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ライナー・マリア・リルケ
日時: 2003/05/10 21:29
名前:
参照: http://yonosk.tripod.co.jp

身の程知らず第二弾です。詳細についてはきゅーさんが身辺落ち着かれた頃にフォローしてくださると思いますので簡単に記しますと、リルケ(1875-1926)はプラハ生まれのドイツの詩人・小説家。散文の代表作はなんと言っても『マルテの手記』で、デンマーク貴族の若者マルテがパリに住んで精神彷徨を繰り返す手記という体裁です。しかしその真摯な内省と言ったら、若いころ読んだときには涙滂沱でした。
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Re: ライナー・マリア・リルケ ( No.6 )
日時: 2003/05/19 20:13
名前: ききみみずきん
参照: http://www.geocities.co.jp/SweetHome/4720/

大山定一さんが、リルケ一筋とは、初耳です。(^^ゞ
この方と吉川幸次郎との往復書簡「洛中書問」を読んだ事があります。
おぼろな記憶の中では、大山さんの最終講義はゲーテの詩だったような気がします。
私は、岩波文庫の望月市恵(?)訳で読みました。
あの頃、森有正や辻邦生巡りで読んだ人多いのじゃないかな?
わたしもそう。(笑)
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Re: ライナー・マリア・リルケ ( No.7 )
日時: 2003/05/19 21:37
名前: すみ&にえ
参照: http://www.aw.wakwak.com/~w22/

あっ、大山さんってやっぱり有名な方だったんですね。言葉足らずで失礼しました、翻訳本はリルケばっかりのようですね〜、が正しい書き方でした(^^;)(^_^;)
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Re: ライナー・マリア・リルケ ( No.8 )
日時: 2003/05/21 01:42
名前: もぐら  <maulwurf@valley.ne.jp>
参照: http://www.valley.ne.jp/~maulwurf/

業界筋より(笑)
大山さんは大家ですよね。
塚越さんは、昭和18年に大学を出ていらっしゃるから、かなりのご高齢のはずです。
お二方ともお名前をよく見かけますが、時代的にはやや前の時代の方、という印象があります。
望月先生に関しては、一応孫弟子になるのですが、(他の人はわかりませんが)しっかりした訳です。ただ言葉がやや古いかな。
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Re: ライナー・マリア・リルケ ( No.9 )
日時: 2003/05/21 01:50
名前: すみ&にえ
参照: http://www.aw.wakwak.com/~w22/

もぐらさん>
さすがです、ありがとうございますっ。やっぱりそうですか、どなたのを読んでも、古めかしさからは逃れられないってことですね(笑)
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Re: ライナー・マリア・リルケ ( No.10 )
日時: 2003/08/15 04:21
名前: きゅー  <hisaokanesh@hotmail.com>
参照: http://www.geocities.jp/s_kanesh/main.html

リルケはやはりもぐらさんがおっしゃるように『ドゥイノの悲歌』がいいですね。というか、それが最高だと思われます(もちろん訳者は手塚富雄の岩波文庫)。
私にとっての十代は(ここで回想シーンが始まることをお許し下さい)ランボーでしたが、二十代はやはりリルケです。
ランボーと私は青春の乱雑さ、少年らしい自意識や確立されたものへの怒りを共有しました。
しかしリルケにはより深く自己を認識すること、自らを律すること、言葉に対する真摯さを教えられました。
私の狭い視野から近代的な自我というものを見るとそこにはリルケとG・M・ホプキンズがいます。
二人とも自己自身というものを他の何かとの対比ではなくそれ自身として見、その中に潜む深さを探索した先駆的な人物ではないでしょうか?
単なる比喩ではありますが、この地球で最後のフロンティアが深海底であるように、人間という存在にとっての最後とは言わなくても非常に重要な未開拓地に分け入ったのは彼らであると信じています。
とにもかくにもリルケの『ドゥイノの悲歌』はぜひ皆さんに読んでいただきたい。
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Re: ライナー・マリア・リルケ ( No.11 )
日時: 2003/08/17 11:59
名前: もぐら  <maulwurf@valley.ne.jp>
参照: http://www.valley.ne.jp/~maulwurf/

きゅー さん、ありがとうございます。
そう、リルケの良さは、やはり 詩 なんですよねぇ。
僕は『マルテ』は途中で挫折してしまったんです、実は。今手元にないので詳細はわかりませんが、やはり世紀転換頃からそれ以降に独特の「都市の描き方」がどうもしっくりこなかった、という気がします。
『若き詩人への手紙』は、若かった頃(笑)熱心に読みましたねぇ。
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Re: ライナー・マリア・リルケ ( No.12 )
日時: 2003/08/17 23:58
名前: Katze

『マルテの手記』は、はるか昔に読みましたが、もぐらさんじゃないけれど(途中で挫折こそしませんでしたが)、夢だか霧の中にいるようにボンヤリとしか、話が見えませんでした。あの独特な雰囲気が気に入ればよいでしょうが、そうでないと読むのが辛いところがありました。リルケは本質的に詩に優れていると思います。
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Re: ライナー・マリア・リルケ ( No.13 )
日時: 2004/07/24 01:29
名前: 多摩川原

最近『ドゥイノの悲歌』を読んだら解説にリルケはバラの棘に指を刺されて死んだとありました。これは「へぇ〜」に投稿しときたかったかも。それともこのサイトに出入りしている方々にはこんなことは常識?
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Re: ライナー・マリア・リルケ ( No.14 )
日時: 2004/09/23 12:17
名前:

 個人的には「若き詩人への手紙」(新潮文庫)。文学や愛を巡る、若き詩人への、真摯かつ詩的なリルケの語りかけは感動的です。
 ところで「マルテ」の塚本敏訳の冒頭で、これまでは大体「揚げた馬鈴薯」のように訳されていたpommes frites(フランス語でフライド・ポテト)が「ポンフリ」と訳されているのですが、これはドイツ関係あるいは料理関係では一般用語なのでしょうか? 某独和辞典にもこの訳語が載っているのですが、正直、こうした意味不明な(あるいは業界用語のような)言葉を用いて訳しているというだけで(その上、語学上の解釈だけでない訳者個人の解釈が注釈として載せられているのも越権行為のように思えました)、この新訳への期待は一気に瓦解してしまいました。
 これを機にリルケと親交のあったモーリス・ベッツ他2種の仏語訳も含めて、日本語訳の冒頭部分を比較してみましたが、定本が違うのか、同じ部分でも「陰鬱な建物」「白内障のような家」と違っていたり(仏語訳2種も同様)、最初の一行目からして実に様々でした。入手しやすさや訳の正確さから言えば、北杜夫の先輩(師匠?)でもあり、マンの「ブッデンブローク」なども訳している望月市恵訳だろうか。大山定一訳は忠実な訳という意味では怪しい部分があるが、思い入れの強い、熱っぽい翻訳です。
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Re: ライナー・マリア・リルケ ( No.15 )
日時: 2006/07/23 14:55
名前: 雪見
参照: http://home.att.ne.jp/yellow/cat/konna.htm

こんにちは。リルケのスレッドがあるので嬉しくて参加します。わたしは「マルテの手記」を若い頃に読んでたいへん感激しました。(森有正の影響で読みました。)
今また大学生に戻って、ドイツ語の原文を見ながらリルケ好きの数人とドイツ文学の先生とで小さい読書会をしています。相変わらずリルケは素敵です。いつか「ドゥイノの悲歌」を読みたいです。

マルテの翻訳について気づいたことですが、わたしは今も昔も大山定一さんので読んでいるのですが、冒頭に出る病気の子供の顔色を原文では「緑がかった」とあるのに訳文ではなぜか「薔薇色の」となっていて、どうしてこんな誤訳が起きているのか、それが昭和29年以来ずっと訂正されていないのか不思議に思いました。

「ポンフリ」は最近の訳では「フライドポテト」となっているそうですが、わたしは「ポンフリ」でいいんじゃないかと思います。(ブツはフライドポテトなんですけど。)パリで食べるあれは、やっぱりポンフリ以外の言葉はしっくり来ないなぁと。でもこういうことは人によって感覚が違うところだと思います。

マルテを原文と照らし合わせて読んでいくと、どの日本語訳もかなり意訳をされていて、微妙なニュアンスが出ていなかったり、原文では書かれていないことが補われていたりするのに気づきます。もちろんそれはマルテだけに起きていることではないのでしょうが、マルテのように詩的な文章の翻訳は難しいとつくづく感じています。

リルケは薔薇で指を刺されたのが原因で死ぬということを、わりと気に入っていた(?)ように聞いています。
「自分の死」を死ぬということにこだわった彼らしいと思います。
メンテ

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