すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「それぞれの少女時代」 リュドミラ・ウリツカヤ (ロシア)  <群像社 新書>  【Amazon】
大人でもなく、子供でもない少女時代を過ごす同級生の少女たちを描いた連作短篇集。
他人の子/捨て子/奇跡のような凄腕/その年の三月二日……/風疹/かわいそうで幸せなターニカ
にえ 私たちにとっても、邦訳本としても2冊めのリュドミラ・ウリツカヤです。
すみ 前に読んだ「ソーネチカ」が微妙に拒否反応だったんだけどね(笑) でも、上手い作家さんだなとは思ったし、今度は少女ばかりの連作短篇集ってことで、あの作風なら少女物はいいかもって気がしたし、で、読んでみました。
にえ ふっふっふ、勘は当たったね〜。やっぱりこの方、少女だと良いわ。少女たちの年齢は10才から11才ぐらいなの。
すみ もう子供っぽい遊びはダメって言われるけど、大人でもなく、背伸びできるハイティーンでもなく、でも、体にはそろそろ変化が表われ、って年齢だよね。
にえ お人形遊びとか、もうしちゃいけないって言われる年齢なのに、素敵な着せ替え人形を見せられると、ついてを伸ばしちゃったりするところとか、そうだった、そうだったってニンマリしちゃったな。
すみ でも、少女たちの背景には、1950年代前半のスターリン時代というものがあって、これはもう私たちでは計り知れないような時代だから、そういう時代を知る興味深さみたいなのもあって、読みごたえがあったよね。
にえ うん、少女たちの描き出しと背景のバランスも良かったしね。それぞれの少女の個性がキッチリ出ていて。けっこうみんな、強烈な個性なの。
すみ ストーリーもさりげないようで、けっこうドギツイお話だったりして、驚きつつも夢中で読んでしまったな〜。うん、この方はまた少女ものだったら買いだっ。ということで、これはオススメですよっ。
<他人の子>
偉大な東洋学者の娘として生まれたマルガリータは、大恋愛をして農家の息子セルゴと結婚した。二人は愛し合っていたが、セルゴは戦場へ行き、離ればなれになった。やがてマルガリータは双子の娘ガヤーネ(ガイカ)とヴィクトリヤ(ヴィーカ)を産んだが、マルガリータの母エンマが連絡を遅らせてしまったために、セルゴは不倫によってできた子供ではないかと疑った。
にえ このお話だけ、前半は大人たちのお話なの。で、マルガリータの母エンマの言動が謎。子供が生まれたのに連絡が遅れて、それでセルゴが自分の子供じゃなくて、マルガリータが自分の不在中に不倫で作った子供じゃないかと疑うのね。でも、本当はセルゴが休暇で帰ってきたときにできた子供なの。エンマはそのことにすぐ気づくんだけど、そこからが不可解。
すみ そうだよね、病院で産まれたんだから、子供が産まれた日付とかも証明できるはずだし、日付がしっかりわかれば、不倫の子じゃなくて自分の子だってセルゴにもわかるはずなのに、なぜかそうはせず、その話題は避けて、セルゴに子供の話をしつづけるんだよね。
にえ 穿った見方なのかもしれないけど、なんかこの方、大人の女性の登場人物だと、女性の中の男性的なところをむりやり排除して、女性的なところだけで女性を書いているような不自然さを感じてしまうのよね〜。女性だって、男性と同じように、理論立てて説明するってことは普通にするし、逆算したりもできるわけでしょ、でも、そういうところって、なんかこの方にとっての女性らしさから遠いところにあって、女性であるエンマには、そんなことより祈っててほしいし、マルガリータには心労でベッドに寝ていてほしい、みたいな。
すみ まあ、ロシア人と日本人の考え方の違いとか、事情とか、いろいろ違うんだろうから、実際のところはどうだかわからないけどね。でもまあ、大人たちはともかく、この生まれてきたガヤーネとヴィクトリヤの話はおもしろいの。
<捨て子>
妹のヴィクトリヤは眉毛が繋がっていて、想像過多で、度の過ぎたいたずら好きの少女だった。姉のガヤーネはおっとりとした東洋的な顔立ちで、我慢強く、感受性の強い少女だった。ヴィクトリヤはガヤーネが捨て子で、自分だけが本当の子供だという物語を作ることに夢中になり、とうとう、ガヤーネに衝撃を与えるような悪ふざけをしてしまった。
にえ 一卵性双子のガヤーネとヴィクトリヤは、見た目も性格もまったく違うの。ヴィクトリヤは悪気もないままおもしろがって、ガヤーネを騙して酷い目に遭わせちゃって、ガヤーネはそれを見破れるような悪知恵もなく、ただただ騙されては、感受性が強いために深く傷ついてしまって。
すみ お話のなかで、何度もカインとアベルが引き合いに出されているけど、まさにそのまま女の子版って感じよね。この二人に似ている例をもう一組あげることができるけど、それは言わない(笑)
<奇跡のような凄腕>
ピオネール(共産少年少女団員)に選ばれた3年B組の優秀な5人の少女は、行く直前に具合の悪くなったリーリャを除いた4人、アリョーナ、マーシャ、スヴェトラーナ、ソーニカが博物館に連れいて行かれた。両手のない女性が足だけで完成させたスターリン同志の肖像の刺繍を見た4人は、その女性の名前がT.コルィワノワと知り、同級生ターニカ・コルィワノワの親族に違いないと思い、確認してみることにした。
にえ 最終的に、少女たちはT.コルィワノワに会うことができるんだけど、この女性が強烈なの(笑)
すみ このお話からは、スターリン時代の矛盾とか不条理さとかがタップリ透けて見えてくるよね。かなり皮肉ってて。笑いながらも薄ら寒くなるような。
<その年の三月二日……>
ユダヤ人医師の祖父母を持ち、父が内務省官吏であるリーリャは、学校で陰湿な虐めに遭っていた。リーリャにとって、90才の曾祖父アーロンからユダヤ人に伝わる話を聞くことは大きな慰めとなっていた。
にえ リーリャはユダヤ人だからって理由だけで虐められるの。でも、リーリャは経済的には他の子よりもかなり恵まれた子でもあるの。白と黒の表裏が一つになったような複雑な立場。
すみ 巻末解説によると、「その年」というのは1953年のことで、3月5日にはスターリンが亡くなるんだけど、その前にスターリンの妄想のために、ユダヤ人医師たちが政府要人殺害を企てたとして逮捕されているそうで、そういう時代の危うい立場にいるユダヤ人医師である祖父母、そしてそれと正反対の立場、内務省官吏である父。ここにも白と黒があるのよね。そういう二面性+二面性が興味深い話だった。
<風疹>
外交官の娘アリョーナは、同じぐらい裕福な子としかつきあっていなかったが、そんなふうに友達を選んではいけないと親に叱られ、自宅で開くクリスマス会には、貧乏な家の子ターニカも招くことにした。
にえ アリョーナの家のクリスマス会は少女たちだけで、大人はいないの。招かれた子たちは素敵なブローチをもらって、まだこの時代のロシアでは知られていないミッキーマウスの紙ナプキンが敷いてあって、見たことのないような色とりどりのフォークがついた食事が出され、素敵な着せ替え人形が何体もあって……とターニカなんかにしたら、目も眩むような感じなの。
すみ ターニカは貧乏な人たちが住む「猫の村」というところに住んでいて、制服ももらいもので、お慈悲で出される給食を食べ、って学校生活なのよね。あとは双子のガイカとヴィーカ、リーリャ、マーシャ、体格のいい少女プリーシキナ、それにサーカス一族の年若き跡継ぎイーラというメンバー。まあなんというか、彼女たちは遠慮もなしで少女趣味全開の遊びを始めちゃうのよね。そこには知らないがための危うさも含まれていたりするんだけど。
<かわいそうで幸せなターニカ>
赤い校舎の女子校は、灰色の校舎の男子校と向かい合って建っていた。しかし突然、男女共学にすべしとの法令が出て、二つの学校は一つになった。そのため急に恋愛が多発することになったが、ターニカは新任のドイツ語教師ルキナ先生に恋をした。ルキナ先生は素敵なスーツを身に纏い、シームレスのストッキングを履いたおしゃれな女性だった。
にえ 貧しい家の子ターニカのかわいそうなお話、かと思ったら、意外とそうでもなくて、幸せなお話だったりして、というお話(笑)
すみ それにしても、貧富の差の激しさは凄まじいものがあるね。みんなが貧乏だったらまだいいんだけど、裕福さを見せつけられる環境で貧乏でいなきゃならないってのが辛いところ。でも、どうなることかとドギマギしたわりには、意外とあっけらかんとした話だったりして、救いがあったね。
 2006. 9. 1