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 「南瓜の花が咲いたとき」 ドラゴスラヴ・ミハイロヴィッチ (セルビア・モンテネグロ)
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リューバは今、ユーゴスラヴィア(現在のセルビア・モンテネグロ)を出て、スウェーデンで暮らしている。国を出て、もう12年になる。 かつてはセルビアのウェルター級とジュニアミドル級のタイトルを持つボクサーで、地元のドゥシャノヴァッツでは女性によくもてた。
にえ ドラゴスラヴ・ミハイロヴィッチはセルビア出身の作家、この本が初めての邦訳本かな、たぶん。
すみ この小説は15カ国に翻訳されてるみたいね。ちょっと読みづらくって、そのせいかストーリーの凡庸さがチト気になりだしちゃうかなってところはあるんだけど、でも、グイグイと圧してくる独特のパワーがあって、15カ国も納得だった。
にえ 時代背景というか、その時代に、そこで実際に生きていた人たちがどんな暮らしをしていたかが、ナマで伝わってくるって感覚があったよね。
すみ うんうん、それが最終的には、外の国の人たちの想像とのギャップの大きさに驚かされることになるのよね。外の国の人たちにしてみれば、ユーゴは灰色一色、だけど・・・みたいな。
にえ 語り手であるリューバはもうユーゴを出て12年、スウェーデンで暮らしているの。そのリューバが語る、過去のお話ということになるんだけど、最初と最後には、スウェーデンでの暮らしが描写されてて。
すみ 出てきて12年とはいえ、まだ心の一部はユーゴに残っているって感じだよね。なぜ出たのかは読んでいけばわかるのだけど。
にえ ユーゴスラヴィアについてはアレクサンダル・ヘモン「ノーホエア・マン」でも触れてるから、かぶらないところだけ話すけど、2003年から国名はセルビア・モンテネグロになったのよね。
すみ ホントに国名が何度も変わっている国だよね。それだけでもうどれだけ不安定な国かってことがわかるというものだな。
にえ 大きい括りで同じ旧ユーゴスラヴィアを出ていった主人公の小説でも、「ノーホエア・マン」の主人公は1992年に出て、この「南瓜の花が咲いたとき」の主人公が出たのは、それより40年は前なんだよね。だから、かなり国内の様子も事情も違ってた。
すみ しかも、「ノーホエア・マン」は出ていったあとの話、この小説は、出ていく前の10年ぐらいの話だからね。
にえ 「ノーホエア・マン」だと、なにかもう国中が疲れ果てているんじゃないかという印象が強かったけど、この小説だと、最初のうちはすさみはじめてきたところって感じだったし、最後のほうでこれから永遠かと思うほど長くつづく疲労の日々が始まったという印象。そのあと40年経ったあとでも国内は「ノーホエア・マン」に描かれたような状態なんだと思うとガックリ来るけどね。
すみ この小説は1942年頃の話から始まって、そのときには主人公のリューバはまだ青年、というか、年長の少年ってぐらいの年頃なんだよね。
にえ いわゆるチンピラ・グループの一員みたいな感じなのよね。ストーレというのが頭で、その取り巻きたちが喧嘩とか、ナンパとか、いかにも町のチンピラらしきことをしていて。
すみ リューバの父親と兄についてはあまり多く語られてないけど、どうも政治運動をしていたらしいのよね。そのせいで連行されてしまったりするんだけど。
にえ リューバは将来性のある新人ボクサーってことで、ちょっとは大目に見られているみたい。でも、その立場はコーチの好き嫌いとか、そういう不安定な感情から簡単に揺れ動いちゃうような危うさ。
すみ でも、見えない危うさばかりだから、注意のしようもないよね。小説のなかでも、嫌われることをした覚えもないのに、いつのまにやら心が離れた人がいたりして。話を聞いてみれば、そういうことかと納得するけど。
にえ そういう単純じゃない感情って、別にどこの世界でもあるよね。なにかされたから嫌いとか、性格が合わないから嫌いとか、人間関係はそういうはっきりした単純なものでは片づけきれないから。そういう不確かな他人の感情で先が見えづらくなるってなんか怖いなあ。
すみ チンピラ仲間のあいだでも、一人の暴力的な警察官との諍いがあったり、いろいろあるんだよね。その末に、リューバは国を捨てることになるんだけど。
にえ リューバの戻りたいという感情がなんとも言えない気持ちになるよね。楽しく、明るい未来の見えた故国に帰りたいのではなくて、戦争がまた始まれば、それをきっかけにしてまた戻れるかも、なんて、そんな思いなの。
すみ それでも明るい光がまったく見えない話というわけではないよね。リューバはスウェーデンで愛する人を見つけて結婚し、その人の連れ子をとてもかわいがっていて。それにしても、こういう自分たちとはまったく違う国で生きる人たちのことは、小説で疑似体験するしかないのだなあとあらためて思った。なんとも辛いものがあるのだけれど。