戦闘のない束の間の休息。
僕の右手は、あたかもそこにピアノがあるかのように、自然と動き始める。やっぱりピアノに触れられない日々は淋しい。
僕の大好きな、白と黒の鍵盤。音楽は、世界共通語だっていうよね。
戦争が終わったら、コンサートを開きたいな。宇宙も地球も関係なく、僕のピアノを響かせたい。
夢じゃなくて、現実にしたいなって思うんだ。









「はぁ〜、平和だねぇ〜」
オーブ連合首長国オノゴロ島。頭上に広がる澄んだ蒼と白い雲。地球の中立国から見上げる空に、ディアッカは息を漏らした。
「フン、何が平和だ。自国の領域で先頭があったというのに、ここの連中は世界が戦争をしていることに無関心なだけだろ」
綺麗に整備されたアスファルトの道に、備え付けられている防護用の柵に体を預けたイザークが、感情のままに吐き捨てる。彼の苛立ちが、ディアッカにも伝わってきた。
苛立ち―――。
オーブ領域付近での足つきとの戦闘。中立国の領域へ逃げ込まれてしまえば、攻撃は出来ない。結果として足つきを見失ってしまった。
オーブのオノゴロ島。軍とモルゲンレーテの島。とても厄介な場所の一つだ。
衛星からでも、この島の様子は分からない。それだけの秘密を保有しているのでもあろうが、足つきがここへ入ったのかどうかも定かではない。
しかし、オノゴロ島に入ったのでなければ、足つきの姿はディアッカたちの前に現れているはずだ。が、それがないのだ。
だから、足つきがここにいるという証拠が欲しかった。オーブは既に足つきの存在を否定した公式発表を行っている。
そんなもの―――とディアッカは思う。
公式発表を信じるほうが無理な話だ。政治的な意味合いが強いであろう発表内容は、あくまでオーブ視点のもだ。そう宣言することで、足つき、云わば地球軍との関わりを否定しているのだろう。
ディアッカは道を挟んだ目の前にある建物を、静かに睨んだ。
モルゲンレーテ。
ペリオポリスで、ディアッカたちが地球軍から奪ったモビルスーツや足つきの、製造に携わった軍事企業。中立だと言いながら、その技術力は地球軍へ流れていた。
オーブは中立という前に、軍事国でもある。
自国を護る力は、確かに必要かもしれない。地球連合にもプラントにも属していない分、対等に渡り合う力は、大きい方がいい。
けれど。
その高度な技術力で造り出した戦艦は、地球軍のためのものだ。一体、どんな目的なり意味があったというのか。
―――中立。
コーディネータもナチュラルも関係なく、受け入れる国。
争いが嫌でオーブへ行くコーディネータももちろんいるし、ディアッカもそういう人たちの気持ちを理解しているつもりだ。
しかし。
評議会議員の父を持つディアッカにとって、政治はとても近い世界だった。
地球とプラント間の緊張も、時折見せる父の苦悩から、実感として体に染み込んでいる。
そして、ユニウス7の悲劇。
何もしないで、戦争の行末を見ていることなど出来なかった。プラントを護るために志願した軍。当然の流れだった。
敵は―――地球軍。
ディアッカたちも、オーブと戦争をしようなどとは思っていない。ここには同胞がいる。平和を求めた人がいる。
彼らを巻き込みたくはない。
ヘリオポリスの苦い経験。
あの奇襲作戦で、ヘリオポリスが落ちるとは思ってもいなかった。そこに住む同胞を、気遣う余裕すらなかったことが、自分たちの過ちだったのかもしれない。
それほど衝撃的なことだった。
だからなのだろう。ヘリオポリスの崩壊が、後を引いている。この地に立って、改めて実感することだ。
反面、中立という実に便利な言葉の裏には、巨大な軍事産業が存在する。地球軍は、この秘めた力を欲している。だからモルゲンレーテを受け入れた。
が、力を欲すると同時に、脅威だと考えていてもおかしくはない。プラントはオーブを剣を交えたりしないと、ディアッカは思っている。
地球軍だけでもやっかいなのに、これ以上敵対する相手を増やしたくないというのが本音でもあろうし、プラントもこの国の軍事力を恐れている。
けれど、地球軍にとってオーブはどう見えるのだろう。
他国の争いに、介入しない国。知らぬ存ぜぬで、この戦争に関わりを持たないでいられるだろうか。
(あぁ・・・そうじゃない。オーブは・・・)
ディアッカは小さく息を吐く。オーブは最初から、関わっているではないか。
ヘリオポリスで造られた足つきが、それを証明している。モルゲンレーテの単独でのことか、それともオーブ政府も了承していることなのかは分からないが。
政府が自国の軍事企業が、地球軍と密接な関係を築いていることを全く知らない、などということはないはずで。
どちらにしろ、中立の姿勢を崩していないオーブにとって、足つきは争いを呼ぶ火種なのかもしれない。
「・・・本当にいるのかね。足つきのやつらってさ」
モルゲンレーテの工場を見つめたまま、ディアッカは声を落とす。
先日の足つきとの戦闘は、オーブ領域の目と鼻の先でのことだ。あれから姿の見えなくなった足つきを追い、ディアッカたちはオーブへ潜入している。ここにいるはずだと決め付けていたわけではないが、確立は高いと思っていた。
証拠が欲しい。足つきがここにいるという確かな証拠。
そうすれば正面からオーブ政府に圧力をかけられる。足つきを―――堕とすチャンスだ。
けれど、一日歩き回ってみたものの、その姿は見つけられていない。あれだけ大きな戦艦なのだ。隠すにしても、それらしい場所が見当たらない。
本当に、いないのだろうか。
「足つきを隠している場所かぁ・・・。よく分かんねぇな」
「お前が分からないからって、俺に聞くな。俺だって分からん」
腕を組み帽子を深く被っているイザークもディアッカと同じで、フェンスで隔たれた工場を視界に捉えている。
ザフトの制服で街中を歩けるはずもなく、今はモルゲンレーテの作業服を着ているが、帽子の下から覗く瞳は鋭い光を湛えている。平和を掲げる国が、これから戦争の表舞台に出てくるのか、見極めようとしているようでもある。
ディアッカは、空を仰いだ。
「ここにさ、足つきがいなければ、俺たちは無駄足ってことにはなるのだろうけど、もし足つきがいたらさ、やっぱここは戦場になるのかなぁ」
「あいつらがいれば、後は評議会がオーブに圧力をかけるさ。オーブは足つきはここにいないと公式に発表しているんだ。評議会はオーブがプラントに敵対していると思うんじゃないのか?そうなれば、ここも戦争になるだろうな」
当然のことだろうと告げるイザークの表情は、ディアッカの見慣れているもので。そこに躊躇いのような、余計なものかもしれない感情の動きはなかった。
「だよなぁー。でもさ、ここには俺らの同胞がいるじゃんか。本当にさ今更なんだけど、ヘリオポリスも同じだったろ。でもあの時は、地球軍の新型を奪うことに必死っていうかさ。堕ちるなんて思わなかったし・・・。だからさ、ヘリオポリスにいた俺らの同胞って、何を思ったのかなぁって。ここも戦場になるかもしれねぇんだろ。やっぱザフトは・・・憎まれ役なのかね」
太陽の眩しさに眼を細めながら言うディアッカへ、イザークはゆっくりと視線を移した。少しだけ驚いたように、隣に立つ男を見る。
「何だお前。らしくないこと言うな」
「そうか?俺、別に変なことは言ってないだろ」
「・・・確かに変じゃないけどな。俺たちは俺たちのやるべきことをやるだけだ。ヘリオポリスの同胞がいることは、最初から分かっていたことだろ。けど、俺たちの任務は新型の奪取だった。それだけだ。コーディネータだろうが、ナチュラルだろうが、オーブにいる奴らは現実が分かっていない。憎まれたっていいさ。俺は何もしないのに、誰が悪いなどと叫んでいる奴は好きじゃない」
「まぁね。俺たちは俺たちの国を護っているわけだし、何もやらない奴らに、文句を言われたくないけどさ。なんだろうなぁ〜。実際に、戦争の中の平和ってもんを感じるとさ、ここを戦場にしたくないなぁって思わねぇ?」
「だから、ここがそうなるかは、まだ分からないことだろうが。今は足つきのことを考えろよ」
ディアッカから顔を背け、イザークは息を吐く。彼の言いたいことが、全く分からないわけではない。ヘリオポリスは、自分たちの予想外過ぎることだった。
シュミレーションと現実の違い。
追っても追っても、討てない足つき。
オーブの領域近くで戦闘になってしまったことが、誤算だったというのは言い訳なのだろう。見失ってしまった敵の居場所を探るための潜入。
いつになくそれを強く言い出したのは―――。
疲れたように額に手を置き、イザークはきつく眼を閉じる。
なんとなく感傷的な気持ちがせり上がって来てしまうのは。
やはり、平和の国にりうからなのかもしれない。
「・・・ったく、あのバカは、なんだってここに拘ったんだ」
声に出したつもりはなかったが、漏れてしまったそれにディアッカが反応した。
「・・・アスランとニコルはどうだったかな?もうすぐ予定時間だぜ」
「何か分かれば連絡が入るだろ」
瞼を上げ、軽くかぶりを振りながら、イザークは言う。
彼―――アスランが近くに、すぐ傍にいるというのに。
ジブラルタル基地で、確かに話は出来たけれど、彼が抱え込んでいる何かには、未だに触れることは叶っていない。
が、傍にいる分、安心を得ている自分を、イザークはおかしく思った。これではまるで、彼に対して恋心にも似た、少しばかり甘ったるい気持ちを自覚してしまった、迷える子羊のようだ。
多分、それに似た感情はあるのだろう。仲間というだけでは納まりきれない、特別な想いがある。
ただそれは、明確な形のあるものではなくて―――。
弟のような存在、とでもいうのだろうか。
どこか危なっかしくて、どこか不安定で、どこか脆い。
それがザフトのエースパイロットの本当の姿だ。
彼のためにも、祖国のためにも、一日も早くこの戦争を終わりにしたい。
海風に揺れる髪を鬱陶しく思いながら、イザークは再び巨大な工場を鋭く睨んだ。







賑やかな街中に、作業服姿の少年が二人。
アスランとニコルは肩を並べ、繁華街を少しゆっくりとした足取りで歩いていた。作業服姿でもあまり気にした視線を受けることがないのは、モルゲンレーテがあるからなのだろう。
ニコルは物珍しげに、街並みを瞳の中へ収めていた。
「・・・戦争って感じじゃないですね。なんか、異世界みたいです」
笑い声を上げ、二人の横を通り過ぎる少女たちに、ニコルは少しだけ複雑な想いをよせる。何の陰りもなく笑えるのは、それだけここに住む人々の意識が、戦争から遠いということだ。
そして、自分たちがモルゲンレーテの作業服に身を包み、ここにいる理由。
たとえば。
たとえばだけれど―――。
少女たちがその理由、若しくはニコルたちがザフトだと知ったら。
どういう反応をするのだろう。
恐れられるのだろうか。罵声を浴びせられるのだろうか。
銃を―――向けられるのだろうか。
ニコルの脳裏を、ふと懐かしい顔が過ぎった。
「・・・ミゲルと・・・話をしていたことがあるんです。ヘリオポリスから地球軍の新型を奪取する任務が決まったときに、話していたことなんですけどね。それをすることによって、僕たちは悪者になるのかなぁって。僕は・・・悪者になるつもりはなかったんですけど。ミゲルも、俺たちは悪者じゃない。正義の味方でもなくて、プラントを護る兵士だって言ってました・・・」
胸に残っている彼の言葉。
恐れられるほど、強くはない。ただ、必死なだけだ。
「・・・本当に、僕たちはいつまでモビルスーツに乗り続けるのでしょうね」
繁華街の雑音の中、十五歳でザフトの赤服に選ばれた少年の、隠しきれない本音が零れる。それはアスランの心に、深く突き刺さった。
―――本当に、いつまで
いつまで自分は、大切な親友と戦わなければならないのだろう、と。
今もこうして、彼がいるであろう地で、彼がいると分かる証拠を探している。
いなければいいと思う。彼と、こんな街中で出逢うことはないだろうが、ここにいることが、本当だと分かってしまったら。
また、戦わなければならなくなる。
いなければいい―――そう思ってしまう。
これではまるで、彼らが既にオーブ領域から出ていることを確かめに来たみたいだ。自分が言い出したことだというのに。
アスランは、どうしようもない辛さを押さえ込む。
「・・・俺もそう思うよ。いつまで戦い続けるんだろうって。でも、終わらない戦争はない。俺たちが諦めたら駄目なんじゃないかな」
簡単に世界の仕組みが変わらないように、地球とプラントの視線の高さも変わらない。しかし、それを変えるのがアスランたちの役目だ。
「そう・・・ですよね。すみません。なんだか凄くマイナス思考ですよね」
「そんなことはないよ。俺だって同じだ。不安で・・・怖いよ」
「アスラン・・・」
あまり自分の弱さを見せない人だと、ニコルは知っている。だけど、ふと口に出てしまうときもあるのかもしれない。
咄嗟にニコルは、アスランの腕を掴んでいた。
「・・・ニコル?」
流れる人波の中、二人は足を止める。アスランよりも少し下の位置にあるニコルの双眸は、何かの決意にも似た色があった。
「アスラン・・・僕は護るもののために強くありたいって思います。僕たちは独りじゃない。独りじゃないから戦える。大切な仲間がいる。だから僕は、みんなの盾になりたいんです。正義の味方じゃなくても、盾になることくらい出来ますよね」
「盾に・・・?」
「そうです。プラントの盾。そして大切な仲間の盾・・・。失う悲しみは、もう嫌ですから。だから、アスランの不安も怖さも僕が盾になります。僕が―――護ります」
幼さの残る高い声音に乗り、伝えられるニコルの揺るぎない優しさに、アスランは眼を伏せる。
ー――ディアッカもニコルも、お前が話してくれるのを待っているんだ
ジブラルタル基地で、イザークから放たれた言葉が蘇る。自分はこんなにも気遣われているのだと。
ニコルもディアッカも、本当に何も言わないけれど、アスランのちゃんと見ている。イザークと同じように、まっすぐに。
あぁ、こんなにも護られている。もう護られているじゃないか。
決して強く掴んできたわけではない彼の手に、アスランは自由に動く自分のそれをそっと重ねた。
「ニコル・・・俺たちザフトの兵士は、みんながプラントの盾なんだ。仲間のことも、誰かが危険な状態だったら・・・危険じゃなくても誰かが助けに行くだろ。みんな同じ気持ちだから、ニコルだけじゃないから、絶対に無茶するなよ」
何一つ真実を語れず、それでも立ち止まることさえ許されないアスランに、ニコルたちは躊躇いもなく優しさをくれる。その仲間を裏切るようなことは出来ないし、したくもない。
触れ合う手と手から、何かを感じ取ったのか、ニコルはくりっとした眼を細めた。
「大丈夫ですよ。僕はアスランたちとこの戦争の終わりを見たい。だからアスランも、約束してください。無理も無茶もしないと・・・」
「・・・分かった。約束するよ」
頷き返せば、ニコルが破顔する。嬉しそうに、安心したように。
「すみません。足が止まっちゃいましたね。集合場所・・・行きましょうか。遅れたら、イザークたち怒りますよ」
「そうだな・・・行こうか」
するりとアスランから離れて行くニコルは、まだ十五歳だが、兵士の顔をしている。
―――俺たちは正義の味方じゃない
ミゲルが言ったというそれに、アスランもその通りだと思った。ドラマや漫画で正義の味方は、物語をハッピーエンドにするものだ。
けれど、現実に正義の味方はどこにもいない。
アスランたちは兵士だ。全てをハッピーエンドに出来ない。
だから、苦しく辛く哀しい。
それでも仲間がいるから、もしかしたら乗り越えられる壁かもしれない、とアスランは思った。







集合場所と定めていたそこには、既にイザークとディアッカの姿があった。海側に面したモルゲンレーテの正門ゲートよりも、僅かに離れた場所。
広く余裕のある歩道に、ぽつんと立つ二人に、ニコルは作業服姿が似合わないなぁと、思わず漏れてしまいそうになった感想を、慌てて呑み込む。緩みそうになる頬を堪えて言った。
「お疲れ様です。そちらはどうでした?」
「あーダメダメ。足つきが隠れていそうな場所は、見つかってねぇよ。お前らの方は、どうよ?」
溜息交じりのディアッカに、ニコルも首を横に振る。
「僕たちもです。いろいろ見たんですけど・・・」
言いながらニコルは、フェンスに囲まれた建造物を見る。
「・・・意外とこの中にいるってことも、ありますよね」
「あぁ・・・なるほどね。これだけ工場が広くて、建物も大きいもんなぁ。足つきを隠すには、ちょうどいいかも。で、この中、入れそう?」
腕を組み、ディアッカはアスランへ問う。小型の携帯端末を持つ彼は、それを立ち上げ慣れた手つきで、キーボードを打つ。
「・・・難しいな。セキュリティが何層もあるんだ。IDカードが一枚あればいいってものじゃない」
「あ・・・そう・・・。まったくイヤになるよねぇ。セキュリティ強化して、一体何造ってんだか」
ディアッカは歩道の柵へ凭れるように、その場へしゃがみ込む。柵を飛び越えれば、直ぐ海だ。長く続く砂浜に、一定の間隔で打ち寄せる波の音は、耳に心地良くもあるが、それに聴き入っているほど彼らに時間的な余裕はない。
端末を覗き込んだまま思案顔のアスランに、イザークが一歩近寄る。
「・・・で、どうする?ここでボーッとしていても、何にもならないぞ」
「分かっている、欲しいのは、確証だ。いるならいる、いないならいない・・・」
「確証って言ってもな・・・。その確証を、俺たちは探し出せていない」
オーブに来たことが、何の意味もなかったなどど思いたくもないことで。厳しい表情のイザークに、アスランも視線が下がる。
彼らの会話が、途切れた。
アスランの言う確証が得られていない現状の打開策は、簡単に見つからない。それを分かっているから、自然と口数が少なくなる。ニコルは、沈黙に支配され始めた仲間の様子を、眼に入れた。
しゃがみ込んだままのディアッカは、どこか複雑な色がある。足つき以外のモノとぶつかってしまったようにも見える。平和の国へ来て、何か思うことがあったのだろうか。
反対に、イザークは分かりやすい。直ぐ傍に敵はいるというのに、その姿が掴めないことで、歯痒さが強いようだ。眉間に皺がくっきりと浮かんでいる。
そして、アスランは―――伏せ眼がちだ。ほんの少し疲れを漂わせている。
地球へ降りる前、諦めたから、と哀しげに呟いた彼。その響きを、ニコルは忘れないだろう。
アカデミーのときは、まだ無邪気に笑えていた。冗談を言い合い、夜遅くまで騒いで、上官から雷を落とされたことも、一度や二度ではない。
しかし、それはもう過去のことだ。互いに笑い合うこともほとんどなく、時間ばかりが過ぎて行く。
笑いながら、戦争は出来ないけれど。
思うようにならないことも、多いけれど。
苛立ちを、全面に出したくはない。
ニコルは、処理しきれない感情に縛られている彼らを、一時でもそこから抜け出させたかった。
そっと、アスランに近づくと、耳打ちをする。
「ねぇ、アスラン・・・」
「ん・・・何だ?」
僅かに和らいだ目元を向けてくるアスランに、ニコルは悪戯っぽく囁く。
「イザークとディアッカって、恐ろしく作業服が似合っていないですよね」
「・・・ん?」
アスランが、一瞬きょとんとする。
「だから、作業服ですよ」
口の端をゆうるりと上げるニコルに、アスランが漸くその意味を理解したといわんばかりに、大きく頷いた。
「あぁ・・・言われてみれば、そうかもな」
「でしょう。ですよね」
日頃、見慣れていな姿だけに、多少の違和感がある。だから、変に意識してしまえば、あまり似合っていないようにも思えるから不思議だ。
ただ、今話をするようなことではないと、ニコルにも分かっている。それでも、気持ちを沈めてしまうよりはいいと思う。
くだらないと、一掃されそうなことでも、意外と大事だ。
アスランは、ニコルに言われるまで気付かなかった、その似合わないであろう姿が、妙におかしいというより気に入ったようだ。声を抑えて笑っているので、肩が震えている。
彼の様子に、イザークが訝しげに首を傾げた。
「・・・どうかしたのか?」
「あ・・・イザーク・・・」
口元を手で隠すようにアスランがイザークを振り向く。
「アスラン?」
彼が笑みを堪えていると分かり、イザークはこんなときにと、ますます眉間の皺が深くなる。ディアッカも座ったまま、不思議そうにアスランを見据える。
アスランといえば、正しくツボにマハッたらしく、微かに眼に涙まで溜めている。
「ごめん・・・。ニコルがさ、イザークとディアッカの、その作業服が恐ろしく似合っていないって言うものだから、なんかおかしくて」
「・・・はぁ?」
予想すらしていない応えが返ってきて、イザークは頬が引き攣るのを感じた。アスランはまだ笑っている。そして、彼に耳打ちをしたニコルは、何故か満足げだ。
「アホか、お前らは!もっと役に立つ話をしろよ!」
「えーっ!大事なことですよ。やっぱ、こういう服を着ているんですから、もっとしっくり着こなさないと。その点僕は、何を着てもちゃんと似合いますから」
可愛い顔で、腹が立つことをあっさりと言ってくれる。相手にするのも疲れるし、この場に相応しくない会話だと判っていても、口が勝手に動こうとするのは止められなかった。
「何が、似合うだ。嬉しいのか、お前は!ていうか、俺は優雅で気品のある服が、似合うんだよ」
「優雅で気品ですか?それって、レースが沢山ついてるドレスシャツって感じなんですけど」
「んな服、着るか!」
イザークとニコルの掛け合いが、それまでの行き場のない空気に風穴を開けた。解決の糸口が見つからないことに、いつまでも囚われているよりは、次に行動すべきことを考えた方がいい。
同じ答を出すにせよ、そこまでの道のりは一つではないはず。くだらなくても、気持ちの切り替えにはちょうどいい。
ディアッカも腰を上げると、二人の勢いの良い会話に加わった。
「イザークは確かに似合ってないかもね。妙に浮いてるよな」
「何だ、お前は!後から出て来るな!」
「いいじゃん、いいじゃん。つーか、俺的には、コレ気に入ってるんだけどさ」
「お前が似合ってない!ついでに、赤服も似合ってないから安心しろ!」
「・・・お前、さりげにヒドイよな。アスランもさ、イザークにクルーゼ隊長が気絶するほど似合ってねぇよって、言ってやれ」
アスランの肩に腕を回すディアッカは、この話を盛り上げたいらしい。からかいがいがあるのだ、イザークは。
「あはは・・・クルーゼ隊長が気絶したら、アデス艦長はどうなるんだろうな。でも、イザークは赤服が似合っているよ。隊長服も似合うんじゃないのかな」
アスランの、フォローともいうべき科白を、イザークは気に入ったようだ。にまり、と笑う。
「よく言ったアスラン!お前は偉い!綺麗に纏まったところで、この話はここまでだ。無駄に騒いで、目立つのはゴメンだからな。移動するぞ」
蒼い空の下での、ふざけた馴れ合いに、終わりが告げられる。
ほんの少しだけ浮上した空気を、彼らは体で感じたようだ。互いに頷きあう。
道に停めていた車へと彼らが足を踏み出したとき。
一羽の碧の鳥が。
太陽の光を背に受けて。
ゆったりと、舞った。









平和の国、オーブ。
行き交う人の表情は、戦争とは無縁のそれに近い。
僕たちと地球軍の戦いは、この国の人にとってやはり遠い世界で起きていることなのだろうか。
でも、きっとそうなのだろうな。
プラントの苦しみが、この国の人には理解出来ないだろうし、苦しみを分かって欲しいと思っても、押し付けになる。
迷惑だろうね。
けれど、ほんの少しくらい分かってもらいたいと思うのは、我侭かな。
僕はその平和の国で、綺麗な碧色のロボット鳥を見たんだ。とても精巧に出来ていた。
首を傾げる仕草なんて、生きている鳥とそっくりで。
市販されている玩具とてゃ違うなって思った。
その鳥は、アスランの手の上で、僕たちを見ていた。
誰のだろう、と不思議に思っていたら、モルゲンレーテの工場内から、一人の男の人が空を見上げながら、何かを追っていた。
あぁ、あの人の鳥かな?
アスランが、工場内と道を隔てるフェンスに近づいた。
やっぱりそうだ。
アスランが、その人にロボット鳥を渡している。
もし、もしもだけれど。
僕たちが、単なる旅行気分でこの国に来ていたら。
ロボット鳥をアスランから受け取った、茶色の髪をした人に「凄い鳥ですね。あなたが作ったんですか?」って話しかけられていたかな。
だって、本当に凄いと思ったんだ。
あの人が作ったものだったら、話しがしてみたかったな。
もう、逢うこともないフェンス越しの人。
話しが出来ないのは、やっぱり残念だなって思う。
そうだ、アスランなら器用だから、作れるかもしれない。
あの球体ロボットも可愛いけれど、鳥もいいよね。
僕は、そんなことを考えていた。





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