Re: シュトルム ( No.1 ) |
- 日時: 2003/05/22 21:15
- 名前: 坤
- 参照: http://yonosk.tripod.co.jp
- ドイツ文学は訳にこだわる、というのはわかりますねー。わたくしの頭の中では『みづうみ』でした。
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Re: シュトルム ( No.2 ) |
- 日時: 2003/05/26 14:30
- 名前: 海ねこ
- 『みづうみ』と『三色すみれ』、まあ、懐かしい...水彩画のごとき淡い叙情が乙女心にじーんと。あれから何年経ったやら....。
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Re: シュトルム ( No.3 ) |
- 日時: 2003/06/14 01:41
- 名前: すみ&にえ
- 参照: http://www.aw.wakwak.com/~w22/
- 読みました。新潮文庫に収められていた短編3作だけですが、今のところ私たちの好みでは、「大学時代」がナンバー1ですね。
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Re: テオドール・シュトルム ( No.4 ) |
- 日時: 2003/07/27 02:07
- 名前: Katze
- 初期の作品ですが、ある意味で作者の代表作とも言えると思います。読むものが年を取るに従って、青春時代の単なる悲恋の話ではなくなるようです。
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Re: テオドール・シュトルム ( No.5 ) |
- 日時: 2003/07/29 00:45
- 名前: Katze
- 爽やかな青春時代の悲恋の話なのですが、よく読むと不思議な話です。何故ラインハルトは2年間もエリーザベトに手紙を出さなかったのでしょうか。何故、復活祭の休みで帰郷したときに、「僕には秘密があるんだ。美しい秘密がね」などと思わせぶりなことを言い、きちんと気持ちを伝えなかったのでしょう。それに、エリーザベトの母親は娘の嫁いだ先へ転がりこんで、鍵束を握り締めるまでになっているとは。そして、いくら招待されたとはいえ、ラインハルトはなんでインメン湖畔の屋敷へ行くのだろうか。エーリヒはこの二人を残して商用に出かけるが、何を思ってのことなのでしょう。
読んでいるときは、気にならないのですが、読み終わりしばらくすると不思議でならなくなります。でも、ケチをつけているのではありません。そこはかとないはかなさと諦観を漂わせている、大変魅力ある小説です。ぜひ、多くの人に読んでもらいたいですね。
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Re: テオドール・シュトルム ( No.6 ) |
- 日時: 2003/08/04 02:40
- 名前: すみ&にえ
- 参照: http://www.aw.wakwak.com/~w22/
- Katzeさん>
ラインハルトは2年間もエリーザベトに手紙を出さなかった、会ってもあいまいな態度をとった、というのは、私たち、3つ考えたんですよ。1つは単純に、自分の将来がどうなるかわからないから、彼女を縛りつけてはいけないという遠慮から。2つめは、若さによる驕りと愛の絶対視。二人が運命によって定められた仲なら、たとえどんな時期があろうとも、最後にはかならず結ばれるはずだ、だからそのことについてはまったく不安を感じず、むしろ二人が結婚したあとの地固めを今のうちにしておくほうが大切だと思った。3つめは、逆に不安から。幼なじみのエリザベートを一人の女性ではなく、理想化してしまうことで抽象的な存在にしてしまう。生身の女なら心変わりもあるだろうが、理想の女性だったらいつまでも待ちつづけるもので、理想の女性としてしまっておけば安心できる。だから人と人とのふれあいとしての手紙などのやりとりも避けた。 あと、エーリヒが二人を残して商用に出かけるのは、二人を絶対的に信用していたとも、試していたともとれますが、これは単純にロマンスのストーリー展開として二人きりにする必要があったので、多少無理があってもそういう設定にしたってところじゃないかと思うんですが。 ホント、時代が違うのでいろいろ考えさせられておもしろいですね。
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Re: テオドール・シュトルム ( No.7 ) |
- 日時: 2003/08/05 02:17
- 名前: もぐら <maulwurf@valley.ne.jp>
- 参照: http://www.valley.ne.jp/~maulwurf/
- なるほどねぇ〜、と。
『みづうみ』は、シュリーマンの『古代への情熱』と重なってしまうんですよね、僕の場合。 まぁそれはおいといて、「美しい秘密がね」というのは、当時の若者の、思いっきりの「カッコつけ」というかんじですよね。確かに「思わせぶり」なところもあるし、(少なくとも当時の)若者の、愛に対する純粋な信頼というか信仰のようなものがうかがえますよね。 エーリヒの行動とエリーザベトの言葉も、今現在から読めば「わざとらしい」とか「無理がある」ように思えますが、当時の他の作品なんかを読むと、よくある自然な展開だったりします。21世紀になって読むと「おぃおぃ、そんなのありかよ〜」というストーリー展開も、当時は、ある種流行のようなものであったのかもしれません。 結構単純に考えた方がいいかなぁ、と思ったりもします。
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Re: テオドール・シュトルム ( No.8 ) |
- 日時: 2003/08/06 01:06
- 名前: Katze
- すみ&にえ様、もぐら様、いろいろお教えいただきありがとうございます。そういう考えもできるのかと思いながら読みました。
僕は、ラインハルトは肉体をもったエリーザベトを愛していたのではなく、「森にて」の始めにエリーザベトを白鳩にたとえた詩を書いていますし、また二人で森の中へイチゴ探しにいく場面で、手もつながないように描いているのは、詩のモティーフとしてしか見ていなかったのではないかと思っていました。そして、エリーザベトを生身の女性として見ることになったのは、ずっと遅く「エリーザベト」の章ではないのかと、特にラインハルトは「イチゴをさがしにいきませんか」と問い掛けたところではないかと考えているのですが。もっとも、そのときにはもうおそかったのですね。しかし、そのことによって、ラインハルトは幻影を離れる事ができ、エーリヒとエリーザベトの館から立ち去ることになったのではないかなと、読んだのです。
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Re: テオドール・シュトルム ( No.9 ) |
- 日時: 2003/08/07 00:49
- 名前: Katze
- もぐらさんが、推薦の項でタイトルについてかかれていますが、確かに『インメン湖』は口に出してみるとちょっとと思いますね。Immenseeが最初に訳されたとき(明治38年)の題名を書きますと、『夢の湖』でした。また大正時代には、『蜜蜂の湖』や『蜜蜂湖』などもありましたよ。これじゃ養蜂かなにかやっているのかとおもってしまいます。あと『湖畔』、『湖と少女』などもありましたが、戦後はほとんど『みずうみ』になっています。やっぱり、これが一番落ち着きますね。
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