涼介は苦笑を漏らした。
 本音を言うと、涼介だって啓介のように拓海を構い倒したい。片時も離さず、ぎゅっと柔らかいあの体を抱きしめていたいのだ。
 眠る寸前の、ふにゅふにゅ言いながらぐずる拓海をあやすのが、涼介の一等のお気に入りだった。
自分の胸元でコロリと丸くなって、ぎゅっとしがみついてくる様が何とも言えないほど愛くるしい。安心して、頼られてるのが伝わってきて、もう至福の瞬間なのである。
 でも、自分は兄なのだから手本にならなければならない…と、生まれついての長男気質で、涼介は日々、己の理性と闘い続けているのだ。啓介への小言は、自分への戒めでもある。
 後に鉄壁の自制心と褒め称えられる涼介の強い精神力は、こうして鍛え上げられていくのであった。

「ほら、もう止せ。…眠そうにしてるのは見れば分かるだろ?」
 まったく……とブツブツ言いながら、涼介はふかふかのベビー布団の中に埋もれている赤子をそっと抱き上げた。
 お尻と頭をきちんと支えて、心音を聞きやすい位置に固定する。こうして抱く方がいいと、ミツに教わったのである。
 抱き上げられた拓海は、ぷくぷくした指でキュッと涼介の服を掴んで、頭を胸元に刷り寄せる仕種をした。
安心したように満足げな笑みを浮かべ、すぐにスウッと眠りの世界に落ちていく。
 その様子に、涼介はふわりと優しげな笑みを浮かべた。
もっと拓海に構いたかった啓介も、幸せそうな拓海の笑顔に邪魔は出来ない。

 座りながらならば、啓介だって同じように拓海を寝かし付けることが出来る。
でも、立ったままでは危ないので、啓介は真似をしようとはしなかった。自分のわがままで拓海を落としたら…なんて、考えるだけでも恐ろしい。
 兄ほど力持ちではない自分がちょっと悲しいけれど、こうして拓海を眺めているだけでも充分幸せになれるのだ。

 あまり力を入れると壊れるのでは?と思うほど柔らかな体から伝わる優しい温もりが、なんの打算もない純粋な愛情を伝えてくれる。
───心の奥まで暖めてくれるような、ひととき。
短いその時間は、彼らにとって何ものにも代えがたい貴重な時間なのであった。

★☆★☆★

 そんな子供達を、優しく見守る瞳があった。お手伝いのミツである。

 ミツは、突然現れた拓海の存在を歓迎していた。確かに赤ん坊がいると色々手が掛かるけど、そんなことは何の苦にもならない。

 お世話になっている一家の、小さな幸せ。
それを守る為に自分に出来ることがあることが、彼女にとっての幸せだった。
とりわけ、子供らしい表情が増えたこの家の長男に彼女は大満足だったのである。

 ずっと心配していたのだ。
しっかりしてるけど、非の打ち所がない子だけれど、完璧な人間なんているはずがない。
むしろ涼介は危ういのではないか?…と、彼女は危惧していた。
 子供らしい言動の少ない聡い少年は、まるで急ぎ足で大人になろうとしているように見えて、それが可哀想でならなかった。
 次男である啓介が子供らしい子供なだけに、余計に涼介の不自然さが目に付いてしまう。
もちろん啓介の存在が涼介にとって、一種の救いであったこともちゃんと解っているのだけれど。
───もっとゆっくり歩めばいいのだ。人生なんて長いのだから。
 たまにはバカもやって、叶わないと分かる我が儘を言ってみてもいいのに。いたずらをしたり、やらねばならない事をやらずについ遊びに夢中になったり、そんなの子供だったら当たり前で、それは子供にだけ許される特権なのだから。

 だがミツの知る限り、涼介がそれをしたコトなど、ただの一度だってなかった。
 聞き分けの良すぎるその姿は、まるで何もかも諦めているように彼女には見えた。
彼にそのつもりがないのが、余計に悲しい。それは自分の内側にある淋しさや悲しさに、気付いていないということだから。
 このままでは、きっと心が先に大人になって疲れてしまうだろう。誰にも頼らずに『生きる』ということに。
そうして自分の孤独に気づいた時、簡単にやりなおしなんてきっと出来ないのだ。
 だから、今のうちに気づいてほしい。立派な人間より、幸せな人間になってほしい。
それは彼女の、切実な願いであった。

 ミツは何度も涼介に告げた。もっとあるがままの自分でいていいのだと。
自分が淋しい子供であることすら気づいていない彼に、せめてそのことを教えてあげたかった。
 でも言葉では、涼介の心までは響かない。ただ、耳を通り過ぎる音になるだけ。
だからミツに出来るのは、見守ってあげることだけだった。



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