時は、止まらない。
緩やかに、けれど激しく流れ続ける川のように、時は進む。
そして。
一人の少女が齎す繋がり。
見えない力に引き寄せられるように、二人の少年の運命が、悲劇の幕を開け様としていた。
一方の伸ばした手は、一方で拒絶される。
咄嗟に叫んだ熱い想いも。
掴んでくれると信じていた手も。
―――届かない。
世界が違った。少年たちの、立っている世界が違った。
変えられないのだろうか。
大切な親友と戦わなければならない現実を、変えることは出来ないのだろうか。
出来ないのならば、世界を変えるだけだ。
そうしたら、昔のように笑えるだろうか。
彼の隣で、笑えるだろうか。


少年たちの、変わらない道。
戦火は。
広がる一方だった。










あなたの器用な手が好きです。あなたの手は、魔法の手。
可愛いロボットを、たくさん器用に作る。
あなたの手は、時に不器用。
「料理は全然駄目なんです」と溜息混じりに呟いたあなたは、自分の手を不思議そうに見ていました。
わたくしは、あなた自身を映し出したような、その手が好きです。
銃よりも、工具を持ち微笑むあなたが。
好きなのです。





アークエンジェルに保護されていたラクスが、そこで知り合った少年に導かれ、ザフトへ戻ったのがほんの少し前のこと。
ザフトというよりも、アスランの許へと地球軍に身を置く少年が、ラクスをいわば逃がしてくれた。
今出来る最善のことだと、小さく笑った彼は。
アスランと幼なじみであり親友。
知ってしまった事実は、あまりにも悲劇だ。ラクスはヴェザリウスの与えられた室内で、球体のロボットに話しかける。
「ねぇ、ピンクちゃん。わたくしは、わたくしの好きな人に何が出来るかしら。きっと傍にいるだけでは、駄目なのでしょうね・・・」
机の上をコロコロと転がり『ミトメタクナーイ!』と叫んでいる球体ロボット――ハロ――は、ラクスに何も応えてはくれない。代わりに、小さな瞳を点滅させてはその愛くるしい表情で、彼女の焦りを含んだ気持ちを落ち着かせてくれる。
そう―――焦っているのかもしれない。
アスランとアークエンジェルで出逢った少年との、これからのことを。
はっきりと「敵だ」という確信があるわけではなく、何故かそうなっていたという結果だけで、戦っているのだから。
共に立つ場は戦場。そこには、殺し合いしかない。
とても嫌な予感がする。漠然と予感だけが、膨らんで行く。
彼らにとって、地球とプラントとは全く違った、不本意すぎる戦いがある。
心配なのだ。不安なのだ。
アスランは―――。
自分の不安定さを、決して人に話すことはない。内側へ内側へと、溜め込んでしまう。
そういう人だと、ラクスは知っている。自分のことよりも相手のことを考える人だ、ということも。
けれど、戦いたくない人と戦わなければならない現実は、やはりおかしいのだ。アスランは彼を説得したい気持ちが大きいのだろう。でも。
説得とは実に難しい。少なくともアークエンジェルの少年は、戦争を体で知ってしまった。流されるままにモビルスーツを動かしているだけではなく、彼には彼の護りたいものがある。それが、今のアスランが護ろうとしているものとは、少し違う。
けれど、その少しの違いは、大きな溝だ。
その溝を抱えて、アスランは戦えるのだろうか。
アークエンジェルにいる親友と、プラントの狭間で揺れ、不安定な気持ちのまま銃を持ち続けるのだろうか。
ラクスは、机の上で跳ねているハロを、そっと掴まえる。手の中に収まる小さなロボットは『オマエ、ゲンキカー?』と声を上げてくる。
短くも、まるで彼かの言葉のように聴こえるのは、何故だろう。
ラクスは控え目に微笑む。
「わたくしは元気ですよ。でもね、あなたのことが心配です。プラントを護りたい気持ちは、わたくしも同じですけれど、戦争は殺し合いです。何のために戦うのか、何と戦わなければならないのか、この戦争の問い掛けを、あなたはもっと考える必要があるのです。親友と戦うことが、正義であるはずがないのに・・・」
本当は、彼に直接言いたいこと。ここで声を漏らしたところで、無意味なことは分かっている。が、本当に伝えたいことは、ちゃんと伝えようと思っている。
きっと、たくさんの言葉よりも、彼の胸に重く響くだろうそれを。
ラクスは、今伝えるべきことだと強く思った。







―――あの艦には、護りたい人たちが・・・友達がいるんだ!



暗い宇宙に木魂した、懐かしい声音が、少年の心を酷く揺さぶる。
護りたいもの、護ろうとしているもの。
そこに大きな違いはないのだろうが。ただ、対象としているものは、やはり違う。
アスランは大きく息を吐くと、動かしていた歩みを止める。見慣れた戦艦の見慣れた通路。そして、赤い制服。
自分は軍人だ。敵は、撃たねばならない。頭では判っていても、体が拒絶をしている。
本当に彼を、幼なじみで大切な親友のキラ・ヤマトを撃てるのか。
撃てるはずは―――きっと、ない。
本気で、戦えるはずがない。
彼は、ラクスを助けてくれた。彼女もアスランの大切な人だ。失いたくない、大切な人。
その彼女が乗った、ユニウス7追悼式典の視察船が消息を絶ったと聞いた時は、自分の耳を疑った。
アスランはユニウス7で、母を亡くしている。地球軍の核攻撃で、沈んでしまったコロニー。アスランの母親は、そこにいた。
彼を襲った衝撃は、大きすぎるものだった。受け止めきれない母の死。泣くことしか出来なかった。泣いたら泣いた分だけ、母の温もりが蘇り、また泣いた。
そんな彼に、ラクスはまるで母親にも似た優しさを、与えてくれた。泣いている自分を、抱き締めてくれた彼女の腕に、どれだけの安心感を覚えただろう。
あの時は、父よりも長い時間を一緒にいてくれた。
婚約者と言われると、気恥ずかしい。が、好きだと言う気持ちは確かにある。
もしも、彼女に何かあったら、自分は誰かを憎むことでしか生きられないのではないか、とアスランは思う。
そして、迷うことなく親友に、まっすぐ銃を向けただろうと。
でも、キラは。
ラクスを助けてくれたのだ。彼らしい、変わらない優しさに、胸が苦しくなる。
キラは、敵ではない。敵ではないのに、敵の位置にいる。
アスランから母を奪った、地球軍にいる。そのことが余計に、彼の精神を追い詰める。
「キラ・・・どうしたらいいのか、わかんないよ・・・」
零れそうになる涙を隠すため、アスランは天井を見上げる。これからラクスの待つ部屋へ行くのに、みっともない顔を見せるわけにはいかない。
気持ちを入れ替えようと、アスランは大きく息を吸った。



『アスラ―ン、ゲンキカ?』 丸い体を左右に揺らす姿に、ラクスは思わず苦笑する。作り主の手の感触は、やはり違うらしい。アスランの手に乗る球体は、いつも以上に喜々としているように見える。
ロボットではあるが、ある意味、人間よりも素直な反応をする。
人は、本当に言いたいことを、言わない。本当に言いたいことを、言えない。
ベットに座ったアスランは、抱いたハロを静かな眼差しで見ている。何かをハロに重ねているような、そんな瞳。
声に出したい気持ちを、押さえ込んでいるようだ、とラクスは思う。形の良い唇は閉ざされたまま、多くを語ることはない。
アスランとキラ。
思いもよらない形でラクスはキラに出逢い、彼らの関係を知った。
そして今は、アスランと向かい合っている。
ヴェザリウスという場所が場所なだけに、あまり長くここにいることはない。限られた時間の中で、伝えたい想いを選ぶ。
ラクスは座っていた椅子から立ち上がると、アスランの横へ軽やかに移動した。
「ふふっ・・・。ピンクちゃんにとって、アスランの手の中は、特別居心地がいいようですわね」
「ラクス・・・」
ふんわりと微笑まれて、アスランの頬がほんのり赤くなる。
「あ、あの・・・。すみません、こういう部屋しか用意出来なくて。何か不便はないですか?気分が悪いとか、ありません?」
「わたくしは大丈夫ですわ。お気遣い、ありがとうございます」
「いえ・・・。ラクスはいろいろ大変だったのですから・・・」
怪我をしているわけではないけれど、一時的とはいえ地球軍の艦にいたのだ。捕虜の扱いは受けていなかったようだが、心労は大きいはず。
でもラクスは、そういう表情を少しも見せることはない。いつもと変わることのない笑みは、少女の意外なほどの強さだ。
同時に、後ろめたさをアスランは感じる。キラの行動の結果、ラクスがここにいるのであって、自分は何も出来なかったのだと。
「・・・すみません。俺は・・・何も出来なかった」
「アスラン?」
「あいつが、あなたを助けてくれた。俺はどうしたらいいのか、分からなくて・・・」
俯くアスランの横顔が白い。闇雲に戦ったところで、アークエンジェル側がラクスを引き渡すと言わない限り、アスランたちに名案などなく。
歯痒かったのだ。彼女を取り戻すと言っておきながら、結局何も出来ていなかったのだと。
そんな彼の気持ちは、既にお見通しなのか、ラクスは労わるようにその白い頬を撫でた。
「ラクス・・・?」
「そんなことありませんわ。わたくしがキラ様にあなたのことをお話したら、とても懐かしそうにお顔を和らげましたのよ。彼はあなたのために、わたくしをあの艦から出してくれたのです」
「・・・俺の・・・ために・・・?」
「そうですわ。あなたと戦いたくないと、おっしゃっていました。でも戦わなければならない。だから、あなたと道を違えた、せめてもの許しを請うような行動だったのではないでしょうか」
「許し・・・?だったら、あいつがこっちに来ればいいことなんだ!許すとか許さないとかじゃなくて・・・あいつと・・・キラと戦う理由は、何にもないのに・・・」
きつく寄せられた眉根と、微かに震える声音。あまり強い感情を吐露することのないアスランのそれは、ラクスに初めて見せる己の苦しさだった。
誰にも言えずに、独りで抱え込んだ現実。
ラクスは彼の頬から肩へと、手を滑らせる。子供を護る母親のように、ほっそりとした体を抱き締めた。
ラクスの知らなかった、アスランのどうしようもない感情。
出逢った少年と、知った事実と。
彼らの間にあるのは、憎しみではなく、敵でない人と戦わなければならない葛藤。
戦争は、人々の未来を、狂わせる。今を、簡単に壊す。
ラクスは腕の中の愛しい人に、静かに語った。
「何と戦わなければならないのか、難しいですわね」
護るためと、振り上げた剣は、誰に向けられたものなのか。誰かが誰かを蔑む行為が、拡大され今に至るのは、哀しすぎることだ。
だからといって、ここから生み出されるものは、何もない。
振り上げる剣の数が増えれば、その数以上の哀しみが生まれるだけ。
護るもの、護りたいものは。
片方だけではなくて、両方に比重を置く気持ち。
彼らのことを知れば、尚のこと。
何かのきっかけがあれば、この少年は本当に戦うべきものを、見つけてくれるだろうか。
少しの沈黙のあと、アスランがラクスの腕からその体をゆっくりと離した。
「・・・すみません。恥ずかしいところを、お見せしてしまって・・・」
「あら、恥ずかしいことではありませんよ。自分の気持ちに、素直になって下さい。そして、何と戦うのか、答えを見つけて下さいね」
「・・・何と戦うのか・・・?」
「そう、何と戦うのかを―――ですわ」
難しい問い掛け。ラクスにも明確な答えがあるわけではないけれど。
「共に在る」世界が来ると信じていることが、彼女なりの戦うべき道なのだ。










「それにしてもさぁ、ラクス嬢が足つきに捕まってたのも驚きだけど、意外とあっさり問題解決ってのも、驚きだよな。地球軍から見れば、クライン議長の娘って、利用価値あるだろ。良く無事に取り戻せたじゃん」
感心しているのか、単に思ったことを口にしているのか、さして驚いている様子でもなく言うディアッカに、ニコルは小さく息を吐く。
「詳しいことが分からないから、何とも言えませんけど、彼女が無事で本当に良かったですよね。もし何かあったら、僕たちの立場は微妙になってますよ」
「ラクス嬢は、あいつらの大きな盾になるもんな。まぁ、足つきから解放されたから良かったけどさ。てか、アスランさ、今婚約者と一緒なワケだろ。やっぱ、涙のご対面ってヤツ?」
「・・・それは、無いと思いますけど。でもアスランは、彼女の姿を見るまで、不安だったでしょうね」
「だから、涙のご対面なんだよ。お前、そう思わないの?」
「・・・思いません。どんな想像しているんですか、あなたは・・・」
ロッカールームで繰り広げられる二人の会話に背を向け、イザークは既に制服からパイロットスーツへと着替えを済ませている体を、壁に預けていた。
ラクス・クラインが足つきに捕まっている、という報せがガモフに届いたときは「まさか」と誰もが息を呑んだ。
足つきを攻撃するにしても、彼女の安全を考えれば、こちらにとって戦況は不利だ。彼女を足つきから助け出す方法。誰かが、無理にでも足つきに乗り込む意外に、解決法が無いような状況。緊張の空気が、ガモフに充満した時。
彼女を無事に取り戻した、という連絡を受けたのだ。ディアッカの言う通り、意外とあっさりではあるのだろう。
しかし何故、という疑問が浮かぶ。地球軍にとって、彼女の存在は切り札となる。重要な役割を担うであろう少女を、こうも簡単に手放すとは考えられない。
疑問に思ってしまうのは、きっと。
そこにイザークには見えない、誰かの手を感じるからだ。
自分たちの知らない、何かが動いた。
そう考えれば、彼女を取り戻す時間が、これほど短かったわけも頷ける。
何かがあった。
イザークの口から、息が漏れる。
―――何かが。
最近はそればかりだと、彼は思う。少女が無事なら、それでいいのだ。
ただ、そうですかと素直に頷けない自分がいるだけ。
生じた疑問の先には。
少女と関係の深い、少年がいるから。
少年―――アスラン・ザラと少女と何か。
彼に訊きたいことばかりが、増えて行く。ヴェザリウスは、ラクスをラコーニ隊へ送り届けてから、ガモフと合流することになっている。
戦闘が続く中で、自由な時間はあまり無いだろうが、だからこそ、逢いたい気持ちが強くなる。
逢ってどうしたいのか、イザークにもはっきりと言えないけれど。
彼の気持ちを、ちゃんと掴んでおきたい想いはあるから。
たとえ彼が何も言わなくても、自分という存在を、彼にもっと縛り付けたい。きつく結ばれた唇を、開かせるために。
閉じられた心に届く言葉が欲しい。
イザークは、それほどアスランを気にしている。
気にするだけの、出来事があった。
何より、アスランを意識している自分を、自覚し始めていた。声に出して表現するのは、難しい気持ち。
同じ赤を着ているとか、仲間とか。
そういう表面的なことではなくて。
もっと違う角度からの意識だ。
いつの間にか、生まれたもの。
自分たちこそ、表面的すぎるほどの付き合いしかないというのに。
不思議すぎることだと、イザークは笑いそうになるのを堪えた。
「・・・でさ、イザークはどう思う?」
「・・・・・?」
不意に向けられた科白に、イザークはディアッカを見る。何を訊かれたのか分からなくて、応えられない代わりに、無言でもう一度話せと彼を睨んだ。
「だからさぁ〜、足つきが月艦隊と合流する前に、足つきは堕としたいよなってハナシ。まぁ、合流されたからって、こっちが不利だとは思わないケドね」
「アホか、お前は。当たり前のことを言うなよ」
短く言い放つと、イザークは体を預けていた壁に、別れを告げた。アークエンジェルの追尾の任務を、ヴェザリウスから引き継いだガモフは、月艦隊と正に合流をしようとしているそれを沈めるため、戦闘準備に入っていた。
これから出撃するイザークたちも、いつまでも無駄におしゃべりをしている時間は無い。
「着替えが終わったらな、さっさと出るぞ」
「はいはい、出ましょう出ましょう。てかさ、一人でトリップしちゃって、俺らの話なんか全然聞いてねぇのな」
「誰がトリップだ!俺だって、考え事の一つや二つや三つや四つ、あるんだよ」
「・・・そりゃあ、大変なことで。つーか、足つきと月のヤツら堕としたら、俺らプラントに戻れるのかな?いい加減、ここのメシに厭きたし休暇が欲しいんですけど」
どこか、アカデミーの時を思い起こさせるディアッカの物言いに、イザークの眉根が上がる。
「バカめ!アホめ!軍人は、戦争を終わらせてから休暇を楽しむもんだ。メシと休むこと意外にも、もっと頭を使えんのか!」
「え〜っ?俺的には、イロイロ考えてるんですけどね。やっぱ単調な食事で、便秘がちになるのは良くないとか」
「・・・お前、バカ度が極まったんだな」
「なんだよ。俺は至って真面目だぜ」
イザークとディアッカの掛け合いに、ニコルは自然と肩が震えてしまう。ニコルとディアッカの横で、イザークは彼らとは違ったモノの考えの中に、浸っていたようだ。
そのモノが、何を指しているのか、当然のように分かってはいるけれど、面と向かって言うものでもなくて。
イザークはイザークなりに、今はここにいない彼のことを、考えていて。
ディアッカはディアッカなりに、イザークの気晴らし相手をしようとしている。
ある意味、気遣い。ある意味、互いの領域へ踏み込まないための歩調合せ。
イザークとて、気付いているのだろう。だからディアッカに合わせて、憎まれ口を叩く。
少なくとも、ニコルにはそう見える。
皆が皆、何らかの形で、彼へと繋がる道を探している。
(仲間って、そういうものですよね)
ミゲルがいたら、きっと言うであろう科白を、ニコルは胸の中で呟いた。









一体誰が、予想したであろう。あのストライクの、あの動きを。
こちらが攻撃を仕掛けるより速く、その先までも把握しているような反応。
これまでとは、はっきりと違う運動能力があった。
機体の性能だけではない、力があった。
足つきを、ストライクを―――堕とせるのだろうか。
一瞬、不覚にも過ぎってしまったくだらない感情が、捨てきれない。
自分たちの強さは、自分たちが良く知っている。「赤」に選ばれたのは、伊達ではない。
なのに、敵の強さが、自分たちを凌駕しているとでもいうのか。
少年たちは、もう一度、己が抱く正義を見据える。
自分たちは、絶対に負けない。プラントを護るために、ここにいるのだ。
負けるために、ここにいるのではない。
未来を、不安などどこにもない、安定した穏やかな未来を。
少年たちが欲しいのは、たったそれだけのこと。
彼らは。
モビルスーツの操縦桿を握ることが、そこへ近づける一歩だと、信じていた。



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