戦争―――。
嫌な言葉、嫌な響き。
始まってしまったことを、終わりにするために。
何もしないでいることには、我慢が出来なかったから。
理由は、いろいろあるけれど。
僕は、モビルスーツのパイロットになった。
アカデミーで出逢った仲間。年齢が近いこともあって、すぐに親しくなった。
訓練以外では、他愛無い話で盛り上がって、夜遅くまで起きてたりして。学校とは全然違う楽しさと、そして緊張感があった。
同じ想いを抱く仲間たち。大切な仲間であり、友人。
僕はどこかで、彼らはきっと大丈夫だと思っていた。どんなに苦しくても、きっと大丈夫だと・・・。
そんな甘い戦場は、ないのにね。
だから僕は、これ以上、大切な人が傷つくのは嫌だって思う。
イザークもディアッカもアスランも。
プラントを護るだけじゃなくて、大切な仲間も護りたいって思うんだ。









白と黒の鍵盤の上を、ニコルの細い手が優雅に滑る。物心ついた時には、既にこの音は聞き慣れたものとなっていた。
心地良い音色。
久しぶりに触れた、ピアノ。
アカデミーに入ってから今日まで、ニコルの手は大好きなピアノとは無縁の世界にあった。だからだろうか。奏でる曲は、どこまでも優しい。
―――ユニウス7
二十四万もの御霊が眠る地への鎮魂曲。そして、戦場を駆け抜け逝ってしまった大切な仲間へ、想いを込める。
久しぶりに、けれど突然の休暇。決して長いものではないが、明日明後日に終わる休みでもない。何故ここで休暇なのかニコルには判らないが、軍には軍の事情があるのだろう。
月艦隊と足つき――アークエンジェル――との戦闘で、ガモフが堕ちた。赤い炎を上げ、その巨体が燃えて消えた。
ニコルが所属していた艦。良く知った人たちが、そこにいた。
プラントを護りたくて、軍へ志願としたというのに。共に戦う仲間でさえ、護れない。
赤服に選ばれ、モビルスーツに乗ってはいても、自分の無力さを思い知らされた。
誰もが望んで戦争をしているわけではなくて。自分のいる場所を護るために銃を持った。
仲間を失う辛さも哀しみも、乗り越えて前に進むのは難しい。それでも彼らと共に語った未来を手に掴むまで、現実を諦めたくはない。
思い出として語るには早すぎる彼らとの時間は、ニコルの体に染み込んでいる。
染み込んでいるから、直ぐ傍で沢山の笑顔を感じている。ニコルに勇気をくれる、眩しい笑みだ。
開かれた窓から風が入り込んで、ニコルの髪を揺らした。まるで彼の心が「仲間」に届いたかのように、ふんわりと柔らかく風が流れる。
ニコルの指が、静かに鍵盤の上で止まった。急に襲って来た、眼の奥の熱さ。
視界が、少しだけぼやけた。
ガモフのことに加え、イザークとディアッカのこともある。地球へ落ちた二人。無事だと聞かされてはいても、あの光景が脳裏から離れない。
どうすることも出来ない、というのはきっと言い訳で。後悔だけはしたくないから、絶対になんとかしてみせる、と強く思う。
護りたいと願うものは、全て零すことのないように。
「・・・そうだよ。泣く前にやることはあるんだから」
顔を上げ、溢れ出しそうな熱をやり過ごす代わりに、今まで奏でていた曲の楽譜をそっと手に取る。休暇が終われば、またピアノと縁遠くなってしまう。
だからという訳ではないが、親しい友人を招待して、小さな演奏会を開く。こういう時だからこそ、穏やかで温かな旋律を届けたい。
そして、戦争が終わったら、平和の音を響かせたいと思う。
「楽譜・・・お守り代わりに持って行こうかな」
イザークたちは地球にいる。足つきも同じだ。クルーゼから、地球へ行くことになるだろうと言われていた。まだ正式に決まった訳ではないが、この休暇中に通達が来るはずだ。
初めてその地へ向かうことになるであろう、母なる星。蒼く輝く地球は、自分の眼にどんな風に映り、どんな風に迎え入れてくれるのか。
ニコルには、そこが楽園とは遠い世界であることを、知るだけだった。





ニコルがリビングへ行くと、母のロミナがソファで編み物をしていた。
「あら、ニコル。ピアノはもういいの?」
「うん。今日は終わり。それより、何編んでるの?」
「あぁ・・・これはね・・・」
ロミナは淡い緑色の毛糸を愛しそうに見つめてから、息子からの問いに応えた。
「あなたのマフラーよ。あなたの髪の色より、少し薄めの色を選んでみたの」
「・・・僕のマフラー?」
母の隣に腰を下ろし、ニコルはマフラーになりかけのものを、まじまじと見つめる。
「今度、あなたが帰ってくるまでに仕上げておくわ。期待していてね」
少女のようにウインクをする母に、ニコルの頬が自然と綻んだ。
「はい・・・。ありがとうございます」
なんとなく気恥ずかしさを感じてしまったニコルだが、不意に伸びて来た母の手に、一瞬きょとんとする。
「・・・母さん?」
頬を包む温かな手の先には、母の哀しげな瞳があった。
「あなたが軍に入隊するのを、私もお父様も止めることはしなかったけれど、本当はあなたに銃を持って欲しくないし、持たせたくもないわ。自分の子供が戦場へ行くことを望む親はいないのよ。私もお父様もプラントにいるのに、あなたは・・・ ニコルは違うものね。だから、とても怖いわ。私たちには、ニコルが無事にここへ帰ってくることを、祈ることしか出来ない。何もしてあげられなくて、ごめんなさいね・・・」
微かに揺れる瞳が、潤いを帯びている。労わるようにニコルの頬を撫でる母の手は、とても暖かく気持ちがいい。子供を安心させる温もりだ。
―――コーディネーターは十三歳で、成人とみなされる。
確かに、運動能力も知能も、優れているのかもしれないが。表面的な成長と内面的な成長が、イコールだとは限らない。
それを多少なりとも、ニコルは自覚をしていた。
名前を呼んで欲しいとか、抱き締めて欲しいとか。
そういう些細なことだけれど、とても大きな意味を持つ。父と母がここにいるから、ここで自分の帰りを待っていてくれるから、ニコルは戦える。
だから、そんなに哀しい顔はしないで欲しい。
「・・・そんなこと、ないよ。母さんと倒産がここで僕を待っていてくれるから・・・僕は母さんたちの所へ帰ってくるために、戦っているんだ。戦う勇気を、沢山もらっているよ」
「ニコル・・・」
「大丈夫だよ。僕は強いんだから」
「そうね・・・。私たちの息子ですものね。強くて優しい、自慢の息子よ」
「マフラー、楽しみにしてます」
「ふふ・・・楽しみにしていてね」
ゆっくりと頬から離れて行く母の手を、ニコルは少し淋しく感じた。まだその温もりから、離れたくはない。甘えなのだろうな、と思う。単なる、我侭だとも。
僕は強い、と言ってはみても、幼さを残す十五歳。母の愛情に、体を預けたくなる。が、今はその感情にフタをする。
この戦争が終われば、母と父の胸に飛び込めるのだから、それまではお預けだ。ニコルは、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「そうだ、母さん。明日はアスランと出かけるから、お昼は外で食べるね」
「あら、アスランくんとお出かけ?何処へ行くの?」
「へへっ・・・。実はまだ決まってないんだけどね。ブラッとするから、あえて目的地は決めてないっていうか・・・」
「そうなの?でも、いいんじゃないかしら。ブラッとするのも面白いわよ」
ふんわりと微笑む母に、ニコルは大きく頷いた。





街中は、意外なほど人が溢れていた。軍人に平日も休日もないが、今日は土曜日。ショッピングモールを行き交う人々の波は、プラントの日常の一コマだ。
そう、まだ日常。
ここでモビルスーツ戦が、いつ始まってもおかしくはない現実と、背中合わせの日常。
が、人々は前向きさを失うことはない。緊張感はあっても、状況を見極めようとしている。
それが、宇宙へと安住の地を求めた人々の強さだ。
なのに―――。
そんな彼らと比べると、自分は捨てることの出来ない感情に振り回され、中途半端な気持ちでモビルスーツの操縦桿を握っている。
暗くて広い海に、ぽっかりと浮かんでいる、この美しい故郷を護ることはアスランの使命だ。しかし、その使命の前に立ち塞がるものは、あまりにも切なくて苦しい。
ザフトのエースパイロットという肩書きは、今のアスランにとって重た過ぎるものだった。
「・・・アスラン、どうかしましたか?」
オープンカフェの白いテーブルに肘をつき、目の前を通り過ぎる人たちをぼんやりと見ていたアスランに、ニコルの心配げな響きを含んだ声が届いた。
「え・・・あっ・・・ごめん。なんでもないんだ」
飲みかけのままだった紅茶を、一気に喉へと流し込む。何の話をしていたのだろう。意識を飛ばし過ぎていたことに、アスランは申し訳ない気持ちになった。
「ごめん・・・。俺、ぼんやりしてた・・・」
「いえ・・・それはいいんですけど、本当に単なるぼんやりですか?」
首を傾げて訊いてくるニコルに、アスランは小さな笑みを返した。
「本当に、だよ。久しぶりの休暇だけど、意外と忙しなくてさ。といっても、一人でいろいろやっていることばかりだから、ニコルに誘ってもらって良かったよ。良い気晴らしになった」
「そう言って貰えると、嬉しいんですけど・・・。演奏会も、ありがとうございます。でも、ちょっと緊張しちゃいそうです」
「俺、ニコルのピアノを聴くのは初めてだから、楽しみにしてるよ」
「はい、頑張りますね」
十五歳の少年らしいはつらつさに、アスランは親友の面影を重ねてしまう。
もしも、月からプラントへと生活の場が変わることもなく、戦争も始まらなければ、今も自分は彼の隣にいたのだろうかと。
どうしてもそこへ向かってしまう思考を、アスランは止める。

―――次に戦う時は、俺がお前を撃つ

そう言い放ったことで、何かを諦めた。でも、捨てられない想いがある。だから中途半端なのだと。
アスランは、どこか疲れた息を漏らした。
街の賑やかさの中にいても、ぽつんと静かな場所がある。それがここだ、とニコルは思った。自分とアスランのいるここだけが、周囲に溶け込んでいない異空間だ。
突然与えられた休暇に、ニコルはアスランへ「どこかへ行きませんか?」と街へ出てみないかと誘った。特に行きたい場所があったわけではないのだけれど、休みが終わればゆっくりとする時間はない。
アスランと話しをする良い機会でもあり、彼も承知してくれた。
―――いろいろな話をしよう。
アスランの様子に違和感を持つようになってから、ディアッカと交わした彼に対する自分たちなりの対処法だ。もともと多くを語らない人だから、ニコルたちから話しかけようと。
何でもいい、その中から彼を変えたモノに近づけるかもしれない。
否、近づけなくても、彼をもっと知ることが出来れば、内に秘めた何かを自ら語ってくれるのではないだろうかと。
ニコルの目の前にいるアスランは、心ここにあらずといった感じだ。それを上手く誤魔化そうとしている。
悔しい、と思う。こんなにぎこちない関係ではなかったはずなのに。
悔しくて、少しだけ哀しかった。
「アスラン・・・」
「ん?なんだ?」
「あ・・・あの・・・」
何か悩み事、ありません?そう言いたかったのに、全く違うことをニコルは口にしていた。
「ラクスさんには、逢われるんですか?」
「ラクス・・・?うん、逢うよ。どうして?」
「あ・・・えっと・・・いつか・・・いつか、なんですけど、ラクスさんと一緒に、コンサートが開けたらいいなぁって・・・」
言ってしまってから、ニコルは頬が熱くなるのを感じた。
(なんか、恥ずかしいことを言ってるのかなぁ、僕。ていうか、本当に訊きたいことって、訊けないもんだよねぇ)
ニコルが軽い自己嫌悪を覚えた時、アスランが楽しそうな声を上げた。
「いいんじゃないかな、それ」
「えっ・・・?」
「だから、ニコルとラクスのコンサート。俺、ラクスに話すよ。きっと彼女も喜ぶと思う」
「そ・・・そんな!いいんですよ!これは僕の夢で・・・ラクスさんには、ご迷惑だと思うし・・・」
慌てて首を振るニコルに、アスランは柔らかな眼差しで呟く。
「大丈夫・・・ニコルの夢は叶うよ。俺は、ニコルとラクスの平和の歌を、聞きたいな」
「アスラン・・・」

休暇―――短くても軍服から離れている時間。
いつもは制服の下に隠しているモノが、悪戯に顔を覗かせる。

「アスランの夢は、何ですか・・・?」

脆さとか、不安定さとか。
ぽつりと零れ落ちるのは、きっと本人でさえ意識していない、些細な会話の中で。

「夢っていうか・・・今は、この戦争が終わることを願ってる」

俯いて囁くのは、誰もが望むこと。でもそれが、簡単に手に入るとは思っていない。
夢も希望も―――見えない。
あるのは、願いだけ。

「・・・追いかけて、手に掴めるものなら良かったんだけど・・・。俺は・・・」

―――諦めたから・・・

ふんわりと口の端を上げるアスランに、ニコルは何も言えなかった。







時に優しく、時に激しく。
僕はピアノを通して叫ぶ。
護りたいものがある。護りたい人がいる。
でも、だからって、何かを諦める必要はあるのだろうか。
戦争が終わっても、それは手に掴むことは出来ないのだろうか。それとも、戦争が始まってしまったから、諦めという結果になってしまったのだろうか。
それが、何を意味するのか、僕には判らない。
だって、戦うことは諦めないってことだから。
なのに。
固く閉ざされた唇からは、何も聞けなかったけれど。
でもね、アスラン。
もしも、今からでも遅くないのなら。諦めなくて、済むことなら。
僕はあなたの力になりたいって、思うんだ。





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