すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「時と神々の物語」 ロード・ダンセイニ (アイルランド)  <河出書房新社 文庫本> 【Amazon】
ロード・ダンセイニ(1878〜1957年)の幻想短編集成(全4巻)の第3弾。
T.ペガーナの神々
U.時と神々
V.三半球物語
(ブウォナ・クブラの最後の夢/オットフォードの郵便屋/ブゥブ・アヒィラの祈り/東の国と西の国/小競り合い/神はいかにしてミャオル・キ・ニンの仇討ちをしたか/神の贈り物/エメラルドの袋/茶色の古外套/神秘の書/脅威の都市/われわれの知る野原の彼方)
W.その他の物語
(谷間の幽霊/サテュロスたちが踊る野原/秋のクリケット/もらい手のない<国の種>がヴァルハラから持ち去られた事の次第/電離層の幽霊/おかしいのはどこ?/古い廊下にいる幽霊/白鳥の王子/ペリプル師への啓示/誓ってほんとうの話だとも/夜の森で)
にえ ロード・ダンセイニの幻想短編集成(全4巻)もこれで3冊めになりました。この本も、シームの挿絵を全部収録ってことで、素敵な絵が一緒に楽しめてお得な感じです。
すみ この巻は収録作品数も多かったよね。4冊分の本が1冊に詰めこまれているようなものでしょ。
にえ うん、2冊にしても良かったんじゃないの、と思っちゃうよね。でも、普通なら2冊にすることを考えれば、これはお得な本だわ。ダンセイニの神話もの「ペガーナの神々」と「時と神々」の両方が丸ごと入ってるってだけでも美味しいのに、さらに短編集2つ分のプラスだもの。
すみ ちょうどラヴクラフト全集も読んでいるところだから、どうしても読んでて、ラヴクラフトがダンセイニから受けた影響というものを考えてしまうよね。ああ、これも、これもってラヴクラフト作品と共通するものが多くて。
にえ 巻末に引用されていたC・L・ムーアの言葉「誰もダンセイニを真似ることはできないのだが、ダンセイニを読んだことのある者はたいていだれでも一度はやってみようとするものである」というのは、そうだろうなあと納得したよね。
すみ うん、私たちはあまりファンタジー読みこんでないから、それほど思いあたらないけど、たくさん読んでる方なら、この本1冊で、何人もダンセイニ風作品を書いた作家を挙げられるんじゃないかな。
にえ 読者の立場の私たちにしても、ダンセイニは本当に読んでよかったと思える作家さんだよね。ダンセイニを読まずして、なにが語れましょうかって気になってくる(笑)
すみ 今まで完訳版がなかった「時と神々」、生前の単行本に未収録だった短編集など入ったこの1冊は、ダンセイニのファンには嬉しいなんてものじゃないだろうね。そして、このロード・ダンセイニの幻想短編集成でダンセイニと出会えた私たちは、かなりラッキーかも。
「ペガーナの神々」
マーナ=ユード=スーシャーイは小さき神々をつくり、睡りにつかれた。シシュは<時間の群をあやつる破壊者>であり、<時>はシシュの猟犬だった。ムングは<ペガーナと縁のあいだの死の長(つかさ)>であり、ムングが目前に表われ、御印を結ぶとその者は死ぬ。<宿命>の神はドロザンド。人間たちは愚かにも預言者を担ぎ出し、神々の意思を自分たちに伝えさせようとするのだった。
にえ これはダンセイニが作り上げた神話。荘厳な雰囲気にうっとり酔いしれちゃいましょう。
すみ 巻末解説のトールキンの文句に笑ってしまった。トールキンらしいなあ。
「時と神々」
ルナザールの王アルタザールは、ペガーナの神々の姿を人間に似せ、彫刻師に像を彫らせた。アヴェロンの王カナザールは、過ぎ去った日々と時を求め、旅に出た。
にえ こっちは難しかったよね〜。なんかねえ、王が過ぎ去った日々と時を求めていて、そこに次々と預言者が現れるんだけど、なかなか真実に行き当たらないって話になっていくんだけど。
すみ うん、予言者の話がどうしても途中からわからなくなってくるのよね。なんて言うのかな、こういう宗教哲学みたいな話になってくると、毎回のように「わからない」と言っている自分に飽きてきた(笑)
「三半球物語」
<ブウォナ・クブラの最後の夢>
ロンドンあたりから来て死んだ名前もわからない白人は、キクーユ族から<ブウォナ・クブラ>と呼ばれていた。人々は不思議なロンドンの幻を見た。
<オットフォードの郵便屋>
いかつい三人の男とそのうちの一人の醜い妻が住む高原小屋にはだれも訪れるものがなかった。ただ一人、郵便屋のアミュエルだけは、一年に一度、中国から送られてくる緑色の手紙を届ける機会があった。
<ブゥブ・アヒィラの祈り>
アリ・カリィブ・アハシュは、自分がこっそりと祈りを捧げている椰子林に隠された黄金の聖堂のダイヤモンドの偶像に、宿敵ブゥブ・アヒィラも来ていることに気づいた。
<東の国と西の国>
中国で、満州人の羊飼いは、夜会服を着て、二輪馬車に乗る男を見かけた。羊飼いが夜会服を見たのはこれが初めてだった。
<小競り合い>
恐れの山で小人族と半神たちの戦いが始まろうとしていた。半神は気難しく残忍で、小人族は獣らしさを良しとしていた。
<神はいかにしてミャオル・キ・ニンの仇討ちをしたか>
ミャオル・キ・ニンは一輪の睡蓮を豊饒の女神に捧げようとしていた。それを見た宿敵アプ・アリフは、竹弓で彼を射抜き、睡蓮を女神に捧げた。それを知った神々は・・・。
<神の贈り物>
ある男が平和に退屈し、戦争を与えてくれと神に祈った。願いはすぐに叶えられた。
<エメラルドの袋>
十月の夜、エメラルドの詰まった袋を背負った老人が「迷える羊飼い」亭に立ち寄った。鍛冶屋と大工と郵便屋の息子は、老人にビールを驕ってやったが、袋の中身が気になりだした。
<茶色の古外套>
ピータースという男が、薄暗い競売場でつい競い合い、ボロボロの茶色の古外套を20ポンドもの値段で競り落とした。すると、競り負けたサンチアゴという男がやってきて、1000ポンドで外套を売ってくれと言いだした。
<神秘の書>
牛を追い、ロー・ラン・ホー河の岸を家に向かって歩いていた中国人娘リー・ラ・ティンは、ロー・ラン・ホーの宵を歌にした。
<脅威の都市>
左右対称に設計され、左右対称にこだわる都市は、詩人を受け入れてくれる都市だった。
<われわれの知る野原の彼方>
夢見る人の物語」にも収録されている「ヤン川を下る長閑な日々」とその続編2作。
にえ どれも読んでて楽しかったけど、やっぱり圧巻は「われわれの知る野原の彼方」かな。ラヴクラフトの<夢の国>と同じで、夢のなかでだけ行くことのできる世界。妖しくも美しく、本当に幻想的で素敵なの。
すみ 中国が舞台の話が2つあったね。ダンセイニも中国には幻想を抱いているのかな。東洋人の私としては、西洋人が書く中国はどうもヘンテコリンに感じてしまうのだけれど。
「その他の物語」
<谷間の幽霊>
ある夕暮れ時、私はひときわ高くそびえ立つ一本の霧の柱を目にした。私は柱に話しかけた。
<サテュロスたちが踊る野原>
黄昏時に丘の上の野原を散策することのある私は、野薔薇を見に行こうとして、サテュロスたちが踊る野原を見つけた。
<秋のクリケット>
車での小旅行中、私はかつて有名だったロングバロウのクリケット場に立ち寄った。そこにはモジャーズという老人が、夜、幽霊たちの試合を見に来ていた。
<もらい手のない<国の種>がヴァルハラから持ち去られた事の次第>
<国の種>を賜ろうと土地神がヴァルハラに集まってきた。アイルランドの土地神は一番最後にヴァルハラにたどり着いた。
<電離層の幽霊>
ロンドンで財をなしたジャン・ニーチェンズ氏は、東の方ケントで古い城を買った。しかし、そこには自分にしか感じられない幽霊たちが現れる。そこで科学者に幽霊退治を頼むことにした。
<おかしいのはどこ?>
ヘンリー・ブートン氏の飼っているテリアは尻尾を切ってあった。どうしてそんなことをするのかと訊ねると、おかしな顔をされてしまった。しかし、次に会ってみると・・・。
<古い廊下にいる幽霊>
沼地で鴨を待っていた私は男に出くわした。男は長いあいだ放浪し、ある村で、幽霊話を聞いたという。
<白鳥の王子>
凍てつく11月のある晩、ゴルトナローの村のブレイディズ・ホテルで、金のない余所者が黒ビールを飲みたがっていた。村人たちは口々に、パトリック・ゲラティに驕ってもらえばいいと言った。ゲラティなら、確実に金を作って驕ってくれるというのだ。
<ペリプル師への啓示>
薄暗くなってきた図書館で、小論文を書いていたペリプル師は、人のようなものが浮かび上がってきたのを見て驚いた。その者は、自分は幽霊ではないと言った。
<誓ってほんとうの話だとも>
アルジェから南へ向かっていた私は、英国人の男と知り合い、車に乗せてやった。男はゴルフクラブに入会したときに、悪魔(サタン)に会ったことがあると言った。
<夜の森で>
剣と槍を携え、ホルスターに時代物の拳銃をおさめた男が馬に乗り、夜の森を進んでいた。男は馬から落ちたのか、ふと気づくと頭を打って記憶を失っていた。自分はいったい何をしようとしていたのか。
にえ これは「電離層の幽霊」とか「白鳥の王子」とか「誓ってほんとうの話だとも」とか、読み終えてニヤリと笑えるものが多くて、ホントに楽しめたな。
すみ 「秋のクリケット」が素敵だった〜。ジーンと余韻が残って。