映画・演劇鑑賞記録2003
2003年、これまでの鑑賞結果。
★は映画、☆は演劇。☆〜☆☆☆☆☆で満足度を表わしています。あくまで個人的満足度ですので、鑑賞の参考にはならないかもしれません。念のため。
12月28日(日)
今年は例年になくいろいろ鑑賞しました。芝居のベスト3は、シベリア少女鉄道『遥か遠く同じ空の下で君に贈る声援』、流山児事務所『書を捨てよ、町へ出よう〜花札伝紀2003〜』、少年王者館『それいゆ』。映画のベスト3は『ボウリング・フォー・コロンバイン』、『キル・ビル』、『ジョゼと虎と魚たち』で、次点としてマイケル・ムーアアポなしBOXに封入された『ザ・ビッグ・ワン』と『レッド・ドラゴン』。とまあ、こんなところでしょうか。
12月27日(土)
演劇実験室万有引力『奴婢訓』(作 寺山修司/演出 J.A.シーザー/会場 新国立劇場)☆☆☆
天井桟敷の最高傑作ということだったが、印象としてはいつもの万有引力。主人の不在の世界と、それでも主従関係を求めずにはいられない奴隷たちの物語。「主人」という言葉を「壁」と入れ替えれば「レミング」と通じるテーマ。巨大な主人の靴や、主人の命令と正反対のことをする奴隷など不条理ギャグの部分が面白かった。シーザーの生演奏による音楽的破壊力がすさまじい。最後には自らヴォーカルまで披露してくれて大満足。看板俳優の根本豊氏は(万有引力の舞台としては)この公演を最後に長期休団に入るとのことで、また一人天井桟敷時代からの人が減ってしまうわけである。「レミング」ラストの「あんたがたには出口なんてはじめっからなかったんだ!」という叫びしかり、彼の声を聴くだけで「ああ、万有引力の舞台だ」という感じがしたものです。あの独特の声がもう聞けなくなると思うと寂しい。きっとまた戻ってきてくれることを願います。
12月6日(土)
『草迷宮/トマトケチャップ皇帝』(監督 寺山修司)★★★★
『草迷宮』のDVD化を記念した渋谷ユーロスペースでの特別上映。初日は先着でポスターがもらえると聞いてさっそく行ってきた。やはり大きな画面で観るとクライマックスの迫力が違う。三上博史の股間はやはりボカシ入り。同時上映の『トマトケチャップ皇帝』が、久しぶりに観たら予想以上に面白かった。ルイス・キャロルの少女写真のようなエロティックさがある。
11月22日(土)
絶版になっている寺山修司のCD「涙を馬のたてがみに・競走馬の詩」が所蔵されているという噂を聞き、某大学図書館へ。寺山の書いた競馬詩の朗読CD。音楽は千住明。「モンタサンよ」「さらばハイセイコー」「さらばテンポイント」などのほか、知らなかった詩も多数収録されていたが、BGMも朗読も淡々としすぎている気がする。とりあえず一度聴けてよかった。続いて南青山に移動。
『宇野亜喜良ポスター展―'60/'70 広告篇』(会場 ポスターハリスギャラリー)☆☆
さすがわささめさん主宰のポスターハリスカンパニー直営のギャラリー兼カフェ。初めて訪れたのだが、こじんまりとしてなかなかいい雰囲気。展示作品は観たことがあるポスターばかりで大して目新しくはなかったが、「ご自由にお読みください」のコーナーに寺山修司の絶版貴重本が何冊もあったので、また暇な時にでもゆっくり来たい。さくっと鑑賞を終えて、青山劇場へ向かう。
『アートン版 宇野亜喜良展』(会場 スパンアートギャラリー)☆☆☆
絵本「踊りたいのに踊れない」・「瓶の中の鳥」の多数の原画や、そこに至る無数のスケッチが展示されている。エロティックな少女趣味の作品群が観ていて楽しかった。ポスターを買い、帰宅。
11月1日(土)
『合田佐和子 影像展−絵画・オブジェ・写真−』(会場 渋谷区立松涛美術館)☆☆☆
寺山修司・唐十郎などの映画・演劇で舞台美術・宣伝美術をしていた合田佐和子さんの展覧会。図録が2300円はちょっと高い。展示物の中ではやはり『青ひげ公の城』・『中国の不思議な役人』のポスターおよび『身毒丸』CDジャケットの原画が見れたの嬉しかった。唐十郎ともしょっちゅうコンビを組んでいたことにはこれまで気づかなかった。オリジナルの絵画やオブジェは抽象的すぎていまいちよく理解できない。
桟敷童子『贋作少年』(作 サジキドウジ/演出 東憲司/会場 白萩ホール)☆☆
一風変わった場所で公演を打つ劇団だが、今回の会場は西新宿百人町。怖いよ、ここ。歌舞伎町界隈はやめようよ。さて公演内容はというと、うーん、前回ほどの迫力はなかった。前回の『煙突野郎』物語と役者の熱気が渾然一体となっていたが、今回は物語と熱気が寸断されている感じがする。要所要所で無理やり騒いで盛り上げようとしているだけというか。ダンスも少年王者館のパクリ(意識したわけじゃないだろうけどそんな風に見える)みたいでいまいちだったし。嘘をつくために作り出した虚構のはずの少年が、やがて実体化し始めるって、考えたら『こどもの一生』の山田のおじさんだな、こりゃ。少年の正体も結末もはっきりしないのが、消化不良な感じ。
10月26日(日)
『キル・ビル』(監督 クエンティン・タランティーノ)★★★
栗山千明が最高でした。あの鋭い目が、目が!『BR』、『死国』、『おやゆび姫』と、ほんと「殺す」のが似合う女優だよなあ。赤い涙を流しながら息絶えるのもいい。映画全体としては、すごい映像美の部分とすごいキワモノ趣味の部分があって、なんだかなあという感じ。予告にもあった雪の舞う庭園での一騎討ちという美しさを描きながら、やられた方の頭から脳みそが飛び出してきてしまう所とかね。BGMの選曲は最高。サントラに収録されてない曲が多数あるので、是非完全版のサントラを出して欲しい。
10月16日(木)
ダンス・エレマン『われに五月を』(原作 寺山修司/芸術監督 宇野亜喜良/会場 草月ホール)☆☆☆☆
かなりいい出来でした。詳細はこちらへ。
10月12日(日)
演劇実験室経帷子『田園に死す』(原作 寺山修司/作・演出 広田謙一/会場 松本市ピカデリーホール)☆☆
うーん、まあまあでした。詳細はこちらへ。
『清作の妻』(監督 増村保造/原作 吉田絃二郎)★★★
増村保造レトロスペクティブのアンケートではこれが一番だった。面白かったが、そこまでの作品でもないような気がする。愛する夫が戦場に行ってしまうのに耐え切れず、その両目を五寸釘で潰すことで自分の傍へと留めようとする妻。げに恐ろしきは女の執念。
『「女の小箱」より夫が見た』(監督 増村保造/原作 黒岩重吾)★★★
「自分の夢と自分の女と、どちらか一つを選ばなければならないとしたら、どちらをとるのか」。泉鏡花の「婦系図」の例を挙げるまでもなく、古今東西幾度となく語られてきた命題。潔く片方を捨てる男と、情けなくも両方にしがみつこうとする男。女がどちらの男を選ぶかは明らか。自分を捨てようとする男を微笑んで刺す、岸田今日子が怖い。
10月11日(土)
『赤い天使』(監督 増村保造/原作 有馬頼義)★★★
戦争を舞台にしているが、増村監督らしく、そこで描かれるのは戦争の悲惨さよりも、極限状況でのときに倒錯した男女の愛である。「西!」「軍医どの!」と苗字と階級で呼び合う姿で、これが「エースをねらえ!」の「丘!」「コーチ!」のような、師弟愛ものだとわかる。互いをある型にはめ、ときにそこから逸脱することで快楽を感じるという倒錯した愛を感じる。
10月9日(木)
crosstalk『墓場まで何マイル?』(会場 日暮里・本行寺本堂)☆☆☆
なかなか雰囲気のあるイベントで、に楽しんできました。詳細はこちらへ。
10月6日(月)
『僕は天使ぢゃないよ』(監督 監督 あがた森魚/原作 林静一「赤色エレジー」)★★★
『オートバイ少女』より面白かった。『書を捨てよ、町へ出よう』をもっと明るいテイストにしたような感じ。音楽もいいし、林静一の絵もいい。
10月5日(日)
先週購入した『バトル・ロワイアル特別篇』のDVDを鑑賞。メイキング映像で深作監督が、女役まで自分で演じながら演技指導している姿に感動。本編の三村信史と相馬光子の死ぬシーンは何度見ても泣けるなあ。クライマックスの、炎の中での川田と桐山の一騎打ちも燃える。傑作だと再確認。
9月30日(火)
『でんきくらげ』(監督 増村保造/原作 遠山雅之)★★★
自分のために刑務所に入ることになった母を助けるために、体を張ってお金を稼いでいく少女が主人公。その魅力で男どもを手玉に取っていく、という流れはこれまでに観た増村作品とも共通するが、全篇に爽やかな印象があるのは、主人公の性格ゆえんだろう。「刺青」や「痴人の愛」のヒロインがその残酷さや薄情さを次第に浮き彫りにしていくのに対して、この作品のヒロインは体を売って男から金を巻き上げながらも、自分の心の優しさや気高さを失わない。ラストの心変わりが少し唐突な感じ。
『愛染恭子の未亡人下宿』(監督・原作 山本晋也)★★
増村保造を教えてくれた友人が、DVDを貸してくれました。。冒頭の未亡人が学生の筆おろしをする絡みのシーンのBGMに「都の西北」が流れてきて個人的に大爆笑。腰の動きにあわせて「わせだ、わせだ、わせだ」と歌声が流れる。ああ、我が母校の校歌がこんな使われ方するとは……しかもしっかり3番まで……バカすぎる。常にマスを掻きまくってる学生役で、桜金造が出ている。今は国営放送のゴールデンタイムの時代劇で、日本中の皆さんに笑いを届けている男がこんなことをしていたとは……。その他、タモリ、所ジョージ、モト冬樹など無駄に豪華な出演陣。深夜番組っぽい顔ぶれが集まり、映画というより「タモリ倶楽部」のスペシャル版みたいな感じだった。恐ろしく下品でバカでくだらない笑いの数々。
9月29日(月)
『この子の七つのお祝いに』(監督 増村保造/原作 斉藤澪)★★★
突っ込みどころ満載のご都合主義の展と、深い作品を目指して逆に作品の底の浅さが透けてくる感じに、80年代角川春樹映画の臭いがぷんぷんする。増村映画と言うより角川映画になっている感じだが、それでも女の情念の描き方に監督の力を感じる。この子の七つのお祝いに、無惨に自殺した自分の姿を見せ付けて、娘を逃げた男への復讐の道具にしてしまうという、げに恐ろしきは女の執念。岩下志麻の女学生姿には無理があります。
『世界の終わりという名の雑貨店』(監督 濱田樹石/原作 嶽本野ばら)★★★
大塚英志の「少女民俗学」を思い出した。ぬいぐるみ、洋服、帽子、靴、スカート、バッグ、キャンディー、さまざまな「かわいいモノ」に囲まれて、少女は自分自身もまた「かわいいモノ」になってしまいたいと願う。
9月25日(木)
『おもちゃ』(監督 深作欣二/原作 新藤兼人)★★★
ちょっと困り者で変わった、でも温かい大人たちに囲まれながら、少女が一人前の大人になっていくという、いわば王道の成長ドラマ。貧乏な家の少女がお金のために芸者になる、という風に物語の基礎の部分は使い古されたものだが、面白く仕上がっているのはキャラクターたちが魅力的に描かれているからだろう。クライマックスのシーンがい様にぼかしが利いていて、異様にオーケストラがうるさい。終わり方はエヴァみたいだった。物語の進行と関係なく、突然『仁義なき闘い』なみの、ストライキの労働者と雇用者の乱闘シーンが出てきたのには笑ってしまった。
9月23日(火)
『解散式』(監督 深作欣二)★★
噂に聞いた、石油コンビナートをバックにした着流し姿の男の一騎打ちを確認。シュールだがカッコいい。いつもの深作品通りに、甘い汁を吸うひとかけらの人間の下で犠牲になる底辺の者たち。主人公が命と引き換えに一矢報いるも、ラストカットには無常さが漂う。
『上海バンスキング』(監督 深作欣二/原作 斎藤燐)★★★
『蒲田行進曲』に続くオンシアター自由劇場の大ヒット戯曲の映画化。光の使い方がおかしかったりと演出がちぐはぐな感じがある。上海事変の戦闘シーンの描き方に熱が入っており、深作監督はこれがやりたかったんじゃないかと。何だかんだ言って、ラストの幻の「ウェルカム上海」の曲が流れてくるシーンにはぐっときた。
9月21日(日)
『御法度』(監督 大島渚)★★★
あ、なんかわからんが面白い。時代劇でしかもホモの話ということだが、ようするにウディ・アレンの映画みたいな誰とやっただの別れただののセックスコメディでした。映像も音楽も俳優も耽美的で美しい。
9月20日(土)
維新派『ノクターン』(構成・演出 松本雄吉/会場 新国立劇場)☆☆☆
壮大な野外劇を各地で展開してきた維新派の、数年ぶりの東京公演にして劇場公演。どこか籠の中の蝶という感じは否めなかったが、なかなかどうして中劇場の空間を縦横無尽に駆使して壮大な世界を見せてくれた。正直、途中で少しうとうとしてしまった。でも、それはこの作品の面白さを否定するものではないと思う。これは観劇というよりは旅。観客は客席という列車に乗って、維新派の作り出す『ノクターン』という国へ旅に出る。窓から身を乗り出して夢中で外の景色を眺めるもよし、まどろみながらときどき目を開けて自分のどこにいるのか確かめるもよし、旅の楽しみ方は人それぞれ。眠ってしまった人も、きっと夢の中で『ノクターン』の世界を旅できたことだろう。元気にどこまでもどこまでも駆けて行く少年少女たちが爽快。
少年王者館『それいゆ』(作・演出 天野天街/会場 中野ザ・ポケット)☆☆☆☆☆
どこか懐かしい無国籍的少年少女の世界。そういえばこの二次大戦前の浅草や上海っぽい感じは、維新派と似たところがある。言葉遊びで時間と空間と自己と他者の境界を越えて、無限に拡がっていく世界。役者が動く動く。みんな元気だなあ。恒例の無限ループシーンもいつにも増して激しく面白い。
9月19日(金)
『美貌に罪あり』(監督 増村保造/原作 川口松太郎)★★★
うって変わってさわやかな映画。当時の大映のオールスター等だけあって、女優等の共演が魅力。はねっ返りな少女を演じる若尾文子が、すがすがしくていい。
9月18日(木)
『千羽鶴』(監督 増村保造/原作 川端康成)★
これ本当に川端康成かよ。とにかく登場人物が好きになれない、めろめろのメロドラマ。中年女の情欲が鬱陶しい。
9月17日(水)
『痴人の愛』(監督 増村保造/原作 谷崎潤一郎)★★★
友人のお薦めの監督ということなので、増村作品をまとめて7本レンタルしてきた。先ずは1本目。描かれる物語は、『マイ・フェア・レディ』や『プリティ・ウーマン』の堕落した世界。少女を調教しようと企んで、逆に少女の地獄へと底なしに引きずり込まれていく男。ミイラ取りがミイラにという奴。しかし、エロいなあ。直接的なセックス描写はないが、愛撫の様子や肌の映し方など、とにかく「女の見せ方」が非常にエロティックでいい。
『刺青(いれずみ)』(監督 増村保造/原作 谷崎潤一郎)★★
あれ、なんか俺が知ってるあらすじと違う。そもそも原作では読み仮名は「しせい」となってたはずだ。女の呼吸に合わせて、生きているように蠢く女郎蜘蛛の刺青が艶かしい。ラスト、その蜘蛛が一突きで殺される瞬間のカタルシス。ヒロインは最初の段階から女海賊のような性格で描かれており、男を食い物するのも元々の性分という感じ。それを彫られたことで性格が豹変するという風な、刺青が果たす役割はいまいち弱かったように思う。
『卍(まんじ)』(監督 増村保造/原作 谷崎潤一郎)★★
谷崎原作の3本に共通しているのは、女が悪魔へと変貌していくというもの。この作品では岸田今日子と若尾文子の百合的関係という形でネタを変えて描かれてはいるが、物語の基本構造は同じなので、3本目となると、さすがに少し飽きてきた。しかしタイトルの「まんじ」ってのは何のことだったんだろうな。
『盲獣』(監督 増村保造/原作 江戸川乱歩)★★★★
来た、来た、来たーっ!江戸川乱歩の触覚芸術論!こういう変質的な話は大好きです。変質者の誘拐監禁もの。洋画で言えば『コレクター』、邦画で言えば『完全なる飼育』。ってここまで書いて気づいたが、『完全なる飼育』の脚本を書いた新藤兼人って(『盲獣』はちがうけど)増村映画の常連なんだなあ。道理でテイストが似てると思った。美術の間野重雄の作り出した、異様なセットが素晴らしい。しかし緑魔子って若いときはすごい美少女だったんだなあ。80年代に第七病棟に出演していた頃の舞台写真しか見たことがなかったから、もっと不気味なイメージを持ってたんだが。上記の3作とは逆に、この作品では少女が男の狂気の世界へと引きずり込まれていく。ごく普通の少女が、めくらの男からの果て無き愛撫の中で、触覚の魔力に取り付かれていく展開は圧巻。ただ、あのラストにはさすがに引いてしまった。人体切断まで行ってしまうのはちょっとなあ……。もうちょっときれいに終わってくれたらお気に入り映画になったんですが。
『濡れた二人』(監督 増村保造/原作 笹沢佐保)★★
本日5本目。さすがに少し疲れました。普通のメロドラマ。タイトルの「濡れた二人」――なるほど、海に濡れ、雨に濡れるか。北大路欣也のいかにもとってつけたような役作りに、ツッコミまくり。ラストの台詞もとってつけたようで興ざめ。何かとってつけたような部分ばっかだな。
9月16日(火)
『オートバイ少女』(監督 あがた森魚/原作 鈴木翁二)★★
94年の映画なのに、80年代初頭の匂いがぷんぷんするのは何故だろう。ストーリーは『母を訪ねて三千里』パターンの王道のロードムービー。漫画のカラー原稿のような、独特の色彩で構成された画面が美しい。山田勇男のセンスに近いかも。あがた森魚の音楽もいい。
9月13日(土)
シベリア少女鉄道『二十四の瞳』(作・演出 土屋亮一/会場 三鷹市芸術文化センター)☆☆
地獄のような暑さの中、駅から徒歩で会場に到着。最近の評判を聞きつけてか、満員御礼。が、正直いまいちの出来だった。舞台後方に2枚のスクリーンがあり、そのうちの左側のスクリーンに、舞台上に仕掛けられた24基の隠しカメラが捕らえた映像が映るようになっている。70分の上演時間のうち、60分近くは前振り。クライマックスで、突然右側のスクリーンに某有名歌手のミュージックビデオが映りだす。次々に隠しカメラが切り替わって左側スクリーンに映し出される舞台上の役者の様子が、ミュージックビデオの内容とそっくりなものになっているというのが、今回の仕掛け。こう書くと、まあそれだけのことですが。実際、あまり面白さを感じなかった。幕前に染谷景子さんが七尾こずえの衣装で客席に現れて、「ガッハッハ」という笑いと、全く似ていないロビンマスクのモノマネを披露してくれたことの方が収穫だったかな。
しずくまち♭『青のすべて』(作・演出 ナカヤマカズコ/会場 シアタートラム)☆☆☆
「にゃおにゃおプロジェクト」という劇団名を名乗っていた頃に何度か観たことがあったので、久しぶりに行ってみた。芝居と生演奏の音楽によるコラボレーション。雰囲気としては、ジャズ喫茶の感じに似ている。そのせいか年配のお客さんも多かった。物語は谷山浩子の小説のような、どうってことはないんだけど、何か不思議で幻想的なお話。劇的体験はないけど、アダルティなひとときは楽しめました。
8月23日(土)
演劇実験室万有引力『犬神』(作 寺山修司/演出 J.A.シーザー/会場 アートスフィア)☆☆☆
寺山の初期戯曲『犬神』を、月と神話のイメージで、より壮大なスケールに作り変えた作品。オープニングの『恐山和讃』のアレンジバージョンは迫力があったが、音楽的にも物語的にも突き抜けていない感じ。もともとそれほど魅力的な戯曲だとは思っていない。しかし会場で発売予定と言っていたサントラCDはどうなったんだろうか。『奴婢訓』先行予約で27日昼の回を購入。
実験演劇集団風蝕異人街『百年の孤独』(原作 寺山修司/演出 こしばきこう/会場 ザムザ阿佐ヶ谷)☆☆
冒頭、開演前から劇は始まっていて、半裸の女が数人、天井から垂れ下がった荒縄にまとわりついて蠢いている。なかなかエロティックでよかったのだが、結局これが作品中で一番魅力的なシーンで、これ以上に見るべきものはなかった。ここがこういう風につまらなかったというよりは、全体的に力が足りない感じがした。元々が晴海の国際展示場という巨大な空間を使い、5つの舞台で同時に違う物語を上演するという壮大な実験性がこの劇の主題であって、台本単体で見ればそれほど魅力のある作品ではないと思う。それを小劇場で上演するシンプルな劇に矮小化してしまっているのだから、無理がある。何というか、やはりあちこちに小劇団の限界を感じた。ちなみに隣に座っていた白人の青年は、舞台を見ながら時々くすくす笑っては、ノートに何かを英語でメモしていた。舞台が本気で面白くて笑ってたのか、演劇のレベルの低さを笑っていたのかが、気になる所だ。
8月16日(土)
劇団新感線『阿修羅城の瞳』(作 中島かずき/演出 いのうえひでのり/会場 新橋演舞場)☆☆☆
初演とのキャスト総入替えが見事に裏目に出たという印象。小市慢太郎の鶴屋南北には、狐面をつけて妖芳に舞った加納幸和のような色気がないし、近藤芳正の安倍清明は冴えない学級委員長みたいで、平田満のようなけれんみがない。なにより天海祐希のつばきが力強すぎる。初演の富田靖子には、ぴんと張り詰めて今にも折れてしまいそうな儚さや弱さがあった。そして弱さゆえにすがろうとした相手と戦わざるをえない運命。儚く弱弱しい少女が、燃える恋の炎に突き動かされるとき、最強の戦士である出門と戦う力を手に入れるという部分が初演の魅力だった。だが天海祐希は、男になど頼らなくても生き抜いていけそうに見えてしまう。だから「惚れた相手と殺しあわなければならない」というクライマックスの魅力が減ってしまった。唯一新感線生え抜きの俳優の橋本じゅんだけが、初演の石橋いっけい以上の怪演を披露していた。『ドラゴンロック』シリーズの剣豪天そのまんまという感じで、彼の登場シーンは爆笑もの。主演の市川染五郎は初演以上に美しくカッコよく、声も通るようになっているので、彼を見るだけでも価値はある。やっぱ才能あるよなあ。
八月納涼歌舞伎『野田版・鼠小僧』(作・演出 野田秀樹/会場 歌舞伎座)☆☆☆
幕見席で観劇。ギャグが多用され、俳優の掛け合いも絶妙で、爆笑の連続。贋物の鼠小僧になった棺桶屋の三太が、12月の24日に小判を降らせてやると子供と約束し、それが「サンタのおじさん」に繋がってくるあたりの物語上の仕掛けが素晴らしい。ただ、あまりに笑わせる方向に偏りすぎていて、いつもの野田作品のような物語の切れが足りなかったような気がする。上っ面で他人を判断してしまう民衆の愚かさと言う部分がもっともっと掘り下げられても良かったと思う。
8月3日(日)
毛皮族 実録!!ヌッポンオエロケ犯罪歌劇『夢中にさせて』(作・演出 江本純子/会場 駅前劇場)☆☆☆
観るつもりはなかったのですが、月蝕歌劇団の芝居が余りにひどかったので口直しに出かけました。色っぽいチラシに惹かれたのも理由の一つ。心底ふざけたタイトルですが、いやあ、面白かった。寺山修司の『毛皮のマリー』にちなんで劇団名を毛皮族にしたそうだが、こういう劇団にこそ寺山作品を上演して欲しいよなあ。『伯爵令嬢小鷹狩菊子の七つの大罪』とか、『新宿版・千一夜物語』もいいなあ。もちろん毛皮族っぽく大幅にアレンジした上でですが。一瞬で客席を圧倒する狂騒空間の創り方は見事。全てを捨てても客を満足させよう、やりたいことをやろうという情熱が素晴らしい。この舞台と客席が一体になる「熱気」は月蝕歌劇団には決定的に欠けているものだ。惜しむらくは、前回公演でも感じたことだが、物語が中盤からかなり中だるみしてしまうこと。ハイテンションを2時間半持続させるのは不可能なので、物語に緩急をつけるのが今後の課題でしょうか。
8月2日(土)
月蝕歌劇団『人力飛行機ソロモン―劇場版―』(作 寺山修司/演出 高取英/会場 新宿サニーサイドシアター)☆
初めからあまり過度な期待はせず、ただ、シーザーの音楽に載せて寺山修司の言葉が読まれるのを聴ければいいというつもりでいたのですが……それにしても今回は少々ひどすぎた。実験公演と言っているが、これでは本公演ほど手を掛けていない簡易公演、要するに手抜き公演である。演出とも言えない演出、小道具とも言えない小道具、演技とも言えない演技、劇場とも言えない小さな空間。要するにすべてが貧弱なのだ。寺山の言葉が貶められている感じさえした。客層は20〜30代のアイドルマニアっぽい男性ばかり。ようするに可愛い女の子が出てきて、愛想を振りまけばそれでいいという人々が観客だから、俳優も本気で演じない。女優が落書きしただけの紙を「おみくじ」と称して売ったり、ホッチキスで留めた冊子に生写真を貼り付けただけのものを「パンフレット」と称して売ったりと、できるだけだけむしり取ってやろうという魂胆が透けて見えるみえみえ。よその劇団ならこの半額で、ちゃんと製本されたパンフを売っているのに。劇場外に「暗黒の宝塚 月蝕歌劇団」というのぼりがでかでかと立っているのもなんか情けない。こういうフレーズは「周囲が自然とそう呼ぶようになった」からカッコいいのであって、自ら名乗ったら駄目じゃないでしょうか。これでは虎の威を借るキツネで、宝塚に対する負けを認めたようなものだと思う。……と、自分でも少し貶しすぎたと思うのでォローすると、出演者の中では唯一スギウラユカが、トレンチコート姿で女版・昭和精吾とでも言うべき熱演を見せてくれた。いっそ独演でもよかったのではないか。「人数がいるから出演(だ)せばいい」ってもんじゃなくて、出演者は厳選すべきだと思います。
7月29日(火)
26日に購入した『草迷宮』のDVDを鑑賞。初見のときは全く気づかなかったが、確かに三上博史が少年役で出ている。そして、ああっ!三上博史の股間にボカシが!!(笑)以前劇場で観たときはしっかりくっきり映ってたんだが、さすがに一般流通品では無理だったか。三上博史も有名になったしなあ。さて、内容について。映像的に美しいシーンは多いが、やはりストーリーは難解。まあ、寺山映画はみんなそうなんですが。
7月26日(土)
今日はいろいろと用事を済ませた。まずは池袋のリブロへ。中州通信のテラヤマ特集号を購入。ぽえむ・ぱろうるで思潮社の傷本フェアを1冊200円でやっていたので、寺山修司の本を5冊も買ってしまった。ラッキー。最大の目的だったDVD『草迷宮』は何と売り切れ。「おいおい発売日昨日だぜ」と思いながら店を出る。隣のジュンク堂で無事発見して購入。
次に、ずっと行きそびれていた有楽町のBRショップに行く。劇場前には無数の寄せ書きが書かれた、深作監督のポスターがあった。少し感動。さすがに有楽町の劇場は看板もでかい。BRショップで深作監督のポスターとプレスシート、ワイルド7バンダナを購入。BRTのB全サイズプレミアムポスターは売り切れだった。『BRU』について書いたいろいろを総括すると、『BRU』は『プロジェクトX』のように、作品が完成するまでの苦難こそがドラマだったのである。だから作品の完成の瞬間こそがクライマックスで一番面白かった部分。本編そのものはいわばエピローグで、「ヘッドライトテールライト」をBGMにした後日談。“劇場で幕が開いた瞬間にはもう「あー面白かった」と満足してしまってた”っていうのはそういうことです。
エレクトロ・カーディオグラム『SUPER
SONIC GIRL』(作・演出 モリタユウイチ/会場 萬スタジオ)☆☆
今は亡き劇団エレクトラ・オーバードライブと名前が似ているので、前から気になってました。それだけ。ええと、アマ劇団ではまあこんなもんですかね。さくっと観劇して、下北沢へ。
流山児事務所『書を捨てよ、町へ出よう〜花札伝紀2003〜』(作 寺山修司/構成・演出 流山児祥/会場 本多劇場)☆☆☆☆☆
この舞台最高です!感想が長くなりすぎたので、別ページに移動しました。こちらへどうぞ。
7月19日(土)
『踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』(監督 本広克行)★★★★
初回から満員。『BRU』と客層が違うのが印象的だった。いやあ面白かった。何だかんだいって今年の続編群の中では一番かな。朝日の批評で詰め込みすぎなんて言われてましたが、圧倒的な情報量の多さで攻めるのもこの作品の魅力の一つだと思います。ドラマの盛り上がりにもうひと捻り欲しかったかな。確かにレギュラー陣の誰かが重症を負う(TVなら真下、劇場第1作なら青島)以外に、刑事ドラマでの盛り上げようはないような気もしますが、さすがに3度目ともなると感動も薄れるというか。これからも2年に1度くらい続編を作って欲しい。
『式日』(監督 庵野秀明)★
ほら、『エヴァ』のときちゃんと叩いておかなかったから、この監督変な方向に行っちゃったじゃん!……って当時熱狂してた人間に言えた義理じゃありませんが。『ラブ&ポップ』のとき思ったことだが、「タイトルロールとエンディングロール以外いらない」というのが正直な感想。そうすりゃ8分くらいで済むのに、何故120分もいらない映像を付けるかなあ。かつて『エヴァ』のTVシリーズで物語に結末をつけないという荒行で注目を集めた庵野監督だが、今回はとうとう物語自体を語らないという所まで行ってしまった。じゃあはじめから作らなきゃいいじゃん。監督の次回作は実写版『キューティーハニー』だそうです。『エヴァ』もハリウッドで実写化されるそうで。何だかなあ。
7月12日(土)
『バトル・ロワイアルU 鎮魂歌(レクイエム)外伝』★★
何かだらだらと書いてしまったが、作品そのものだけじゃなくてそれを取り巻く状況も含めて『BRU』を楽しんできたので、極端な話、劇場で幕が開いた瞬間にはもう「あー面白かった」と満足してしまってたんだよね。で、最後の深作監督の姿を収めたメイキングビデオを鑑賞。話は飛ぶが、『ガメラ1999』に樋口真嗣特技監督が「もう死んじゃおうかな……」と呟いてるのを延々と編集したシーンがあったなあ。それが深作作品では、カメリハで役者が「出て来い、ぶっ殺してやる!」と叫び続けるシーンになるわけだ。何か作為的なラストだなと思ったら、オチがついていたので良し。
7月10日(木)
なんかネットを見てると否定的な感想が多そうなので、『BRU』に対して、思いつくままに駄文を。私はこの映画が好きである。面白い映画ではなくて好きな映画。これはたとえば自分が『ガメラ3』が好きなのと同じ意味での「好き」である。もちろん予備知識の全くないまっさらな状態でこれを観て傑作と思うかと訊かれたら答えはノーだろう。好きになれる作品というのは、作品としての完成度よりも、自分の心の琴線に触れる断片をどれくらい多く含んでいるかということに尽きる。ネットで見れる2分そこそこの予告編を気に入った時点で、この映画が好きなることはわかっていた。他のシーンがどんなにダメでも、そのシーンがものすごく好きなことに変わりはないからだ。予告編の中のワイルドセブンによる犯行声明とか、劇中における全世界に向けた演説とか。きっとDVDを買ったら、そのシーンだけを繰り返し繰り返し見るでしょう。そのシーンのためだけでも観る価値がある映画というのが結構ある。『フィフス・エレメント』の宇宙人のオペラシーンとか、『ユメノ銀河』の小峯麗奈が「オーライ!」って言うシーンとか、『ガメラ3』の特撮シーンとか。全体としてみた場合は、ほんとうに欠点は多い。「残り○名」と表示されながら中学生が殺し合いをする『BR』の持っていたゲーム性の面白さが、戦争状態を描くことで崩壊をきたしていることとか、ミサイル攻撃で殲滅できる時代なのに何故自衛隊が自動小銃だけで攻撃しなきゃならないんだ、これじゃサバイバルゲームか「風雲たけし城」じゃないかとか、竹内力の演技が過剰すぎて道化にしか見えないとか、突っ込みどころは山のようにあるわけだ。同じ遺作で比べても、篠田正浩の『スパイゾルゲ』(監督引退宣言が本当ならそうなるよね)の方が作品としての完成度は上だし、全体がきっちりと作りこまれていると思う。でも『スパイゾルゲ』には好きになれるシーンや鮮明に記憶に残るシーンは何一つとしてなかった。だから藤原竜也の演説――ようするに藤原竜也の口を借りた深作欣二の遺言なわけですが――を聞くだけでも、『BRU』の方がはるかに観る価値があると思うのである。どこかに思春期の少年の脆さや孤独感を内包した藤原竜也演じるテロリスト像がカッコいい。『乾いた湖』(脚本 寺山修司)で、「デモに参加する奴は豚だ」と言って、テロリズムに走った主人公を思い出す。デモという行為の中では、個人の意志や主張が、集団の意志の中で抹殺されてしまう、ちゃんと自分を持てよ、ということを寺山修司は言っているわけだ。テロはデモと比べて、その良し悪しは別としても、たった一人でも戦える方法だ。いやむしろ孤独な少数派だからこそテロリストにならざるを得ないのか。集団の正義の中で抹殺されていく少数派の反撃を、藤原竜也を通して深作欣二は描いている。ところで『レオン』もそうですが、「少女と銃」っていう取り合わせはなんかエロティックだよな。中学生が初めてオナニーを覚えたときの罪悪感、みたいな感じ?……何を書いてるんだ、俺は。「銃」は心理学的にはペニスを意味するそうである。古来元服と初陣と婚姻は、すべて成人して一人前になる意味を持っていた。人を殺すこと(=戦争)と人を孕ますこと(=セックス)を同時に覚えるっていうのは正しい。武器を渡されて戸惑う少年少女は、初めてのセックスで戸惑うようなもので、何をどうしたらいいかわからない。父親から捨てられ、みずからを成熟した「性」として意識しているキタノシオリやマチルダは、ためらいなく「撃つ」ことができる。が、もちろん肉体的にも精神的にもな成長しきっていない部分があり、そのギャップがエロスとなる。自分で書いててよくわからんですが、少女が細い体で銃を打つ姿には、マッチ売りの少女が生きるために裏路地で自分のスカートの中を照らすような、必死さと背徳的なエロさを感じるのですよ。しかし前田愛より年下のはずの加藤夏希が銃を撃っても、まるで違和感はないな。役作りの成果なんだろうが、こちらは成熟したエロさですな。で、また脈絡なく思いついたんだが、『レオン』におけるレオンの役回りは、マチルダが成熟するための移行対象だったのではないかと。何故思いついたかと言えば、大塚英志の『人身御供論』を読んだからなんだが。移行対象とは、幼児が母親と融合した内的世界から離れ、他者の存在する外的世界へと移行していく際の中間領域として、両者を媒介するものであるという。子供が肌身離さず抱いている縫いぐるみなんかがそうで、いちばん有名な例は、『スヌーピーとチャーリー・ブラウン』におけるライナスの毛布。それは肉親ほど近しくはなく、かといって恋人となるほどの性的な他人でもなく、常にそばに寄りそう見守る存在。そして移行対象は、成人して外的世界へと旅立つ際には、幻滅、あるいは殺害することによって、捨てさらなければならないものである。その考え方からすると、『BR』における教師キタノは、七原秋也と中川典子にとっての移行対象だろう。前田愛つながりで、『ガメラ3』における比良坂綾奈にとってのイリスなんかもそうかもしれない。思いつきも尽きたので、この辺で。午前3時に文章書くとこんな感じになる。ああ…。
7月6日(日)
『バトル・ロワイアルU 鎮魂歌(レクイエム)』(監督 深作欣二・深作健太)
★★★
深作監督の遺作。作品への期待が極限まで盛り上がりすぎてしまっていたので、どんなによくても満足できないだろうなあと思いつつ鑑賞へ。生徒が戦争に駆り出されるまでの前半のくだりはほぼ前作のリプレイなので、少々退屈。いくらアクションシーンを派手にし、竹内力が熱演しても、深作欣二の演出とビートたけしの存在感には敵わない。俄然面白くなってくるのは、藤原達也が現れる中盤からだ。深作監督は「BRUのテーマは何か?」と聞かれて「対ブッシュ!」と答え、藤原竜也演じる七原秋也の役柄はビン・ラディンなんだと言ったそうだが、ここまで作中で明確に描かれるとは思わなかった。全世界に向けた七原の演説――いやむしろアメリカの脅威に怯え縮こまっている人々へ自由を促す激励と言ってもいい――には素直に感動。「戦わずに勝ち取った平和なんて糞だ」ってのは、深作監督の言葉そのものだろう。運命に流れるだけだった者たちが、運命に立ち向かってゆくことを知る。言葉にすれば陳腐だが、それをおためごかしではなく、重みを持って描いていく。エンドロールの最後に深作監督の肖像が出たときも、少し感動。これで本当に終わりなんだな、と。いい映画をたくさんありがとうございました。
7月5日(土)
新宿梁山泊『唐版・風の又三郎』(作 唐十郎/演出 金盾進/会場 新宿花園神社)☆☆☆
花園神社に立ち上がる紫の巨大なテント。続々と集まってくる観客。幕が上がる前から、舞台にも客席にもえらい熱気が立ちこめてました。この熱気を同じ空間で共有できただけでも、来た甲斐があったと思う。荒削りの熱演。物語の内容は少々込み入ってわかりにくい。繰り返し流れるテーマ曲が魅力的で印象的だった。
6月27日(金)
『ボウリング・フォー・コロンバイン』を劇場で二度目の鑑賞。やはり最高に面白い映画。今年の上半期ではナンバー1だろう。笑い、悲しみ、怒り、苛立ち、喜び、この映画にはあらゆる感情が含まれている。まず、コロンバイン高校乱射事件のシーンで泣いた。理不尽な暴力に晒され、死の恐怖に怯えて助けを求めている人がいる。助けたいのに、何とかしてあげたいのに、何もできない。これはもう終わってしまったことなのだ。なんという無力。それが悲しい。そして、終わらないアメリカ合衆国の暴力、終わらないマスメディアの不安と消費による洗脳、終わらない銃所持者とのディスコミュニケーション。彼らを悪と断じてしまえば答えとして簡単だが、それでは勧善懲悪を騙る彼らの裏返しでしかない。むしろ彼らに悪意は少なく自分たちが本気で正義だと信じている。何故我々は違ってしまったのか、何故互いに分かり合えない場所へと辿り着いてしまったのか。あくまでも問い続けることしか我々にはできない。だが、それこそがきっと大切なのだ。正しいと思っていることが間違っていることもあるし、間違ったと思ったことが正しいこともある。
5月25日(日)
月蝕歌劇団『ネオ・ファウスト地獄変』(作・演出 高取英/会場 ザムザ阿佐ヶ谷)☆☆☆☆
ザムザ阿佐ヶ谷はラピュタ阿佐ヶ谷の地下にある劇場。しかし、ザムザって何だ?グレゴール・ザムザ?劇の内容は『女神ワルキューレ海底行』の続編。悔しいけどけっこう面白かった。かなりあざといが、主演女優の長崎萌の可愛さを最大限に生かして、魅力的に描いている。一之瀬めぐみも出ているので『テルマ&ルイーズ』のようにタッグを組んで戦うのかと思ったら、端役だった。学生闘争の権力VS反権力の構図が、神VS悪魔の闘争と重なって進んでいく物語もそれなりによくできている。クライマックスにもう少しメリハリがもっと良かったのに。しかしほんとに客層が男ばっかりで、なんだか異様な雰囲気が漂っていた。
5月24日(土)
劇団APB-Tokyo『身毒丸』(作 寺山修司/演出 高野美由紀/会場 麻布Die
Pratze)☆
文字だけも寂しいので、写真を撮ってくることにしました。麻布Die
Pratzeは東京タワーの足元にある劇場。ビルの外階段を歩いて入場すると、中に暗く小さな劇空間がある。しかし洋食屋のような看板ですな。
芝居の感想ですが、うーん、やろうとしていることは何となくわかるのですが、力が足りないというか、ギャグでやってるとしか思えない部分があるというか。幻想劇で笑ってしまうというのはやはりまずいんじゃないだろうか。「蒲田行進曲」のパロディをやっているシーンでは、思わず口に出して「くだらねえ」と呟いてしまった。柳田國男役の俳優の演技がかなり下手だったというか、台詞がちゃんと頭に入ってないと思われる部分が多々あった。役者の層の薄さを感じてしまう。また、女郎屋の娼婦たちとして出てくる女優の演技が、変に作り過ぎていて鼻についた。ゴギブリにしか見えない髪切虫とか、身毒丸が大事そうに抱えるガラスの小瓶が空のペットボトルだったりといった突っ込みどころも多すぎる。こういう細かな小道具がきっちりしていないと、物語に入り込めずにどうしてもしらけてしまう。堤幸彦の「トリック」のように「わざと安っぽくしてギャップで笑いを取る」演出なら別ですが、たぶんそうではないでしょう。継母が身毒丸を呪うシーンは迫力があってなかなかよかった。どうしたんだろう、『さらば、映画よ』はあんなに素晴らしい出来だったのに。身毒丸役の高野美由紀は明らかにミスキャストだと思う。たしかに魅力のある女優さんだと思うし、看板女優なのかもしれないが、少年の役をやるのにはあまりにも女性的すぎるだろう。無理にどの演目でも主役をやらせることはないと思う。劇団内に出来る人がいないなら客演を呼ぶとか、それが無理なら他の演目を選ぶとかなどほしかった。寺山作品では「伯爵令嬢小鷹狩菊子の七つの大罪」なんか上演したらはまるんじゃないかと思う。
黒色綺譚カナリア派『月光蟲』(作・演出 赤澤ムック/会場 明石スタジオ)☆☆☆☆
結納を目前にして自殺した弟の葬式のために、大学生のキイ子は10年振りに帰郷した。キイ子はそこで、弟の許嫁だった少女、宵二と出会う。宵二は弟が死んで以来、その後を追おうとして、彼が首を吊った土蔵に閉じ篭もっていた。そこに弟が生前、宵二の肖像画を依頼していた画家林誠一も現れる。幸せの絶頂にあったはずの弟がなぜ自殺しなければならなかったのかと疑念を募らせるキイ子に、宵二は「弟さんは不能だったのだ」と告げる。それでも二人は愛し合っていたのだが、宵二が強姦未遂事件に遭ったことを皮切りにその関係は変わっていく。そのときの宵二は必死で抵抗していたのだが、助けに行った弟には宵ニが襲われながら歓んでいるように見えたのだという。そしてそれ以来弟はさらに苦悩するようになったのだと。そして……と、こんな筋立てで物語は進んでいく。久しぶりにいい幻想劇に出会った。そこに悪意が存在しなくても、ただ純粋であること、美しくあることが、純粋になれない者、美しくなれない者を時に深く傷つけることもある。宵二が何故感情の赴くままに行動して、使用人や画家の心を奪えるかと言えば、そこには「若く美しいから」と言うのが厳然と存在しているはずで。それが容姿も精神も汚れてしまった者にはたまらない。そして美しくなれないキイ子は、もがくあまり人として最低の行動を取ってしまう。宵ニのけなげさに共感しながら、いつの間にか自分はキイ子に自分を重ねていたり。胸に刺さる内容でした。
5月17日(土)
『黒蜥蜴』(監督 深作欣二/原作 江戸川乱歩)★★★
知ってるレンタルビデオ屋をすべて廻ったが、『黒蜥蜴』は見つからなかった。しょうがないので、三百人劇場の追悼上映会に行く。開映30分前に着いたら、かなり長い行列ができていて焦った。そんなに人気があるのか、この作品。列のわりに、席は余裕で座れた。そして内容は……うーん、痛い。35年も前の作品だからしょうがないが、当時本気でやってた演出が今ではギャグでしかないないんだよなあ。三島由紀夫が生き人形役で出てきた瞬間なんか、場内は爆笑の渦に包まれました。それでも、美輪明宏の怪しい美しさは良く出ていたと思う。
5月10日(土)〜11日(日)
シベリア少女鉄道『さよならシベリア少女鉄道』(解説つきビデオ上映会/会場 大塚ジェルスホール)☆☆☆☆☆
過去作品の一挙上映ということで、vol.6から観始めた自分にとっては、またとないチャンス。上映会はどの回も満員に近かった。歌舞伎や外国劇の上演などでよく使われる携帯ラジオを使っての解説付き。出演俳優が生でしゃべりながら、突っ込みなどを入れてくれるのが嬉しい。幕間には「ここにいるぜ」染谷景子バージョンがエンドレスで流されていた。二日間も聞き続けてると洗脳されそうでした。
vol.3『今、僕たちに出来る事。あと、出来ない事。』
ありがちな連想ですが、「エド・ウッド」と「マーズ・アタック!」を思い出しました。出来ないことへの妥協もここまで確信犯的やられると脱帽です。
vol.5『耳をすませば』
クイック・ジャパンに載ったこの公演の記事を読んで「観よう」と思い立った、という私と同じパターンの人はかなりいると思う。2002年二本インターネット演劇大賞受賞作。3本の全くつながりのない劇が同時に上演されるとき、4つ目の物語が浮かび上がってくる。いやあ、爆笑させてもらいました。おなかいっぱいごちそうさま、という感じで大満足です。3本の個々の話も普通に面白いかったし。2本目の兄と妹の話とかほんと好きだ。
vol.1『笑ってもいい、と思う』
4月公演の初演版。たどたどしいなあ、初々しいなあ。
vol.7『遥か遠く同じ空の下で君に贈る声援』
これは生の舞台も見たのだが、やっぱり格段に面白い。というか好きだ。仕掛けももちろん面白いが、登場する一人一人のキャラクターがすごく好きだ。しかし、マルチエンディングじゃなかったんですね。
vol.2『もすこしだけこうしてたいの』
本編とあまりに無関係であまりに無意味な未公開シーンの数々にただただ笑える。でも、え、あれで終り?なんか「エヴァ」みたいな感じだ。ちゃんと本編の謎を解いてから終わってくれ。
vol.4『栄冠は君に輝く』
うーん、モノマネって全然詳しくないんですよねえ。モノマネ王座決定戦もほとんど観たことない。というわけで、解説をされてもわからない部分がけっこうあった。やっぱ予備知識がないと駄目だあ。
総括すると、やっぱり公演を経るごとに格段に完成度が上がっている。「デジャ・ヴュ」を観たときは、「チクショー、何でこの劇団を旗揚げから追っかけなかったんだ、俺の馬鹿!」と悔しがったものだが、むしろ最初に見れたのがされで幸せだったのかもしれない。最初に見たのが、vol.1だったら、「面白いことしてる劇団だな」とは思ったかもしれないが、「たとえ親が死んでも、次回公演も必ず観るぞ!」とまでは思わなかったかもしれないから。とにかく全体としては、大満足の内容でした。特典のCDも手に入れられたし。次回公演が楽しみです。それにしても、感想を書くのに難儀する劇団だ。
5月10日(土)
楽園王『九州鈴慕』(作 寺山修司/会場 麻布ディプラッツ)☆
寺山修司のラジオドラマシナリオを舞台で再現すると言う意欲的な試みだったが、成功していたようには思えない。薄く引き延ばしただけという感じ。普通に朗読してくれた方がましだったと思う。
ある月の美しい夜のこと。盲目の青年鵙市と尺八吹きの青年半助が出会う。鵙市は半助の尺八の音色を聞いていると、見えないはずの世界が見えてくるような気がするという。半助は鵙市のために、今目の前にある風景を、尺八の音色で表現しようとする。光り輝く満月、吹きぬける夜風、黒く生い茂る森。やがて鵙市の頭の中で、音が色へと変換され、次第に生まれたから一度も見たことがないないはずの世界の風景が、まぶたの裏にくっきりと浮かび上がってくる。二人は仲良くなってその夜以来何度も会い、そのたび半助は尺八の音色で様々なものを表現する。やがてある夜、鵙市は思いつめたように、「その尺八の音色で、私の母を表現して欲しい」と頼むのだが……。というのがあらすじ。「寺山修司の戯曲2」(思潮社)にシナリオが収録されているの数年前に読んでから、大好きな作品だった。何も見えない闇の世界の中で、「音」が「色」に、「旋律(メロディー)」が「風景」に変わっていくという部分に非常に想像力を刺激されて、何らかの形でこのラジオドラマを聞くことが出来る日がこないだろうかとずっと願っていたので、今回の舞台化には少なからず期待していた。……のだが、はっきり言って期待はしっかり裏切られた。まず「尺八の音色が、想像力の中で色に変わっていく」という部分がこの作品の肝だと思うのだが、ここでこの劇団は、尺八の音色を何らかの楽器の演奏ではなく、暗黒舞踏によって表現するという手法を取ってきた。これは明らかに「逃げ」だと思うし、舞台化する意味などないと言っていい。また、この劇団独特の手法とかで、台詞を本来の文節と違うところで区切ったり、同じ個所を何度もリピートしたりするのだが、これは寺山の言葉の魅力を貶める行為にしかなっていないと思う。映画のフィルムをずたずたに裁断するのと同じようなものだ。
5月6日(火)
『黒薔薇の館』(監督 深作欣二)★★★
ETVスペシャル「美輪明宏・一番美しいもの」で、三島由紀夫との交流に感銘を受けて早速「黒蜥蜴」を借りに行ったがなかったので、代わりにこれを借りてきた。美輪明宏が若くて美しい。白い頬の美少年(美少女)といった感じだ。「美輪さんがキスをしてくれるというから出演をOKした」と「黒蜥蜴」に出ていた三島が言ったというのも納得。話は王道のファム・ファタルもの。
5月3日(土)
『没後20年 寺山修司の青春時代展』(会場 世田谷文学館)☆☆☆
寺山修司は昭和40年から43年頃にかけて世田谷・下馬に住んでいた。この時期に演劇実験室天井桟敷を設立し、寺山宅の住所をもじって「下馬二五七」という芸名の俳優が生まれたりした。高校時代の恩師・中野トクとの往復書簡など、直筆原稿中心の企画展。ヴィジュアル的な華やかさはなかったが、寺山の若き日の息吹は感じられた。
昭和精吾事務所『われに五月を 総集編・叫ぶ種子あり』(構成・演出 昭和精吾/会場 初台DOORS)☆
昭和精吾の子供たちといった感じの若手たちによる公演。正直、かなり力の足りない公演だった。声に迫力がないし、セリフを間違えたり噛んだりしすぎ。それでも寺山が好きで集まったる感じは好感が持てた。きっと10年後、20年後の寺山演劇を支えてくれるでしょう。
桟敷童子『煙突野郎』(作 サジキドウジ/演出 東憲司/会場 中野光座)☆☆☆☆
唐組の弟分の劇団。久しぶりにエネルギーのある芝居を見た。唐組が、唐十郎の作家性によるものか、劇団として老成してしまったからなのか、失ってしまった若く瑞々しい力が感じられた。廃館になった映画館といういわば死んだ場所を劇場として使いながら、そこで命が蘇えるような錯覚を見た。
4月12日(土)
NODA・MAP『オイル』(作・演出 野田秀樹/会場 シアターコクーン)☆☆☆
王子を出たその足で渋谷に向かい、観劇。「アメリカ」と「日本」と「イスラム」と「戦争」。ほんとタイムリーな内容だ。「復讐心こそ尊い」という主張に痺れた。
シベリア少女鉄道『笑ってもいい、と思う。2003。』(作・演出 土屋亮一/会場 王子小劇場)☆☆
「シベ鉄」って略すとキングゲイナーっぽいな、などとくだらないことを考えつつ、観劇。久しぶりにパルテノン多摩に行ってみるのもよかったが、完全版ということなのでこちらへ。見終わった感想は「うーん、前振りが長いわりにはいまいちだったかな」、という感じ。いや、自分の好みの問題か。最近の「笑っていいとも」ってあまり好きじゃないから。いっそ「タモリ倶楽部」をネタにしてくれた方がいいなあ。観客動員数はずっと減ると思いますが(笑)。完成度は高いと思うのですが、自分の笑いのツボにははまらなかったので、次回のビデオ上映会に期待。染谷さんはホント芸達者だなあ。
3月29日(土)
『魔術音楽劇 青ひげ公の城』(作 寺山修司/演出 J.A.シーザー/会場 パルコ劇場)☆☆☆
開演までロゴスギャラリーで「寺山修司と天井桟敷の全ポスター展」を鑑賞。ほとんどが内容を知っているものばかりだったが、やはり現物は違う。私が一番好きなのはやはり映画「書を捨てよ町へ出よう」のポスターだ。いつか手に入れたいがプレミア付きで一万円はちょっときつい。そうこうしているうちに開場時間になったので劇場へ。いつものように開演前から、舞台上を俳優がさまよっている。今回はでっかい装置を身につけた俳優が客席に向かって「あんた誰?」と問い続けるというもの。そして開演。あまり特筆すべき所はなかった。マッチの火を使った演出やシーザーの叩きつけるような音楽は、一見さんには真新しいかもしれないが、万有引力の芝居を見ているものにとってはいつも通りのものだ。元々この台本自体、定型的な内容だと思うし、ラストも情緒的すぎて好きではない。何故流山児祥といい、この台本にこだわるのかがわからない。シーザーは公演のたびに「舞台の半分は観客が作るもの」という寺山の言葉を引用しつつ劇的なものを目指すようなことを口にしているが、たいてい、暴力性を失った上で天井桟敷の芝居を踏襲しただけのものになっている。
2月22日(土)
『ニンゲン御破産』(作・演出 松尾スズキ/会場 シアターコクーン)☆☆☆☆
13時の回の当日券の買うために10時半くらいに行ったのだが、けっこうな列ができていてあせった。さらにその時点で、もう19時の回のために並んでいる人がいるのを見てびっくり。6時間待ち?すげえ根性だ。何とか2階立見席をゲットし、観劇。内容はアレンの「ブロードウェイと銃弾」で描かれたような、クリエーターを目指す人間の苦悩と絶望と狂気の話。中村勘九郎演じる戯作者を目指す男が、劇場が完成し、役者も集まり全ての条件がそろったにもかかわらず、自分の中に表現すべきものが何にもないことに気づき、「空っぽだぁー、空っぽだぁー」と叫び続けるシーンに少し涙。盲目となった彼が、目に見えない幻の劇場で自分の劇が上演されるのを見つめ、喝采を送り続けるシーンにも涙。ほんと身に染みるなあ。人間っていうのはただの入れ物で、その中に才能やら何やらが入っている。中身がそこに収まりきらず、こんこんと溢れ出してくる人が、表現者となって世間の注目を集め、成功を手に入れられるのだろう。だが中身が入っていない奴だっている。そうゆう奴は、何とか入れ物を振って中身が外に飛ぶようにしたり、ほかのもんで薄めて量を増やしたりするしかないんだ、きっと。
天然ロボット『ホルマリンの少女』(原作 J.P.ギドー/脚本・演出 湯澤幸一郎/会場 中野劇場MONO)☆☆☆☆
ゴスロリを着た新谷真弓が可愛い。下世話ですが、きれいな女優さんを生で間近で観れるというのも、芝居の大きな魅力の一つですね。体温のない少女しか愛せない変態男と、したたかに生きる少女の話。新谷真弓はほんと独特の声をしている。エロティックな部分もなかなかよかった。
2月8日(土)
ヴィレッジプロヂュース『1989』(原作 ケラリーノ・サンドロヴィッチ/構成 ブルースカイ/演出 村上大樹/会場 青山円形劇場)☆☆☆☆
小劇場の若手が結集。野村祐香演じる女子高生が、恋人の売れないロック歌手をスターにするために、タイムトンネルで1989年へと旅立つという話。1989年の世界が何か懐かしくてしみじみとしてしまった。野村祐香は可愛い。終演後、友達の誘いで渋谷エルミタージュの深作欣二監督追悼特別上映のオールナイトへ向かう。
深作欣二監督追悼特別上映・仁義なきオールナイト
『仁義なき戦い』『広島死闘篇』『代理戦争』『頂上作戦』『完結篇』★★★
ラインナップは全五本。21時開映だが、混雑を予想して19時半から並びだしたときには、自分が6番目。もしやまったく人がこないのかと思っていたら、15分前くらいから続々と人が集まってきて、開映前にはほぼ満員に。客層が様々で面白い。普通にオールナイトを見に来たパンピー、全作品網羅してそうな映画マニア、リアルタイムで普通に観てたと思われる中間管理職っぽい中年たち、マジに「仁義なき」してそうな強面のおっちゃんたちなど。幕が開くとき、客席から誰ともなく拍手が起ったのにちょっとぐっと来た。9.11テロ後の世界にケンカを売ってるとしか思えない「BR2」の特報にしびれる。そして本編開始。なかなか面白いが、さすがに9時間ぶっつづけはつらい。3作目辺りから登場人物がこんがらがってわけが判らなくなる。5作目の「完結篇」の中盤からは意識がなかった。深作ファンにとって、遺作となった「BR」は別れだったろう。だが、自分にとっては始まりであり、出会いであった。「魔界転生」や「南総里見八犬伝」を昔観たことはあったが、「深作欣二」という名前を意識しながら作品を見たのは「BR」が最初だった。「BR」「BR特別篇」に感動して、続けて「蒲田行進曲」や「忠臣蔵四谷怪談」をむさぼるように観た。そこには一貫して、時代を越えては破壊力を持つ人の中の衝動・暴力性が描かれていた。きっとこれからも多くの人間が、深作作品と出会い続けるだろう。人は死んでも、映画は死なない。
2月1日(土)
シベリア少女鉄道『遥か遠く同じ空の下で君に贈る声援』(作・演出 土屋亮一/会場 王子小劇場)☆☆☆☆☆
非常に面白かったが、またもや面白さを伝えるのに非常に難儀する劇団だ。とにかく見て、そして驚いてほしい。キャラクターとしては、電波系ストーカー少女、七尾こずえが心に残った。どうもこうゆう壊れた美少女に惹かれる。大槻ケンヂ『ステーシー』の詠子とか、夢野久作『ドグラ・マグラ』のモヨ子とか、あるいは永野のり子『電波オデッセイ』の原とか。世界から切り離され、見捨てられ、自分の世界に閉じ込められた少女。たった一人で世界と対峙し、孤独と戦いながら願うことはただひとつ。それはあのフランケンシュタインのように、「誰でもいいからたった一人、自分を愛してくれる人間がいれば、自分は全てを許せる」ということ。想いはちゃんと通じたのだろうか。少女は幸せになれたのだろうか。などと、ちょっとドリームが入ってしまった。救いを見せながらも、明確なハッピーエンドとしての描写がなかったので、終演後もそれだけが気がかりだった。
さてここから先は、紹介文というより覚書。電波系ストーカー少女「ウレシー・インザスカイ」の七尾こずえ。彼女に振り回される友人の「ナンデスッテコト」花枝。たまたま居合わせて巻き込まれる「オカシクネ」二階堂。こずえに惚れられる「ゼンゼンワカンナイ」五代裕作。偽名を使っていろんな男と付き合ってる「ホメラレルトマイル」六本木朱美。五代のそっくりさん「ソンナワケ・ナイスショット」三鷹瞬。「イラッシャイ」のマスター。わざとらしく妙な口癖を持った登場人物たちで、何かあるなと匂わせつつ、後半、またもあっと驚くしかけが。「お手元のパンフレットをご確認ください」という言葉に手元を見ると、おお、馬番が書いてある!もしかして公演によって着順が違ったりするマルチエンディング!?しまった、全キャラコンプリートクリアするまで通わないといけなかったのか!などと、オタクっぽい感想を抱いたり。一番好きなシーンは、振り回されるのを迷惑がるそぶりをしていた花枝が、実はこずえを本当に親友として大切に思っていて、こずえがわが道を突き進む姿を見るのが好きだったことがわかるところ。こうゆう友情話は男同士だと泥臭くなるが、女同士だときれいで、素直に「ああ、いいなあ」と思えた。
流山児事務所『青ひげ公の城』(原作 寺山修司/脚本 山崎哲/演出 流山児祥/会場 東京芸術劇場)☆☆
心意気ばかりが空回りしている感じ、というのか。前回の「人形の家」がぎりぎり小劇場に留まっていた作品なら、これは完全に商業演劇。劇劇の入れ子構造という前衛的な主題を持ちながら、脚本や演出は平凡なミュージカルのもの。宇崎竜童の音楽は非常によかった。天野天街の映像は、あまり劇的効果を持てなかったように思う。前回に続き、藤原カムイのポスターはシンプルだがいいデザイン。このまま専属のポスター描きになるんだろうか。流山児祥の出番が開演前の「イッツ・ア・ショータイム」のナレ−ションだけだったのが残念。出演してほしかった。
1月20日(月)
劇団APB-Tokyo『人形革命』(作 柴田優作/演出 浅野伸幸/会場 ザムザ阿佐ヶ谷)☆
昨年8月に見た寺山修司原作の作品は面白かったんだが、今回は不発でした。月蝕歌劇団や万有引力の芝居もそうだが、寺山原作をやるときとオリジナル作品をやるときでは、圧倒的に台詞(ことば)の持つ破壊力が違うように思う。上演時間も2時間10分くらいあったが、意味のないシーンも多いし、1時間半くらいで十分だったと思う。破壊力のない台詞をリフレインされることほど、つらいものはない。